山の手事情社公演『home』。2階ロビーからすでに舞台ははじまっていた。白と紫のスポットを昆虫の複眼のように球状に組んだものがあちこちにあり、ロビーの空気が異様な紫に包まれる。客席と舞台も同じ。あるいは側壁の上から、あるいはプムセニアム・アーチの左右から、あるいは舞台の上から、いくつもの白と紫の光の束が、緩やかな女声のメロディーに乗って異空間を現出させる。それぞれがアトランダムに光度を強くしたり弱くしたりすることで、空間が揺らぐ。暗転。「現代化石評論」を語る「評論家」。「化石」は家族の化石であり、年の化石である、すなわち解体される以前の、われわれがイメージとしてもっている家族であり都市である。この舞台が、演劇の化石、すなわちすでに括弧に入れられてしまった演劇というイメージをめぐる舞台でもあることは、冒頭で充分に示唆されている(パンフによれば、この舞台には「構成表」があるのみでいわゆる脚本はなく、台詞は各シーンの稽古の中でそのつど組織され更新されていくという、エルス・コメディアンツと同じ行き方をとっている)。五つのシークエンスからなっているが、〈都市〉の「シドニー」と〈人間の化石〉の「ルーシー」(キャスティングクレジットより)が、オレのせいじゃない、ワタシのせいじゃない!と叫び合っては反目し合うかのように疾駆し、さいごには抱擁して奈落に沈むが、おそらくこの台詞には意味はない。たんに、誰もが内心で日常的に叫んでいる言葉を反復しているだけのことだ。黒い「ママレモンのかぶりもの」をつけた者が「シドニー」に、白いのをつけたのが「ルーシー」になるというのは、項と構造の関係にほかならない。誰もが語る常套句、紋切型のみで成り立たせた舞台なのだ。#1の家族の会話がそうだし、#2の「おかえりなさい」もそう、#3の「シェイクスピアの匂いのする職安」は演劇の常套句と日常の常套句。「収容所」とは言語に対しての抑圧的にはたらく場であり、これはとりもなおさず「近代」ということだが、ここではこれとは別に、登場人物という虚構の仕組みを徹底的に茶化している。「名前がない者は重要じゃない」からだし、そういう約束ごとを信じられない人(ふざけられない人)には、表面には書かれていない言葉に接することもできない。だが、そういう安易な戯れも同時に否定していくことに倫理がある。滝浦福子は叫ぶ。「つかまるな」と。#4の「写真」は〈都市〉が構築され、飽和状態に達して崩壊するという物語。これは構築の終焉というポストモダン的言説をなぞっている。「憂欝(大茶番)」は蟻の識別すら満足にできない、なにをやってもだめな、つまり、もうなにもするべきことなどないウラジミールとエストラゴンたちの喜劇的反復だ。
照明と音楽の硬軟自在の美しい同調ぶり。一瞬のうちに異質な空間が現れる。役者の研ぎ澄まされた肉体開発。構造を問題にしながら、ひとつの「物語」に回収されるかもしれぬ危うさをぎりぎりのところで拒否するドラマトゥルギー(循環する物語にはなっていない。これが人生論であることはラスト#5の「評論家」の、われわれは土にもどる、という言葉に明らかだ)。「心に耳を傾けて」というシークエンスが何度かあるが、ここではパントマイムによる職業人の類型を反復、批判しており、かれらの演戯は「シドニー」「ルーシー」の両人の視線に向けられているというメタ演戯だ。楠やイッセー尾形的な演戯すらもここでは括弧に入れられている。役者はみな「構造」の「項」を演じていながら、一人ひとりの存在間は圧倒的だ。「ビデオ屋」村上哲也、「野菜運びの少年/運命の神からの手紙」の井上奈保未、「エステの人」の大久保美和子、「職安を訪れる男/カイロプラクティック施術師」の山田宏平、「職安の女性」の柳岡香里、「声優を夢見る少女」の倉品淳子、「カンボジア人」の水寄真弓。柱となっているのは、やはり演出で「看守/シドニー」の安田雅弘、坊主頭の「ラージA」の清水宏、そして柳岡だろう。だが、アンサンブルが見事なあまりに、ほかの劇団にあるように、中心的役者にそのほかの者が完全におんぶするという悲しむべき事態は起こらない。84年4月、早稲田劇研内で結成、87年2月に早大劇研テントを離れてトップスで初公演。これまでの舞台を知らずにきたことは、ぼくの20代後半に犯した、とりかえしのつかない過ちだと断言せざるをえない。きょうの舞台ですら再演だし、第三舞台的な世界からいまの劇作術への転換を図ったのが、89年3月の『ゆるやかなトンビリラロの身だしなみ』だという。
山の手事情社の舞台作りは独特で、〈ハイパーコラージュ〉という手法を編み出した。舞台上で異なるドラマツルギーに基づく複数の演技を同時進行させるのだ。新劇的な家庭的芝居が片隅で行われていると思えば、一列に並んだ俳優たちが、摩訶不思議なゆっくりとした仕草を繰り返しながらゆっくりと舞台上手奥から下手手前を進んでくる。と同時に、ひとりコントを舞台片隅で見せる。芝居=新劇と思っている人に対して、いわば〈反芝居〉をもそこに同時に共存させるのだ。これは〈演劇〉という領域を拡大せんとする意図があってのことだろう。だが、無秩序なものを同時に見せることの違和感は、観客の情緒にさほどの違和感を抱かせないのも事実である。問題は音楽だ。通奏低音のごとき音楽が、舞台上でどんなに支離滅裂な演技の羅列が行われようと、変わらず流れ続ける。従って観客の情緒は、撹乱させられる一歩手前で安定してしまう。音楽さえも〈ハイパーコラージュ〉すれば、この試みはもっと過激なものになったにちがいない。
以下は劇団のホームページに掲載されている彼らの方法論についての、主宰者安田雅弘のインタビューだ。
山の手事情社の考え方
安田雅弘インタビュー(1998.2.12 聞き手 塩野 洋)●集団創作について
演劇は劇作家や演出家が作っているという大きな誤解があります。ある少数の、自己の世界の完成をみた作家や演出家をみると、一人でやっているようにも思われますが、そもそも演劇という表現は、芸術の中でも、集団でないと成り立たないことがとても多いのです。僕はいっそのこと、集団だからこそ楽しい、という作業の場にしていかないとだめなんじゃないか、と、ある日思ったんです。今は、僕も役者さんも一緒に考えている。アイディアにしろ方法にしろ、あるいは結論も、いろいろな意見を聞きます。多数決ではなくて、今のところ理論的に僕らがベストだと思えることを導きだしていっているつもりです。
―――複数の人間が演出なり脚本なりを分業でおこなうということではなく、役者さんと演出家で集団を作るという意味は。
役者さんは道具である、という考え方があって、思いどおりに動かしたい、あるいはそう動くことが快感である、というやり方があります。僕も理解はしますが、一番稽古場にいる時間が長いのは、役者と演出家なんです。その人たちが何も考えないというのは惜しい。そもそもこの役割分担というのは、効率の良さから生まれてきたんです。責任者を明確にしておけば、短時間で作りやすいし、首も切りやすい。こうした資本主義的興業システムに、僕の目指している表現手法というのはなじまないんじゃないかと思っているんです。なじむものを作ろうと思えば、商売にしてしまえばいいわけだから、無理に継続しなくてもいいと思います。
―――ということは、個人それぞれの表現の方法としての演劇、という方向に可能性を見いだしている。
それぞれがやりたい演劇というのはばらばらで、ある人が加わることによって、劇団の色が徐々に変わっていくことがあります。こういうメンバーだからこうなった、ということがあるわけです。だから山の手メソッドであって安田メソッドではないんです。一人がつくっていくという自覚はあまりない。理論的なまとめ役として僕がいるということはありますが。何より、稽古場が面白いんですよ。面白くなければやめます。皆のモチベーションがたもてるかぎり、このやり方はいい方法だと思います。
●演劇を取り巻く環境について
―――先程も稽古場を拝見しましたが、とても面白かったです。今のお話を聞いて考えたのですが、商業システムに乗っ取って、質の高い演劇なり映画なりを作ろうと思うと、役者さんの才能がかなり問われると思うんです。逆に、これはいい意味で捉えて欲しいのですが、個人としての表現に焦点を当てることによって、訓練しさえすれば、演技ができるようになる。現代社会のコミュニケーションが困難になりつつある中で、自分というものを表現することができる、一つの方法として有効だから、メソッドとして成り立つのだと思います。
日本では、演劇に限っていえば、才能のある人物が出て来る素地がほとんどないと思います。資質がある人はたくさんいると思うのですが、演劇に触れる機会がないために、その才能は開かれないままになっていると思うんです。できればすぐれた演劇に触れる環境作りをおこなって、天才がどんどん出て来るようにしたいと思います。
―――演劇以外のテレビや映画の俳優でも同じですか。あるいはエンターテイメントの分野では。
同じでしょうね。俳優教育自体がないですから。教育や養成というものは、ある特殊な緊張感をもって人と相対していくということだから。大阪には、お笑いの土壌があると思います。それを育てていく土壌も。だから次々と才能のある人が出て来るのだけれども、演劇に関しては、ないですね。現在役者を養成している機関というのは、劇団なんですが、本来そんな役割は持つべきじゃないんです。効率が悪いから。公演を行うことだけが劇団が行うことであって、役者を養成したり、メンテナンスする作業は、別の機関がやるべきなんですが、残念ながら今の日本ではそれでは成り立たない。だから劇団がやってるんです。プロデュース公演をやっているような組織や、明治座や歌舞伎座でもいいんですが、そういうところは、経済効率が悪すぎるから、養成はできないんです。そんなに儲かっているわけでもないだろうし。
―――養成をやってなおかつ儲けようとすると、生徒さんからお金を取るしかないですね。
結局そういうことになってしまう。何のための俳優を育てるかがはっきりしていないから、育てることもできない。もっともいかがわしい形での、つまり他人の夢を食い物にする商売になっている。
―――それは日本だけの状況ですか。
まあ、そうです。先進諸国の中では、目を見張るほどの遅れぶりでしょうね。うちはそれを逆手にとってやってきたんだと思います。例えば海外の場合では、僕らみたいな活動をしていても、税金の優遇措置や、地方自治体からの支援が、明確にあると思います。その分生き残りも厳しいと思いますが。今の日本では、ある人物が稽古場を提供しようと申し出てきても、減税措置どころか、逆に贈与税を取られるでしょうね。これでは誰も、芸術に対して支援をしようとは思わないんじゃないでしょうか。そういうことの遅れです。
―――仮にそういう減税措置がとられたとして、特定の企業がスポンサーとなったときに、表現の自由をどう獲得するか、という問題もありますね。
それは表現者はいつでも戦っているんです。芸術家との付き合い方が、社会の中で確立していないというのもあると思うんです。コマーシャリズムの一環ではなくて、企業メセナなんです、会社がつぶれるまでやります、というふうにやっていくのが理想なんですが、そこに至るまでは、芸術家とスポンサーの共同作業がその素地としてもっともっと必要でしょうね。
●ハイパーコラージュについて
二つの芝居を一ヶ所で同時にやったら変だろう、ということは、演劇をやっている人間なら誰もが一度は夢想すると思うんです。例えば桃太郎をやっていて、同時にロミオとジュリエットもやっている、というような。でも誰も実行に移さない。何を言っているのかわからなくなるだろうし。けれども何を言ってるのかわからない中に、もしかしたら現代的な表現の可能性があるんじゃないかと思って始めたのが、ハイパーコラージュです。この手法は、ある時点まではきましたが、僕の中で明確なインスピレーションが現れてきていない状態ですね。最初は矢継ぎ早にやっていって、それは結構面白い。だんだん慎重になってきて、重ねる要素をどう組み合わせていくのか、という基準を今、作っているところです。また、作るのにものすごく時間がかかるんですよ。
―――重ね方というのを具体的にいうと。
まったく無関係に重ねることにしたとして、無関係とはどういうことか、ということです。喋っている内容が違うのか。どうやら、演技トーンが違うということらしい、というのはわかってきてるんです。僕らがリアル系と呼んでいる、普通に喋っている芝居がいくつ重なっても、混乱するばかりであまり面白くない。リアル系のものと、歩行とダンスと、さらに「型」で動いているものが同時にあったら面白いんじゃないか、ということです。オペラ歌手が歌っているところへ、歌舞伎役者が六方を踏んでいたら面白いんじゃないかと。
―――芝居の後ろで踊ったりしているとあまり違和感なく見れてしまいますが。
違和感がないと、だめなんです。しっくりくるものであれば、ミュージカル映画でいくらでもおこなわれています。それぞれが独立して存在していて、一つ一をみても変だし、どれに目をやったらいいかお客さんも困ってしまう。しかし全体的にも一つのものになっている、というのが理想ですね。5分なら印象ということで出来るんだけれど、1時間となると大変です。10分を越えてくると、見る側が、流れを求め始めるんです。同じシーンの連続だと飽きるから、印象をちりばめていけばいいんだろうけど、まだ僕にはそこまでの構成力がないということだと思います。
●「型」について
僕らが1本の芝居を作るときは、まず物語の基礎的な台本部分として、「海」と呼んでいる部分を作ります。そこに小さな材料を、島を浮かべていくようにして乗せていきます。このやり方を始めて4、5年になりますが、この「海」の部分をきちんとしたものにしていきたいと思ったときに、リアル系では飽き足らなくなってきました。それはそれ自体が変じゃないから。変なものに変なものを重ねていったら、さらに変になるだろう、という考えで、まず、「海」の部分を変にしよう、ということで、今は「型」にこだわっています。
―――リアル系を目指すのなら、映画の方が優れた手法だということですね。リアル系以外は、「型」、ということになるんですか。
リアルじゃないものすべてが、「型」、ということになるでしょうね、多分。リアルも一つの「型」なんだけど。オペラもバレエも「型」なんですよ。「型」、というのを、身体にある力を強いること、と言い換えると、みんな「型」なんです。僕らの身体が潜在的に持っている姿を、ぼろっと表に出したいんです。能が、室町時代の武士の潜在的な肉体を顕在化したものだ、という考え方はできると思うんです。例えば、絵でもいいんですが、ピカソの絵は、あれは現代人でなければ理解できない絵だと思うんですよ。あれを受け入れているということは、僕らの意識の中にある映像を、ビジュアル化したものだと考えているからでしょう。現代の我々だからこそ受け入れられる肉体を表に出したくて、「型」にしてもハイパーコラージュにしても、そうした表現手法にこだわっているんです。現代では、こんな演技も存在しうるんだ、という部分を突き詰めていくと、普通のやり方では飽き足らなくなるんです。
それは現在の、我々日本人の姿を表現するということを、手法として確立していく作業ということになりますね。俺は日本人なんだ、という気負いというものはないんですね。ぜんぜんないです(笑)。僕らがやっていって面白いものになれば、それは断わるまでもなく現代日本人の姿なんだろう、ということです。アイディアを出す際に、日本人だから、ということで制限をつけても、面白いものは出てきません。ただ逆に、いろいろな素材を評価していくときに、これはブレイクダンスっぽいとかいう部分で切っていくということはあります。発想は無限に出てきますが、それを整理して、何をどうカットするか、という理屈が必要になってくる。僕がやっているのはそういう作業です。やっている役者さんと見ている僕の方の、両方の必然性を極力言葉にしていきます。どこが面白いか面白くないか、なんでこんなことやらなきゃいけないんだ、ということも理屈化してやっていくんですが、最後は感覚の問題だから、「いや、俺にはそういうのはないなあ」とか「いや、あるよ」という感覚で決まります。
●【P4】について
できたのはかなり偶然なんです。1980年代に旗揚げした劇団ばかりなんですが、90年代になって、同じようにやってきた劇団が寂しい状況になってきた。景気が悪くなったこともありますが。同世代なので、芝居が終わったあと、みんなで飲みにいったりするんです。あるとき、宮城さんだったと思いますが、劇団の話を一度真面目に話しましょう、ということをいいだして、話してみたんです。すると、持っている危機感が共通していることがわかりました。そういう仲間が集まってきて結成したんです。演劇界の中で、守っていきたいものがあるんです。稽古場はこうあったほうがいい。あるいは国や社会の理解はこうあるべきだ、といったような。そういう共通した部分と、それぞれの劇団との表現上の違いがはっきりと見えてきた、というのはよかったです。僕も他の劇団の稽古場を見せてもらって、うちはこうはやらないし、できないな、と思いました。多分それぞれそう思っていると思います。「FairyTale」では一緒にやりましたが、あれは相当慎重にやったつもりです。12月の公演だったので、8月からワークショップをやって、週に1回か2回は必ずみんなと会って、ショートストーリーズを作ったりして、それはすごく面白かったです。平行して台本を考えていただいたり、衣装を作っていただいたりして芝居にしました。うちの役者にとっても刺激になったと思います。同じメンバーとばかりやっていると、劇団の中での組み合わせが決まってきてしまうんです。だから僕らも絶えず新しい人を入れていますし、客演というのも今後は考えられるでしょうね。
〈ハイパーコラージュ〉はあまたの新劇の、そして小劇場へのアンチテーゼになりえている。惜しむらくは音楽がコラージュされていないこと。そうしてこそ初めて〈ハイパーコラージュ〉は完成させると思うのだが、安田には、舞台を完全に掌握したいという欲望が潜在的にあるのかもしれない。
ちなみに「P4」とは、安田雅弘(山の手事情社)、宮城聰(ク・ナウカ)、平田オリザ(青年団)、加納幸和(劇団花組)の四人の演出家が合同で行なう企画の総称である。利賀村の国際演劇祭に参加したり、合同でワークョップを開いたり、新たな演劇の裾野を広げる興味深い試みを随時行なっている。
蓮實重彦は云う。「表層というやつを、ひとはすでに知っているんです。それは未知のものではなく、だから既知というのでもないけれど、それと出会えばわかるんです。そしてそうした表層で魂と遭遇するとき、それにイメージを与えることなく肯定することがわれわれにはできる。もう、直接的にそれとわかって肯定してしまう」と。『home』には演劇の魂が露呈してはいなかったか。いま読んでいる書物(『闘争のエチカ』)と演劇体験とが、これほどヴィヴィッドに響き合うことは、いまだかつてなかったと思う。これは事件だ。