『ラ・マンチャの男』
1997年9月11日 15:30 青山劇場

J列22番は中央前よりの理想的な席。さすがシアター・ガイド。客席はほぼ満席。九割九分が主婦。男ひとり、なんてのは僕くらいのもの。

中二階がごとく一段高い、丸い舞台。その左右は階段で、下には窓。あとは舞台奥の壁の穴から時宜に応じて長い階段が降りてくる。装置はそれだけ。

セビーリャの牢獄。胡散臭い男女のさんざめき。セルバンテス(松本幸四郎)とそのお供(佐藤輝)が投獄される。罪人どもの頭をもって自認する男(上條恒彦)がその罪を問うと、教会を侮辱したという謂れなき罪、という。腑に落ちない罪人たちは、裁判をはじめる。申し開きをせざるを得なくなったセルバンテスは一計を案じ、囚人たち全員にも役を振り当てて即興劇を披露する(舞台上でセルバンテスは髪をとがらせ髭をつけアロンソ・キハーノに変装する)。〈ラ・マンチャの男=われこそはドン・キホーテ〉。サンチョとともに旅立つドン・キホーテ。マタゴーヘル=風車の冒険。到着した宮殿=旅籠。男を忌み嫌う女アルドンサ(鳳蘭)の歌〈同じことさ〉。ドン・キホーテにとっては麗しき姫ドルシネアである(〈ドルシネア〉)。キハーノの家。姪のアントニア(松たか子)との結婚を控えているカラスコ博士(浜畑賢吉)は一家に気狂いがいるのが我慢ならず、家政婦(荒井洸子)、神父(石鍋多加史)とともにキハーノの狂気の治療法に頭を悩ませる(〈あの方の事を考えてばかり〉)。旅籠でサンチョはアルドンサに、ドン・キホーテの気持ちを代弁して歌う(〈本当に好きだ〉)。戸惑うアルドンサ(〈どうして欲しいの〉)。男たちがアルドンサをからかい、囃したてる(〈小鳥よ小鳥〉)。床屋の訪問(〈床屋の唄〉)。頭に被っていた金盥をマンブリーノの黄金の兜だと言い張り、奪いとる(〈マンブリーノの黄金の兜〉)。戴冠式。追ってきたカラスコ博士が悩む。〈夢のドルシネア〉。〈見果てぬ夢〉。アルドンサを手籠めにする男たちとドン・キホーテの闘い。彼の狂気に付き合い、主(上條恒彦)は彼を騎士に叙する(〈騎士叙位の唄〉)。「溝の中で生まれた」と身持ちの悪さをドン・キホーテに悟らせようとアルドンサは歌う(〈アルドンサ〉)。だが彼にはムーアの踊り子も異国の姫君にみえる。全身を銀の甲胄で覆った騎士の登場。鏡の騎士と名乗る男の鏡張りの楯で狂気と正気のはざまに追込まれたドン・キホーテは人事不省に陥る。鏡の騎士はカラスコ博士。臨終の床につくキハーノ。サンチョが歌う(〈一寸したゴシップ〉)。アルドンサが駆けつけ、誰もが口にするのを拒んでいたドン・キホーテの名を呼び、夢を思い出させる。キハーノはドン・キホーテとなり渾身の力を振り絞って立ち上がり、サンチョ、ドルシネーアとともに歌い踊り、バッタリと息絶える。芝居は終わり、牢獄の入り口に階段が降り、セルバンテスは宗教裁判所へ。罪人の頭が問う。「ドン・キホーテはお前の兄弟か」。「二人ともラ・マンチャの男です」。囚人の群唱。

上演時間は休憩無しの二時間十分。扇田昭彦の『現代演劇の航海』の劇評を読んで、観る前から、これ以上の作品があろうか、と勝手に期待に胸を膨らませたのと、昨今の心身の衰弱のせいで、音楽も言葉も心に染み込んではこない。心が躍らない。セルバンテスが即興劇でドン・キホーテの物語を演じて見せるという脚本(デール・ワッサーマン)は秀逸。演出は、どこまでがエディ・ロール(振付・演出)で、どこからが中村哮夫(東宝取締役会長の松岡功の「あいさつ」によれば初演以来演出を担当)の仕事なのか分からないが、スペクタクル性は極力排し(照明は地味)、役者の歌と芝居だけで見せる。心弾まない理由のひとつは、幸四郎が、二十八年間主役を務めつづける芝居への関心の薄れか、ロングラン公演の惰性のためか、主婦が九割を占める客席に愛想を尽かしてのことか、歌はいいのだが、場面転換を担う台詞の声が小さく早口なあまり、マイクを通していても何を言っているのかJ列でさえ聴き取れない。出演者全員にあてはまることなのだが、演技が妙に縮こまってみえる。ミッチ・レイのスコアは聴いていて〈苦しい〉。劇場を出るとメロディーを忘れてしまう。詞はジョー・ダリオン。もう一つの理由は、構造はいいとしても人物に膨らみがないこと。幸四郎のワンマンショーだ。「あたいは・・・」を繰り返すアルドンサのソロのナンバーは三度目には飽きるし、ラバ追いだかの荒くれ男たちはただの獣だ。主だった出番は二ヶ所しかないアントニアと家政婦との間で、キハーノの人となりを面白おかしく語らせるくらいのサービスがあってもいいのではないか。幸四郎は朗々とした声は惚れぼれするが、殺陣となるとさすがに辛い歳になった。翻訳(森岩雄・高田蓉子)で気になったのは、アルドンサをはじめ旅籠の面々がドン・キホーテを〈殿様〉と呼ぶところ。かつてはどうか知らぬが、平成の現在耳にすると違和感がある。

この戯曲には明らかに60年代の反体制的精神が息づいている。初演は1965年のオフ・ブロードウェイ。今回の青山劇場公演のまえに名古屋の名鉄ホールで公演があったのだが、扇田昭彦は終演後、楽屋で幸四郎にインタビューをしている。それに応じた幸四郎の言葉。「このミュージカルはアメリカがベトナム戦争に介入し、アメリカの尊厳が揺らいでいた時期に生まれました。アメリカ人をもう一度鼓舞しようという意図を持った作品なんです」「だから、よく聞いてもらえばわかりますが、フィナーレの『見果てぬ夢』の合唱の最後部分には、アメリカ国歌『星条旗よ永遠なれ』の一節が使われているんです」(扇田昭彦『ミュージカルの時代』キネマ旬報社、158頁)。

これには気がつかなかった。作曲者ミッチ・レイのスコアには明らかな政治的意図がこめられているということになる。〈個なるもの〉こそが〈普遍〉へと繋がるというのは、大江健三郎や柄谷行人の思想の根柢に流れていることだが、『ラ・マンチャの男』も例外ではなさそうだ。

役を振りあてられた囚人たちのなかに松たか子を発見した客席からどよめきが起こり、オバサンたちは顔を見合わせ、あれよねそうそうあれよ、と肯き合う。黙って観られないのか。

その松たか子だが、95年から務めていたアントニア役を近年は姉の紀保に譲っている。紀保という名前は、ドン・“キホ”-テから取ったのだ。幸四郎は1970年にブロードウェイで英語で『ラ・マンチャの男』を成功させた直後に長女をもうけた。幸四郎の父、松本白鸚がキホーテにちなんで「紀保」と名づけたという(扇田昭彦『ミュージカルの時代』キネマ旬報社、277頁)

『ラ・マンチャの男』は2001年、松本幸四郎主演900回公演を達成する予定である。