ク・ナウカ『天守物語』
1999年2月27日 15:00 三重総合文化センター小ホール

青い斜面。周りは黒。中央奥に獅子頭。斜面の両端に、スピーカーが座る台。くの字に曲がったばちで太鼓を打ち鳴らす女(棚川寛子)。いくつものパーカッションが絡む。明かりが落ちる。姫路城に巣食う魔物の富姫(ムーバー/スピーカーの順に記すと、美加理/阿部一徳)のもとに、猪苗代城の主の生首を手土産にやってくる亀姫(榊原有美/吉田桂子)。毬に興じる二人。酒を浴び昼寝する朱の大入道(吉植荘一郎/藤井愛)。侍の闖入。姫川図書之助(大高浩一/錦部高寿)。主の鷹をそらした咎めに鷹を探して迷い込んだ。心を奪われる富姫。「鷹はわたしがとりました。鷹をひとりじめしたいなど思い上がりだ」。富姫は侍を人間の世界に返してやる。あの人がほしい、と身悶えする富姫。武士に追われてふたたび現れる侍。富姫は獅子頭に匿う。武士が目を刺す。二人は失明。獅子頭を掘った桃六(中野真希/吉植荘一郎)が現れ、獅子に目を入れる。二人の目が開く。

ここでムーバムーバーとスピーカーの説明をしよう。

ムーバーとは俳優であり、彼らは台詞を言わない。台詞は、舞台左右に陣取るスピーカーと呼ばれる人たちによって語られる。文楽、歌舞伎のスタイルと思えばいい。

この演出方法の優れている点は、日本以外のどこでも公演ができるということだ。ムーバーたちは劇団員を使い、スピーカーは現地の俳優を使えばよい。実際、海外公演はいくつかこなしている。ひとりの人間がある人格を演じ、その役になりきって台詞を喋るという演技の歴史は、日本においてはさほど古くない。能にしろ、文楽にしろ、歌舞伎にしろ、演技者と台詞担当者は別々の人が行なうという仕掛けに日本人は慣れており、違和感がない。その伝統を現代劇にもちこんだのがク・ナウカだ。

蛇足ながら、1996年に神戸で日本で初めて映画が上映されて以来、トーキー時代になるまで、日本には世界に例のない制度が生まれた。活動弁士、いわゆる活弁である。演技はスクリーンで観る。その台詞、感情、カット割による状況変化の描写は活弁が担当する。これには文楽、歌舞伎以来の、〈演じ手/語り手〉の分離がごく自然なものとして受け容れられてきた日本の伝統が息づいている(四方田犬彦『日本映画史100年』集英社新書)。

美加理の美しさ、華が圧倒的。破れ傘をさし、客席からあらわれる姿に惚れ惚れする。一見の価値あり。照明は地味だった。宮城聰演出。