ドゥエンデとは聞きなれない言葉である。いったいドゥエンデとは何だろうか。
スペインの辞書を引くと、まず、こんな意味が載っている。
「民家に住み、家中を荒らしたり大音響をとどろかせたりすると言われている想像上の精霊。昔話では老人や子供の姿で現れる」。
これはまさに座敷童そのもの。座敷童といえば、岩手県を中心とした東北地方で信じられている家の精霊である。スペインにも座敷童がいるのだ。ドゥエンデという言葉は、〈ドゥエニョ・デ・カサ〉(家の主)というフレーズが略されたものである。17世紀のスペインの戯曲家カルデロンに、『淑女ドゥエンデ』という、主人公の女性がお化けに扮してもたらす珍騒動を描いた喜劇がある。
ドゥエンデにはもうひとつ重要な意味がある。これはもっぱらスペイン南部アンダルシーア地方で用いられる用法なのだが、そこでは、ドゥエンデといえば「神秘的でいわく言いがたい魅力」を指す。かなり曖昧な定義だ。ここでいう魅力とは、芸能の魅力のことである。厳密に言えば、フラメンコの歌や踊りの魔力を指している。
たとえば落語で、聴衆の魂をゆさぶる力をもっている噺家のことを、「あの人にはフラがある」と言う。フラとは、作ろうとしても作れない、天性の個性のことだ。先ごろ物故した古今亭志ん朝にはフラがあった。能なら「花」である。世阿弥が『花伝書』で説いた、あの観客の魂をゆさぶる不思議な力だ。スペイン人は、フラメンコの途方もない芸に接すると、「あの人にはドゥエンデがある」と呟く。歌舞伎の歌右衛門や玉三郎の芸を観ると、まるで宇宙の深淵を覗かせてくれるような感じがしないだろうか。ドゥエンデとは、まさに、宇宙の存在を感じさせてくれるような滋味溢れる、そして恐ろしい芸の魔力である。
この魔力の正体は何か。元来精霊であるから、ドゥエンデは大地にひっそりと生きている。そして、生と死の神秘を垣間見せてくれる。とりわけ死だ。生の象徴である太陽に対して、死の象徴である月が輝く夜、ドゥエンデは姿を現す。スペインの大地といえばオリーブ畑だ。皎々たる月光に照らされたオリーブ畑にドゥエンデは舞い降りる。そして月夜に死への欲動を感じることができる歌い手に、あるいは踊り手に、ドゥエンデは乗り移る。その瞬間、歌と踊りは生と死への讃歌となる。
20世紀スペイン最大の詩人、ガルシーア・ロルカは言う。「死者がもっとも生き生きとしている国、それがスペインです」。スペインにおいて、死とは物事の終わりではなく、始まりである。濃厚な赤ワインの滴りに、ドン・キホーテの狂気に、ゴヤの「黒い絵」に、死は生き生きと脈打っている。死とは生の陰画である。その陰画を芸術家の身体を通して見せてくれるのがドゥエンデだ。