『バイ・マイセルフ』
1997年5月9日 19:00 パルコ劇場

闇にスポットライトが当たる。若い編集者(市川染五郎)の独白。彼の身に起こった事の顛末をナレーターとして回想する。

誰かが置いていった電車の網棚の新聞をとろうとしたら携帯電話が鳴る。新たな仕事だ。引退して森の奥に隠居している老俳優の自伝のゴーストライターの邸宅へ。

舞台前面にシャワーの幕ができる。雨のなか編集者は俳優の住む洋館へ行く。足取り重く、ナイトガウンを羽織った老俳優(松本幸四郎)が部屋に現われる。机の上の新聞の切り抜きを、まずい物を見られた、という様子で抽斗にしまう。威厳のある役ばかりを演じ続けてきたらしい俳優特有の貫禄。二人は自伝を書く方法を協議する。あなたのやりやすい方法で行きましょう、と気遣っておきながら、自分の希望を無理強いする老俳優はブランデーを飲みながらクッキーをボリボリ食う。編集長に借りたCDレコーダーの使い方がよく分からない編集者は、老俳優が語る波乱万丈の幼年期の話を録り損ねてしまう。録音は諦め、メモにする。老俳優の話はどうも細部が齟齬をきたしている。両親に先立たれて預けられた家は妹と言ったあとに姉と言い換え、シラを切る。従順きわまりないゴールデン・リトリーバーに襲われたという少年時代の思い出、叔母夫妻の家は貧しい花屋で、そこで育てられた彼は食費を自分で稼いでいた、そんな家なのに鹿の頭部の飾り物があったという話など(すべて嘘であることがあとで判明する)。

老俳優はなぜか部屋を出るたびにドアをロックする。編集者は監禁される。隠していた携帯電話で編集長に連絡を試みる編集者。こういうときに限ってバッテリー切れ!あらためて老俳優は「真実の物語」を語りはじめる。父は炭坑夫、母は医者と只ならぬ関係に陥り、父は母を殺し、父と彼は二人で流浪の生活をした―――じつはこれも嘘。母を殺したのは父ではなく、彼女を毒殺したのは5歳の俳優自身だった。「5歳の男の子を疑う者は誰もいなかった」「5歳だからこそ完璧な嘘がつけるんだ」。編集者は、老俳優がしきりに薦めるまずい野菜スープに微量の毒が盛られていると信じこむ。

後日、篠つく雨をついて老俳優が散歩に行くと言って薬屋で買い物をして帰宅する。編集者が袋の中身をいくら見せろと言っても見せない。毒殺する気だろう、と編集者は決めつける。老俳優は肯定する。自伝を書き上げれば解毒剤をやろう、と言って監禁する。徹夜で眠ってしまう編集者。

ハッと目覚めると、老俳優が抽斗をゴソゴソいじっている。彼が部屋を出た好きに抽斗を開けて中身をあらためる編集者。中身は、俳優が一度も見たこともないし興味もないと言い切った、過去の舞台の劇評の切り抜きがぎっしり詰まっていた。嘘に嘘を重ねる俳優の真意を質す編集者。観念した俳優が「真実」を語る。「伝説の俳優にはそれにふさわしい人生が必要なんです」。平々凡々たる両親はいまなお健在、俳優本人も薄っぺらな人生を歩んできた、なんの面白みもない男だった。だが、今までの〈迫真の演技〉をすっかり信じこんでいた編集者は彼の演技力を称え、彼の平凡さを誉める。「本当の自伝を書きましょう」。二人は「バイ・マイセルフ」を書き直す。が、どうしても波乱万丈にしたくなる俳優は「私は6人兄弟の長男として生まれ・・・・・」とまたぞろ大法螺を吹く。諫める編集者。訥々と少年時代を語る俳優。幼稚園のお遊戯で蛙を演じ、生まれて初めて誉められたこと。「誉めてくれたのは先生ではなく父親だった。嬉しかった・・・・・」。涙を浮かべて話に聞き入る編集者(ここで染五郎は素に戻って泣いていた)。メモをとる編集者。

顔を上げると、心臓を病んでいる俳優は事切れている。編集者の独白。「こうして彼の自伝は完成した」。

いきなり照明がパッと明るくなる。

「こんな感じでいいですか」と編集者。「素晴らしい!」とむっくり起き上がる俳優。だが本人はまだ死んでいないのだから、これはまずい。平凡な人生を語り続ける男、それを書き取る男。BGMが高まる。幕。

舞台の外でも虚構の人生を生きる俳優。幸四郎が抜群だ。威厳たっぷりで相手を圧倒させておきながら、立場が危うくなると急に卑屈になる、そのギャップの巧みさ。編集者がよりを戻すべく別れた女に電話をかけたとき、受話器を奪っていきなり彼の父親を演じて真剣に怒るシーンは報復絶倒もの。電話を切り、編集者が、僕の親爺は死んだんです、と明かされたときの、や、しまった、という顔。そのまま愛想笑いを浮かべてソファーの後で「階段下り」の芸をみせて暗転にもっていく呼吸。

弱点は編集者=染五郎だ。二人芝居なのだから、エキセントリックな俳優と好対照な人物でなければドラマの振幅は広がらない。この編集者はごくフツーの常識人でなければならない。だがこの役は物足りない。しかも演じる染五郎は、地なのかどうか知らないが、古畑仁三郎の田村正和そっくりの鼻声と口調で、どうもヘンなのだ。装置と照明は森の感じをうまく出している。

見ながら脳裡に浮かんできたのは、二年前の原一男の映画『全身小説家』だ。映画マニアで『ラジオの時間』で監督デビューした三谷幸喜のことだから、観ているに違いない。

多摩、佐世保など各地に「文学伝習所」なる勉強会をもうけて小説家の卵に薫陶をたれる井上光晴の、89年から92年5月に死去するまでのドキュメンタリーである。歯に衣着せず舌鋒鋭く教え子を批判しては宴会で「津軽海峡冬景色」をBGMに芸者の恰好をしてストリップを踊ってみせる、伝習所での猛烈なサービスぶりに、男性の生徒たちは人生の師と仰ぎ、女性たちは〈心の夫〉と認めて憚らない、彼の人格者としての面をまず見せる。直腸癌に侵されていた彼が入院、手術し退院するまでが中盤。最後は、井上が自筆年譜や公演、テレビの取材番組などで何度も打ち明けてきた出生と幼年期にまつわる思い出が、実はほとんど彼自身がでっちあげたフィクションであることが、実妹や亡き祖母の知人、尋常小学校時代の級友たちの証言で暴かれる。旅順で生まれたのも嘘ならば(佐世保で生まれている)、父親が疾走して満州を放浪したというのも嘘(佐世保の家では祖母と父、妹と4人暮らしだった)。育った崎戸の島では、在日朝鮮人の女郎たちがが舞い踊りながら街を練り歩き、炭坑夫の月二度の給料日、〈受け銭〉の前夜には賑やかな勧誘があったという逸話も、当時を知る人たちは作り話と一蹴する。初恋の人〈崔田鶴子〉も然り。祖母は高島サカという人だったが、伊万里で父となる雪雄と出会い光晴をもうけるが、戸籍をみると雪雄とサカはなぜか兄弟になっている。母親が家を出て別の男と所帯をもった、という話だけが本当らしい。

彼がいかに嘘で過去を固めていたとしても、彼の虚実とりまぜた説話が伝習所の教え子たちや講演の聴衆たちをとらえ、彼らに救いをもたらせているというのが滑稽な真実である、というのがこのフィルムの眼目。カメラの手前にいるはずの原一男に向かって、自分が〈女〉であることを思い出させてくれる井上への思いを、瞳を潤ませ頬を紅潮させて熱っぽく語る伝習所のご婦人たちには呆れたが、こういう人たちはやはり井上のような存在を必要としているのだと、見終った今はそう思う。850gの肝臓を摘出する手術のシーンは観るのが辛い。部落解放文学賞選考委員の野間宏、友人の埴谷雄高も鬼籍に入ってしまった。「人間と文学」「人間の文学」と題された井上の講演は恥ずかしいまでに〈文学〉していて聞くに堪えないが、時折挿入される埴谷雄高の言葉は井上をよく見ているのが分かる言葉だ。「女性については三割バッター」「文学者は書いてしまえばいい。千年たてば誰も分かりませんよ」「祖母は嘘つきミッちゃんと言っていたが、文学者は嘘をつくのが商売ですから、井上光晴は最高ですよ」。見舞った病室を辞去しようとして井上がそこまで送るとベッドから降りようとしたのを、病人が見舞客に気を遣ってどうするのだ、と小言を言わずにはいられない埴谷の真剣な眼差しが実によかった。

演劇の世界には〈虚実皮膜〉という言葉がある。穂積以貫が「難波土産」で近松門左衛門の芸術論として紹介している言葉だ。芸というものは実と虚との境の微妙なところにある、事実と虚構の微妙な接点に芸術の真実があるとするほどの意味の言葉である。

『バイ・マイセルフ』の観客は、幸四郎が俳優であり、染五郎がその息子で俳優であることを知っている。その幸四郎が電話のシーンで染五郎の父を即興で演ずる。そして二人の丁々発止のやりとりが、すべて自伝を書くためのお芝居、という二重構造をなしている。こういうシチュエーション・コメディーはビリー・ワイルダーに私淑する三谷幸喜の自家薬篭中としているところのものだ。構成が巧みなだけに、染五郎が力を抜いた平凡なライターを演じられなかったことが残念である。

筑紫哲也が観にきていた。室内をサングラス姿でウロウロされれば厭でも目につく。