維新派『水街』
1999年11月6日 19時30分 大阪南港ふれあい港館

屋台村。おっさん二人がブルースのライブ。客は焚き火を囲んで、地べたに敷かれた板に座って聴いている。周りをぐりると屋台が取り囲む。ウズベキスタン風シシカバブ、たこ焼、梅酒。

7時半。維新派『ヂャンヂャン★オペラ 水街』。ドン、パパンと打ち上げ花火。この派手なオープニングがいい。客席が沸く。

第一幕(といっても緞帳があるわけではない。裸舞台だ)。明治36年の大阪・第五回内国勧業博覧会。〈珍獣館〉〈機会館〉〈工業館〉〈農業館〉〈不思議館〉。「トレシビック、蒸気機関車を発明!

モールスが電信機を発明! ノーベル、ダイナマイトを発明い!・・・」と発明の歴史を叫ぶアジテーター。舟。粗末な服を着た若者。海の彼方を見つめている。

第二幕。舞台奥に紡績工場、製鋼所、セメント工場などの工場群。舞台を三本の運河(大量の水を舞台に張る)が横切る。朝鮮、沖縄からの移民たち。

第三幕。夜の運河。炭鉱労働者の歌。

ハイカジヌ ウスグダラ (南風が吹いたら)
ハナヤハナミィーカラ(花は花の付け根から)
ブレー ウテー(抜け、落ちて)
ニシィカジヌ ウスグダラ(北風が吹いたら)
ナリィヤナリィミーカラ(実は実の付け根から)
サケー ウテー(裂け落ちて)
ジィマドウ ユレー イク(何処へ揺れて行く)

ジャリンコのひとり、カナが運河に落ちる。救う少年タケル。

第四幕。水辺にさまざまなバラックが舞台袖から現われ、あっという間に水上生活社の部落になる。水溜まりに打ち込まれた杭に掘っ建て小屋を建てたもの。移民たちの巣窟だ。豚。小山羊。鶏。赤ん坊を負ぶったジャリンコたち。見せ物の観覧会。溶鉱炉がある大阪の港の、水上生活者の街。タケルはカナを寝かせて介抱する。タケルはカナの姉ナオと知り合う。

第五幕。意識不明のカナのためにマブイ(沖縄言葉で生きている人の魂の意味)探しに出かけるタケルたち。

第六幕。タケルたちは、米、酒、小石、ススキを備えてカナに儀式を行なう。溶鉱炉が火を噴き出す。男たち、妊婦たちが、遠い海の彼方を見つける。

第七幕。巨大な溶鉱炉。石炭を盗む少年たち。逃げるタケル。

第八幕。石炭運び。アルミの横流し。博打と酒におぼれる男達。工場では朝鮮人と沖縄人が断られている。外輪船。「ブラジル移民募集」「朝鮮人、琉球人、不可」。張り紙を破る少年たち。

第九幕。舞台奥いっぱいに広がる紡績工場。賭博にうち興じる少年たち。

第十幕。増えるバラック。壁には「コノ住居、不法占拠ユエ退去ヲ命ズ 大阪市」の張り紙。突風。歌。

風に 乗って 空 飛ぼな!
グライダ みたいに 空 飛ぼな!
風に 乗って 風に 乗って 空の 果てまで!

荒れ狂う台風。

第十一幕。惨澹たるありさまのバラック。ナオにブラジルの伯父夫妻から、移住を勧める手紙が届く。引越しを始める家族たち。ナオにアカバナの鉢植えを渡すタケル。

第十二幕。タケルが、ナオが育てていた赤花の苗を川縁に植える。遠景の溶鉱炉がみるみるうちに崩壊し、高層ビルが林立する。バラックは消えて行く。移動する高層ビル。ビルはすべて消え、曇空の海原になる。

終幕。タケルが海の彼方を見つめる。一面の青空。辺りにアカバナ咲き、赤い花びらが舞う。

明治から大正、昭和と工業の発展により〈東洋のマンチェスター〉と呼ばれた大阪の、工場労働者と、その周辺に棲息していた移民労働者の明暗を描く。毎度のことだが、運河がバラックの舞台装置でで埋め尽くされていく過程がスリリングだ。劇作の底流をなすのはアングラ劇の思想であり、維新派はアングラの傍系と位置づけられる。だが昔のアングラと全く異なるのは、圧倒的な装置、いったいどこまでやるのかと思うほど徹底的に細部にこだわった装置と小道具類、そして、埋め立て地そのものを丸ごと舞台に仕立てることによる、舞台の巨大さだ。俳優たちは、走る仕草をするのではなく、文字通り、百メートル近くの距離を全力疾走する。維新派の舞台にはえもいわれぬ〈開放感〉をおぼえる。それは舞台の巨大さと無縁ではあるまい。そして、下手をすれば移民の悲惨な物語になるところを、少年たちの視点から物語を語ることによって、興趣溢れる悲喜劇に仕上がった。明治から昭和の大阪の歴史、とりわけ朝鮮人やウチナンチュらの歴史を研究し尽くした舞台の成果を高く評価したい。