スペインのペドロ・アルモドバルが『オール・アバウト・マイ・マザー』(原題は〈母のすべて〉Todo sobre mi madre であり、『イヴの総て』と『欲望という名の電車』が下敷きなのだから、邦題は『母の総て』とするべきである)で1999年のアカデミー賞最優秀外国語映画賞を受賞した。じつはその10年前にもノミネートされている。『神経衰弱ぎりぎりの女たち』 Mujeres al borde de un ataque de nervios だ。
彼のフィルモグラフィーを眺めてみよう。1980年に商業映画デビューを果たすが、そのまえにいくつかの短編を手がけている。
アルモドバルは〈モビーダ〉 movida の中心的人物である。60年代の欧米はアンダーグラウンド文化、カウンター・カルチャーが花咲いたが、フランコ体制下のスペインは外に対して閉ざされていた。1955年にフランコが主に観光客誘致と外資獲得を狙って作ったスローガンに "España es diferente"(〈スペインは違う〉) がある。だがそれは、あくまでも異国情緒を〈外部〉に対して売るのが目的であり、〈外部〉はつねに〈外部〉であり続けた。だがフランコが没した1975年以降、外国のポップ・カルチャーが洪水のように国内に押し寄せる。それらを受け止めたのがアルモドバルを中心とする〈モビーダ〉のアーチストたちである。モビーダとは〈不規則な運動〉を表す名詞の俗語表現だが、遅れて到来したアンダーグラウンド運動―――スペイン文学における〈遅れた果実〉のポップ・カルチャー版―――を指す。メンバーは、まず、グラフィック・デザイナーのセエセペ。彼は『ペピ、ルシ、ボンとその他大勢の女の子』に出演している。因みにアルモドバルも端役で出ており、ヒッチコック的な刻印を押している。そしてパンク・ロックのアラスカ。彼女は『ペピ、ルシ、ボンとその他大勢の女の子』のボンだ。『オール・アバウト・マイ・マザー』で主人公マヌエラを演じたセシリア・ロスがテレビのコマーシャルのシーンに登場していることも付言しておこう。さらにファッション・デザイナーのシビラ、ドラッグ・アーティストのファビオ・デ・ミゲル(やはり『ペピ、ルシ、ボンとその他大勢の女の子』に出ている)、テレビのプロデューサー、パロマ・チャモーロ、画家のギリェルモ・ペレス=ビリャルタ、写真家のアルベルト・ガルシア=アリクスなどが中心メンバーだ。マドリードを拠点とする彼らはロンドンやニューヨークの先端的な音楽やファッションに飛びついた。だが彼らは〈遅れてやって来た青年〉たちであり、その遅れ=遅延がモビーダに、そしてその時期のアルモドバルの映画に独特のキッチュ性をまとわせることになる。
モビーダは政治に関心を示さない。アルモドバルのごく最近までの映画では、まるでスペインにはフランコ時代など存在しなかったのようにドラマが展開される。アルモドバル自身、「彼〔フランコ〕がこの世に存在しなかったかのように」物語を作り出していると告白している(註1)。だが、果たしてそうだろうか。
アルモドバル映画と政治について語る前に、アルモドバル論という名で語られる言説の是非をまず問うことにしよう。アルモドバル論とはすなわち映画批評における作家主義であり、これは日本では80年代から主として蓮實重彦によってその下地が確固たるものとされ、映画を語る者はすべて「蓮實調」(註2)になった。すなわち「映画というのは記憶である、引用である」(註3)になってしまった。分かりやすく、日本映画の90年代を取り上げよう。他を圧してひときわ輝いているのは、相米慎二でもなく柳町光男でもなく塚本晋也でもなく、北野武である。北野武には〈映画史的記憶〉というものが皆無といってよい。彼は淀川長治とのインタビューでこう答えている。
- 淀川
- 〔…〕映画、子供のころからお好きだったんですか。
- 北野
- いや、ほとんど観たことがないんですよ、おれ。
- 淀川
- いやー、ほんとかいな。
- 北野
- ええ、北千住に富士館というのがあったんですけど、そこで観たのは『力道山物語・怒涛の男』と伴淳〔引用者註:伴淳三郎〕・アチャコの二等兵物語シリーズ、そのあとエロ映画館になっちゃったんだけどね。
- 淀川
- しょうがないねえ。
- 北野
- 兄貴といっしょにもうちょっと街中の映画館に行ったのが『鉄道員』ですよ。
- 淀川
- うん、いい映画だ。
- 北野
- それからしばらく観たことなくて、『史上最大の作戦』を浅草の大正館で観た。それくらいですよ、実際観たのは。(註4)
「わたしは日本映画の癌細胞、エイズのようなものだ」(註5)と公言して憚らない北野武の映画体験とは、これほど貧しいものである。ここで自らを癌細胞やエイズに喩えることのイデオロギー性を、スーザン・ソンタグの『隠喩としての病』を持ち出して議論したところで北野武の偽悪的アイロニーの理解は得られない。では蓮實のいう「無意識的な記憶」についてはどうか。彼の映画の特質は、徹底的な演出的省略と、巧みな編集(ハリウッドの映画作家とは違って彼は『その男凶暴につき』以降は自ら編集を手がけている)による物語の不意の中断と宙吊り、無声映画に近い雄弁な寡黙さ、そして『あの夏、いちばん静かな海。』以降、『HANA-BI』『菊次郎の夏』にみられるメロドラマ性である。実際、彼の映画は無声映画を思わせるものが多く(『あの夏、いちばん静かな海。』はそのもっとも極端な例である)、あるいは映画の先達たちを髣髴させるものがなくはない。四方田犬彦は、たとえば物語の余計な感傷をまとわりつかせない点でサミュエル・フラーを、編集における省略と、全編に漂う禁欲性、著名な職業的俳優を主人公に据えないという点でロベール・ブレッソンを思わせると言う(註6)。だが、北野はフラーもブレッソンも観てはいない。これはどういうことか。90年代にデビューした日本人映画監督にとってもっとも影響力があったのは誰か。スピルバーグでもなく、ゴダールでもなく、それは蓮實重彦が『シネマの記憶装置』(フィルムアート社、1979年)に書いた次のような言葉であると喝破するのはやはり、四方田犬彦である。
スピルバーグは、映画を撮る限りにおいて、ホークスを引用せざるをえない不自由な存在なのである。そして、この不自由を自覚することこそが、無邪気な楽天性を拒絶しうる唯一の道にほかならない。引用とは、独創性を欠いた模倣の仕草と思われがちだが、実は引用することで映画ははじめて映画自身を肯定し、本来が正当性を欠いていた自分をあや憂げに支えることが可能となるものなのだ。いわば、必至の反復こそが引用なのである。今日、映画的記憶を欠いた映画は存在しない。独創的な作家と思われる人から凡庸な作家と見做されている人にいたるまで、あらゆるシネアストは、意図的であると否とにかかわらず、映画自身を反復することによってしか映画たることはできない。それは、ジャン=リュック・ゴダールをはじめとして、フランスの「ヌーヴェル・ヴァーグ」の作家たちが明かにした唯一の映画的真実である。(註7)
四方田がこれを引用して指摘しているように、ここには小説の批評の分野でクリステヴァが提唱したインターテクスチュアリティーの理論が横たわっている。フランス文学のポスト構造主義の理論の文芸批評から出発した蓮實は同じ手触りで映画を論じる。だが映画において果たしてインターテクスチュアリティーは有効なのか。たしかに小説は、過去や同時代のテクストを織り合せた文字通りの〈織物=テクスト〉だろう。だが映画は果たして〈織物=テクスト〉か。柄谷行人は言う。
しかし、僕は映画というのはちょっと違うものだと昔から思っています。映画には作家というのはうまく成立しないのではないか。実際、一人の監督が全部やることはありえないわけです。例えば大島渚。ぼくは初期から見ていますが、この人には一定の主題、コンセプトがある。それ自体はつまらない。映画でなければ見るに耐えないでしょう。脚本を書いたりカメラをやったりするのは別の人達です。これはかなり有能な奴らだと思う。しかし、じゃあその連中だけで映画を作れるかといったら作れないわけです。大島渚は映画をやってなかったら、どうしようもない。彼が小説を書いたら読むに耐えないと思う。だけれども映画を作ると、結局、大島一人ではなくなるわけですね。それは大島がいないと存在しないが、同時に、大島ひとりが作ったとも言えないわけです。そういうものが映画の創作主体だと思うんですね。
そうすると、すでに映画において主体というものが成立しなくなってくるはずです。固有名詞としてそう言わざるを得ないから、「大島の作った映画だ」という風になるわけです。だけど映画の製作というのは本質的に、そのこと自体が創造というものあるいは主体が創造するということを疑う、ないしは疑わせるものであったと思うのです。著作権の問題でも、映画に関しては難しかったと思います。今でも本当は難しいと思います。何故かというと、著作権という概念自体が創作者という概念に基づいているからです。映画に関してそれがうまくあてはならないのは当たり前です。だから映画に関して、インター・テクスチュアリティー(間テクスト性)ということを言い出しても、必ずしもそれは破壊的な意味を持たない、批評的な意味を持たないと思うのです。
ですから、引用がどうの記憶がどうのというのは、実は何か新しい方向を指し示しているのではなくて、要するに映画が終わったという、「末期の目」で観ているようなものだと思うのですね。(註8)
蓮實が「末期の目」で映画を観ているのは『映画はいかにして死ぬか』(フィルムアート社)に明らかである。北野武に映画史的記憶が欠落していることには上で触れたが、「無意識的な記憶」すらないことは、デビュー作『その男、狂暴につき』で、北野武による前例のないカメラアングラやショットの要望に、そんな注文には応じられない、ほかの撮影監督に嗤われるといって拒否反応を示したというスタッフたちのエピソードが雄弁に語っている。「癌細胞」発言は、正鵠を射ていると言える。
映画に間テクスト性の理論を応用した読みは、文学の映画化の場合には有効であろう。マリーア・ドナペトリーはミゲル・デリーベスの同名小説の映画化『マリオとの五時間』、そしてメリメの原作をカルロス・サウラが映画化した『カルメン』の分析で、ジュネットやバルト、クリステヴァに依拠しながら間テクスト性の問題を論じている(註9)。 だが映画の創造主体とは、あるとも言えればないとも言える、きわめて曖昧な存在である。北野武の『ソナチネ』の海の青さにゴダールの『気狂いピエロ』の海を連想させられたからといって、北野自身が『気狂いピエロ』を観ずに撮っている以上、意識的な引用は成立していない。北野が撮影監督に、意識的な、そして無意識的な〈映画史的記憶〉を封印したことは上述したとおりである。そこにインターテクスチュアリティーの理論を持ち込むことは、映画を文学として読むことと同義であり、映画は文学に隷属する。隷属している以上、その映画は新しい何かであることができない。
たとえばアルモドバルは商業テビューまえの短篇では、自らのロック・バンドの生演奏つきで上映しているのだが、彼はハリウッドのサイレント時代にピアノやオーケストラが行なった生演奏や、物語の解説を講談調で行なった日本の活動弁士を引用しているわけではなく、あくまでも、フランコ没後の〈モビーダ〉というアンダー・グウンドの文化が生み出した手法の一端を用いたまでのことである。日本に話を戻すと、北野武以外でも、例えば『変態家族・兄貴の嫁さん』で小津安二郎を「引用」した周防正行は、その後、まるで小津など存在しなかったかのように『Shall we ダンス?』を撮った。つまり、周防にとって「引用」とは蓮實が説くような「不自由」ではさらさらなく、むしろ、昨今のミュージシャンがサンプリングと称してたまたま手許にある既存の音源を片っ端からコラージュしてみせる方法論に近い。周防も、塚本も、そして相米も、〈映画史的記憶〉から解放されているのだ。その極北が北野武である。『その男、凶暴につき』の刑事がただ闇雲に走っては突然歩調を緩めて歩き続ける姿に、『ソナチネ』の沖縄のエピソードで無邪気さと狂暴さがバロック的な構成で同居しているさまに、どんな〈映画史的記憶〉があるというのか。
80年代に商業デビューしたアルモドバルも、スペイン映画史において、光彩陸離たる輝きを放ち、同時代の、そして過去のスペイン人映画監督の誰にも似ていないイメージをフィルムに定着させることに成功している。ところが、彼もまた〈映画史的記憶〉から完全に解放されているかといえば、そうとは言いきれない。「すべての映画はジャンル映画である」というテーゼを墨守しつつ映画の領域を着実に広げてゆく黒沢清ほどではないが、アルモドバル映画の底にも映画ジャンルに対するノスタルジーが滔々と流れている。それはひとことでいえばメロドラマだ。メロドラマとはなにか。
それはもともと18世紀末フランス革命期に誕生した演劇のジャンルであり、ルソーが『ピグマリオン』(1775年)で登場人物の出入りに音楽の伴奏を入れる形式を導入したことを指したのを嚆矢とするのが定説である。〈メロドラマ〉という言葉はフランス語のmélodrame に由来し、mélo- はギリシア語で〈歌〉をあらわす melos から来ている。つまりメロドラマのメロとはメロディーのメロ、音楽を指しているのだ。このことは忘れてはならない。
メロドラマには三大要素がある。波瀾万丈の筋、場所の変化、そして正義が必ず勝つハッピーエンド、この三つである。これらの三大要素は、メロドラマが映画やテレビに浸透しても変わらない。では映画におけるメロドラマをさらに詳しく検討してみよう。
映画ジャンル論批評の泰斗、加藤幹郎は、その著書『映画のメロドラマ的想像力』で、ダグラス・サークの『悲しみは空の彼方に』を分析してメロドラマの特徴をこう述べている。
「メロドラマにおいては、いつも画面が、その色彩や形態、〔…〕主人公が実際に立っている場所の背景、小道具などのセッティングが、高まる音楽と相まって、いつも何事かを観客にたいして、じつに饒舌に―――ときに声高に、ときに囁きかけるように語りかけるということです。過剰なまでのこの饒舌さというものが、まずメロドラマなるもののひとつの大きな特色だといえると思います」(註10)
神経衰弱ぎりぎりの女たち』のタイトル・ロールとエンディングで流れるロラ・ベルトランの「私は不幸な女」("Soy Infeliz")という歌、そして三回も登場するキッチュなマンボ・タクシーの車内に流れるとぼけたマンボのメロディー。いずれも主人公ペパ(カルメン・マウラ)の心の動きに忠実である。加藤幹郎はさらにこう付け加える。
「サークの他の作品でも、そしてサークにかぎらず他の多くのメロドラマ作家の場合でも、登場人物の心の動きは、正確に画面の中の運動に反映されます。彼らは喜びにつけ悲しみにつけ、その心理状態を正確に画面にしるしづけずにはおかないかのように階段を登ったり、降りたりします」(註11)
『オール・アバウト・マイ・マザー』で、女優ウマ・ロッホ役のマリッサ・パレーデスが、主人公マヌエラのセシリア・ロスが、そしてHIVポジティブの修道女ロサのペネロペ・クルスが、マヌエラのアパートの階段を昇り降りしていたことを思い出そう。そして彼女たちの演技が、エリック・ロメールの登場人物たちとは正反対に、ときにオーバー・アクティングともとれるほど大袈裟な身振りをすること、そしてアルモドバルが描くのが、決まって社会的弱者たる女性(ほぼすべての彼の映画)、性的倒錯者(『マタドール』『欲望の法則』『アタメ わたしをしばって!』)、同性愛者(『ペピ、ルシ、ボン』『欲望の法則』)、ドラッグ中毒者(『ペピ、ルシ、ボン』『セクシリア』)など、社会的にマージナルな存在であることを思い出そう。
加藤幹郎はそこにメロドラマの核心をみている。
「さて以上述べてきたことをまとめますと、映画的メロドラマの何たるかが、おぼろげながらに見えてくるように思われます。まず、いわゆる「社会的弱者」が物語の中心にいます。これはなにも女性や子供にかぎらず、一人前の男でも、ヒッチコックの『サイコ』のアンソニー・パーキンスのように精神的な病いを抱えている人や、ファスビンダーが示したように、社会が要請してくる性的同一性を引き受け損ねた人や、同性愛者、それに外国人労働者など、とにかく社会の中の少数派であれば、いかなるヴァリエーションも可能です。そして彼らがかかえる問題は、ハッピー・エンディングを迎えるにせよ迎えないにせよ、結局、物語のなかではけっして根本的解決をみることがないまま終わります。解決がつかない理由のひとつには、彼らが自分達の問題を社会的問題として捉え返すことができず、いつも自分の家庭の問題あるいはせいぜい自分の住んでいる小さな町の問題としてしかみないからです。しかし、あたかも、その代償であるかのように、かれらの惨状、かれらの苦境は、画面のなかでこれ以上はないというぐらいに饒舌に描き出されます。それが画面の修辞的、隠喩的側面として展開されます。つまり音楽は高なり、証明やセッティングに工夫が凝らされ、色彩設計が入念になされ、クローズアップによって顔の表情が最大限ひきだされ、カメラは縦横無尽に動き回ります。そして役者達は、すくなくともブレッソンやドライヤーやロメールの役者達とは正反対に、せいいっぱい大袈裟な演技をしてくれます。映画的メロドラマとは、どうもそういった特色を備えているジャンルのようです」(註12)
アルモドバルの映画の色彩と大袈裟な演技は『神経衰弱ぎりぎりの女たち』でひとつの頂点を極める。ペパ(カルメン・マウラ)の、そしてイバン(フェルナンド・ギリェン)の愛人である女性弁護士パウリーナ(キティ・マンベール)事務所の室内の、壁や電話、卓上ライトの色を思い出そう。赤と黄色、青という原色が平然とした顔でスクリーンを埋め尽くしていたではないか。ペパと、精神病院から出たばかりのカルロスの母親が電話で話すシーンでは、受話器を耳に当てた二人の顔を真正面から捉えたカメラのクローズアップのショットが交互に挿入されていたではないか。これらはメロドラマの文法に則った手法である。ではアルモドバルは生っ粋のメロドラマ作家なのか。メロドラマとはすぐれてハリウッド的な映画ジャンルである。以下では、作家主義ではなくジャンル論批評に依拠しながら、アルモドバルがいかにしてハリウッドのメロドラマを継承しつつ、その構造を微妙に書き換えてきたか、そのさまを検証することにしよう。また、その際には、「最も良い映画とは、最もうまく意味を宙づりにしたものです」(註13) という言葉をバルトに吐かせた記号学がしばしば引き合いにだされるであろう。
『マタドール』はそれまでのアルモドバル映画の趣きとは異なり、のちの『神経衰弱ぎりぎりの女たち』、そして『オール・アバウト・マイ・マザー』に繋がる記号がちりばめられている。あらすじを瞥見しよう。
闘牛で負傷して引退し、片足が不自由で杖をついて歩くたディエゴ(ナチョ・マルティネス)が、闘牛士養成学校で教鞭を執っている。生徒のひとりで引込み思案なアンヘル(アントニオ・バンデーラス)は奇妙なことに血を見ると人事不省に陥るほど感受性が高い青年で、カトリックの大新興宗教である Opus Dei の熱烈な信者である抑圧的な母親ベルタ(フリエータ・セラーノ)と暮らし、近所にはモデルでディエゴの恋人、エバ(エバ・コボ)が住んでいる。ある晩、男性としての性的同一性に悩むアンヘルは、男らしさを証明するため、夜陰に乗じて路上でエバを強姦しようとするが、すったもんだの挙げ句、目的は達せらせぬまま射精してしまう。翌日、アンヘルは母親に教会に連れていかれ、司祭に懺悔をするが、懺悔以上の罰を受けたいアンヘルは自ら警察に出頭し、強姦を告白する。エバとその父が出頭し、強姦は成立しなかったと証言すると、アンヘルは、闘牛士養成学校の生徒を四人殺した、そのうちの二人の男子生徒はヘアピンで刺し殺し、残りの女子生徒二人は行方不明だと自白する。
マリーア・カルデナル(アスンプタ・セルナ)が彼の弁護にあたるが、アンヘルは彼女との最初の謁見で彼女に身覚えがあることに気づく。弁護士のマリーアはディエゴの崇拝者で、かくして彼女とアンヘルはディエゴを介して精神的に結ばれる。ディエゴはエバと、マリーアがインタビューをテレビのニュースで見て、エバを家に送ると戸口でアンヘルと出くわす。マリーアはアンヘルの母を訪ねるが、母は息子が四人の殺人の犯人であることを疑わない。家を出るとマリーアはディエゴに後を尾けられていることに気づき、『真昼の決闘』が上映されている映画館に逃げ込む。ディエゴは彼女を家まで送り、始めて言葉とキスを交わす。マリーアは長い髪留めでディエゴを殺そうとするがディエゴに阻止される。ディエゴは自分と似た存在に出会えたことを確信する。ディエゴはエバのファッション・ショーの会場でマリーアと再会し、街中の水道橋に河岸を移して話をするがマリーアはタクシーでその場から姿を消してしまう。
警察官(エウセビオ・ポンセーラ)はアンヘルの事情聴取をし、闘牛士養成学校を家宅捜査するがなにも情報は得られない。警察官の友人で精神分析医のフリア(カルメン・マウラ)はアンヘルが催眠状態にあると主張する。アンヘルは感受性がきわめて高く、、市内のあらゆる殺人を透視する特殊な能力がある。彼は警察官とフリア、ディエゴ、マリーアを、行方不明の女子学生が埋められた家の庭先に案内する。果たして死体が発見される。それを見たマリーアはディエゴが〈闘牛士〉を演じ続けていることを察し、ディエゴが身につけていた衣裳や備品を蒐集している彼女の隠れ家に彼を案内する。二人は同類であることを認め、お互いの幸福は二人でしか成就できないことをたちどころに了解する。ディエゴはエバを捨てるが、未練を断ち切れないエバはディエゴの家に忍び込み、ディエゴとマリーアの会話から、二人が殺人犯であることを知り、恐喝を仄めかすが、ディエゴとマリーアは相手にしない。
日蝕の日。隠れ家ですべての準備を整えるディエゴとマリーア。その様子を透視したアンヘルが警官たちに道案内をして一行は現場へ急行する。ディエゴとマリーアの激しいファック。絶頂に達するその瞬間、日蝕になり、アンヘルたちが到着すると家の中から銃声が聞こえる。彼らが目にするのは、お互いが抱き合って幸福の絶頂で死んだ二人の姿だった。カメラが日蝕のクローズアップのショットに続いて、死んで横たわった二人の俯瞰ショットを挿入し、フィルムは終わる。
『マタドール』のプロットのモチーフは、闘牛という死の儀式と強姦、そして反カトリシズムである。カルロス・フエンテスによれば、ゼウスが牡牛に姿を変えてエウロペを誘拐するように、闘牛は残忍な強姦の象徴である。この象徴が星座の牡牛座(タウルス)になるとき、強姦は宇宙創造の神話に昇華され、牡牛の情熱的な求愛にうっとりして応じるエウロペは彼の恋人になる。(フエンテス、カルロス『埋められた鏡』中央公論社、19頁)
闘牛にはエロティシズムが漂っている。闘牛士は下半身をすっぽりと包むズボンを履き、男性器の隆起を強調し、光り輝く衣裳で牛に挑む。〈闘牛士=男〉の〈牡牛=女〉の衆人環境のもとでの強姦というわけだ。だが牡牛はまぎれもなく男性性の象徴であることも確かである。そこから見れば、きらびやかに着飾った闘牛士は〈女性性〉をまとった存在となる。かくして、闘牛とは、ジェンダーの二重の交錯の舞台となる。ある些細なシーンで、貧相な花売り娘が登場する。演じているのはビビ・アンダーソン。過去のアルモドバル映画の常連であり(彼の映画に登場する主な女優たちはしばしば〈アルモドバル・ガール〉chicas Almodóvar と呼ばれるが、彼女もそのひとりである)、性転換手術を受けて女になった人である。ジェンダーの二重構造は、このような端役にも及んでいる。
衣裳にかぎらず、闘牛には厳格な規則、ルールがある。開始を告げるファンファーレ、闘牛士(マタドール)たちの入場(相撲の土俵入りに等しい)、牡牛のお披露目、バンデリリェーロ(銛打ち士)からマタドールによる留めの一刺し―――〈真実の時〉la hora de la verdad と呼ばれる―――に至るまで、相撲同様、事細かな手順を踏んで行われる。ディエゴとマリーアの死のエクスタシーも、完全に闘牛の儀式性を踏襲している。日蝕の直前、二人は死の舞台の照明、飲み物、赤い敷物などを周密に整え、〈真実の時〉に備えるのだ。公開当時、この映画は、闘牛というスペイン人にとってはクリシェでしかないモチーフを扱っていることでむしろ悪評の方が多かった。だが『マタドール』における闘牛は知的ゲームとジェンダーの二重構造が折り重なった、巧みなテクストになっている。
闘牛を原始的な単なる見せ物から知的な営為として読み直したのはスペインの〈27年世代〉と呼ばれる文学者たち、とりわけ、カトリック自由主義の作家ベルガミン、立体派の画家として出発しシュルレアリスムの詩人となったアルベルティ、そしてロルカである。先史時代の絵画、古代の祭儀、民衆宗教についての研究をすることで、彼らは闘牛を犠牲の象徴ととらえた。ベルガミンは、闘牛を、生と死と芸術の、恩寵と幾何学的原理の、肉体の審美主義と精神の抽象の混合物だとみなした。そのスペクタクルには情念が入り込む余地はなく、あくまでも幾何学的なゲームであり、その美的感動は知性によってのみ理解される。ロルカは友人の闘牛士の死を悼んで「イグナシオ・サンチェス=メヒーアスの弔歌」を書いたが、エリック・バラテが言うように、そこには30年代の革命的状況での社会的関心が反映されている。闘牛はたしかに民衆のためのものであり、民衆の再発見を促すものだが、ここでいう民衆とは「教養・感受性・芸術趣味をまとわされて、知的に再創造された『民衆』」なのだ。
ところで、闘牛を題材に選んだのはなぜか。アルモドバルはインタビューに応えて、脚本段階から紆余曲折を経てこのモチーフに辿り着いたことを告白している。まず、これまでのアルモドバル映画とは異なり、初めて脚本に共同執筆者を起用した。前作『グロリアの憂鬱』がヒットしたせいで東奔西走の日々を送っていたアルモドバルは次回作の脚本執筆にあてる時間がなかなかとれなかった。そこで書いたシナリオをヘスス・フェレーロに報告しては助言を乞うという形でシナリオは完成された。当初のプロットでは、ビリー・ワイルダーの『サンセット大通り』ばりの、映画監督と女優の物語だったという。どのプロデューサーにも相手にされないいかがわしい脚本家兼映画監督が新聞広告を出す。それを読むのが子役役専門の小人の女優で、彼女は38年間の芸歴をもちながら少女の役を演じたことがなく、そのせいでフラストレーションがたまっているという設定である。女優と監督は意気投合し、彼女主演の超大作を撮ることにする。監督は脚本を書き上げている。主人公のモデルは近所に住む11歳の少女で、ロリータ・コンプレックスの監督は彼女との情事を夢見ている。映画は、男との問題に翻弄される少女と母親が主人公の、子供向けハードコア・ミュージカルだ。女優はまさに自分にうってつけの役どころだとアイデアを気に入る。子役としての芸歴にはなんら問題がない。唯一の問題は資金だ。監督には金がない。だが女優には富豪の父がおり、点滴を受けて今際の際にある。女優はためらうことなく点滴を外し、かくして富豪の相続人になる。女優には幼なじみの奇妙な男がいる。同性の相手を殺すのが趣味というアブノーマルな人物だ。だが彼は多重人格者で自分のしたことを覚えていない。ある朝、死体と抱き合って目覚めて、彼は気分が悪くなる。その後もたびたび似たようなことが起き、そのたびごとに女優が彼を精神的に支える(この殺人者のモデルはイギリスの殺人事件だとアルモドバルは告白している)。
こうしてプロットを書き進めるにつれて、アルモドバルは監督と女優の挿話よりも連続殺人犯の挿話の方に興味が移っていき、物語は彼を中心にめぐるものであるべきだと決断した。男は死と深く結びつく役どころでなくてはならない。そこでもっとも魅力的な職業として闘牛士が選ばれたというのである。
ディエゴとマリーアが最初に隠れ家に行くシーンで、二人はこんな会話をする。
この美しい台詞は脚本共同執筆者のヘスス・フェレーロの協力に負うところが多い(註14)。 マリーアは男を誘っては騎乗位で情事を交わし、相手の首の裏(闘牛で牛を殺すポイントと一致する)を、長い髪留めのピンで刺し殺すことでエクスタシーに達する〈闘牛士〉である。ディエゴは、惨殺シーンを集めた裏ビデオでオナニーをし、少年を犯しては殺す、やはり〈闘牛士〉である。男でもあり女でもある〈闘牛士〉を、男と女が演じる。死の記号はフィルムの細部にもはっきり認められる。ディエゴとマリーアが再会する水道橋だ。マドリードの自殺の名所であり、マリーアの台詞にも「自殺した人を見た」という言葉がある。
死とエクスタシーのモチーフといえば大島渚に『愛のコリーダ』があり、アルモドバルもこれを意識している(註15)。 だが大島の主人公たちは男女ながらホモセクシュアル的であるために〈男性映画〉になっているのに対し、『マタドール』は闘牛の二重性を導入することで、〈男性映画〉というメロドラマのサブジャンルにおさまらない位置を獲得している。〈男性映画〉では男の弱さと受動性が徹底的に描かれるのだが、ディエゴはそういう人物ではない。では〈女性映画〉か。〈女性映画〉はスクリーンをうっとりと見つめてしまうことになんの抵抗感もない女性観客のために作られた映画の謂である。したがって『マタドール』は、メロドラマの二つのサブジャンルのどれにも属してはいないのだ。
ここでこの映画のもうひとつのモチーフである宗教に触れよう。
アンヘルの母親はすぐれてファリック・マザー(男根的母親)である。Opus Dei(カトリックの大新興宗教)の熱烈な信仰者である彼女は家に君臨する独裁者さながらに、息子に神への祈りを強要し、行動を監視する。母子の家の内装は教会の装飾と暗さを思わずにはおかない。彼女と対蹠的なのがエバの母親ピラール(チュス・ランプレアーベ)である。明るくてユーモアがあり、開放的な人物だ。これら二人の対蹠的人物は、ウナムーノやバリェ=インクラン、メネンデス=ピダルら〈98年世代〉の脅迫観念だった〈二つのスペイン〉という思想を体現している(註16)。 二つのスペインが、狂信的カトリック信者と、自由主義てきな母親によって体現される。そして、狂信的カトリック信者の母親の息子であるアンヘルは、ホモセクシャルではないかと警察官に疑われるような人物である。バイセクシャルであるディエゴも含め、このフィルムには同性愛のモチーフが透けて見える。同性愛は、〈二つのスペイン〉のうちのひとつ、たとえば内戦後のフランコ独裁時代に象徴される民族と言語の同一性を撹乱する、排除されるべき異物である。アルモドバルが「彼〔フランコ〕がこの世に存在しなかったかのように」物語を作り出していると告白していることは上述したとおりだが、彼の意識とは裏腹に、『マタドール』というフィルムは、すぐれて政治的なフィルムなのだ。
フランコはスペイン語圏の民族的アイデンティティーの同一性を国内外で鼓舞するために、『人種』 Raza という映画を製作した。この映画の製作のために、1940年11月2日、フランコは「スペイン語圏評議会」Consejo de la Hispanidad なる政府組織を設立した。その目的は帝国主義的かつ汎スペイン的な文化の流布であり、のちには「汎スペイン的文化協会」と改名された(註17)。 『人種』では母親が〈母〉としての祖国(スペイン語で祖国を表す patria は女性名詞である)の隠喩であり、ここでは個人としての女性ではなく、汎スペイン的帝国主義の具現者として、個としての性的役割を剥奪されている。ファランヘ党にとっての女性は次のような存在でしかない。「汝らは絶えず我らが州知事の助けを仰がなければならない…なぜなら今の時代、我らファランヘ党員としての生活は、我々の私生活のようなものだからである。我々はより確固たる己を確立するために、男性の力と決断のすべてを背負わねばならない、そしてその代わりに、我々女性は奉仕という自己犠牲を払い、決して不和の原因となってはならない。これこそが人生における女性の役割である」(註18)。 〈母=祖国〉とは、女性の男性的植民地化の謂である。カトリック・民族・言語による国家統一において、女性は〈帝国〉の一員にすぎない。
『マタドール』の主要登場人物の名前が聖書からとられていることは、上述したイデオロギーへの批判になつていることを忘れてはならない。ディエゴに一方的に捨てられ、なすすべもなく立ち振る舞うエバ=イブは、アダムのあばら骨から神が創造したその瞬間から、〈見る主体〉ではなく〈見られる客体〉である。そして、透視という特殊な能力を備え、自分のアイデンティティーの基盤をどこにも持てないまま周りの人物たちのあいだを行き来するのがアンヘル=天使である。だがマリーア=聖母だけは聖書的人物からかけ離れている。彼女はつねにディエゴを追い、ディエゴだけを見つめ、最後には心中という形で自分のものにしてしまう、徹底して〈見る主体〉である。闘牛と性愛の美学に貫かれているかに見えるこのフィルムは、かくして、政治的マニフェストとしての読みをも可能にする。
同性愛、性の倒錯、宗教、政治のモチーフは、ロルカの戯曲『観客』(1930年)に通じるものがある(『オール・アバウト・マイ・マザー』ではロルカの『血の婚礼』の舞台稽古のシーンがある)。『観客』は、『ロミオとジュリエット』をリアリズムの演出で上演する演出家の控え室にに突然白い馬が登場して演劇論を交わし、ある場では突然古代ローマの廃墟の場となり、葡萄の蔓を体中に巻きつけた男とフルートを吹く男が同性愛的な会話をし、そこにローマ皇帝が現れて「どっちが〈一なるもの〉かと問い詰め、続く場ではふたたび演出家が生きる〈現在〉に戻り(ローマの廃墟は演出家の夢であるいう精神分析的解釈も成り立つ)、上演中の『ロミオとジュリエット』のジュリエット役の女優が、男性性のシンボルである馬と対話し、最後には、観客がジュリエット役が男、それも少年であることを発見し、客席が恐慌状態に陥り、劇場の外では革命が起きて劇場そのものが崩壊し、謎めいた手品師が現れて雪を降らせ、演出家を途方もない孤独が襲い、降る雪のなかでひとりうち震えるという、複雑な構成を持つ戯曲である。終幕近く、舞台裏で、演出家との同性愛が成就されなかった男が、キリストのように十字架に磔にされ、「神よ、彼らを赦したまえ。彼らは自分たちの行いを弁えていないのです」と呟いて絶命する。主要な男性の登場人物は、ひとつの場で、ある者はピエロに、あるものはパジャマに、変身してしまう。ここには明らかに性的同一性というイデオロギーとカトリックに対する異議申立てがある(註19)。 『観客』では、性的同一性の曖昧さと愛の成就の不可能性というテーマが、リアリズム演劇に対する不信という演劇的テーマと折り重なっている。ホモセクシュアルの男の磔刑は、単なる宗教的モチーフであるのではなく、カトリックのあらゆる表象に窺える演劇性をも意味する多義的な記号である。ロルカ自身、ミサはもっとも原始的な上演形態であると述べている。『観客』は、演劇はかくあるべし、宗教はかくあるべしと、それらがおさまるべき領域と文脈を無意識的に盲信しているすべての観客に対して、強烈な平手打ちを食らわす実験劇である(ロルカの生前には上演されず、商業演劇が初演したのは1986年のことであり、演出したのは『オール・アバウト・マイ・マザー』で『血の婚礼』の舞台稽古のシーンで登場するリュイス・パスクアルである)。
1991年1月18日にマドリードで鈴木布美子がインタビューしたのに応えて、アルモドバルは、「舞台の演出を手がけたいと思っている」「これまで演劇にはあまり興味がなかったけれど、なぜか最近になって舞台の演出をやってみたくなった」と言っている(註20)。 その夢はのちに、『神経衰弱ぎりぎりの女たち』の演劇的なセットで、そして『オール・アバウト・マイ・マザー』の劇中劇、『欲望という名の列車』の演出で、実現することになる。
『神経衰弱ぎりぎりの女たち』はニューヨークの批評家に絶賛され、彼の地ではアルモドバル回顧特集が組まれ、アカデミー賞最優秀外国語映画賞にノミネートされた。
この映画でまず指摘しておかなければならないのは、今までの撮影スタッフが大きく変わったことである。とりわけ、それまで撮影監督を長く務めてきたアンヘル・ルイス・フェルナンデスに代わって、ホセ・ルイス・アルカイネが就き、カメラをアルフレード・マヨが担当したことは見逃せない。アルカイネはビクトル・エリセの『ミツバチのささやき』『エル・スール』の撮影監督である。助監督も代わり、赤と青と黄の三原色が鮮やかな装置は美術監督のフェリクス・ムルシアである。
まず観客が奇妙な感じを覚えるのは、いかにも作り物めいた空間のいびつさである。主人公ペパ(カルメン・マウラ)のアパートの室内の段差、セットであることが誰の目にも明らかなそのバルコニー(外にはセットの町並みが見える)。そのバルコニーで巨大な駕籠に飼っている鶏と、ホースで水を撒かなければならないほど鬱蒼と茂っているさまざまな観葉植物。そしてエキセントリックな人物たち。面長で鼻が曲がっている風貌から〈歩くピカソ〉と呼ばれたりもする、アルモドバル映画の常連、ロッシ・デ・パルマ。吃音で女性のまえで始終おどおどするしかないカルロス(アントニオ・バンデーラス)。エホバの証人であることを白昼堂々公表するアパートの管理人(チュス・ランプレアーベ)。シーア派のテロリストとは知らずに男と付き合い、テレビニュースで男の素性を知ってあたふたする、青い縞のミニスカートにハイソックスといういでたちのモデル、カンデーラ(マリーア・バランコ)。ありとあらゆるジャンルの音楽のテープやファッション雑誌類を車内に備えていながらなぜか主人公たちが乗り込んでくるときにはマンボをかける、内装は虎縞、染めたブロンドの髪を立てたタクシーの運転手(ウィリ・モンテシーノス)。
この激しい色彩とグロテスクな装置、エキセントリックな人物造形は、映画的記憶よりも、むしろスペイン文学の〈98年世代〉と呼ばれる文学者のひとりであるバリェ=インクラン(1866年-1936年)の〈エスペルペント〉と称される一連の戯曲を思わせる。キューバの小説家、アレホ・カルペンティエールによれば、映画のモンタージュ理論が現代文学に影響を与えたというのは逆であり、バリェ=インクランがイサベル二世の宮廷を批判して書いた小説『イベリア人間模様』 Ruedo Ibérico がすでにモンタージュの理論を先取りしているという。〈エスペルペント〉 esperpento とは「異様なもの」あるいは「ばかげたこと」を表すスペイン語名詞だが、バリェ=インクランは、戯曲『ボヘミアの光』『神の言葉』などで、〈歪んだ鏡に写る像〉に象徴されるようなグロテスクなイメージをふんだんに盛り込んだ作品を書き、それらを〈エスペルペント〉と呼んだ。歪んだ鏡はいびつな像を映し出す。そこでは記号と意味の直接的な関係が破綻する。
『神経衰弱ぎりぎりの女たち』で〈エスペルペント〉的な小道具として用いられているのは留守番電話である。声優であるペパは、同業の愛人イバン(フェルナンド・ギリェン)と、ある映画の吹替えをする。ところが、イバンはなぜか、ペパがスタジオで吹替えをするときには姿を現さない。ペパは、スタジオで、すでにイバンが吹替えを終えたフィルムを観ながら、恋人役の甘い台詞を吹替える。スタジオのスクリーンに映し出されたカップルの映像の演技と、イバンが吹替えた声に応えて愛の言葉を録音するペパは、イバンとのすれ違いで神経衰弱になり床にバタリと倒れる。彼と連絡をとりたいペパの唯一の頼りは彼からの電話である。スタジオのスクリーンから聞こえるイバンの声、留守番電話から流れるイバンの「会えない」という詫びの言葉。ここでの電話と映画はディスコミュニケーションの記号として使われている。
本論に入る前に、どうしても気になることに触れておく。邦題である。原題は Todo sobre mi madre。直訳すれば〈母の総てて〉。映画は、あのジョセフ・L・マンキヴィツの『イヴの総て』と、テネシー・ウィリアムスの『欲望という名の列車』が下敷きだ。であるならば、ここは断然『母の総て』でなくてはならない。
開巻劈頭、病院内の場面の後で、主人公マヌエラとその息子エステバンが自宅で夕食を食べる場面がある。テレビの国営放送TVE1チャンネルで『イヴの総て』の放送が始まる(アルモドバル映画にはTVEの番組を観るシーンが多い。ここでもTVEの1チャンネルのロゴがテレビ画面に写り、『イブの総て』の放送が始まる)。だがナレーターは「裸のエバ」(Eva al desnudo)と告げる。「またタイトルを間違えた。『イヴの総て』が正しいのに」とエステバンは呟く。外国映画のタイトルの翻訳の稚拙さに対して、アルモドバルは、エステバンを通して苦言を呈しているのだ。ならば、『オール・アバウト・マイ・マザー』の正しい邦題は『母の総て』でなければおかしい。このことは、日本公開に先立つ2000年1月に配給会社ギャガに私は忠告しておいた。結局聞き入れてもらえなかったが。
『オール・アバウト・マイ・マザー』は悲喜劇である。悲喜劇とは厳密にいえば演劇の一ジャンルであり、スペインにはこれをもっとも得意とする演劇的伝統がある。概念としての悲喜劇は古代ローマの喜劇作家プラウトゥスの『アンフィトルオ』をもって嚆矢とする。当時、悲劇の登場人物は神々や王侯貴族、喜劇は奴隷や大衆と決まっていたが、この作品にはどちらも出てくるのだ。そして、スペインの16世紀から17世紀にかけて、セルバンテスをはじめとする文豪を多数輩出した、いわゆる〈黄金世紀〉と呼ばれる時代に、かのセルバンテスをして〈自然の怪物〉と呼ばしめたロペ・デ・ベガが〈コメディア〉という演劇の一形態を完成させた。王侯貴族から庶民までが登場し、悲劇的要素と喜劇的要素をあわせもち、ラストシーンでは王が〈デウス・エクス・マキナ〉として物語に決着をつけるというものである。相反する要素が融合し、物語はひとつの中心をもつ円というよりは中心が二つある楕円を描いているという観点からすると、これはまさしくバロックの精華といえるものである。そして、〈コメディア〉の常数として挙げずにおけないのは、劇中劇と変装という二つのモチーフである。登場人物たちは、つねになにかのふりをする演技的人間であり、男は友人に、女は男にという具合に、たえず自分ではないほかの何者かに変装するのである。『オール・アバウト・マイ・マザー』の主人公マヌエラはアマチュア劇団出身であり、演技的人間である。この点は看過されてはならない。
悲劇を回避する方法はひとつしかない。それは〈演技する〉ということである。自分とは異なる、ほかの存在になりきることである。人間は神、もしくは至高の存在によって操られる俳優でしかないという考えは、古代ギリシアからあった。ギリシア悲劇は、この思考に基づいて成立している。ところが、演技するという意識にとって、神は怖れるに足らない存在になる。操り人形が、「自分は操られている」という意識を獲得すれば、操る人間の方を逆に操ることができるのだ。『ドン・キホーテ』という小説は、中世の騎士道物語をそっくりそのままパロディーにして、すなわち模倣して成立した近代小説の嚆矢である。模倣するということは、己の存在を絶えず意識の表層へと浮かび上がらせることにほかならない。オリジナリティーは模倣することから生まれるのである。主人公はアマチュア劇団出身であり、テネシー・ウィリアムズの『欲望という名の電車』の台詞を空で覚えている。彼女は「いざとなれば即興の演技くらい朝飯前よ」と女優ウマ・ロッホに告げる。彼女が〈演技的人間〉であることによって、『オール・アバウト・マイ・マザー』の脚本は、純然たる悲劇にならず、えもいわれぬ興趣に満ちた上質の悲喜劇になりえたのだ。
この映画のポイントはもうひとつある。それは赤青黄の三原色、とりわけ「赤」である。映画における「赤」の記憶をたどってみよう。『風とともに去りぬ』を挙げる人もいよう。同年の『オズの魔法使い』も色彩の豊かさが話題を呼んだ。三原色を巧みに使い分けた黒澤明の『乱』も記憶に新しい。ゴダールの『気狂いピエロ』、『中国女』を想起する人もいるだろう。だが『オール・アバウト・マイ・マザー』の「赤」は、そのどれにも似ていない。末永蒼生が『虹の映画彩』でチェン・カイコーの『さらば、わが愛』とチャン・イーモウの『紅いコーリャン』を分析して述べているように、映画における「赤」は、生と死の円環を意味してきた。人は血にまみれて生まれ、血が奪われれば息絶える。だがアルモドバルにとっての「赤」は、円環というよりは螺旋なのだ。
このことを証明するのは、『オール・アバウト・マイ・マザー』のラスト近くに挿入された、ある舞台稽古のシーンである。女優ウマ・ロッホは、スペインを代表する舞台演出家リュイス・パスクアルの指導のもと、『ロルカの闇』という舞台の稽古をしている。この作品は19999年6月に静岡で行われた第2回シアター・オリンピックで上演されたのだが、内容は、ロルカの主たる戯曲のさまざまな台詞を抜き出してコラージュして作り上げた、リュイスとヌリア・エスペルの二人芝居によるロルカへのオマージュである。映画でみられるのはロルカの『血の婚礼』の一場面だ。主人公である花嫁の母親が、長男がナイフで殺されたときの様子を思い出している。『血の婚礼』は、長男をある一家の男に殺された母親が、おなじ一家の男に、残されたもうひとりの息子までも殺されるという物語、つまり死で始まり死で終わる人生、生とは死そのものにほかならないという非情さを、血のイメージで結びつけた戯曲である。だが、ひとつの死からもうひとつの死に至る過程で、母親は人間としての成長を遂げる。すなわち、おなじ出発点に帰るのではなく、一段上の高みへ登るのだ。物語は円環構造をなしているようにみえて、じつは螺旋形を描いているのである。その螺旋の運動を支えているのが、ロルカにとっては〈血〉であった。
アルモドバルにとって、螺旋の運動を支えているのは〈赤〉という色彩である。『オール・アバウト・マイ・マザー』は、製作会社エル・デセオの真っ赤なロゴで始まり、おそらくはマドリードのベリャス・アルテス劇場のものであろう真っ赤な緞帳を写して終わる。赤で始まり、赤で閉じる物語。したがって、生と死を、そして貴重な再会の場面を描くときには、必ず赤が画面に現れる。マヌエラが、自分のアパートの居間で、女優ウマ・ロッホ――〈ロッホ〉Rojoはスペイン語で〈赤〉という意味である――と、親友アグラード、エイズに犯された修道女ロサと歓談に興じる、この上なく楽しい場面を思い出そう。ウマ・ロッホはその名にたがわず真っ赤なスーツとバッグで身を固めておらねばらなず、彼女たちが腰掛けるソファの柄も赤であり、かたわらに鎮座するフロアースタンドの傘も赤でなければならない。彼女たちは赤に包まれなければならないのだ。ラストシーンで、マヌエラが2年ぶりにウマ・ロッホを劇場に訪ねるシーンでも、彼女たちが座る椅子は赤以外にはありえず、ドアには赤いガウンがかかり、アグラードは真っ赤なセーターを着ていなければならない。
冒頭の夕食のシーン。真っ赤なセーターのマヌエラを右、真っ青なシャツの息子エステバンを左に、カメラは二人を真正面からとらえている。これだけで二人のたどる人生が二手に分かれることを端的に表している。赤の人物は〈生〉、青は〈死〉だ。『イヴの総て』のオープニング・タイトルを観ながら、エステバンはノートになにかを記す。カメラはノートの裏側から、ガラスを通して、彼の筆跡を辿る。彼はなにを書いているのか。再び二人のバストショット。二人の間に映画のタイトル "Todo sobre mi madre" が一語ごと縦にゆっくりと現れる。それこそが、エステバンがノートに書き記している文字というわけだ。
この映画は「すべての女優、演技する母親、演技する男たち」に捧げられている。演技することで悲劇を回避すること、悲劇を悲喜劇へとみちびく螺旋の運動をつき動かしているのが赤という色彩であること。この映画の要のひとつはここにある。
映画には二種類ある、と『欲望への欲望』(勁草書房)のメアリ・アン・ドーンは言う。〈映画〉と〈女性映画〉だ。一般の映画では観客は総称的な〈彼〉として映画を観ることを暗黙のうちに強いられ、さらに〈彼〉という男性性は無性化される。それに対し、女性の観客は映画における想像的なものに過剰な共謀関係をもつ存在として扱われ、彼女たちを護り、囲い込むと同時に周縁へ追いやることにもなる、女性観客に照準を合わせた〈女性映画〉なるものがハリウッドで誕生する。〈女性映画〉という呼称は、サイレント時代から1960年代初頭まで制作されたが、中でも30年代と40年代にもっとも集中的に作られ、もっとも人気の高かったハリウッド映画の一ジャンルである(メアリ・アン・ドーン『欲望への欲望』4頁)。ハリウッドが〈女性映画〉を量産した背景には、制作会社が、戦争により女性の観客が増加することをあてこんでのことだが、現実には男女比に変化がなかったにもかかわらず結果的に女性に向けて撮られた映画と女性スターが映画産業で脚光を浴びることになった。
『マタドール』と『欲望の法則』を除いたアルモドバルの商業映画はすべて〈女性映画〉であると言える。フランコ没後の70年代後半のスペインと40年代のハリウッドには、どちらも男の特権である戦争と独裁がともに終わった時期という点で共通性がある。だがアルモドバルの〈女性映画〉は40年代ハリウッドの〈女性映画〉とはある点で一線を画している。第二次大戦期のハリウッドの〈女性映画〉において描かれていた女性が徹頭徹尾〈見られる存在〉であり、物語の歯車を回す主体としての働きをあらかじめ奪われ、例えば窓辺に佇むといったクリシェを執拗に強制され、ときには不自然きわまりないポーズをしつこくとらされ、男が物語の推進者であるのとは逆に空間と物質に結びつけられて主観性を奪われていたのに対し、アルモドバルの〈女性映画〉、とくに『オール・アバウト・マイ・マザー』の主人公たちは、むしろ物語の積極的な推進者であり、そこでは男は添え物に過ぎない。