談志ひとり会
1998年2月9日18時30分 国立演芸場

前座は志らく。これは儲けた。薄い青の着物。伊之助という芸人が娘を見初めるが、娘の父親に思いを断ちきられる。その娘のもとを夜中に伊之助が足繁く通っているといわれた仲間の男が間に入って両者のあいだを何度も行き来させられる。その晩、伊之助も屋敷へ現れ、もうひとりの伊之助が娘といちゃついているところをばっさりと斬るとこれが狸。二人は結ばれる。

談志登場。

紫の着物に薄い青の袴、銀のラメ入り(?)のバンダナと派手ないでたち。二ヶ月ぶりに拝んだ顔色がまったく冴えない。青ざめた疲れた顔。ただ肉が垂れているだけならいいが、まるで含み綿でもしているかのように口の両脇の肉がプクリと膨れて垂れ下がっている。「声が出なくてね」とぽつり。小さんの真似をして声が悪くなったという冗談がちっとも笑えないほど元気がない。あまり余所で言わないでくれ、騒ぎになるといけないから、とも。食道癌の術後の経過が思わしくないのだろう。手術直後の「ひとり会」は、〈メメント・モリ〉の高座だった。今夜はその余裕がない。どうやら通院しているらしい。「きょうの準備もできなかったんですよ」。本人は触れなかったがあさってのフジテレビの特別番組のタイトルが「談志の遺言状」だ。考えたくはないが、もう「ひとり会」を聴くチャンスはそうないかも知れない。景山民夫の急死の話題から神について。シャブで次男が捕まった三田佳子の記者会見を批判。実家の舞台でやってたのに気づかないわけがない、噂がどうしようもないところまで広まって警察も踏み込まずにはいられなくなっただけだ、あいつはニセモノ、醜い女だねえ、とバッサリ。

この長い〈神〉のマクラからぞろぞろ」へ。

お社に奉られている神が、供えられた酒をやりながら参詣者の願いを聞き届けているさまの描写から入るという導入の演出が憎い。草鞋屋の娘がお参りする。三年間一足も売れない親父は当てにしていない。そこへひとり、またひとりと客が現われ、天井から釣ってある草鞋は売っても売ってもぞろぞろと天井から生えてくる。客は引きもきらない。「三列にお並びください!」。閑古鳥が鳴く床屋が、なんの騒ぎかと店にやってくる。「ハナがこうでシマイがこうだ」と顛末を聞き、さっそくお社にお参りに行く。店に戻ると門前市をなすがごとし。腕によりをかけて髭剃りを磨き、客の顎鬚をあたると、あたったそばから新しい髭がぞろぞろ―――。夫婦ではなく父娘にしたところが『落語事典』と違う。

茶をすすりながら、「もう一席やってから休憩にするか」と下手を覗きながら呟き、茶をすする。出来が悪いのがそうとう気に入らないらしい。

バンダナをとり左の懐にほうり込み、両頬を手でぐいぐいとこする。「フラフラするんですよ」。酒は医者に止められているという。人を殺したら死刑が当然、本人のためではなく、残った連中への見せしめのため、という話をマクラに「大岡裁き」へ。

左官屋の金太郎が財布を拾う。中身は三両。書き付けにある大工の吉次郎に届ける。吉次郎は、勝手に落ちた不実な金なんぞいらないと突っぱねる。喧嘩。あいだに入った大家も吉次郎の頑固に呆れ、お白州でこいつに頭を下げさせるからと金太郎をなだめて引き取ってもらう。顛末を知った金太郎の大家も腹を立て、大岡越前守に訴える。双方にお呼びがかかりお白州へ。どちらも受け取ろうとしないので、大岡は一両を足し、二両ずつ受け取らせ、ふたりの気持ちが気に入ったと食事を振る舞う(まさかお白州なわけはないよねェ、と、帰りがけの二人を役人が呼び止めるという演出を考えて演じ直した)。腹が裂けるほど食ってやると鯛にむしゃぶりつくふたりに大岡が「食い過ぎるなよ」「おおかァ食わねェ」「どれくらいだ」「たったいちぜん」。

10分の休憩。客の四分の一ほどが脱兎の勢いで出て行く。サインの予約か。そんな習慣のことなど忘れていた。

後半。黒の紋付き袴。眠っているときにみる夢ばかりが夢じゃないんだよ、昼だって見てるンだ、でもそれじゃ狂ッちまうから知性とか理性が見せないだけでね、とマクラを振る。

冬の夜。寺。「おい、いいな」「へい」と盗賊が討ち入りよろしく臍を固める。「百両欲しい~」。「夢金」だ。この導入の新しさ。〈寒い冬の晩〉と〈犯罪〉という設定にさらっと触れておく。粉雪の舞う川に船を出し、儲け話に乗って熊蔵が中州に盗賊を降ろす。「へへ、ざまあみろってだ」と櫓を漕ぎ出したところで、「アレ、噺ハナシがヌケたね。なんだっけ」と茶碗に手を伸ばして下手を伺う。「金のハナシまだしてなかったな。やるかい?別にやらなくてもどうってこたァないんだけどね」。取り分の相談の場面を〈カットバック〉でやる。ふたたび「ざまあみろってんだ!泳げねえんだってな・・・この〈泳げねえ〉ンとこで気づいたんだ」。娘の命の恩人だと両親にもらった包みをあける。「ひゃあー二百両」。まだやってやがる、という顔で熊蔵が寝ている二階を見上げる船宿の主の仕種がサゲ。

うまい。

談志は歳をとった。マクラの漫談でも固有名詞をよく失念し、「聴いてる方もイライラするだろ?」と気遣うほど。噺も細部を思い出し思い出しやっている。いつもありがとう、と一礼。拍手。緞帳が下りない。客はどうしていいか分からない。どうぞどうぞ、と手で促す仕種。「お見届けしますから」。よほど出来に不甲斐ないのだろう。談志に見届けられながら退席するとは。やはり今夜の談志は妙だ。体のこと、芸のことで諦念しつつあるとみた。くるべき時がきた。