談志ひとり会
1997年10月9日18時30分  国立演芸場

まず立川談春。マクラは無論、談志の癌。「真打になって師匠のありがたさが分かった」。披露公演に必ず付き合ってくれること。事情が事情ゆえ、大ネタは避け、ネタ下ろしではないだろうがあまり高座にかけたことはなさそうな噺でご機嫌を伺った(「おしくら」)。小田原。旅の三人衆が片田舎の旅籠に投宿する。訛りに訛る宿の婆さんの口吻(胸をへこませ顎を突き出し、両手を胸元にあてては片手をヒョイと振る仕草は談志がやる婆さんそのまま)。宿には他に女が二人しかいない。「女は何人いるの?」「サンネンだ」「お姐さんお歳は?」「ジョウゴだ」。地元では酌婦を〈おしくら〉という。三対三でドンチャンやりたい、もう一人おしくらはいないか、と訊ねると、夫婦で移り住んできたものの夫に先立たれた後はたまに客をとって暮らしを立てている〈おつな年増〉がいるという。男のひとりが離れに案内される。他の二人はそれぞれの女と一夜を過ごす。明朝。勘定を払う二人。「女は髪が大事。これで油でも買って髪に塗りなよ」。離れから男がやってくる。聞けば、離れは真っ暗闇で、手探りするとヤカンがあった、指を辿ればこれが禿頭、おつな年増どころではない、七十八歳のバアさんだったという。いつの間にか背後に来ている。「でもまあ世話になったんだから小遣いやりなよ」「冗談じゃない。夜中に三べん便所に連れてってやったんだ」。ぶつぶつ文句を言いながらも、小遣いをやる男。「これで油でも買って髪に・・・ねーじゃねえか。髪がねえなら、お灯明でもあげてくれ」―――。練習不足だろう、ときどき噺の流れが途切れる。ご愛敬です。

膝隠しが運びこまれる。木魚。バチ。紙数枚。眼鏡。

談志登場。

突然、客席の半数ほどがスッと立ち上がり、癌克服を祝って拍手で迎える。さすがの談志もこれには破顔一笑。出の恰好のまま高座のまえまで進み出て立ちつくし喜色満面。いい光景だ。膝隠しで何を演るのかと固唾を飲んで見守る。「固唾を飲」んだのは「ひとり会」初体験のぼくくらいのものか。癌ネタから飛躍に飛躍を重ねて人生論をたっぷり四十分くらい語る。「(あんたたち)みんな死なないと思ってるだけで。死ぬんだよ」という話。「アタラに生きてきたやつが死ぬ間際になってガタガタ言うなんざ、オレは認めないね」。この前田医院に通うのは麻酔が気持ちいいから。「麻薬のヨロコビ」だそうで。〈エル〉(LSDのこと」だと〈とぶ〉が、モルヒネ系は〈はいってくる〉んだそうだ。はいるかはいらないかの境目をたゆたうときの気持ちの良さは例えようがないという。「昨日〈ヨシエちゃん〉のお弔いに行ってきた」。内海好江だ。談志によると彼女は学歴的なものにコンプレックスがあり、大学出と結婚。旦那は旦那で、オレは芸人を女房にもらったんだという誇りを漂わせる。好江は、和装に縁遠い旦那にかいがいしく着物をきちんと着せてやり、二人並んで歩く、「そのカタチがね、実に良かったンですよ」。「少女売春のどこがいけねえのか、さっぱりわからねえ」。「空中浮遊なんてあるんですかねってコムロ先生(小室直樹)に訊いてみたら、ないと思うからダマされちまうんだって言ってたね。じゃあないんですかって訊いたら、それを調べるのが学問だ、ときたね」。話に収拾がつかなくなってきたな、と思うと、当人も気づいて、「じゃあ小話でもやっておこうか」。男がバーでいい女を見つける。「ねえ一杯付き合いなよ」「まあ!なんでベッドに行こうなんて誘うんですか!」「そんなこと言ってやしねえじゃないか」。押し問答。女は旋毛を曲げて離れる。バーテンが男を然る。しばらくして女が男に謝る。「じつは心理学を専攻していまして、ああ言ったら男の人がどう反応するかをみる実験だったんです。本当に申し訳ございませんでした」「なに?一晩二百ドルだと?―――って、こういうハナシなんだけどね」。失笑。

下手を向いて、右の人差し指をスッと袖に向けて流す。膝隠しを引っ込めろ、という合図だ。引っ込めさせて、そのまま噺に入る。

往来で男が知人に出くわす。「おい、おめえ生きてたのか。三日前に死んだろ」。たしかに死んだ当人で、弔いの席で男が罵詈雑言を浴びせかけたのも逐一覚えている。「でも何だっておめえがこんなところにいるんだ」「そりゃおめえさんが死んだからだよ」。実は男も死んでいた。弔いの席で女房が、生き返ることはないでしょうね、と医者に念を押し、ああこれで少しは人間らしい暮らしができる、と胸を撫で下ろしていただろう、といわれて、男は合点がいき納得。二人は江戸ならぬ冥土散策と洒落こむ。地名からなにから言葉はすべて忌み言葉。新宿は〈死ニジュク〉、板橋は〈シンダバシ〉、品川は〈シンジュウ〉。「中野は?」「ナカノ」「なんで?」「変えようがねえだろ」。寄席見物。円生、柳好、志ん生が持ちネタで沸かせている。「文楽は?」「あいつはネタがないからさっぱり受けない」。新吉原ならぬ〈死ニヨシワラ〉へ繰り出す二人。花魁は「うらめしや~」と現われ、陰気にドンチャンやる。明くる朝。〈死に水〉で酔いを覚ます。「いや結構だねどうも。初七日まで居残りしたいね」―――。サゲはなんだっけ。「死ニヨシワラは大いに繁盛した」だったはず。

十分休憩。

マクラはさっきの続きで死と狂気がテーマ。「『なんで酔っ払ってるの?』『呑めねえからだよ』。これは向こう(=狂気)をこっち(=正気)で解釈している。でもオレのは向こうから来るんだ。だから大変なの」。この会の独特の雰囲気を〈秘密集会〉と言い切る。爆笑。「あんたたちだって、人と話合わないだろ?まあオレの会の客だから莫迦じゃないんだろうけど」。そーなんですよ。「いま百人の芸人列伝を書いている」。まだ読んだことはないが『中央公論』の連載のことか。夕べフジテレビで7時からドリフターズの特番があった。「交番に行くと志村が歌舞伎の恰好なの。ああいうバカバカしいのをやりたい。いま芸をやっているのはドリフターズだけ」。

「明烏」。「二人組はみんな源兵衛と他助にすることにした」。途中、筋を間違える。「なにやってんだい」「いや何食べてるのかなと思って・・・あ、まだ食べちゃいけないか」。談志もダメだなんて言われるな、と呟く談志。明朝、源兵衛と他助が時次郎の様子をみにゆく件。「甘納豆食べていいかい?」と客に断ってから他助が食べはじめる。噺が終わる。拍手。叩頭。幕が降り追い出し太鼓が鳴る。談志が下手に、幕を挙げろ、と素振りで合図。これで帰ってもらうわけにはいかない、ということだろう。謹厳実直な若旦那に町の札付きというステレオタイプは演っていてつまらない、なんて言い訳をはじめたが、なに、照れているのだろう。「もっとヘンなのを出したいんだ」。

お詫びに「ガマの油」(「昨日小朝が演ったのを聴きに行ったのだけど、ヒデエんだ!」)。途中すこしつっかえたりはしたが、酔っ払ってからの口上がいい。ふつうは奇声を張り上げて入るのだが「そんな酔っ払いいねえよ」。おまけに、この油売りがアメリカへ渡る。インチキ英語。爆笑につぐ爆笑。「談志の落語を聴きたいっていう人がまだいるうちは、ま、こんな感じでやっていきます。(沈黙)三席演ったからもういいだろ?」。

CD十一枚組の「『ひとり会』落語全集第二期」が十一月一日に発売になり、是非買いたいとも思うが、高座を聴いてつくづく思う。談志の落語はドキュメントだ。生に限る。