維新派『青空 ~夢のなかでタイムスリップする僕ら』
1995年11月19日 13時30分 法政大学学生会館

学生会館らしく汚く雑然とした階段をあがり、客席後方からホールに入る。客席うしろ半分はプラスチックの椅子席、前半分はゴザの桟敷席。「ぴあ」やセゾンではチケットを扱っておらず、僕もチラシとニフティーで辛うじて公演案内を知り、先週は連日ガラ空きだったらしいが、金曜の朝日夕刊で扇田昭彦が誉めたのと楽日の日曜ソアレが重なって、客席は満員。前から3列目の右寄りの桟敷席に腰を下ろす。板の高さは目線の少し下。観やすい。

ヘリコプターの轟音がとどろき、舞台中央のスクリーンにカプセルホテルのような簡易ベッドで眠る少年たちの16ミリ映像が映される。彼らがみる夢。空の彼方のヘリから落下傘で下界に降下してゆく。焦土と化しているあちこちで炎があがる。着地。映画の世界から舞台の世界へ。大阪大空襲。防空壕らしき中で、自動人形のような少女、あるいは少女のような自動人形たちが狂ったように言葉の断片と機械的な身振りを繰り返す。壁には「鬼畜米英」「切手爆弾」などの貼り紙。大きな歯車やベルト、チェーンが大音響とともに動く巨大な兵器製造装置。耳をつんざく音と装置のめまぐるしい動きと人形たちの狂騒が頂点をめざしてエスカレートしてゆく。静かになると、廃墟となったオオサカ。少年たちは未来からタイムトリップしてきたという設定。少年ハジメと仲間の少年たちは瓦礫と化した街を彷徨い、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』の悪餓鬼たちのごとく、軍施設跡を漁っては鉄骨や資材をかきあつめ、勝手に拳銃や無線装置をつくり、川に浮かぶあばら家をアジトにして子供たちだけの生活をはじめる。月世界という名の少年は日記をつける(FSTAGE の手塚優氏によればこれはアガタ・クリストフの『悪童日記』)。戦死した若い女たちの亡霊が日本髪に白いドレスとパラソル姿で、蝉時雨の田舎にバスでやってくる。群舞。甲高い声の歌。舞台奥では小学生たちが青空教室。15分ほど休憩。第2部はミュージックホール。舞台奥は電飾華やかなステージ。踊り子たちの群舞。舞台中央も回り舞台になり、いつしか舞台全体にイルミネーションがつく。進駐軍に追われる少年たち。何人かは捕まり、残りは川のアジトへ。両岸は書き割の遠近法をつかった装置だが、色と造形が木造のあばら家の雰囲気を見事にだしている。窓の四隅に埃がたまっていたりと細かい。時空がかわる。「コンクリート!」と連呼する少女たち。舞台中央でぐるぐる回っていた黒い物体からニョキニョキと超高層ビルが聳えたってゆく。回りの書き割もビル群になり、舞台奥に大きな月。ドブ鼠色の衣装から白のシャツと黒いパンツになった少年たち。「月世界」のズボンのポケットには日記がある。客席左右の上に、行方知れずになった焼け野原の少年たちが当時のままの姿でフラッシュバックで現われ、消える。未来の少年たちは青空を夢想する。どうやって「青空」を出すのかと思ったら、紗幕の裏は奥の壁全体に、雲を描いた青空の垂れ幕で覆い、中央にも青い階段をしつらえ、紗幕があき光りがあたると舞台袖と客席左右の壁に一瞬のうちに青い幕が降りて、空間全体が真青になる。見事。

群舞と歌(演出の松本雄吉によれば大阪弁のラップ)の迫力が観客の集中力を上回っている。ラストは15分か20分くらい踊り歌いどおしだったんじゃないか。役者はみなインカム方式のマイクを頭から口元につけ、ワイヤレスのアンテナが舞台エプロンに幾つも並び、それが左右のスピーカーからバンド演奏の音といっしょに聞こえてくる仕組み。伴奏と音源がいっしょなので、音量があがり役者が増えるとなにを言っているのかほとんど聴き取れない。第2部劈頭を飾る「こんな女に誰がした」を歌ったおおたか清流が実によかった。純白のナイトドレスに赤い羽扇子をゆらゆらと玩ぶ。ちょっとハスキーな声で、節回しがとてもセクシー。ついで「花の東京」を歌ったゲストの巻上公一にはやんやの歓声があがるが、歌はいまひとつ。カーテンコールで役者一人ひとりをはじめ、スタッフ、裏方を紹介していき、ちょっと興醒め。