燐光群の『天皇と接吻』。高校の映画部の部室。部長のウエノ(手塚とおる)を中心に、平野氏の『天皇と接吻』を下敷きにした自主制作映画を作ったが、日本史研究会と学校側から上映を自粛するようクレームがつく。集団暴行され口が聞けなくなった、ウエノのガールフレンドの栗本という女性が、たびたび亡霊のように下手に現れる。東海村の原発事故現場にカメラをもって飛んでいく放送部員のカンダ(下総源太朗)自主映画の内容は劇中劇で見せる。GHQのCIEの検閲官ゲイン(=ミネアポリスの友人)。通訳する二世の軍属コンノ(=NOVA講師)とユキコ(Aya Ogawa)。民主主義擁護、戦犯弾劾、戦争責任の主体を暴く映画を作れと〈助言〉するゲイン。日英の岩崎部長(=校長)は、亀井文夫(=平岡先生)に『日本の悲劇』を撮らせる。畳にあこがれていたコンノは三畳間を借りる。日映のはからいで大部屋女優(=ヒサコ・小林さやか)が〈身の回りの世話〉をするように命じられてやってくる。接吻の仕方を教えてくれという女優。「ラブ、の方で」「ではラブで参ります」。岩崎は右翼に顔を斬られる。あらたな〈天皇〉となったマッカーサーに唯々諾々し従う日本人を嗤うコンノは、軍を脱走する。日映は、フィルムが没収されることになる。フィルムを守ろうと血判を迫る社員(=ヨシヤ・大西孝洋)。没収されるまでの一週間、東京交通博物館で七日間上映を決行。この上映と、高校映画部が文化祭でバリケードをつくり部室で『天皇と接吻』を上映決行(映像はインターネットでミネアポリスに送られており、現地から転送される)するのが重なる。向かいのビルの壁に映写する『天皇と接吻』の画面をじっと見つめる部員たちと日映社員。
この舞台は、平野共余子『天皇と接吻 アメリカ占領下の日本映画検閲』(草思社、1998年)に依拠している。とりわけ第九章「天皇に対する米国の政策」と第十章「『日本の悲劇』の製作」に焦点をあててある。この本を映画化しようとする現代の高校生の物語と、本で語られる戦時下の映画関係者の物語が入れ子構造になっている。まずこの着想がいい。
平野共余子『天皇と接吻』によると、敗戦直後の一週間、日本中の劇場が閉鎖され、8月22日の劇場再開にあたって映画公社は排外的愛国主義や戦闘場面を含む作品の上映を禁じた。つい一週間前まで上映していた、戦争を主題にした映画をたった一週間で自発的に禁止したのだ。
9月20日。総司令部の情報頒布部の通達が全英が会社に届く。9月22日。民間情報教育局(CIE)のグリーン中佐、マイケル・ミッチェル少佐、ブラッドフォード・スミス、そしてデビッド・コンデ(劇中に登場)が、約40名の映画会社の重役、製作者、監督、政府の役人に、つぎのような映画の製作を奨励すると述べた。
- 生活の各分野で平和国家の建設に協力する日本人を描くもの。
- 日本軍人の市民生活への復員を描くもの。
- 連合軍の手中にあった日本人捕虜が復帰し、好意をもって社会に迎えられる姿を描くもの。
- 工業、農業、その他国民生活の各分野における日本の戦後諸問題の解決に率先して当たる日本人の創意を描くもの。
- 労働組合の平和的かつ建設的組織を助長するもの。
- 従来の官僚政治から脱して、人民のあいだに政治的意識および責任感を高揚させるもの。
- 政治問題に対する自由討論を奨励するもの。
- 個人の人権尊重を育成するもの。
- あらゆる人種および階級間における寛容威厳を増進せしむるもの。
- 日本の歴史上、自由および議会政治のために尽力した人物を劇化すること。
(平野共余子『天皇と接吻』61頁)
同時に、日本映画・演劇の問題点が指摘された。
「封建的な忠誠および復讐の教義に立脚している歌舞伎的演劇は現代の世界においては通用せず、叛逆、殺人および欺瞞が大衆の前で公然と正当化され、私的復讐が法律を無視して許容されているかぎり、日本人は現代の世界における国際関係を支配している行為の根本を理解しえないだろう。西欧世界にも重大な犯罪はある。しかし少なくとも道徳の基準は善悪の判断の上におかれ、決して藩閥や血族への忠誠というものによろうとはしなかった。国際社会に地位を占めようとするには、日本人をしてあらゆる娯楽および報道機関を通じてつぎの各項を熟知せしめなくてはならない。すなわち民主的代議制の基本政治理念、個人の尊重および自己の欲しないような取り扱いを他国民に対してなさないこと等々。自治の精神などが国民のあいだに徹底されなければならない。日本人の国家、家庭、労働組合における協力および自治こそ、今後長年月にわたる日本の再建期における日本人の生活の一端となるべき基本的概念であり、劇映画はこれらの観念を大衆に体得させるにふさわしい手がかりを提供するものでなければならない。
日本の映画は過去現在未来において軍国主義を鼓吹または承認するようないかなるものも表現してはならない。時事映画はとくに今日の現実を表現するに重大な役割をもっている。ポツダム宣言の履行に寄与するあらゆる事実をニュース映画として記録しなければならない(たとえば戦争犯罪人を攻撃する政府首脳の演説、戦争の実相を語る帰還軍人、再建日本の諸問題を討議する楼度、商工業、農業等各種団体の会合等々)」(平野共余子『天皇と接吻』62頁)
おりしも1999年は日の丸を国旗、「君が代」を国歌と定める法案が国会で成立した年である。このことへの異議申立ての舞台であることは間違いない。99年12月12日に名古屋の名演小劇場で上演された劇団199Q太陽族の『永遠の雨よりわずかに速く』(岩崎正裕作・演出)のテーマも、戦争責任と日の丸・君が代の法制化の問題だった。
いま日本で論じるべき窮極の問題を、はじける笑いで包んでみせた坂手洋二はあっぱれだ。この舞台は燐光群の財産になる。