荒俣宏と松本幸四郎は、1999年の『芸術新潮』5月号の企画で、早稲田演劇博物館をともに訪問、対談している。この出会いから『夢の仲蔵』は生まれた。
早稲田演劇博物館、通称エンパクは、坪内逍遥が設立(正式名称は「早稲田大学坪内博士記念演劇博物館」)し、以後、坪内の遺志を継いで、日本の古典芸能からシェイクスピア劇、新劇、映画、ストリップなど、およそ芸能にまつわる名品・珍品を数多く蒐集している。
見学を終えた二人の対談はこう始まる。
- 荒俣
- 幸四郎さん、どうされました?
- 幸四郎
- いやあ、ひと通り拝見させていただいたら、実はちょっと頭がクラクラしてしまいまして。
- 荒俣
- ほんとにお顔が蒼ざめてますよ。
- 幸四郎
- もう大丈夫、ご心配なく。でも荒俣さん、この博物館には役者のおもいが、怖いほど詰まってますね。ぼくは、そういうのをすごく受けやすいんですよ。
- 荒俣
- やっぱり幽霊ですか?
- 幸四郎
- いや、幽霊は荒俣さんの領域だからおまかせします(笑)。それとはちょっと違っていて、役者が使った台本とか衣裳とかに、人それぞれの気配みたいなものを感じるんです。ここには、ぼくが一緒に仕事をさせていただいた方々ばかりでなく、とくに祖父とか、曾祖父とか、そういった自分の血筋の人間たちの遺品もたくさんあるわけです。それらを見ていますと、何か一種独特なおもいが身体の中に入ってきて。で、クラクラっとね。
- 荒俣
- なるほど。役者である幸四郎さんならではの感じ方ですね。たぶん芝居というのは、ほかの人の魂に自分が乗り移って演じるわけですから、当然ある種の霊的なものまで引っ張ってきてしまうんでしょう。館内を歩いて、懐かしい方の遺品と対面していくうちに、幸四郎さんの表情がだんだん変わっていくのが、よくわかりました。
(44頁)
『夢の仲蔵』パンフレットの荒俣宏「原作者仰天ばなし」によると、過去の遺品を見る幸四郎はあっという間に蒼白になり「塩を!清めの塩を!」と叫んだという。衣裳を見ているだけで役者の念や情にとり憑かれるのだという。
幸四郎はある2000年6月2日の夜、仲蔵が夢に出てきたという。すかさず翌日、朝食の食卓で鉛筆でスケッチした。その絵はパンフレットに載っている。仲蔵の楽屋にいるときの髷の形がどうなっていたのか悩んでいた矢先のことだった。夢に出てきた中村仲蔵は、後ろ向きに髷を結っていた。そして、『夢の仲蔵』で幸四郎はこの髷を採用した。
大部屋出身の初代中村仲蔵(1736-1790)は、それまでの野暮な山賊姿だった定九郎役を、白塗り黒縮緬の衣裳に変えて江戸市村座の観客を驚かせ、従来の歌舞伎に革新をもたらした人だ(彼の定九郎は今日も受け継がれている)。落語にも『中村仲蔵』という噺があるくらいの人で、林家正蔵の十八番だった。
『夢の仲蔵』は二部構成。歌舞伎の舞台と楽屋話の二重構造になっている。
第一幕。江戸市村座。芝居は『仮名手本忠臣蔵』。黒紋付きを尻にはしょった仲蔵(幸四郎)扮する斧定九郎が与一兵衛の財布を掛け軸のあいだからサッと盗む。「二つ玉の場」が終わって、楽屋に戻る仲蔵。五代目市川團十郎(染五郎)が挨拶に来て、仲蔵の舞台での失態に触れて去る。仲蔵と同じく大部屋出身の四代目松本幸四郎(坂東弥十郎)は恵まれた育ちの團十郎のふてぶてしい態度が許せない。私淑していた先代團十郎への恩義を忘れない仲蔵が幸四郎を窘める。楽屋では、仲蔵も落ち目になった、と評判しきり。奥役の芳蔵(松本幸右衛門)が次回の出演交渉に来る。團十郎の『道成寺』に、押戻し一役で出てくれという無茶な注文。『道成寺』は、仲蔵の養父で長唄の名手中山小十郎の中山流の大切な曲であり、義母で滋賀山流の踊りの師匠お俊が仲蔵に教え込んだ、栄屋(仲蔵の屋号)のお家芸。これを團十郎に奪われた。だが仲蔵は一計を案ずる。
『道成寺』の幕開き。仲蔵は、歌舞伎十八番『暫』を思わせるいでたちだった。
第二幕。
月日が流れ、市村座では仲蔵の『蘭平物狂』が上演されている。蘭平は、刃物をみると気が狂うという奇病(仮病)の持ち主。狂ったあと正気に戻るはずの芝居が、仲蔵は狂気のまま。仕方なく幕をひく裏方。「ええ、お客さまの中で、医術に心得のある方はいらっしゃいませんか」(これには客席がドッと沸いた)。花道をやってくるのは平賀源内(尾上松助)。エレキテルで正気に戻したのも束の間、今は追われる身とあって、エレキテルを仲蔵に託し、逃げ去る源内。仲蔵は自分の来し方を振り返る。世話になった源内のこと。女形四代目芳沢あやめと心中を誓いながら裏切ったこと。鏡台に向かい、顔を拵えていく仲蔵に心の迷いはない。栄屋の伝統、〈生写しの芸〉で勝負する所存だ。一方、上手の楽屋では團十郎も支度をしている。〈生写し〉などで芸の型を崩すとはもってのほか、團十郎の華を目にもの見せてやると意気込んでいる。そして『関の扉』の幕が開く。
『関の扉』。平安時代。良峯宗貞(染五郎)は逢坂山の関所で、亡き仁明天皇の愛した桜の銘木を植えてお守りしている。帝の崩御を嘆いて薄墨色に咲いたが、小野小町の歌の徳で色を増したことから、薄墨桜とも小町桜とも呼ばれている。関守の関兵衛(幸四郎)は、実は天下を狙う謀反人。
関所に小町がやってきて、かつての恋人である宗貞と再会。宗貞は、鷹が運んできた血染めの袖から、弟が自分の身代わりに討死にしたことを知り、関兵衛の素性を怪しんで小町を通報に走らせる。
関兵衛がひとり酒を飲んでいると、盃に映る星の運行から謀反の時期はきたりと悟り、小町桜を切り倒して黒魔術をかけようとする。そこへ、桜のなかから黒染と名乗る遊女=桜の精(染五郎)が現れ、色仕掛けで関兵衛を攻め、二人は渡り合う。
『夢の仲蔵』は松本幸四郎が旗揚げした「梨園座」の第一回公演である。幸四郎は夢に出てきたというだけあって、いかにもそうであったにちがいないと思わせる仲蔵を演じてみせた。だがそれよりも評価したいのは染五郎、それも『関の扉』の女形の役だ。『芸の秘密』の渡辺保によると、四代目市川團十郎は「荒事向きの丸顔、小肥り、胴長短足の身体ではなく、細面、やせぎす、背が高く足が長いという体格」(152頁)だったのだ。まさに染五郎うってつけの役どころである。彼の小町桜の精には華があった。独特の声なので台詞になると鼻につくところがあるが、舞はなかなかどうして大したものだ。きょうのいちばんの収穫である。恐らく「梨苑座」は染五郎を育てるためのものになるだろう。
4時終演。「幸四郎受付」の係の女性に楽屋に案内してもらう。楽屋を覗くと、奥のソファーに、疲労困憊して伸びている幸四郎さんの姿。三時間の舞台が終わったばかり、しかも二時間の休憩のあと、夜の部も控えているのだ。とても会っては下さらないだろうと半ば諦めていたが、快く迎え入れて下さった。落語にも「中村仲蔵」という噺があり、林家正蔵師匠の十八番だったという話をしたところ、「よくご存知ですね」と言われた。『芸術新潮』で荒俣宏と早稲田大学演劇博物館を訪れて、昔の役者たちの霊にとり憑かれた話、夢のなかに出てきた、ちょんまげを前ではなく後ろに結った仲蔵の普段着の姿の話などをして下さる。あまりにもお疲れのご様子だったので、お茶を一杯いただいて、五分ほどでお暇する。