芸人列伝

悠玄亭玉介
最後の幇間

悠玄亭玉介。〈たいこもち〉と呼ばれる幇間。1994年5月7日にこの世を去りました。

幇間は寄席芸ではありません。旦那と呼ばれる人が座敷に招いて芸をやらせる、その相手をつとめる芸人です。ですから寄席や劇場などでお目にかかれる芸ではないのです。私は料亭で芸者や幇間をあげて飲んで騒ぐなどという粋な遊びをしたことがありません。ですから悠玄亭玉介のナマの芸に触れたことはありません。たまにテレビで余興をやったのを観たくらいです。私が観たときは、襖一枚で二人の人物を演じ分けるというものでした。襖の向こうから玉介がひょいと飛び出ようとする。すると後ろから袖をつかまれる(もちろん襖の陰で自分で自分の袖を引っ張っているのです)。つかまれたまま玉介は襖の陰に引き戻される。また出ようとすると、耳を引っ張られたり、腰をつかまれたりして、なかなか襖から出てこられない、という芸でした。

幇間は一種の道化です。お金を払ってくれる旦那を喜ばすためなら体をはってどんなこともやります。では幇間の世界とはどんな世界なのでしょう。それを知るには悠玄亭玉介の『幇間の遺言』という本が役に立ちます。

東京の吉原、浅草、新橋、九段、柳橋、葭町などの花柳界には幇間所属する〈見番〉というものがあり、浅草なら千足通りを境に馬道の方が〈旧見〉、猿之介横丁が〈新見〉。玉介の師匠、桜川玉七がいたのは旧見です。今でいうギャラは〈伝票〉と呼ばれ、そのほとんどは師匠の懐に入り、小遣いを分けてもらう暮らしが5年、その後半年のお礼奉公をしてようやく幇間として独り立ちできるという厳しい世界です。

幇間の由来もまた興味深いものです。なんと幇間は御家人上がり、元をたどれば武士だというのです。ちなみに御家人とは、『大辞林』によると、「〔「家人」の敬称〕(1)平安時代,貴族や武家棟梁の従者をつとめた武士。家の子。郎党。(2)鎌倉時代,将軍直属の家臣。本領安堵(アンド)・新恩給与・官位推挙などの保護を受けたが,御家人役と呼ばれる多くの義務を負わされた。(3)江戸初期,将軍直属の一万石以下の家臣の称。のちに旗本と御家人とに区別され,御目見(オメミエ)以下の者とされた。直参(ジキサン)」とのこと。

幇間は〈たいこもち〉とも呼ばれますが、その由来も諸説あります。①安土桃山時代、太鼓好きの殿様が太鼓の名人を座敷に呼んだが、当時は太鼓に台がないので、弟子がいつも太鼓を持って支えた、それがほかの弟子に妬まれたため。②曾呂利新左衛門が、始終太閤秀吉のそばで「太閤、いかがで、太閤、いかがで」とご機嫌をとったため。③退屈しのぎに殿様が家来を集めて宴を催し、鉦の役は鉦を首から提げ、鉦を持たないものは太鼓を持った、“金持ち”の席で“鉦を持たない”ので、太鼓持ち、などです。

幇間という言葉は〈酒間を幇ける〉という意味です。修行はありません。お座敷で芸を盗むのです。踊りは、食べ物の席だから埃をたててはならず、かつ軽快でなければならない、客をたてるため、うますぎてもいけない、その寸法が分かるために5年の年季奉公があります。客をとってもゼッタイにイカない花魁がなにかの拍子でイッてしまうのは〈はずす〉といい、これは女郎の恥だそうです。座敷に上がってお辞儀をするときは笑いを含んだ目線を客から離してはいけない。その際、自分のまえに扇子を置くのを〈結界〉といいます。この線から向こうはお客さまで手前は下座と、上下の隔たりをつけるためです。座敷のことは〈修羅場〉と言います。「芸人ってえのは、芸をやっている時が真剣で、あとがくだける。ところが、〈たいこもち〉てえのは逆で、芸をしてる時が遊んでて、芸が終わったら、真剣勝負だもの。疲れるよね。修羅場の方が長いんだから」。

「たいこもちは『間』が勝負」。これも

14歳から15歳くらいの芸者の卵は〈半玉〉。昭和10年の浅草で半玉が200人、芸者は千人。芸者の玉代は一時間で2円50銭、二時間で3円50銭。小さな借家の家賃が5円から10円という時代の話です。座敷では、ほかの客に名前を知られたくない客もいるので、「田中さん」「佐藤さん」などとは呼ばず「ターさん」「サーさん」と呼ぶのが慣わしです。

幇間や花柳界にはさまざまな符牒、隠語があります。嘔吐は細かいものがいろいろ出てくるから〈小間物屋を開く〉。〈すり〉〈する〉は滅びるに通じるので、すり鉢は〈あたり鉢〉、すりこぎは〈あたり棒〉、剃刀は〈あたりがね〉、するめは〈あたりめ〉、髭をそるは〈髭をあたる〉。箸は端に通じるから〈おてもと〉。水は流れてしまうので〈お冷や〉。おからは空に通じるので〈卯の花〉。塩はしおれるから、潮のように客が押し寄せるようにと〈浪の花〉。いかの〈げそ〉は下足。醤油は〈むらさき〉、お茶は〈宇治〉、えんどう豆は縁遠いから〈えんちか豆〉。旦那が用便に立つと幇間は便所までついていきます。用をたしていると、ふと我に返って明日の仕事のことなどを考えがちになるので、座敷の雰囲気をつなぐためにするのです。羽織は旦那が作ってくれます。〈遠出〉になると芸者の御祝儀は10円くらいかかりました。たいこもちも伝票で5円はもらえたそうです。

『幇間の遺言』を通読して分かるのは、幇間とは〈芸と性のスーパースター〉であるということです。