芸人列伝

SMAP
正統派芸人

ユニット名は "Sports-Music-Assemble-People" の頭文字。何でもできるタレント、芸のデパートである。そして彼らはその名の通り、ドラマにバラエティー、ニュースの司会、歌、コントと、何をやってもそつがない。ジャニーズ事務所が生んだ、最大にして最強の芸人である。

SMAPをタレントとかアイドルではなく〈芸人〉というカテゴリーで語ることに違和感を覚える人たちに物申す(なんだか口調が江頭2:50に似てきました)! 芸人の〈筋〉を見る目の鋭さにおいて屈指の存在である萩本欽一の言葉に耳を傾けたまえ。

大人を笑わせる、今一番のコメディアン。

僕が見たのと同じ道を歩いてる、立派な浅草の芸人ですよ。エノケンさんから受け継いだ形でいってる。今の若いコメディアンは基礎として踊りやってないから、きちんとした間になってない。SMAPの方が間はいいですよ。あれで日舞やったら完璧だね。

(西条昇「もっとTVで笑いたい」『東京かわら版』1997年6月号)

笑芸でなにが大事か。それは〈間〉、阿吽の呼吸である。

SMAPは舞台芸人ではないが、笑芸人の正統を歩んでいることはフジテレビ系「SMAP×SMAP」のコントを観れば一目瞭然。思えば、間がいい笑芸人の多くはバンド出身だ。フランキー堺とシティー・スリッカーズしかり、クレージー・キャッツしかり、ドリフターズしかり。絶妙な〈間〉でずっこけたり、ツッこむには、音楽、とりわけリズム感が肝腎である。日本で一、二を争うトロンボーン奏者である谷啓の絶妙のタイミングでの珠玉のギャグ「ビロ~ン!」「ガチョ~ン!」、メンバー全員でずっこける「ハラヒレホロハレ!」を思い出せば充分だろう。

「SMAP×SMAP」で忘れられないコントに「オウムのOちゃん」がある。〈抱かれたい男〉で常にトップをキープするキムタクがオウムの着ぐるみをかぶり、巨大な鳥篭にいる。飼い主はお父さん役の稲垣吾郎と子供役の香取慎吾。お父さんや子供にはフテくされて、つっけんどんな挨拶しかいない。二人がいなくなると、家庭教師役の細川直美に「オレのエサにならないか」と流し目で口説きにかかる。このギャップ。〈かっこいい〉と〈面白い〉を両立させている。

〈かっこいい=セクシー〉と〈面白い〉を両立させた元祖は、エルビス・プレスリーだ。大瀧詠一は、1996年11月8日の朝日新聞朝刊学芸欄でこう述べている。

 ロック以前のジャズ時代、演奏者だけでなく歌手も譜面を読めることが必要条件でした。日本でも流行歌手の草分けである藤山一郎さん、淡谷のり子さんは音楽学校出身。あのエノケンさんでも(という言い方は失礼ですが)譜面は読めたのです。

 エルヴィス登場でそれ以降の若者の音楽は譜面から自由になるだけでなく、以前の音楽的な常識から開放されました。あのような歌い方には前例がありません。

 当時の対抗馬だったパット・ブーンはビング・クロスビー、フランク・シナトラの流れを受け継いだ優等生。一方は体を震わせてステージを動きまわる“不良の音楽”。「ハウンドドッグ」(1956)を初めて聞いた人はビックリしたのです。出だしから大声で怒鳴るということは、常識的には不作法ですし、歌の世界でもそれまでは“ルール違反”に属する事柄でした。

 これらのユニークな歌唱法のすべてが彼独自のものとはいえませんが「オール・シュク・アップ」(57)タイプだけは100%オリジナルです。

 日本では通好みという位置にある曲ですが、ここにはその後の若者音楽のエッセンスとなるセクシーさ・ユーモア・躍動感・シャウト等が見事なバランスで奇跡的に融合されています。

 邦題は「恋にしびれて」というおとなしいものでしたが原題は卑猥そのもので、当時はペルヴィス(骨盤)と揶揄され非難を浴びました。

 それほどショッキングな内容と歌い方だったのですが、全体にユーモアのセンスが横溢していて、笑おうと思えばこれほどおかしい歌もなく、ロックン・ロールでありながらコミック・ソングとしても絶品、という画期的なものでした。

 セクシーであることをこれほど大胆かつユーモラスに歌い上げて同時にカッコ良く決めるという芸当はエルヴィスの“発明”です。大人と子供、男性的と女性的、乱暴と軟弱、高揚と冷静、一件相反するものが同居している彼の魅力がこの一曲に集約されています。

 大方の予想とは全く逆に正統派のパット・ブーンが消えて異端のプレスリーが残り、音楽界の様相は根底から一変しました。そしてエルヴィスは“自己流を古典にした男”となったのです。

「SMAPの基本コンセプトはドリフターズだ」「いやクレージー・キャッツだ」とどこかで聞いたことがある。そうかも知れない。だが、私は、もっと大きな日本の笑芸の歴史の中に位置づけたい。それは、大瀧詠一がいうところの〈ぼういず物〉のもっともスマートな進化形、ということだ(大瀧詠一「江戸前的?コミック・ソング・セレクション」高田文夫編『江戸前で笑いたい』筑摩書房所収)。

西条昇『東京コメディアンの逆襲』(光文社文庫)によると、ジャニーズ事務所のジャニー喜多川は、最初は専属タレントたちを〈笑芸人化〉するのに最初は慎重だったという。昭和62年から昭和63年にかけて、欽ちゃんファミリーの「おめで隊」と「CHA-CHA」に事務所から二人ずつ参加させたのがいわば〈笑芸人化〉への道の第一歩。このときキムタクと草彅剛も萩本欽一のオーディションを受けていて、もう少しで「CHA-CHA」のメンバーになるところだったという。「CHA-CHA」が結成されて3、4年経ち、ジャニー喜多川は本格的に〈笑芸人化〉を進める。フジテレビの『やまだかつてないテレビ』『笑っていいとも!』の荒井昭博ディレクターに、SMAPに笑いを教えてほしいと頼んだという。SMAPと荒井の関係により、フジテレビ『夢がMORIMORI』『SMAPのがんばりましょう』、そして『SMAP×SMAP』へ、という流れができた。平成6年には萩本欽一のフジテレビ『大将みっけ』に香取慎吾を出演させている。

さらに大阪の笑いも勉強させている。平成5年のABC『キスした? SMAP』で大阪の放送作家や吉本興業の芸人と組まされた。Kinki Kids もこの番組出身だ。

SMAPを〈笑芸人化〉するにあたってジャニー喜多川が手本にしたのは、クレージー・キャッツを育てた渡辺晋(元・渡辺プロ社長)である、というのが西条昇の説だ。だが、SMAPには〈セクシー&面白い〉はあっても、クレージー・キャッツやドリフターズにそれはない。私は、プレスリー的なものが隔世遺伝によりSMAPを生んだのだと思う。