爆笑問題(太田光・田中裕二)は、〈遅咲き〉の漫才師である。今のところ、東京の漫才界の若手で彼らと渡り合えるのは浅草キッドしかいない。
ともに昭和40年生まれ(私と同年)の太田と田中は、日本大学芸術学部で知り合い、コント赤信号の渡辺正行主催の渋谷「ラ・ママ」の新人発掘オーディション「コーラスライン」に出場するために、1988年、「爆笑問題」を結成した。太田が田中を相方として誘ったのがきっかけだという。その後、太田プロにスカウトされ、主に興業とラジオで活躍し、かねてから映画監督になりたかった太田の夢は早くも叶い、二人は森田芳光の『バカヤロー2』に出演し、『バカヤロー4』では太田が監督デビューを果たしている。
だが、事務所とのトラブルから太田プロを追われ、彼らの不遇の時代が続く。〈遅咲き〉なのは、このためである。太田は太田プロ専属のタレントだった妻光代の収入で、田中はコンビニのアルバイトで、それぞれ生計を立てていた。
遅い春が訪れたのは93年。この年、太田の妻が社長を務める事務所「タイタン」を設立する。そして11月にはNHK新人演芸大賞大賞を、漫才師として初めて受賞する。95年にはニッポン放送で「爆笑問題のオールナイトニッポン」を開始。96年からは単独ライブを始める。97年にはゴールデンアロー賞芸能賞と国立劇場の花形演芸会銀賞を受賞する。そして現在、数々のレギュラー番組を抱えるテレビ、ラジオでの昨今の活躍ぶりはご存知の通りである。
彼らが凡庸な漫才師と決定的に違うのはネタを観れば一目瞭然だが、分かりやすい例として、97年にベストセラーになった初の単行本『爆笑問題の日本原論』(宝島社)がある。
文体は、時事ネタを扱った彼らの漫才の文字起こしなのだが(執筆者は太田)、ネタの鮮度は今もまったく落ちていない。アルツハイマーを公表したレーガン元大統領とナンシー夫人について繰り広げる漫才は圧巻だ。ほんのサワリを紹介しよう。
- 太田
- やっぱり(レーガンは)かなりボケてるんだよ。
- 田中
- 違うよ! お前、少しは当事者の身になって考えてみろよ。これから旦那がどんどんボケていくのに対して、ナンシー夫人はどう対応したらいいのかってことなんだよ。
- 太田
- そりゃあやっぱり、レーガンがボケたんならナンシーはツッ込むしかないだろ。
- 田中
- 漫才じゃねえんだよ!
- 太田
- やっぱりナンシーがちゃんとツッ込まないと、レーガンのポケが生きてこないだろうからな…。
- 田中
- 生きてこさせる必要ないんだよ、そんなモン!…レーガンだってボケたくてボケてるわけじゃないんだから。
- 太田
- 天然ボケか…。
- 田中
- そんなノンキなもんじゃないよ! 病気なんだから。
- 太田
- 病気だろうが何だろうが、〝笑い〟を取るにこしたことはないんだから。
- 田中
- どういう価値観だよ!
- 太田
- いっそのこと、夫婦漫才で世界中営業で回ればいいのにな。
- 田中
- 回らねえよ!
- 太田
- 芸名も〝宮川レーガン・ナンシー〟とかいって…。
- 田中
- なんで〝宮川〟なんだよ!
- 太田
- 世界中から仕事がくるぜ、きっと。
- 田中
- 呼ばねえよ誰も!
「この本に関する限り、二人はツービートよりソフィスティケートされていると思った」というのは小林信彦だ(『爆笑問題の日本原論』宝島社文庫「解説」)。小林は、爆笑問題を、伝統的な漫才というよりも、アメリカのアボット&コステロ、マーティン&ルイス、チーチ&チョンなどのコンビの芸人に通じると指摘している。アメリカのコメディアンの芸を徹底的に観てきた見巧者小林ならではの見方だ。だが爆笑問題の二人はこうしたコメディアンたちの影響を受けているわけではない。恐らくチーチ&チョンなんか知りもしないだろう。そこがいいのだ。漫才を愛するあまりに漫才師になる者はたいてい凡庸だが、漫才に“愛されて”漫才師になった者は、業界の言葉を使うと、「バケる」。爆笑問題は見事にバケた。
今では誰も記憶していないであろうテレビ番組がある。96年4月からテレビ朝日で短期間放送された笑芸人の番組「AHERA」だ。プロデューサーは横澤彪。第一回放送ではコロッケが「五十音順歌謡曲」というネタを見せた。安室奈美恵の恰好で「山下達郎です」。若い客が引く。トミーズも弾まない。ネタが練られておらず、東京のスタジオの〈空気〉がつかめていない。それをつかんだのが爆笑問題だった。ネタは「パソコンの中の友達」。〈お受験浪人〉から入るネタの構成が抜群に巧い。
97年10月1日の朝日新聞夕刊。島田雅彦がこんな文章を寄稿している。
現代のナショナリズムは、こわもてのオヤジがイデオロギーを振りかざすという形より、静かに居心地のいい世界を語ったり書いたりという形で現われるから、支持も多い。それは村上春樹の心地よい小説だったり、等身大の男女が恋をするテレビドラマだったりする。ああいうもののなかにナショナリズムが隠されていて、それが一種の国民教育になってきた。
こうしたソフトなナショナリズムに対抗するには、一つの可能性として、ごく自然に国家批判や社会批判を盛り込める「ギャグ」があると思います。例えば、漫才コンビの「爆笑問題」のギャグです。国民教育に欠かせない美談に、ブラックユーモアで切り込むように。異論や異説を通しやすい社会にしておくために、すき間を少しでも作っておく。ギャグにはその力があります。
彼がいう〈ギャグ〉は厳密にいうと誤用なのだが、そんなものは瑕瑾に過ぎない。爆笑問題のルーツはツービートだ。さらに加えて、彼らのブラック・ユーモアには立川談志の〈血〉も流れている(談志はある雑誌で「太田はオレが作った隠し子だ」と冗談で告白したことさえある)。
彼らの毒を堪能できる者は幸いである。
(2000年10月15日)