芸人列伝

三代目林家正楽
紙切りの至宝

〈紙切り〉という寄席芸をご覧になったことがあるだろうか。寄席では、落語家以外の芸人を十把一絡げに〈色物〉と呼ぶ。漫才や奇術、曲芸、三味線漫談などがそうだが、言葉や歌ばかりの芸のなかで、ひっそりと、だが確実に笑いをとる芸がある。それが〈紙切り〉だ。

1998年。二代目林家正楽が亡くなった。人懐っこい丸顔に愛嬌があった。「もうすぐできますからねえ」くらいしか喋らず、くるくると鋏と白い紙を回して、あっという間に、〈柳に飛びつく蛙〉なんかを切り抜いて喝采を浴びたものだ。その弟子、小正楽が、2000年9月、三代目林家正楽を襲名した。〈正楽〉といえば紙切りの大名跡である。

私は小正楽時代から、彼のファンである。95年1月に上野・鈴本演芸場で観た小正楽は見事だった。彼の特徴は、剃り込みが入った短髪の、どこかチンピラじみた風貌、そして、紙を切るときに体をゆらゆらとわざと揺さぶる。そして言うのだ。「揺れて、おります」。この間が絶妙。そして切り抜いたのが〈柳に飛びつく蛙を眺める芸者〉。

一度、もう二度とお目にかかれないような珍作を見たことがある。97年10月11日。場所はなんと武道館。春風亭小朝が、落語家として初めて、武道館公演をやったのだ。題して「春風亭小朝の大独演会 IN 武道館」。このときのトップバッターが小正楽だった。紙切りは小さな紙から繊細な絵を切り抜くところに味がある。小さな演芸場でこそ堪能できる芸だ。それを武道館で、しかも一万人の観客の前でやった。「まずは林家小正楽の〈大紙切り〉でございます」のアナウンス。太鼓がドンドンッと鳴って出囃子が終わる。舞台照明はフラットのまま。無音。後ろの席から「はやくはじめろッ」と声が飛ぶ。居眠りをはじめる老人。裏方のミスだ。ようやく始まった小正楽の〈大紙切り〉。二畳はありそうな紙を若い男二人にもたせて、まず〈大勢の人が担いでいる神輿〉でご挨拶。「あとはお客様の注文です」。〈十五夜〉と〈小朝〉という注文が客席から飛ぶ。小朝の横顔はたしかに似ている。だがいかんせん紙の大きさが大きさだけに、線がすべてアマくなるのがつらい。やはり寄席で見るべきだ。

正楽は生来、赤面症で、人前で喋るのが苦手。陰でコソコソやるのが好きな人。高座でもボソボソと喋る。「紙切りなんだから上手く切るのは当たり前なんだ。喋りを大切にしろ」と橘家圓蔵に言われたという。その言葉を「ありがたい」と思うと同時に、東冨士夫のようにまったく喋らない紙切りへの憧れも捨てられないのだそうだ。寄席ではほかの芸人が喋る。だから紙切りはむしろ静かな方がいい。正楽の〈ボソボソ〉は、もうすでに完成された芸になっている。  正楽は客に媚びを売らない。淡々と、飄々と、「ついでに生きてます」ってな調子で、ただ紙を切る。客からの注文に応じて切るのも紙切りの楽しみのひとつだ。だがくれぐれも〈ドーナツの穴〉とか無理難題をふっかけないように。いや、ぜひふっかけていただきたい。当意即妙の言い逃れが聞けること、請け合います。

(2000年末~翌年初めごろ執筆)