1997年10月6日。午後6時のNHKラジオ第一のニュースで内海好江の訃報に接した。桂子の間違いではないかと思った。アナウンサーは、たしかに「よしえ」と言った。享年61。今春手術を受けていたという。生っ粋の浅草芸人。小さい頃から桂子・好江の三味線漫才は大好きだった。母親ほども歳が上の桂子を、好江が眉間に皺を寄せ、啖呵を切ってやりこめるのはいつみても気持ちがよかった。ウッチャン・ナンチャンの師匠であることを、世間はどのくらい知っているのだろう。
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10/06 19:54
読売新聞ニュース速報
江戸っ子漫才師・内海好江さん死去江戸っ子らしいきっぷのいいしゃべりで知られ、内海桂子さんとのコンビで活躍した女性漫才師の内海好江(うつみ・よしえ、本名・奥田好江=おくだ・よしえ)さんが六日午前九時二十五分、東京都内の病院で胃がんのため亡くなった。六十一歳だった。
漫才協団葬は九日正午から、中野区中央二の三三の三の宝仙寺で行われる。自宅は豊島区千川一の一の一。葬儀委員長は、同協団のコロムビア・トップ名誉会長。喪主は妹、ジョーンズ・栗田・紀美子(くりた・きみこ)さんと木村美津江(きむら・みつえ)さん。
東京・浅草の出身。漫才師だった両親の影響で幼いときから舞台に立ち、一九五〇年に十五歳年長の桂子とコンビを組んだ。以来四十七年、三味線、歌、踊りをしゃべりの合間にふんだんに入れた陽気な高座で人気を集め、八二年に漫才では初めて芸術選奨文部大臣賞を受賞するなど、東京の漫才界ではトップクラスの人気コンビだった。
ほかに九〇年に浅草芸能大賞、九四年NHK放送文化賞などを受けている。漫才のほか、映画やドラマの出演、情報番組のコメンテーターなど、各方面で活躍した。人気お笑いコンビ、ウッチャンナンチャンの師匠としても知られる。六七年に造園業を営む奥田寛さんと結婚したが、一昨年に死別した。
[1997-10-06-19:54]
立川談志によると、彼女は学歴的なものにコンプレックスがあり、大学出と結婚したらしい。旦那は旦那で、オレは芸人を女房にもらったんだという誇りを漂わせていた。好江は、和装に縁遠い旦那にかいがいしく着物をきちんと着せてやり、二人並んで歩いた。「そのカタチがね、実に良かったンですよ」と談志は述懐する。
亡くなった翌年の98年、日本コロムビアからCDが出た。『極めつけ!桂子・好江 ~内海桂子・好江漫才特選集」(COCA-14850)。収録されているネタは三本。「日本酒物語」(昭和55年秋田県横手市民会館「らんまんラジオ寄席」)、「どっちもどっち」(昭和42年「お笑い指定席」)、そして「オペラは楽し」(昭和62年、宮城県民会館「らんまんラジオ寄席」)。
私が断然気に入っているのは「オペラは楽し」だ。脂が乗りきった時期のネタ。これはもうたまらない。今では芸人ですら怪しくなってきた生っ粋の東京弁の口跡のよさ。サワリを少し。
- 佳子
- (年の)暮れはよくオペラをやるでしょ。
- 好江
- オペラねえ! 結構ですねえオペラは! オペラはいいな!
- 佳子
- ああそう? オペラといえば、代表的なのは、なんといっても『椿姫』。
- 好江
- (大声で) ♪アンコォォォツバキィィはァァァ、アンコォォォ♪(と一節うなり客拍手)。この唸るところが難しくてね。こないだ唸りそこなって酷い目に逢っちゃった。
- 佳子
- あぁたがやってるのは、それは都はるみちゃんの「アンコ椿は恋の花」でしょ。
- 好江
- アンコ椿は、椿は……。
- 佳子
- ちがうちがう。アタシが言ってンのは『椿姫』と言ったのよ。
- 好江
- (喧嘩腰で)なんだそのツバキヒメってのは。
- 佳子
- 18世紀頃のフランスのお話ですよ。
- 好江
- (やはり口をとがらせて)18世紀ってのは……。
- 佳子
- 今、今は21世紀にかかるけど、18世紀、19、20……200年くらい前の話。
- 好江
- バカなこと言うもんじゃありませんよ。
- 佳子
- なにが?
- 好江
- (声を張り上げて)200年も前の話なんか、アタシにしたって分かるわけないじゃないのさ。じゃあ、あんた、200年前から生きてて、それ、観てたの?(客笑う) 聞いて下さい驚いたねお客さん。200年前から生きてる……。
- 佳子
- ちょっとォ……(客笑う)。200年前から生きてて観てたのって、200年前から生きてて、今ごろ漫才やってたらバケモンでしょう?
- 好江
- バケモン?(客笑う)
- 佳子
- そうですよ。
- 好江
- (神妙に)じゃあ楽屋の噂は本当なんだね。(客爆笑)
- 佳子
- 楽屋って、何よ……。
- 好江
- (笑いを噛み殺しながら)みんな言ってましたよ、「内海桂子さんはバケモンだ、バケモンだ」って。だから、今はアレでしょうけど、夏場は忙しいでしょうなあ、なんて。(爆笑&拍手)
桂子が『椿姫』のストーリーを講釈する。「聴きどころはアリアだよ」と桂子。「アリアねえ」と好江。「アリア、知ってるの?」と桂子。「アリアでしょ? じゃ、ひとっ節やろうじゃないの」と好江。「あんまり『アリアひとっ節』てのは聞いたことないねえ。新内とか浪曲とかならいいけど」と桂子。ここから好江の真骨頂、啖呵芸が始まる。
- 好江
- 冗談言っちゃいけませんよあぁた。オペラだってなンだって、いいとこはみんなパーッとひとっ節ですよ。だから、アタシがひとっ節アリアのサワリをやるから、あんた、三味線回して、前に回してね、伴奏しなさい、伴奏を。やろうじゃないの。
- 桂子
- オペラを……? 三味線で……? オペラってのは、あのオーケストラボックスというのがね……ここ(会場)だってたぶんできるンじゃないんですか? 前の方をこう、ね? 外して。バイオリンだけだって何十丁と並ぶンですよ? コントラバスとかシンバルとかね……。
- 好江
- そんなこと言わなくたってみなさん聴いてンだから分かってるンですよ。
- 佳子
- 三味線一丁でもってオペラのオーケストラ、できるわけないでしょ?
- 好江
- (怒髪天を衝いて) 「できるわけない」って、なンてこと言うんですよあんた! 漫才はいつの場合だって二人しかいないじゃない。(客笑う)
- 佳子
- ……当たり前じゃないのあんた! 50人って団体で漫才はやらないわよ(客爆笑)。たいてい漫才ってのは二人がせいぜいですよ……。
- 好江
- (声を張り上げて)だからなンだって二人で片づけてやンなきゃ仕方がないでしょうよ! あんた、アリアの伴奏、できないのあんた?(「やれやれ!」と男性客の声。爆笑&拍手) お父さんだってご賛同を得ているわけですよ。お父さんだって、二人でできるって思ってて、今まで観ててくれてたンじゃないのあんた……。ねえ、そうでしょ? こっちお上がンなさいお父さん。(爆笑)
- 佳子
- 上がったってしょうがないでしょ!
- 好江
- 上がったってしょうがないってことはないでしょ、お客さんが「やれやれ」ってンだからやらなきゃしょうがないじゃない……。
- 佳子
- ずいぶん厳しいお客さんがいるねえ……。(客笑う)
- 好江
- 厳しかァありませんよあんた。漫才だからってオペラのひとつやふたつ弾けなくてどうするの。(三味線の調子を合わせる) なんでもパッとできなきゃいけないのが芸人でしょ……? ふだんの勉強怠ってッからそういうことになるんだ!(客爆笑) 休みになれば孫連れてイモばっかり食って……(客爆笑)……派手な着物着て出てりゃいいってもンじゃないンだよ……(客爆笑)……なんだい、建売住宅の唐紙みたいな着物着て……(客爆笑)。(三味線の調子を合わせる)……(甲高い声で)弾けないンだねあんたはオペラが……! アリアが弾けないンだねあんたは……! じゃ、いいよ、アタシが弾くから……(三味線の調子を合わせる)……あとからついてらっしゃいよ……すでに君の時代は去ったよ!(客爆笑)
で、ここから珍アリアが始まるのだが、果たしてどんな展開になるか。それはみなさんのお楽しみ、ということにしておきましょう。
好江の研ぎ澄まされた、凄みのある啖呵。ビートたけしそっくりである(彼も浅草育ちの芸人)。好江の強烈なツッコミは神懸かり的と言っていい。〈罵倒芸〉と言ってもいいだろう。三味線でオペラなんて無茶だよと引込み思案の桂子に向かって切る啖呵の鮮やかさ。あなたが〈あんた〉〈あぁた〉になる浅草の言葉。「派手な着物着て出てりゃいいってもンじゃないンだよ」の〈ン〉のリズム感。
高座が爆笑のうちに終わる。袖に引っ込む直前に桂子が客席に向かって言う。「ごゆっくり!」。あとにいい芸人が大勢控えていますからゆっくり楽しんで下さい、ということ。これが、しみじみと、よい。
(2000年10月17日)
内海桂子の訃報に接したのは2020年8月28日午前4時1分のスポニチアネックスの記事だった。同月22日午後11時39分逝去。享年九十七。
音曲漫才には必ずテーマ曲がある。「地球の上に朝が来る~」の灘康次とモダンカンカン、「毎度皆さまお馴染みの~」の玉川カルテット、「天気が良ければ晴れだろう~」の東京ボーイズなど、いわゆる〈ぼういず物〉は言うまでもない。漫才師も「ウチら陽気なかしまし娘~」のかしまし娘、「はァ、ちゃっきりちゃっきりちゃきりな~」のちゃっきり娘、
2021年1月31日に発売されたDVD『決定版 内海桂子・好江 名選集』を