〈声帯模写〉という言葉を発明したのは、ロッパこと古川緑波だ。白山
得意とするネタは戦前戦後の歌謡曲。霧島昇、灰田勝彦、小畑実、藤山一郎といったところだ。藤山一郎などは、曲の前半は若い頃、後半は年をとった頃と、歌い分ける。とりわけ灰田勝彦は圧倒的である。灰田勝彦は「きらめく星座」など有名曲はあまたあり、紅白にも何度も出場している。ちょっと鼻にかかった声で、でも嫌みがなく、高音が伸びるその歌声は戦後の明るさを体現していた。私はNHKの「ラジオ深夜便」などで放送されるたびにMDに録音している。この灰田勝彦を真似させたら、白山雅一の右に出るものはいない。天下一品である。
私は、恥ずかしい話だが、彼の高座をナマで聴いたことがない。ところが、つい先日、衛星放送で彼の芸と、そして貴重な私生活を垣間見ることができた。「芸人は芸が勝負。やたらに私生活を見せるのは野暮」が持論の白山を、NHKはよく口説いたと思う。
2000年1月24日午後22:00から三夜連続で、衛星第二で「BSスペシャル笑いは世界を救うか」という番組があった。進行役は横澤彪(現吉本興業顧問)。横澤彪といえば、フジテレビ「俺たちひょうきん族」などで、伝統的な芸人をブラウン管から追放し、素人に近いお笑い芸人(私はこの言葉が嫌いである)の“おふざけ”を、スタッフと一緒になって笑うという新しいスタイルのバラエティ番組を作った、ある意味では日本のテレビの笑いを〈革新〉した功労者であり、同時に、〈芸〉を観る目を視聴者から奪い去った戦犯である。この特番では、そんな横澤彪が、本物の〈芸〉をもつ芸人たちを取材し、インタビューすることで、笑芸の世界を活性化させようという試み、いわば戦犯たる横澤彪の罪滅ぼしである。その第二回目に白山雅一が取り上げられた。
舞台袖から高座のマイクに向かう白山をカメラが袖から撮る。背筋をピンと伸ばした白山雅一。オープニングの曲はいつも同じだ。灰田勝彦の「アルプスの牧場」。この曲は、おそらく、日本歌謡史上、ヨーデルが入った唯一のヒット曲だ。ファルセットの「♪レイホー~レイホー~♪」の声の伸びやかさ。とても老人とは思えない。番組では灰田勝彦のオリジナル版も流した。白山版は声の調子、間の取り方、テンポ、ヨーデル、どれをとっても一分の隙もなく、往年の灰田勝彦を再現してみせる。圧巻。それだけではない。藤山一郎の真似など、前半は若い頃、後半は年をとった頃、と歌い分けるのだ。これがまた絶妙。彼はたしか柳家三亀松の弟子である。だから落語も都都逸もなんでもできる。円正の声真似などは、ぞっとするほど似ていて怖いほどだ。
高座がハネる(=終わる)と、馴染みの飲み屋で好物の焼魚を食べるのがお決まりのコースだ。そしてわび住まいの家路に就く。その先は取材を断った。「芸人は芸が勝負。やたらに私生活を見せるのは野暮」。どんな暮らしをしているのか、謎である。だがわれわれは知る必要はない。彼の芸を堪能すればいいのだ。「お客さんに『もう年なんだからやめなよ』と言われればやめる。まだ聴いてくれるお客さんがいる限り、やる」。
白山雅一を聴きましょう。思わず唸らされること請け合います。
(2000年10月16日)