故人である。逸話の多い人だ。生まれは東京・木場。喧嘩っ早い。芸人になってからの金遣いの荒さはあの藤山寛美をも凌いだという。粋な都々逸といえばこの人。三味線がチョンと入る間。艶っぽい女声が聴くものの耳をくすぐる。
99年1月2日午前1時。NHKラジオ第一「新春演芸特集」。三亀松の「粋談」。
まず新内をひと節披露。で、男女のかけあいをひとりで演る。女の声音は、とろけるような甘い声だ。間にいわく言い難い興趣がある。
「やっぱり……義太夫とおんなしで……新内もいいですワね」
「いいねえ……好きかい」
「ええ……新内、好きですワ」
「『新内の好きな者は浮気モン』って言ってるぞ?」
「いや~ン。ウッフン。バ・カ」(客艶笑。三味線の調子を合わせる音)
「なるほどねえ~。女性は男に対して発声だねえ。男女同権っていうが、やっぱり、四分六か七三にしてた方がいいね……バカなんて言葉はあんまりいい言葉じゃないがおまえにバカと言われると気持が和やかになる……なごバカだ(客艶笑)……もういっぺん言ってごらん」
「だってェ~。こういう言葉は自然ヨ」
「もういっぺん言えよ」
「いや~ン……ウ・フ・フ……バカ」
(客艶笑&拍手。三味線の調子を合わせる音)
このあとは漫談で、飼い犬に都々逸を仕込むが、これがどうもうまくいかない。「これが畜生の浅ましさ」。三味線をチョンと弾き、「ハァって言ってごらん」「ワン!」
で、都々逸だ。
うたた寝の
うつら眠りを小声で起こし
あなた枕を痛みゃせぬかい
右の手が
最初 は浮気 でで漕ぎ出す舟も
風が変われば命懸け
と、都々逸をひねって、間をおいて声を低く落として「いいねェ」とポツリと呟く、その間と声がぞくぞくするほどいい。
都々逸は七七七五調の四句、二十六文字が基本で、冒頭に五文字がつく「五字かぶり」は和歌と同じで三十一文字。別名〈情歌〉。発祥の地は尾張熱田。寛政年間、熱田町の「おかめ」という娼妓が二十六文字の唄のあとに「ドドイツドイドイ、浮世はサクサク」という囃し文句をつけた。そのドドイツが都々逸になり江戸に入ると一人の願人坊主が日本中に広めた。天保年間、その坊主は落語家の船遊亭扇橋の弟子となり、都々逸坊扇歌を名乗って寄席に出た。扇歌の都々逸は花柳界で唄われ、流行歌になった。明治時代は新聞紙上で都々逸が募集され、都々逸作家を名乗るものも現れた。そして昭和の都々逸といえば三亀松である。
立川談志の『談志百選』(講談社刊)で、談志は三亀松にこう言っている「三亀松にとって己れの若き頃をそっくり談志にみていたように後から聞いた。勿論あの大物。で、シャイ。己れからいうもんか。けど他人にはいったという。談志(あやつ)を大事にしてやんな……と」。
三亀松を知りたければ、NHKラジオ第一の「ラジオ深夜便」日曜の「芸能特選」や、正月の同番組の昭和の名人特集がお勧めだ。さらに伝記では決定版が出た。吉川潮『浮かれ三亀松』(新潮社)。三亀松の必須文献。
(2000年10月20日)