私は有線放送の漫才チャンネルで、ほぼ毎日、彼らの漫才の録音を聴いているが、彼らは史上最強の漫才コンビだと思う。大阪で視聴率64.8%、東京でも42.9%を記録した藤田まこと主演のバラエティー番組「てなもんや三度笠」をはじめ、「スチャラカ社員」、〈漫才ブーム〉の火付け役となったフジテレビ「花王名人劇場」など、バラエティー番組を二千本も手がけた名プロデューサーである澤田隆治は、やすし・きよしが〝日本一の漫才師〟だと言う(澤田隆治『上方芸能列伝』文春文庫)。だが、コンビの良し悪しではなく、あくまでも芸の質に関する限り、やすし・きよしはダイラケの足許にも及ばないというのが私の実感だ。そう考えるのは私だけではない。上岡龍太郎は桂米朝との対談でこう述べている。
上岡 ダイマル・ラケットは兄弟ですけれども、「君は誰?」という漫才が出来るわけですよ。兄弟ということが分かっていてもですね。やすきよは後半はコンビどうしのラリーが少なくなり過ぎた。漫才はね、お客にしゃべりかける方が楽なんですよ。「お客さん、知ってはりますか。こいつアホでっせ、この間、サカガミ百貨店といいまンねん。あら阪神やがな」「ほんならお前のこともいうたろか」。いってみたら二人漫談をやっているわけで、本来の二人の会話をこっちからかいま見るという漫才とは違うわけですよ。〔中略〕だから、漫才の完成度ということでいえば、先程の話ではないですが、やすし・きよしはダイマル・ラケット、いとし・こいしの比やないですよ。
(桂米朝・上岡龍太郎『昭和上方漫才』朝日新聞社、185-6頁)
この世界に無縁だったラケットは口が重く、苦し紛れにダイマルが考え出したのがアクション漫才だった。香川登枝緒によると、これが後世のトリオ漫才に多大な影響を与えることになった。パンツ一丁でボクシングスタイルの漫才を考案したのである。発想はチャップリン映画のボクシング・シーン。おそらく『チャップリンの拳闘』だろう。当時は、チャップリンの『街の灯』をもじった映画『あきれた連中』でも花菱エンタツ・アチャコのエンタツがリングに上がる場面があり、漫才にアメリカ喜劇映画の影響が大きかった。
ダイラケの特徴は「君」と「僕」で呼び合うことだ。この伝統は横山やすし・西川きよし、夢路いとし・喜味こいしには受け継がれているのだが、最近の若手の上方漫才師ではついぞ聞かれなくなってしまった。ダイラケには傑作ネタが多い。「僕の時計」「僕の漂流記」「地球は回る目は回る」「僕の農園」「僕は幽霊」。もっとも有名なのは「僕は幽霊」だろう。〈青火がパァ~、ボヤがポォ~〉で知られる、あのネタである。だがネタのスピード感、爆笑に次ぐ爆笑を生む言葉のやりとりの妙でいえば、断然「僕の時計」が優れている。
(2000年10月17日)
(以下、準備中)
1982年9月5日、ダイマルが物故。1997年2月5日、ラケットが逝去。軽やかな言葉のキャッチボールの巧みさ。ぞくぞくするほど絶妙な間。そして圧倒的なスピード感。オール阪神・巨人、夢路いとし・喜味こいしが現役で頑張っているが、ダイラケが到達した域には達していない。ダイラケは上方漫才の頂点である。