東京在住の知人から贈りものが届き、きのう年始のあいさつを添えたお礼状を書きました。きのうは木曜日です。郵便局は残念ながら今年の十月から土曜の配達をやめてしまいました。従来は木曜日に投函した郵便物は土曜日に配達してくれたよ。今週の土曜は元日だ。元日に配達してもらうには年賀郵便にすればよい。でも年賀郵便の受付は二十五日までらしい。ううむ、どうしよう。あ、そうだ、速達で送ればいいじゃないかと思い至った。土曜の配達をとりやめたのは普通郵便なのだ。速達は従前どおり土曜も日曜も配達してくれる。そこで、いそいそと速達料金の二百六十円切手を貼って投函したのでした。一件落着――と思ったら、速達郵便は翌日配達であることを思い出したよ。つまり本日大晦日に配達されてしまう。年始のあいさつなのに。というわけで、今年の粗忽納めでございます。
2021年12月31日
クリスマスからお正月に至るこの時期のあわただしさはどうにかならないものかしら。本日粗忽第二共和制にも書いたのですが、イエスが生まれたのは六月だという説が有力なのよ。いっそのことクリスマスは六月に移動させてはいかがでしょうか。
2021年12月24日
北海道で生まれ育ったわたくしはむかしからこの料理を「ぶたじる」と呼びならわしております。しかし世の中では「とんじる」が優勢であるらしい。「ぶたじる」を『日本国語大辞典 第二版』でひくと、「とんじる」を見よ、とたしなめられます。『明鏡国語辞典 第二版』には項目さえない。悲しいなあ。しかし『大辞林 第四版』にはありました。
ぶた じる[0]【豚汁】
豚肉に野菜・豆腐・こんにゃくなどを取り合わせて味噌仕立てにした汁。とんじる。
『大辞林 第四版』
『広辞苑 第七版』も「ぶたじる」派であるようだ。
ぶた‐じる【豚汁】
豚肉に野菜などを加えて味噌汁仕立てにした汁物。とん汁。
『広辞苑 第七版』
『新明解国語辞典 第七版』には「とんじる」しかない。そして『三省堂国語辞典 第七版』をみて、ようやく合点がいったよ。
ぶた じる【豚汁】(名)
〔西日本・北海道方言〕
〘料〙
⇨とんじる。『三省堂国語辞典 第七版』
ぶたじると呼ぶのは北海道と西日本の方言だったのでした。ああ、すっきりした。
2021年12月17日
鳥が好きなので鳥類学者の本をときどき読みます。いま読んでいるのは川上和人さんの『鳥肉以上,鳥学未満』(岩波書店、2019年)なのですが、内容はさておき、奥付を見てびっくり仰天。川上さんの肩書です。転記しましょう。
国立研究開発法人森林研究・整備機構森林総合研究所森林研究部門野生動物研究領域鳥獣生態研究室主任研究員戦略研究部門生物多様性研究拠点併任
長いよ。中黒も含めると六十七文字だ。もっと長い肩書の人はいるのかしら。
2021年12月14日
先日授業で gustar という動詞の使いかたを説明しました。教科書の例文は Me gusta la música.(私は音楽が好きだ)や A Ricardo le gustan los perros.(リカルドは犬が好きだ)など、いかにも教科書にありがちなものばかり。これらを説明しながら、わたくしの頭にはまったくちがう文が浮かんでおりました。
「Me gusta nacer.」
意味は「私は生まれるのが好きだ」。こんなフレーズを使う人にはお目にかかったことがございませんが、どこかにいても不思議ではない。生まれるのが好きで、もう七八回生まれてるにちがいない。
「Me gusta mucho morir.」
こちらは「死ぬの大好き」。三度の飯より死ぬのが好きな人だ。
「No me gusta gustar.」
これは「人に気に入られるのは嫌いだ」。天邪鬼ですね。でも、いると思うんだよ、こういう人。
2021年12月13日
本日とりかえっ語がひっそりと二十周年を迎えました。
2021年12月7日
このところ閑古鳥が鳴いていたのですっかり忘れておりましたが、先週23日に語尾取りが二十周年を迎えました。来月7日にはとりかえっ語が二十周年を迎えます。
2021年11月29日
朝ご飯を食べながら窓の外を眺めると電線にジョウビタキのメスがとまっておりました。翼の真ん中に白い斑点があり、尾をピクンピクンと上下させるしぐさが特徴なので識別しやすい。冬を告げる鳥であります。愛らしい小鳥なのに、その異名がひどいんだよ。『広辞苑』を引いてみましょう。
じょう‐びたき【尉鶲】
スズメ目ヒタキ科の鳥。小形で、全長約15センチメートル。冬、野原・田・畑などに多く、美しい。黒褐色の翼に大きな白斑があるので俗にモンツキドリともいい、また、人を恐れないのでバカドリ・バカビタキなどと呼ぶ。紋鶲。『広辞苑 第七版』
言うに事欠いてバカドリ、バカビタキはないじゃないか。人間よ、空も飛べないくせに威張るなよ。人間よ、手をつかわず、くちばしだけで巣をこしらえる鳥をなめるなよ。あんまり馬鹿にすると天罰がくだるぞ。いや、天罰はもうとっくのむかしからくだっているにちがいないのだ。
2021年11月28日
世界広しといえども、まさかこんな人はいないだろう――。存在の不可能性を競い合う世界選手権大会を開催いたします。エントリーナンバー1番は、
「8浪して幼稚園に入園」
自薦他薦は問いません。ふるってご参加ください。
2021年11月22日
家にいるときも外を歩くときも
手のひらの小さな画面を見つめるあなた
最後に星を見たのはいつですか
西の空には宵の明星
南にはシリウスが輝いていますよ
2021年11月4日
高峰秀子さんが初めて発表した随筆集『巴里ひとりある記』(河出文庫、2015年)を読みました。人気が絶頂に達した1951年6月に忽然と日本を去りパリに半年暮らした日々の記録です。のちにエッセイストとしても名声を博しただけあって、いったん読みはじめるともうとまりません。漢字とひらがなとカタカナの塩梅が心地よい。だからこそ、書きまちがいを見つけてしまうと、ああ、残念、とくやしくてため息がもれます。
高級レストランのギャルソンたちが愛想よくキビキビと働く、そのさまにつくづく感心するくだりに続く以下の文をご覧ください。
いずれも品の良い、年配の人達。中には大金をもっていて、ただ楽しみにやっている人も尠くないということです。
このふりがなはひどいね。だって、「尠く」は「すくなく」と読むのだから。「すくない」を表わす漢字は少、尠、鮮、などがある。少く、尠く、鮮く、と、どれを書いても同じ。正しいふりがなは「尠くない」だ。だいたい、文の意味を考えれば誤解の余地はないではないか。ギャルソンのなかには生活にはちっとも困っておらず、ただ道楽でやっている人も多いと言っているのだから。
高峰さんがこんなふりがなを書くはずはない。きっと編集者のしわざでしょう。あたしゃ義憤に駆られたよ。
2021年10月30日
きょうは小学館の『西和中辞典〔第2版〕』で mínimo を引いたところ、まちがいをひとつ見つけました。 「少なくとも」という意味の成句 como mínimo の説明です。
【mínimo, ma】
como mínimo
〘話〙少なくとも, せいぜい; せめて.
¶ejercicio como ~ de una hora y media
最低1時間半の実習.
せいぜいは、どんなに多くみつもっても、とか、たかだか、という意味だから、意味が正反対ですね。「せいぜい」と言うなら como máximo です。
2021年10月29日
『スペイン語大辞典』で primero の副詞としての使いかたを調べたら、また例文にびっくりしましたよ。
2)[estar+. 順序・重要度が]先に: José llegué aquí ~ que Pablo. ホセはパブロより早くここに着いた.
主語はホセなのだから動詞の正しい活用形は三人称単数形 llegó です。
2021年10月28日
毎日あら探しをしているわけでは毛頭ございませんので誤解なさらぬよう願いますが、きょうもたまたま『スペイン語大辞典』で jamón を引いたところ、用例に目を疑いました。
❶[塩漬けの]生ハム; [塩漬けしさらに燻製にした]ハム〖=~ cocido〗: ~ Ibérico/~ de pata negra/~ de perrota [ドングリだけで飼育した]イベリコ豚の生ハム.
一つ目の Ibérico は「イベリアの」を意味する地名形容詞です。地名形容詞は小文字で書くのがスペイン語の鉄則だ。正しくは jamón ibérico だよ。
二つ目の perrota には驚きました。スペイン語を勉強して三十七年になりますが、こんなつづりの単語は見たことも聞いたこともない。おそらく bellota(どんぐり)と言いたいのだと思う。正しくは jamón de bellota です。
いったいぜんたい、この辞書はどうなっているのかしら。あまりにも頼りにならず、不安でならないよ。
2021年10月19日
きょうも『スペイン語大辞典』で動詞 pintar を引いたら例文に誤植を発見しました。
❶…の絵を描く〖pintarは線と色で描く, dibujarは線だけで描く〗: Picasso pintó el Guernica en Paris. ピカソは『ゲルニカ』をパリで描いた.
フランスの首都パリは París。i にアクセント記号が必要です。Paris だとギリシャ神話のパリスになってしまうよ。
2021年10月15日
『スペイン語大辞典』で動詞 ser を引いたところ、またまた例文にミスを見つけたよ。
II [一般動詞]
❷ [+場所・時・様態など. 特定の行事・事件などが]ある,起こる: 1) Juegos Olímpicos de Barcelona fue en 1992.
主語が複数形(Juegos)なのだから、正しくは fueron です。ついでに申せば主語のオリンピックはふつう定冠詞をつけて Los Juegos Olímpicos。この大辞典はどうも心細いよ。
2021年10月7日
2000年10月6日に当サイトを開設して本日ひっそりと二十一周年を迎えたことはここだけの秘密ですよ。
2021年10月6日
大谷翔平選手が所属するアメリカ職業野球チームのロサンゼルス・エンジェルスにはキハーダという投手がいる。この人に限らず選手の大半はヒスパニックです。で、ユニフォームの背中に「QUIJADA」の文字をを見るたびに、わたくしの脳裏には「キハダマグロ」の文字が浮かんでしまうのであります。そこから想像力を働かせて、いんちきスペイン語フレーズ集を作ってみました。
2021年9月26日
宇宙の数は途方もなく多いという話を5月17日にいたしましたが、それに勝るとも劣らぬ数が人間の脳に存在することを、ついさっき知りました。V・S・ラマチャンドランとサンドラ・ブレイクスリーの共著『脳のなかの幽霊』(角川文庫、2011年)によると、砂粒くらいの大きさの脳の断片には十万個のニューロンと二百万本の軸索と百億個のシナプスがある。これらの数字をもとに計算すると、可能性のある脳の状態――理論的に可能な活動性の順列と組み合わせの数――は全宇宙の素粒子の数を超えるそうです。
2021年9月10日
9月9日(木)の午前1時から7時までサーバーメンテナンスのため当サイトは一時的にアクセスできなくなります。
2021年9月8日
白川静『文字講話Ⅰ』(平凡社、2002年)の「第四話 数について」によれば、中国では七・九などが文学の上で特別の意味をもつものとされ、『七発』や『九歌』といった作品がある。おしなべて三・五・七・九のような奇数が聖数とされた。それはなぜかと言うと、二つ、対待のことばというものは、両方が同じ力関係にある。三つあるばあいにはその二つを従える中心点がある。三つなら「●○●」、五つなら「●●○●●」というぐあいに、必ず中心点ができる。中心点があるものの考えかたをするものは奇数を好む。偶数的な考えかたを好むものは、対偶的な調和的な状態を重んずる傾向があるのではないか――というのが白川先生の説です。
日本人も奇数が好きですね。和歌は五七五七七だし、三三七拍子、三三九度も奇数だ。萩原健太『はっぴいえんど伝説』(シンコー・ミュージュック、1992年)によると、はっぴいえんど時代の松本隆は五・七、七・五調に凝りました。アイデアのもとは二十歳の頃に考えた「奇数と日本人」。日本人は奇数を大事にする。一、三、五、七、九が好き。歌の伝統は七と五が基本。松本はそこに三を加えた。見破られない方法で七五調を使う方法を発見したのはビートルズの詞の語数を数えたのがきっかけだった。三、五、七が多かった。これでキマリ、と思った――と松本さんは萩原さんに証言しました。
してみる偶数を好むわたくしは、支配よりも調和を重んじる性格なのかしら。
2021年9月5日
視聴覚機器のディスプレイに音量を表わす数字が表示されるばあい、偶数に設定しないと気持ちが落ちつかないのはなぜだろう。たとえば耳に心地よいのは「19」なのに、「18」や「20」にセットしないと気が済まないのです。理由がさっぱりわからないよ。
2021年8月28日
秋に登場するWindows 11がどんなふうに動作するのかを体験できるサイトを見つけました。ユーザーインターフェイスはもう変更してほしくないんだけどなあ。
2021年8月27日
パナソニックのサイトで耳年齢をチェックできますよ。わたくしは年相応の「50代」でした。
2021年8月23日
福井県立図書館の覚え違いタイトル集が楽しいよ。図書館のカウンターで来館者が告げたうろおぼえの本の題名一覧です。「あだしはあだしでいぐがら」は若竹千佐子の『おらおらでいぐも』。「これこれちこうよれ」は森下典子の『日日是好日』あるいは大原健士郎の『日々是好日』。大笑い。
2021年8月18日
外国へ留学することが決まった学生からときどきこんな質問を受けます。「インターネットがなかった時代の人はどうやって現地の情報を調べたんですか」。そんなこと、ちょっと想像力を働かせばわかりそうなものじゃないか。
インターネットが普及する直前の時代だった昭和を例にとって説明しよう。電話があった。ファクシミリもあった。郵便もある。ただし、これらの通信手段はどれもたいそう高価だった。とくに電話は特権階級の財産だった。なにしろ一般住宅用の電話の新規加入権だけで一千万円かかった。外国への通話料も、ヨーロッパなら一分につき五十万円くらいした。電話代欲しさに銀行強盗に及んだのが有名な三億円事件だ。
わたくしは昭和六十一年から一年間スペインに留学したが、貧乏だったので電話も郵便も手が出なかった。しかたがないので紙に質問事項をびっしり書き、丸めて瓶に詰め海に流した。昭和五十九年の春だった。瓶は一年かかってスペインに漂着し、マドリードの大学の職員が返書を瓶に入れて大西洋に投げこんだ。そして一年後の昭和六十一年六月、瓶はわたくしの手もとに無事届いた。往復二年以上かかったが、当時はあたりまえのことだったから不便だなんて思わなかった。
ついでに国内の通信方法も教えてやろう。人との連絡はおもに手旗信号を使ったものだ。相手が肉眼では見えないほど遠くにいる場合は、数人を経由してメッセージを送った。地平線くらい離れた相手には狼煙をあげた。伝書鳩も重宝した。昭和四十年代半ば、光化学スモッグがひどかった時代の東京は伝書鳩の死体で足の踏み場もなかったほどだ。隣近所の人たちとは糸電話でよく話した。
この程度のことなら講談社の『昭和二万日の全記録』を読めばすぐわかることだし、たとえ読まなくてもだいたいは想像がつくはずだよ。
2021年8月9日
もしも睡眠が五輪競技だったとしたら、この犬二匹はアーティスティック・スイミングと改称されるのでしょうか。いずれにせよ金メダルをさしあげたい。
2021年8月8日
阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件で世相が真っ暗だった1995年の唯一の楽しみはドジャースの野茂英雄の活躍でした。疫病蔓延で真っ暗闇の今年の楽しみはただひとつ、大谷翔平でございます。
野球はプレーそのものが楽しいのは言うまでもなく、用語がおもしろいよ。わが国の野球用語の傑作は「さよならホームラン」だ。誰が考えたのかしら。英語では a walk-off run と言います。walk-off は「立ち去ること」「(抗議の意思表示としての)退場」「引退」などの意。打たれた投手がすごすごとマウンドを去ることを指す。英和辞典にはなぜか載っていないものが多いようで、『ジーニアス英和大辞典 第五版』にも『ランダムハウス英和大辞典 第二版』にもない。『リーダーズ英和辞典』は第三版でようやく採用されました。
wálk-òff
n 立ち去ること;《抗議の意思表示としての》退場,退席;《舞台・場面からの》退場;別れ(のしるし).
▶ a〘野〙サヨナラの《ホームランを打たれた投手がマウンドを去って行くことから》a walk-off home run.『リーダーズ英和辞典』第3版
でも、「さよなら」はぴったりだと思うよ。大リーグのアナウンサーもときどき Good-bye! と絶叫することがある。
日本の野球用語にはほかにも感心する言いまわしがたくさんあります。
「引っぱる」
綱引きではありません。打者が早めにスイングして、右打ちなら左翼がわに、左打ちなら右翼がわにボールを打つさまです。
「流し打ち」
これは逆だ。スイングを遅らせて、右打者は右翼方面に、左打者は左翼方面にはじきかえす。
「切れました」
腹が立ってキレた、ではないよ。ヒットやホームランかと思われた打球がファウルラインの外へ曲がってゆくこと。
「泳ぐ」
打者がボールを打とうとしてタイミングがはずれ、前のめりになってよろめくさまだ。誰が考えたのかしらないけれど、うまいことを言うなあ。
「つまったあたり」
これも打者の用語。バットの芯ではなくつけ根の近くで打った、勢いのない打球だ。漢字をあてるなら「詰まった当たり」なのでしょう。
「置きに行く」
こちらは投手の用語。打者に四球を与えまいとして、きびしいコースを避け変化球を減らし、ストライクゾーンにあまい球を集めること。
ぱっと思いつくのはこのくらいですが、言い得て妙なフレーズはまだまだいっぱいあると思います。
2021年8月5日
世に好事家多しとはいえ、懸垂のできる公園リストをこしらえたこの御仁の情熱はいったいなんでしょう。公園の場所と名はもちろん、遊具の名称、遊具を製造した企業までわかってしまいます。赤い星のところは写真つき。恐れ入谷の鬼子母神。
2021年8月3日
一面識もございませんが勝手に敬愛している清水ミチコさんが第十三回伊丹十三賞を受賞しました。めでたいったらありゃしない。ご本人は7月29日のニッポン放送「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」で「詐欺かと思った」と寝耳に水のご様子でしたが、詐欺ではありませんよ。2000年11月5日にライブを聞いて度肝を抜かれ、翌日微笑問題でそのあらましを報告したわたくしが保証いたします。
2021年8月2日
大貫妙子さんの「新しいシャツ」をひさしぶりに聴いて、なつかしい日本語を耳にしました。出だしの歌詞です。
新しいシャツに
袖をとおしながら
私を見つめてる
あなたの心が
今は とてもよくわかる作詞・作曲/大貫妙子
袖をとおす。ひさしく耳にせず、また口にもしないフレーズです。「袖をとおす」は論理的におかしい、「袖に腕をとおす」と言うべきである、と心のなかの誰かが異を唱えました。でも、おかしくはないよね。
「とおす」の意味は『広辞苑 第六版』の語釈「②通じさせる」でしょう。おろしたてのシャツの袖はぺしゃんこだ。腕をとおして袖から手が出るとトンネルが開通する。「袖を通じさせる」だと思えば納得できます。
2021年7月30日
「史上最低のオリンピック」を是が非でも実現するのだというIOCとJOCの決意は固く、毎日いろいろな醜聞が順調に飛び交っております。ご覧の写真は雑誌『フランス・ジャボン・エコー』のレジス・アルノー編集長がきのうツイッターで公開した東京五輪メインプレスセンターのハンバーガー。価格は1600円。
Nouveau scandale olympique : le burger du MPC (media press center). Viande caoutchouc, pain froid, présentation immonde. Le tout pour 1600¥. Camarades journalistes, mangez avant. pic.twitter.com/0SPCk0vkQQ
— regis arnaud (@regisarnaud) July 20, 2021
フランス語のツイートの意味は次のとおり。「新たな五輪スキャンダル。MPC(メインプレスセンター)のハンバーガー。ゴムみたいな肉、冷たいパン、ひどい盛りつけ。これで1600円。ジャーナリスト仲間のみんな、とにかく食べてみて」。
わたくしはどこか異国の給食の食べ残しかと思ったよ。これがわが国の「お・も・て・な・し」でございます。涙がこみあげてきます。
2021年7月21日
ともだち、と、こども、は不思議だよ。「だち」も「ども」も複数をあらわす接尾語だ。ともだちは複数の友人、こどもは複数の子。なのに、ひとりでも「ともだち」「こども」と言う。
いったい、いつごろから単数をさすようになったのか。『日本国語大辞典 第二版』で「ともだち」を引いてみると、初出の例文は『伊勢物語』です。
むかし、をとこ、あづまへ行きけるに、友だちどもに、みちよりいひおこせける。
わざわざ「ども」をつけて「友だちども」と言うところをみると「ともだち」は単数ですね。語誌にもそう書いてある。
語誌
奈良時代から現在と同じ語感を表わしたと思われるが、平安時代には挙例の「伊勢物語」のように「たち」に更に接尾語「ども」を伴う用法が見られるところから、「友達」はすでに単数として使われていたことが知られる。「友達」が文字どおり複数の意味を表わす時は「トモ‐タチ」であって、単数の意味を表わす時は「トモ‐ダチ」であったと考えられる。
平安時代のはじめごろにはすでに単数をさしていたらしい。
「こども」も調べてみました。最初の語義は「①(親に対して)子の複数。子ども達。自分の子、人の子に限らず用いる」。次が「②子。①が単数に用いられたもの」で、例文は『枕草子』。
あからさまにきたるこども・わらはべを、見入れらうたがりて
この例文は適切でしょうか。はたしてひとりの子について語っているのかどうか。ちがうような気がするなあ。「大人」に対する「子」ではないかしら。語誌を読むと――
語誌
(1) 元来は「子」の複数を表わす語であり、中古でも現代のような単数を意味する例は確認し得ない。ただ、複数を表わすところから若年層の人々全般を指す用法を生じ、それが単数を表わす意味変化の契機となった。
中古、すなわち平安時代には単数の例は見つからないと言っておきながら例文は単数の例だ。支離滅裂ですね。『日本国語大辞典 精選版』では同じ例文が「①(親に対して) 子。自分の子、人の子に限らず用いる」のところにある。こちらのほうが正しいのではあるまいか。
では、いつごろから単数の例がみられるか。同じく語誌にこうある。
語誌
(2) 院政末期には「こども達」という語形が見出され、中世、近世には「こども衆」という語を生じるなど、「大人に対する小児」の用法がいちだんと一般化し、同時に単数を表わすと思われる例が増える。
院政末期ということは平安時代から鎌倉時代にかけてのころでしょう。語義②のところに「こども達」の初出例を紹介してくれればいいのに。不親切だよ。
というわけで、まとめると、「ともだち」と「こども」は、どちらも千年くらいまえから単数の子をさしているようであります。
2021年7月18日
コンピューターで圧縮したファイルをもとのサイズに戻すことを「解凍」と言いますが、なぜ圧縮の対義語が解凍なのか。冷凍したわけじゃないのに。
ふとん圧縮袋というものがテレビの通販番組で流行した時代がありました。圧縮したふとんをもとに戻すことはどう言えばよいのだろう。復元? 展開? 伸張? どれもピンときません。その点英語は便利だ。compress(圧縮する)に対して decompress(圧縮を戻す)がある。ところが和英辞典で decompress を引くと「減圧する」だ。ふとんを減圧する。どうもヘンだねえ。ほかにふさわしい他動詞はないものかしら。
2021年7月11日
2006年から中京大学でスペイン語の授業を担当しておりますが、大学全体で学生が何人いるのか全然知らないことに気づきました。そこで「中京大学 学生数」をキーワードにGoogle先生に質問したところ、画面右に主要データが表示されました。一読してびっくり仰天。
学生数はともかく、いちばん最後の「カオル・キタガワ」という人物は「大統領」だそうです。大統領がいたとは迂闊にも知らなかったなあ。その上の項目では現代社会学部が「子会社」に分類されている。これらのデータはGoogleのプログラムがネットを渉猟して情報を集め、機械的に取捨選択したものらしい。プログラムのポンコツぶりが楽しい。
2021年7月1日
インスタグラムのアカウントがないので詳細は窺い知れませんが、現実を生きるリカちゃんが楽しいよ。その一端はまとめサイトでご覧になれます。YouTubeチャンネルもたいへんよろしい。小道具が丁寧にこしらえてあって感心だ。
現実を生きるリカちゃん
2021年6月27日
高校の英語の先生がいちばん長い英単語を教えてくれました。antidisestablishmentarianism です。28文字。意味は『リーダーズ英和辞典 第三版』によると「国教廃止条例反対論」。あまりの長さに驚いて、いまでも覚えている。しかしひねくれ者のわたくしは先生の説明を聞きながら、最長の単語は smiles ではないかと思ったのでした。s と s のあいだが1マイル(mile)、すなわち1.6キロメートルある。ひとり悦に入ること数十年、もっと長い単語が存在することをつい先日知ったよ。beleaguered(包囲された)。be と red のあいだが1リーグ(league)ある。リーグは約3マイル。教えてくれたのは新聞コラムの最高峰、薄田泣菫の『完本 茶話 中』(冨山房百科文庫、1984年)であります。
2021年6月14日
「黄色い」は不思議なことばだ――と、きのう述べたあとで思い出したことがあります。大昔の日本では「青い」に含まれる色の範囲が広く、緑はもちろん黄色さえも「青い」と称したという説を三十年くらい前にどこかで聞いた覚えがあったよ。緑はわかる。いまでも若葉は「青々」だ。黄色も含まれていたのにはびっくりしたのでした。
『日本国語大辞典 第二版』で「青い」をひくと、
あお・い[あをい] 【青】
(1) (本来は、黒と白との中間の広い色で、おもに青、緑、藍をさす)青の色をしている。青の色である。『日本国語大辞典 第二版』
白黒以外の色はおしなべて「青」だった。でも赤はさすがに含まれないよね。この点は『三省堂類語新辞典』が明確に説明してくれます。
類語のニュアンス【色】
まず「赤・黒・青・白」は基本的な色彩語で、「赤い・黒い・青い・白い」と形容詞として用いられる。〔…〕
先に述べたように古来、日本語は「赤い・黒い・青い・白い」の四語を基本としていたため、深紅も紅や朱色も、また、えんじも、茶色も、等しく赤の範囲で表された。
『三省堂類語新辞典』
白と黒のほかは青と赤しかなかった。黄色は「青い」の守備範囲だったのでしょう。
2021年6月7日
色をあらわす形容詞のうち「黄色い」は不思議です。赤の色であることは「あかい」、青の色であることは「あおい」だから、黄の色であることは「きい」と言ってもよさそうなのに、なぜか言わない。「きい」だと、あまりにも短すぎるからかしら。
『日本国語大辞典 第二版』――以下『日国』――によると「黄色い」が文献にはじめて登場するのは三遊亭円朝の『真景累ヶ淵』(1869年ごろ)で、「煎豆腐の中へ鶏卵が入って黄色くなったの、誠に有難う。師匠が大好」。「黄色い」がすでに広く一般に使われており、それを「黄色く」と変化させたのでしょう。「黄色い」は幕末ごろに定着したと思われる。くろい、しろいが「ろい」だから、それにならって「きいろい」と言ったのかもしれない――と、高島俊男先生はおっしゃいます。
名詞の「黄色」は千年以上前から使われている。『日国』によると初出は『宇津保物語』(970~999年ごろ)の「けふのかづけ物は、きいろのこうちぎかさねたる女のよそひとて」。名詞の「黄色」から形容詞の「黄色い」が派生するまで九百年近くかかったんだね。
「黄色い」の仲間に「茶色い」がありますね。これはもっと新しいよ。『日国』によれば初登場は長谷川四郎『シベリヤ物語』(1950~54年)の「黄色味がかった茶色い擂鉢のような食器の中に」。つい最近ではありませんか。名詞の「茶色」は『仮名草子』(1639~40年ごろ)からあるのに。
2021年6月6日
白水社の『スペイン語大辞典』にまたまちがいを二つ見つけました。まず動詞 trasladar の例文。
❷[人を]配置転換する: Ella solicitó que le trasladaran de la secretaría a la sección de negocios. 彼女は秘書課から営業部への配置転換を望んだ.
日本語訳を尊重するならば、正しくは la です。le だと主語の彼女(ella)とは別人の男性をさすことになり、「彼女は彼が秘書課から営業部に配置転換されることを望んだ」という意味になってしまうよ。
次は sello の語義。
❻[レコード・CDの]ラベル 〖=~ discográfico〗
レコードやCDを制作する会社のブランド名をラベルなどと呼ぶものか。レーベルだよね。クラシックならグラモフォン、ジャズならブルーノート、ビートルズならアップル。どれもレーベルです。
もひとつおまけに、después の成句の説明。
~ que +名詞 …に続いて, …より遅れて, …より後で・に 〖語法 動詞がないか, あるいは省略さている動詞が容易に想定され得るので después que+名詞となる: Prefiero morir ~ que mi marido. 私は夫より後に死ぬ方がいい〗
これは罪のない書きまちがい。正しくは「されている」ですね。どんな辞書にもたいていまちがいがある。くれぐれも辞書は過信することなかれ。
2021年6月2日
姿は立派な老人なのに言動が幼稚な人。あなたのまわりにいませんか。いますよね。とりわけ男です。おそらく幼児高齢化が進んでいるものと思われます。
2021年6月1日
四月からスペイン語の授業で使っている教科書にパンアメリカンハイウェー(La Panamericana)が紹介されています。南北アメリカ大陸を縦断する幹線道路網で、教科書の説明によれば北はアラスカから南はチリまでを結ぶ。全長2万5800キロメートル。長いねえ。たしか赤道の長さが約4万キロメートルだ。縦断道路は北極圏から南極圏まで結んでいるから、だいたい地球半周分です。
わたくしも含めて多くの日本人はパンアメリカンハイウェーに馴染みがないと思う。そこで辞書を引いてみると驚いた。まず『デジタル大辞泉』。
パンアメリカン‐ハイウエー【Pan-American Highway】
北アメリカ・南アメリカ両大陸を縦貫する幹線道路網。アラスカのフェアバンクスからアルゼンチンのティエラデルフエゴまでを結ぶ本線と、多数の支線からなる。全長約21万キロメートル。1920年代に汎米会議で構想が提案され、1940年代から50年代にかけて大部分が建設された。『デジタル大辞泉』
21万キロメートル? 地球五周分だ。「多数の支線」を含めた計算なのだろうけど、いくらなんでも長すぎないかしら。では次に『改訂新版 世界大百科事典』。
パン・アメリカン・ハイウェー
Pan-American Highway
南北アメリカ大陸を縦貫する国際道路。北はアラスカのフェアバンクスから,カナダ,アメリカ合衆国,メキシコ,中央アメリカを経由して南アメリカ各国を結び,アルゼンチン最南端のフエゴ島に至る。全長 20万8933km。『改訂新版 世界大百科事典』。
あれ? こちらも地球五周分だ。『日本大百科全書』は――
パン・アメリカン・ハイウェー
ぱんあめりかんはいうぇー
Pan-American Highway
北アメリカとラテンアメリカの政治的、文化的、経済的な融合を目的として整備が進められた大道路網。北・中央・南アメリカ大陸を覆って21か国を相互に結び付けており、北はアラスカのフェアバンクスから、南はアルゼンチン南端のフエゴ島にまで及んでいる。全長20万8933キロメートル。『日本大百科全書』
やっぱり地球五周。頭が混乱してきました。英語辞典を確認しよう。『リーダーズ英和辞典 第三版』。
Pan-American Highway
[the] パンアメリカンハイウェー《南北アメリカを結ぶ計画道路網;太平洋岸に沿う縦貫線に南米主要都市への分岐線を加えた総延長約 48,000km》.『リーダーズ英和辞典 第三版』
4万8千キロメートルだ。地球一周よりちょっとだけ長い。「南米主要都市への分岐線を加えた」からでしょうね。『ランダムハウス英和大辞典 第二版』はどうか。
Pàn-Américan Híghway
((the Pan-American Highway)) パンアメリカンハイウエー:Alaska の Fairbanks からアルゼンチ南端の Fuego 島まで,南北アメリカ大陸を縦貫する国際道路;全長27,000km.
これは教科書の記述とほぼ同じ。ネットでも調べてみたが、どの資料もだいたい2万5千キロメートルから3万キロメートルです。たぶんそのくらいの長さなのでしょう。となると、最初にあげた日本の辞書と百科事典の記述が謎だよ。愚考するに、それぞれの項目執筆者は数値が間違っている同じ資料を参照したのではないかしら。
2021年5月27日
とっくのむかしに死語になっていておかしくないのに、なぜかいまでももちいられることばの代表は「助手席」ではないでしょうか。
もとをたどれば円タクの助手がすわった座席です。円タクは大正末から昭和のはじめにかけて、大阪と東京で一円均一料金で走ったタクシーですね。運転手のかわりにドアを開け閉めして客の乗り降りを手助けしたり、荷物を運んだりした助手が運転席の隣にすわっていたのでした。円タクという呼称は戦後も「流しのタクシー」の意味でしばらく流通していたようですが、いまではすっかり死語になった。もちろん助手もいなくなった。なのに「助手席」は現役だ。不思議です。たぶん、もっと便利な代用語が見つからないのでしょうね。
2021年5月26日
定説によると宇宙が誕生したのは138億年前だそうです。案外若いんだなあ。だって地球ができたのがおよそ46億年前だから、地球の歴史のたった三倍だ。宇宙って、もっとスケールが大きくないと物足りないよ。――そんな人におおすすめの本がマックス・テグマークの『数学的な宇宙 究極の実在の姿を求めて』(講談社、2016年)です。
まず宇宙が誕生した速度に驚きました。宇宙は無から生まれたというインフレーションモデルによるとおよそ10-38秒ごとに質量が倍加した。10-38秒はどのくらいの時間かというと、「1億分の1秒の1000兆分の1の1000兆分の1秒」。10-38秒ごとに質量が倍加し、約260回の倍加でこんにち観測可能な宇宙の全質量が作り出された。逆に言えばこんにち観測可能な宇宙を作り出すのに要した時間はわずか10-35秒にも満たない。わけのわからないスピードです。
もっと驚いたのは宇宙の数だ。テグマークの理論によるとわれわれの宇宙からもっとも近い「レベルⅠ多宇宙」に始まって、もっともかけはなれた「レベルⅣ多宇宙」まで、合わせて四種類の多宇宙(平行宇宙)があり、もっとも基本的なレベルⅠ多宇宙の数は1010118個だそうです。
1010118個はいったいどのくらいの数か。テグマークによると「グーゴルプレックスよりも大きい数」だ。1グーゴルプレックスは「1のあとに0が1グーゴルつく数」。1グーゴルは「1のあとに0が100個つく数」。従って1グーゴルプレックスは1010100。この数の桁数はわれわれの宇宙に含まれる原子の総数より多く、べき乗の記号を使わずに明記することは絶対に不可能。――大風呂敷を広げるなんていうレベルではない。めまいがしてきました。
2021年5月17日
粗忽天皇を僭称する者として、うっかり者のニュースには敏感に反応いたします。きょうは「ベルギーの農家、うっかり領土『拡大』」と題するBBCの記事が目に飛びこんできました。ベルギーの農民が森の細道をトラクターで走っていたところ、フランスとの国境を示す石が邪魔だったのでフランス側にちょっとどかして放置した。それをあとから別の人が見つけたという話です。農民がうっかりベルギーの領土を拡大してしまったという微笑ましい話題なのでした。ところがわたくしは第六段落を読んで首をかしげたよ。
ベルギーとフランスの間の国境は全長620キロ。フランス皇帝ナポレオン1世が1815年にワーテルローの戦いで敗れた後、1820年に調印されたコルトレイク条約で確定した。農家の男性が移動させた標石には、1819年の年が刻まれている。
まず冒頭の「ベルギーとフランスの間の国境」だ。国境は二つの国のあいだにあるのだから、わざわざ「間の」と言う必要はない。「ベルギーとフランスの国境」でじゅうぶんだ。記事の末尾にある引用元の英文記事を見ると「The border between France and what is now Belgium」とあります。「フランスと現在のベルギーとの国境」ですね。翻訳者は between を律儀に日本語に置きかえてしまったのでしょう。
さらに不可解なのは年号だ。記事によると両国の国境は「1820年に調印されたコルトレイク条約で確定」したのに、農民が動かした石には「1819年の年が刻まれている」とある。これでは意味がさっぱり通じないよ。原文を見てみましょう。
It was formally established under the Treaty of Kortrijk, signed in 1820 after Napoleon's defeat at Waterloo five years earlier. The stone dates back to 1819, when the border was first marked out.
最初の文の意味は「この国境はナポレオンが5年前にワーテルローで敗れた後、1820年に締結されたコルトレイク条約によって正式に定められた」だ。そして次の文は「石は1819年に初めて国境線が引かれた時のものだ」。つまり1819年に初めて暫定的な国境が引かれ、翌年に正式に決まったわけです。原文はきわめて平明。まえにも一度文句をつけたことがあるけれど、こんなにわかりやすい文章を日本語にできないBBCの翻訳者は落第です。
2021年5月5日
関係者の皆さん。東京オリンピック中止をよくぞ決断してくれました。「都民の健康ファースト」を宣言した小池百合子東京都知事。「いまはスポーツよりも国民の健康を優先すべし」と表明した丸川珠代五輪相。「アスリートが率先して感染予防をリードしよう」と呼びかけた大会組織委員会の橋本聖子会長。利権でがんじがらめだった国際オリンピック委員会のバッハ会長と国際パラリンピック委員会のパーソンズ会長にとっては苦渋の決断だったことでしょう。おこがましくもオブザーバーとして参加した粗忽第二共和制の粗忽天皇は折衷案として「無観客・無選手開催」を提案しましたが、幸か不幸か聞き入れてもらえませんでした。ともあれ、ようやく平穏な暮らしが保てます。皆さんの叡知は歴史に刻まれることでしょう。
2021年5月2日
手もとのパソコンに Realtek Audio というサウンドドライバが内蔵されており、附属の Real Audio Console を開くとイコライザがあります。プリセットされている音楽ジャンルは以下のとおり。
「声」はいわゆるボーカルのことでしょうね。誰かが無理やり日本語に翻訳したらしい。いずれも音楽プレーヤーなどによくある設定なので珍しくはありません。ところがその下の「環境」という項目を見て驚きました。さまざまな場所における音響効果を擬似的に体験できるのですが、そのラインナップをご覧いただきたい。
「浴室」はリバーブがかかって、なるほど風呂場で聞いている感じになる。「部屋」と「居間」は違いがまったくわからないよ。「石室」と「採石場」もわたくしの耳にはほとんど同じに聞こえます。「洞窟」と「格納庫」もよくわからない。「絨毯敷の廊下」は「防音室」に似ている。それにしても「絨毯敷の廊下」で音楽を聴く人がいったいどのくらいいるのか。さらにカーペットがないただの「廊下」があるばかりか「石の回廊」もあって、この廊下や通路へのこだわりはいったい何事でしょう。かと思えば「路地」だ。街路のまちがいではないかと思ったけれど「街中」があるから街路ではないらしい。中上健次が描いた「路地」だろうか。そして「採石場」だ。採石場でクラシックやジャズを楽しむ人がいるのだ。「森」「山」「平野」は地理的なバランスがとれてなかなかよろしいと思うが、「平野」の次がなぜ「駐車場」なのか。駐車場は屋内か屋外かで音響がまったく異なるはずだよ。「下水道」はたしかに下水道っぽく音が反響します。いちばんわからないのが最後の「水中」です。水中で音楽を聴くのはどう考えても無理だろう。ためしに「水中」を選んでクラシック音楽を聴いてみたが、信じられないことにどの音も鮮明だ。どうなっているのだ。
2021年4月18日
田んぼが広がる隣町の民家の前に「鉄板料理」と大書した看板があります。車を運転して通りかかるたびに、どんな料理なのかが気になる。おそらく鉄板を熱くして肉や魚介類や野菜を焼くのだと思いますが、「違うぞ」と心のなかの悪魔が囁きます。どんな客にも必ずウケる芸人のネタを鉄板ネタというではないか。だから鉄板料理は万人の舌を満足させる料理に決まっている。老若男女人種を問わず誰が食べてもうまい料理。どんな料理なのかますます気になるよ。気になるなら食べてみればいいじゃないかとお思いでしょうが、周囲には飲食店らしきたたずまいの建物は一軒もないのです。なんの変哲もない民家が点在するところに「鉄板料理」の四文字だけを掲げた大きな看板が道路の脇にどんと構える。謎です。わたくしはいったいどうすればよいのでしょう。
2021年4月10日
今週五日、高島俊男さんがお亡くなりになりました。享年八十四。前世紀の終わりから今世紀の最初の十数年まで、高島先生の連載コラム「お言葉ですが…」を読みたいがために『週刊文春』を欠かさず買いました。文春文庫におさめられたそれらのコラムはわたくしにとっていまも教科書です。一面識もない人を「先生」と呼ばずにいられないのは高島俊男さんのみ。
程度の低い人ほどむやみに漢字を使いたがる――高島先生は口をすっぱくしておっしゃったものでした。「字音語は漢字で書く、和語はひらがなで書く」。これが先生のポリシーです。「付」「掛」「込」の三つの漢字を廃するだけで文章はすっきりするという先生の説を下に引用してご冥福をお祈りします。
ワープロが普及しだしてから、むやみに漢字を使った文章が目立つようになりました。漢字を書けなくても、キーボードを押せばいいからですね。言うまでもなく、漢字が多いから格好のいい文章になるわけではありません。ひらがなで書くほうが、すっきりしてきれいな場合はたくさんあります。特に漢字を使わないほうがいいと思うことばの代表が、「掛ける」とか、動詞の後につく「こむ・こめる」、「つく・つける」です。「心掛ける」よりは「心がける」、「申し込む」よりは「申しこむ」と書いたほうが美しい。「気付く」より「気づく」。おおむね、「音」がない字はひらがなで書いたほうがいいと思います。ただし、これにも例外があって、「帽子掛」や「受付」のようなひとかたまりになっていることばのときには、漢字で書くほうがいいですね。ひとかたまりで目にうつって意味をとれるわけだから、ひらがなは入れないほうが好ましいと思います。「帽子掛け」や「受け付け」では、何かまとまらない感じがしませんか。
(高島俊男「美しい文章を学ぶには」、『いきいき』2002年7月号)
2021年4月9日
来週二十九日に一周忌を迎える志村けんさんはコントの求道者でありました。柄本明さんはあらゆる仕事のなかでいちばん緊張するのは映画でも舞台でもなく、フジテレビ「志村けんのだいじょうぶだぁ」の芸者コントだと証言なさっています。二人が演じたお茶挽き芸者のモデルは成瀬巳喜男監督の映画『晩菊』の細川ちか子と望月優子。柄本さんがこの設定を提案して名物コントが生まれました。一切の妥協を許さなかった志村さんは没後さまざまな媒体で〈聖人〉として描かれ、わたくしも異論を唱えるつもりは毛頭ありません。でもね、加藤茶を忘れちゃイヤよ。昭和のちびっ子たちのヒーローは加トちゃんだった。作家であり演出家でもあった志村さんとは異なり、もっぱら演者として活躍しましたが、発声の良さと動きがすばらしかった。わたくしは加トちゃんのくしゃみに毎回感心したものです。「い~、いっくしょん!」が、いまのわたくしの耳には「フィックション!」に聞こえます。
2021年3月25日
十五年くらい前まででしょうか、ネット上の各種掲示板でfontタグを利用してこのような虹色グラデーションなどが手軽に楽しめた日々を懐かしく思う昨今でございます。
2021年3月23日
分譲マンションの広告に散見されるキャッチコピーの文体をマンションポエムと称することをつい最近知りました。「梅田10分圏で、煌めきに包まれる。」とか「名駅と一つになる、美しき未来。」といった陳腐なフレーズですね。
命名者は大山顕さんというかたで、2018年12月18日に文春オンラインに掲載されたご自身のエッセイ「1000作品以上集めてわかった『マンションポエム』に隠された“ワナ”」によると、これらのポエムの最大の特徴は商品であるマンションそのものには一切言及せず、もっぱら立地に関する描写に言葉が費やされていることだそうです。マンションの広告なのにどんなマンションなのかはさっぱりわからず、街のイメージだけが謳い上げられる。同一のパターンに従って、街を魅力的に表現する言葉だけが動員されるのですね。
パターンが決まっているなら、なにも人間が考える必要はない。機械の出番ではありませんか。きっと「マンションポエム・ジェネレーター」みたいなサイトがあるに違いないと思って検索するとすぐ見つかったよ。その名もズバリ、マンションジェネレーター。駅名を入力するとキャッチコピーだけではなくマンション名も考案してくれる。たとえば「渋谷」を入力すると「『静謐を纏う渋谷に住まう。』 セントラルテラスプレイス渋谷」。「芦屋」で試してみると「『芦屋、エレガンス。』 ウエストスカイコート芦屋」。もうコピーライターは要らないね。
2021年3月16日
「沈む朝日のとろけるような爆発音を子守唄がわりに永遠の眠りにつくたびに、この平凡な日々はいつ終わるのだろう、一刻も早くこの世に生まれたいのにと、ありったけのの声をふりしぼって呟かずにいられないのは、ポケットの中の冷蔵庫が腐って耳に涙が溢れるせいであることは言うまでもなく、素粒子がだるまさんがころんだのメロディーを虚空に描くさまが滑稽かつ無礼極まりないからでもあり、真っ先に古びるのが形容詞であることは百も承知の上でフラダンスをコトコト煮こむ警察官に平手打ちを食わせないわけにはゆかず、だからといって二十五光年先の演芸場に土足で上がりこむのは犬としてどうかと思うし、そもそもいつになったら物語が始まるのか皆目見当がつくではないか」
数日前からこんな言葉が頭の中で渦を巻いて気持ちが悪いのでここに吐き出しまた。ああ、すっきりした。
2021年3月6日
大辻司郎のセンスは抜群だ。
2021年3月4日
これも大辻司郎の名文句だよ。
2021年3月3日
夏のオリンピックの種目でいちばん興味があるのは「陸の王者」を決める10種競技なのですが、人気はすこぶる低いとみえて、テレビでもラジオでも中継されることはまずありません。その存在さえ知らない人が多いに違いない。もしも大会が中止されれば、ただでさえ日の目を見る機会が少ない種目がいっそうないがしろにされてしまう。だから選手は開催を切に望んでいるとは思いますが、かりにわたくしが近代五種の選手だったとしてもオリンピックの開催には反対します。人との接触を極力避ける以外に伝染病の蔓延を止める手立てがなく、世界中のトップアスリートが全員参加できる保証がない大会を開催するべき積極的な理由はありません。人知と資産を結集して伝染病との戦いに挑むべし。
2021年3月2日
大正十五年に流行した大辻司郎の名文句です。
2021年3月1日
これも三遊亭小遊三の金言です。
2021年2月19日
三遊亭小遊三の名言です。
2021年2月18日
子どもの時分からおっちょこちょいでヘマばかりしておりますが、家族の証言によるとどうやら生まれる前からそそっかしかったらしい。まず母の胎内にいたときは逆子でした。この時点で粗忽です。そしていよいよ出産というときに母が破水。さらに医師が苦労して足をひっぱって生まれたとたんに股関節が脱臼。しかも医師が脱臼に気づいたのは半年後。粗忽の星のもとに生まれたことを今では誇らしく思っておりますが、医師もどうかと思うよ。のちに大いに反省してくださったそうです。
2021年2月15日
先ほど出かけたお店のレジにダイナースクラブカードのステッカーがたくさん並べて貼ってあるのを見て困りました。
わたくしの目には「ブタさんの鼻」にしか見えないのです。どうしたらいいでしょう。
2021年2月4日
先月下旬に粗忽第二共和制でぽんこつ擁護論が飛び交い楽しいひとときを過ごしましたが、「ぽんこつ」ということばの響きがじつにどうも愛らしい。いったい語源は何かしらと思って『日本国語大辞典 第二版』を引いてみてびっくり。
ぽんこつ
(3)使いものにならなくなった自動車の解体。また、それをする商売。転じて、中古の、こわれかかった自動車。一般に、老朽化し、廃品同様になったものにもいう。
*ぽんこつ〔1959~60〕〈阿川弘之〉兄の遺品「ぽんこつに出したくしゃくしゃの自動車は」
語誌
(3)は、挙例の阿川弘之の新聞小説「ぽんこつ」によって一般にひろまったもので、ポンポンコツンコツンと叩く音からできた語。
阿川弘之の新聞連載小説のタイトルが発端だったのですね。ちっとも知らなかったよ。
2021年2月3日
今年の節分は本日2月2日で、立春はあすの3日です。例年より1日早い。そのわけを丁寧に説明してくれるのがこよみのページの立春の日付が変わるのはなぜ?というコラムです。
説明によると立春は1984年まではときどき2月5日で、1985年から2020年まではずっと2月4日でした。そして2021年以後は4年に1度2月3日になる。原因は閏日が挿入されるタイミングにありました。閏日が挿入される「閏年」の決定規則は三種類あります。まず西暦年が4で割り切れる年が閏年。ただし西暦年が100で割り切れる年は閏年としない。さらにさらに西暦年が400で割り切れる年は閏年。これらの規則によって決まる暦の上での1年と、太陽が天球を一巡する回帰年とのあいだにはどうしてもちょっとだけ誤差が生じる。ただそれだけの話なのでした。
2021年2月2日
大相撲初場所は西前頭筆頭の大栄翔が大活躍、去年の初場所の德勝龍と同じく平幕が優勝しました。白鵬鶴竜の両横綱が休場し、新型コロナウイルスに感染した力士も続出、さらに大関貴景勝も怪我で途中から休み、結局幕内力士が九人も休場するという異常事態でいかにもさびしい場所ではありましたが、大栄翔の突き押しは 一頭地を抜いており、文句なしの優勝です。
近年の相撲について、わたくしは多々不満がございます。力士が稽古不足で手に汗握る大相撲が少ない。制限時間の前に立つ立合いがまったく見られない。しかも制限時間いっぱいになってから立つまでの時間があまりにも長すぎる。そしてキラキラネームと言うほかない醜名が目立つ。
キラキラネームの筆頭は天空海。まるでウルトラマンの名前だよ。aquaはラテン語で「水」ですね。出身が茨城県大洗町だから海水にちなんだのだろうと思ったら、由来は「アクアワールド茨城県大洗水族館」。まさかの水族館。ほかにもウルトラマンタロウにちなんだその名もずばり宇瑠寅太郎という力士もいて、いかがなものかと、眉をひそめたくなります。
ところが江戸や明治の昔にも妙ちきりんな醜名があったことを「タモリ倶楽部」か何かで聞きかじったことがあるのを思い出しました。調べてみると、あるわあるわ。まず江戸時代には――
明治時代も珍名がずらり。
どの時代にも受けを狙う力士はいたのですね。
2021年1月25日
機械翻訳の楽しさは一にも二にもそのポンコツぶりにあります。きょうも愉快な翻訳を見つけたよ。デスクトップカレンダーというソフトを配布するウェブサイトです。紹介文が秀逸。とくに優秀な語句を大きな文字にしておきます。
わたくしはデスクトップ におかれていて格好いいカレンダーソフトでございます。デスクトップカレンダー は気軽にお予定、取り扱わず事項、スケジュール の管理をお手伝いいたします。デスクトップに 些事をご記録ください ... それだけでなく、デスクトップカレンダー™は旧暦万年暦、節気と各種の祝日や記念日などの情報を提供しております。
今のうちに、ダウンロードしてください。わたくしは永久的に無料なソフトでございますから。
何をどうすれば「取り扱わず事項」などという語句を生み出せるのか。凡人には到底思い及びません。そしてすぐ下の一文がとどめをさします。
デスクトップカレンダーはおウィンドウデスクトップにあります
ウインドウに「お」をつける敬語表現はなかなか思いつかないよ。
2021年1月19日
【問】 次の文を英訳しなさい。
「おーい、あれをなにしておいてくれ」
2021年1月17日
Windows XP に付属していたピンボールゲームに夢中だったことをつい数日前突然思い出し、Windows 10 でも遊べないかなあと思って検索したら、ありました。どこのどなたか存じませんが、Microsoft Pinball for Windows 7/10 を無料で提供してくださる人がいて嬉しいのなんの。さっそくインストールして遊んでおります。実行ファイルのサイズはなんと274KB。1MB以下だよ。フロッピーディスクに余裕で入るよ。
2021年1月16日
人から頼まれるのではなく、みずから進んで慎むのが「自粛」なのに、それを「要請」するとはどういうことでしょう。
2021年1月10日
サッポロビールとファミリーマートが共同開発した缶ビール「サッポロ 開拓使麦酒仕立て」のデザインに英語表記の誤りが見つかり発売が中止されました。どんな誤りなのか、サッポロビール株式会社のニュースリリースによると――
商品デザイン内に「LAGAR」とありますが、正しくは「LAGER」となります。成分・表示等には問題ございません。
英単語の綴りはともかく、「正しくは○○となります」ってなんだよ。「正しくは○○でございます」でしょう。「でございます」の代用として「となります」を濫用する輩が跳梁跋扈して久しい。「なります」はなりませんぞ。
2021年1月9日
「たった今入ったニュースをお伝えします。昨年十一月末から行方がわからなかった東京都豊島区の須藤家の猫マロンちゃんが板橋区で無事見つかりました。警察によりますと間もなく須藤家に到着するとのことです」
国の内外を問わず、ろくでもないニュースばかりで気が滅入ります。たまにはこんな速報が聞きたいよ。
2021年1月8日
NHKは平日の夕方に必ず東京株式市場の終値を報じます。きのうの株価は値下がりして、前日より99円75銭安い2万7158円63銭。さらにこれまた必ず「市場関係者」のコメントが紹介されます。「市場関係者」によると「首都圏の1都3県であさってにも緊急事態宣言が出される見通しとなり、景気の先行きに対する不透明感が強まり、多くの銘柄に売り注文が広がった」。株価下落の原因は政府が緊急事態を宣言する見こみであることだというわけです。
政府が7日に緊急事態を宣言するであろうことはきのうの時点で日本国民全員が知っていました。緊急事態が宣言されれば景気が悪くなるであろうことは株の売買に何の興味もないわたくしでさえ予想がつきます。いわんや投資家においてをや。株の値動きに一喜一憂する人は全員株を売るはずですが、実際は売る人もいれば買う人もおり、損をする人も得をする人もいる。なぜ全員が株を売らなかったかといえば、株価の変動の原因を事前に知ることが不可能だからです。原因はニューヨークやロンドンの株式市場の動向かも知れず、アメリカ大統領選挙のゆくえかも知れない。原因の候補は複雑多岐にわたるので、あらかじめ特定するのは困難だ。特定できれば誰もが簡単に株で大儲けできます。しかし実際は株価の上昇や下落という「結果」がわかったあとで、その「原因」が探り当てられる。ということは、原因は結果に先んずるのではなく、結果のあとに、つまり事後的に認識される。
さて、ここからが本題です。原因と結果について考えると、どうしても論理を飛躍させたくなるのです。というのも、原因というものはそもそも結果があってはじめて存在するのではないかと思われるからです。たとえば、いま、この拙文をお読みくださる皆さんには一人の例外もなくご先祖さまがいらっしゃる。皆さんがこの世に存在しているという「結果」をもたらした「原因」は先祖が存在したという事実だと言えます。でも、本当でしょうか。もしも先祖の存在が「原因」であれば、その先祖がこの世に生まれた瞬間に、のちに皆さんがこの世に誕生することがあらかじめ決まっていたことになります。同じ理窟に従えば、皆さんがいま、この世に存在していることは事実なのですから、この事実を「原因」とみなせば、のちの世に誰が存在するかという「結果」があらかじめわかるはずです。しかし「結果」は誰にもわかりません。なぜでしょうか。その理由は「原因は結果に先んずるのではなく、結果のあとに事後的に認識されるから」ではなかろうか。
論理をどんどん飛躍させると宇宙の誕生にゆきつきます。宇宙はビッグバンによって誕生したらしい。ではビッグバンが起きた原因は何か。「インフレーションだよ」と宇宙物理学者は答えます。ではインフレーションの原因は何か。宇宙物理学者は歯切れが悪くなる。
「原因」や「起源」というものを探ろうとする知的な営みは、思考を奈落の底へ導く巧妙な罠ではないかという気がしてならないのです。
2021年1月6日
今朝あるかたから届いた年賀状に手書で記された一文に目を疑い、再読して心が晴れました。
「theatrum mundi は社会のインフラです。」
当サイトはもっぱらわたくし自身が楽しむために開設し、ついでに――と言っては失礼ですが――訪問してくださる皆さまにも楽しいひとときを過ごしてもらえれば万々歳。個人のささやかな趣味に過ぎない当サイトを「社会のインフラ」と位置づけてくださるかたが少なくともこの世に一人存在するという思いも寄らぬ事実に真底驚きました。身に余る光栄です。本年は「家庭の事情」(©トニー谷)により年賀状をさしあげられないのが悔やまれます。今年もはりきって運営するぞ。
2021年1月4日
家族三人で迎えた新年は炭酸との戦いに明け暮れております。揃いも揃って下戸であるわたくしどもは昨年来カナダドライのジンジャーエールに夢中でございまして、1.5ℓのペットボトルを一本138円で購入しては三日あるいは四日楽しむのですが、三日目には炭酸が薄くなり四日目はほとんど抜けてしまい風味が格段に落ちてしまう。500㎖の小瓶なら飲みきれるのですがゴミが増えるのが玉に瑕。1.5ℓの炭酸をキープしつつ三日以上楽しむ方法はないものか。アマゾンで検索すると炭酸が抜けるのを防ぐキャップが439円で発売されており、買おうと思ったら2000円以上まとめ買いしないと注文を受けつけてくれません。ボトルの液体が減って空気が多くなるとガスがキャップを内側から圧迫して外に抜けやすくなるので、ボトルを逆さまにして保存すれば液体がキャップに蓋をするかっこうになりガスが抜けにくくなるという裏技をネットで発見し、先ほど実行に移しました。炭酸との戦いはきょうも続きます。
2021年1月3日
あけましておめでとうございます。二十世紀最後の年にサイトを開設して二十一回目の正月を迎えました。老人力(©赤瀬川原平)がメキメキついてきました。今年も大いに遊んでくれたまえ。
2021年1月1日