ごあいさつ 2017年

ナビゲーションメニューを手直し

画面左上に常時表示されるナビゲーションメニューをちょいと手直ししました。いつ頃から発生したのかわかりませんが、サブメニューをたどったあとに「戻る」をクリックするとメニューの一覧が消えてしまう現象が発覚。つい先ほど気づきました。そこでデザインを少し変更。今度は「戻る」をクリックするとちゃんともとのメニューの一覧が表示されます。

2017年12月28日


任務完了

サンタクロースとルドルフ「ルドルフ、今年もご苦労さま」
「はい、ぼく、がんばりました」

2017年12月26日


喉が痛いクリスマス

ひいらぎ国民諸君、クリスマスはいかがお過ごしでしょうか。粗忽天皇は喉が真っ赤に腫れて、痛くてかなわないよ。

2017年12月25日


模様替え

スノードームきょうから五日間はクリスマス仕様だよ。

2017年12月20日


『情熱の哲学 ウナムーノと「生」の闘い』

絶版になって久しい佐々木孝先生の名著『ドン・キホーテの哲学――ウナムーノの思想と生涯――』(講談社現代新書、1976年)が来月装いを新たに復刊されます。題して『情熱の哲学: ウナムーノと「生」の闘い』(法政大学出版局)。旧著に加えてウナムーノ哲学に関する先生の論文三篇を収めます。本日よりアマゾンで予約受付が始まりました。ぜひお手にとってご覧ください。

2017年12月13日


とりかえっ語十六周年

本日とりかえっ語が十六周年を迎えました。当面の目標は二十周年です。

2017年12月7日


『デジタル大辞泉』にも間違いを見つけたよ

たまたま目を通した『デジタル大辞泉』に誤記を見つけました。「やなぎや」の項目です。

ヤナギヤ

落語家の芸名の一。

正しい表記は「柳」ですぞ。

2017年12月4日


壁紙変更

毎月一日はサイトの壁紙を模様替えし、今月は粗忽天皇の冠を選んでみましたが、配色のけばけばしさがどうも気にくわないので本日リンゴの図案に変更しました。

2017年12月2日


とりかえっ語、来週十六周年

来週12月7日の木曜日、とりかえっ語が十六周年を迎えます。どんどんとりかえてくんなまし。

2017年11月29日


語尾取り十六周年

本日めでたく語尾取りが十六周年を迎えました。雨が降ろうが槍が降ろうが語尾を取りかえましょう。

2017年11月23日


語尾取り、もうすぐ十六周年

最近は閑古鳥が啼いている語尾取りですが、来週23日(木)に十六周年を迎えます。皆さまはりきってどうぞ!

2017年11月18日


『スペイン語大辞典』の間違い

一昨年の九月に白水社が創立百周年を記念して『スペイン語大辞典』を刊行しました。見出語数十一万。看板に偽りなき大辞典です。しかしどんな辞書にミスはつきもの。きのうたまたま「poco」の項目を眺めたところ間違いをひとつ見つけました。

a ~ que + 接続法
2) [譲歩]たとえ…でも: A ~ competente que sea, no van a despedirle. 彼はたとえ能力が劣っても解雇されることはないだろう

例文の和訳はまあまあ正しいのですが成句の語釈が間違っています。pocoは「ほとんど~ない」という否定の意味を担っているので、正しい語釈は「たとえ…でも」ではなく「たとえ…ではなくても」です。例文の意味は「彼はたとえ能力が乏しくても〔=使えない男でも〕解雇されることはないだろう」です。

辞書を作る際は項目執筆者が一つひとつの項目を担当して原稿を書き、それを編集委員が二重三重にチェックして間違いがないかどうか入念に確認するのですが、どんなに慎重を期して確認しても必ずミスを見逃してしまうものなのです。きっとほかのページにもミスがあるはず。ですから辞書を利用する皆さんはなるべく辞書を過信せず、できればほかの辞書と読み比べるのがよろしい。上で挙げた成句を『西和中辞典』第二版で引いてみると――

a [por, con] poco que + 接続法
(2)〘譲歩〙 どんなに…でなくても. ¶ A ~ inteligente que sea lo entenderá. いかに彼[彼女]が利口でなくてもそれはわかるだろう.

ハイ、これが正しい説明です。

2017年11月3日


もっふもふ

S先生の奥様が粗忽第二共和制ですかさずコメントしてくださいましたがり今月の壁紙はご覧のとおりもっふもふでございます。立冬を待たずに早くも冬のような寒さが続く昨今、皆さまあたたかくして風邪を召しませんように。

2017年11月1日


常時SSL化

インターネットの世界にも時流というものがあり、近年はSSLと呼ばれる暗号化通信が主流になりつつあります。そこで当サイトも本日から常時SSL化いたしました。この作業に伴いURIが以下のとおり変わりました。

〔旧URI〕 http://www.theatrum-mundi.net/
〔新URI〕 https://www.theatrum-mundi.net/

従来のURIにアクセスしても大丈夫。自動的に新しいURIに切り替わります。その証拠にいまご覧のこのページ、ブラウザのアドレスバーにはhttpsが表示されているはず。ご安心くださいませ。

2017年10月24日


『カタルーニャを知るための50章』

スペインからの独立をめざして憲法違反の住民投票を実施したカタルーニャが連日国際ニュースを賑わせておりますが、コンパクトでありながらこれ一冊あればカタルーニャのことならなんでもわかる本があります。立石博高・奥野良知編『カタルーニャを知るための50章』(明石書店)。2013年に初版が発売され、好評を博して品薄となり、今年9月30日に初版第2刷が発売されました。わたくしは演劇の項目を執筆しました。政治、経済、民族性、文化などカタルーニャに興味があるかたはぜひお手にとってご覧ください。

2017年10月20日


なるシスト

「こちらコーヒになります」
「お釣りになります」
「午後も晴れの予報になっています」

なんでもかんでも文末に動詞「なる」を使わずにいられない「なるシスト」たちに災いあれ。

2017年10月10日


機械翻訳の楽しさ

コンピューターによる自然言語翻訳の精度が近年長足の進歩を遂げつつあります。内田樹さんのブログによるとニューラル翻訳と呼ばれる近年主流の機械翻訳はTOEICで600点近くを獲得する力があり、2020年には800点に達する勢いだそうです。おそらく学術書や専門書などの機能的な文章なら人間の手をわざわざ借りなくても機械が一瞬で翻訳してくれる時代が到来しつつある。便利な世の中です。ためしに「おそらく学術書や専門書などの機能的な文章なら人間の手をわざわざ借りなくても機械が一瞬で翻訳してくれる時代が到来しつつある」Google翻訳で英訳してもらいましょう。

Perhaps a functional sentence such as an academic book or a specialized book is coming to an era when the machine translates in a moment without having to bother with human hands.

噂に違わず見事なできばえです。sentenceが単数形なのは不適切であり、他動詞botherには不要な前置詞withが伴っていたり、二三ヶ所ミスはありますが、100点満点の試験なら80点はゆうにとれる。この調子で精度をぐんぐく高めていってほしい――と、一般の人は思うのでしょうが、わたくしは一抹のさみしさを覚えます。「突拍子もなさ」が欠けているからです。

機械翻訳の黎明期は訳文の「突拍子もなさ」が楽しかった。あの楽しさはもう味わえないのでしょうか。たとえばこんなフレーズです。

「Son of a bitch!」

言わずと知れた英語の代表的な罵倒表現です。これをGoogle翻訳で日本語に翻訳してもらうと――

クソ野郎!

いかがでしょうか。日本にオギャーと生まれて五十年有余、わたくしは誰かが「クソ野郎!」と叫んだり呟いたりする場面に出くわした記憶がほとんどなく、もっぱら外国映画の字幕で見かけるばかりです。そのせいでしょう、わたくしの耳にはどこかフィクションの登場人物が口にするフレーズのように響きます。しかし世の中にはあたかもフィクションの登場人物であるかのように「クソ野郎!」と呟く人が少なからず存在するはずなので、その意味ではすぐれた翻訳と言えましょう。ちなみに『リーダーズ英和辞典』によると「野郎、畜生」、『ジーニアス英和大辞典』は「野郎、やつ」あるいは「この野郎」で、わたくしも「野郎!」がぴったりだと思います。

ではほかの機械翻訳はどうか。Bing翻訳で試してみましょう。

雌犬の息子!

びっくり仰天。まず「雌犬」に驚かされます。bitchの本来の意味はたしかに犬やオオカミやキツネなどイヌ科の動物の「雌」ですから間違いではない。でも英語話者の念頭にあるのは「あばずれ」「アマ」「スケ」といった女の蔑称です。さらに「犬の息子」に度肝を抜かされる。動物の子を「息子」と呼ぶ発想がすばらしい。この「突拍子もなさ」こそ機械翻訳の醍醐味であると、わたくしは声を大にして言いたい。

2017年10月9日


十七周年

西暦二〇〇〇年十月六日に当サイトを開設し、本日めでたく十七周年を迎えました。これもひとえに皆さまのおかげです。今後も末永くご贔屓を!

2017年10月6日


二十五周年

TOKYO-FM系全国三十八局で放送中の山下達郎サンデー・ソングブックが本日放送開始二十五周年を迎えました。山下さんが所有する数万枚に及ぶレコードコレクションの中からオールディーズの名作佳作を――ときには珍品も――紹介する日本最高のオールディーズ番組です。

わざわざ「最高の」と呼ぶのにはれっきとした理由があります。山下さんはご自宅の膨大なコレクションの中から毎週十枚前後のレコードを選びますが、ほとんどが五十年代から七十年代にかけて発売されたアナログ盤なので、そのままレコードプレーヤーで再生して放送すると音の迫力が伝わらない。そこで山下さんはレコードの音をすべてご自分でデジタルプロセッシングして音圧を上げ、FM放送で望みうる最高の音質で放送してくださるのです。番組の冒頭で「最高の選曲と最高の音質でお送りしております」と毎回おっしゃるのは決して誇大表現ではありません。

いったい現在の日本に、いや、世界中に、これほど音にこだわるラジオDJがほかにいるでしょうか。わたくしがもしも菊池寛賞の選考委員だったら迷わず「サンデー・ソングブック」を推挙します。

2017年10月1日


作品と予言

ロバート・ゼメキス監督の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』三部作は誰もが認める娯楽映画の一級品です。物語は一九八五年を「現在」として描かれ、第二作で主人公マーフィーは三十年後の未来すなわち二〇一五年の世界にタイムトリップし、再び一九八五年の「現在」に戻ると歴史が塗り替えられて町は荒廃を極め、悪童ビフ・タネンが大富豪となり町に君臨しています。大富豪のモデルがドナルド・トランプであることは公開当時のアメリカ人観客には明らかで、「トランプが政財界を牛耳る悪夢」を滑稽に描いたわけですが、この悪夢が現実になったことを知ってしまったわたくしたちは作品の予兆に戦慄せざるを得ません。

日本アニメーション映画至上屈指の名作である大友克洋監督の『AKIRA』もしかり。核戦争で灰燼に帰した東京が〈ネオ東京〉として復興し、復興を世界に印象づけるため二〇二〇年東京オリンピックのスタジアム建設が進められます。東日本大震災からの「復興」を世界に印象づけるために二〇二〇年東京オリンピックが催される現実がここでもピタリと予言されました。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー2』が公開されたのは1989年で『AKIRA』は1988年。どちらも三十年後の世界を予見しました。ならばこれから公開されるすぐれた映画もきっと三十年後の未来を予見するでしょう。来月公開されるドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『ブレード・ランナー2049』が果たしてすぐれた作品かどうか、見極めるのが楽しみです。

2017年9月1日


「ほとんどまったくない」

きのう『改訂新版 世界大百科事典』の「日本文学」の項目を読んだところ、あっと驚く記述を見つけました。

日本文学を,日本語の文章に限るべき根拠は,今ではほとんどまったくない。

ほとんどないのか、まったくないのか、どちらなのでしょう。執筆者は加藤周一さん。知の巨人たる加藤さんの粗忽さに思わずにんまりしました。

2017年8月10日


日本文学史の盲点

千年以上の歴史がある日本の文芸作品をすべて読んだ人はひとりも存在せず、今後も存在しないと断言できますが、すべてを読んだわけではないわたくしが確信をもって言えるのは次のフレーズを含む書物がこの世に存在しないという事実であります。

「天皇風情が何を抜かす」

あなたは無知だ、その証拠に、ほら、この作品にちゃんと書いてあるぞ――とご指摘くださるかたがいらっしゃったら、わたくしは土下座して謝ります。

2017年8月9日


理不尽な命令

「夏休みの宿題、今のうちにやっておきなさい」
「わかってるよ。でもこの英語の問題、プリントの字が薄くて読めないんだよなー」
「読めなさい」
「え? 無理だよ。読めたとしても難しすぎてわからないし」
「わかりなさい」
「無茶だよ。もうお母さんの声なんか聞こえないもんねー」
「聞こえなさい」
「顔も見えないもんねー」
「見えなさい」
「無理。英語、できないもん」
「できなさい」
「そんな……」

2017年8月1日


「HG創英角ポップ体」にはうんざりだよ

きわめて個人的な好みの問題なので誰にも共感を強いるつもりはありませんが、商店や駅、病院など不特定多数の人々が集まる場所の貼紙やチラシの文字に我慢がなりません。「HG創英角ポップ体」と呼ばれるフォントです。どんな字体かはこちらをご覧になれば一目瞭然。世の中のあらゆる場所に溢れる、というか、猖獗を極めると申し上げたい。まるで誰かに命じられたかのように、あるいは法律で定められているかのように、貼紙やチラシを制作する人はマイクロソフト社のWordにプリインストールされている「HG創英角ポップ体」を選ぶのであります。わたくしはこのフォントが視界に入るとすぐに瞳が拒否反応を起こします。文字を読む気にならず、ああ、いやだいやだ、と心の中でつぶやくばかり。まったくうんざりだよ。

2017年7月13日


あいまいな日本の私

表題は言うまでもなく1994年12月7日にストックホルムで催されたノーベル賞授賞式で大江健三郎さんが行った名高い受賞講演の演題ですが、日本とはつくづくあいまいな国だと思います。

まず「日本」という国号はどう発音するのが正しいのか誰にもわからない。ニッポンでしょうか、それともニホンでしょうか。漢字表記の「日本」はずいぶん古くからあるけれど、人々がどう読んだのかを示す資料は乏しい。『日葡辞書』にはジッポン、ニフォン、ニッポンの三種類も登場します。江戸時代の初めごろまではジッポンとニフォンとニッポンの三本立てだった。それがいつしかニホンあるいはニッポンの二種類に減ってこんにちに至ります。

2009年に民主党の岩國哲人衆議院議員が「日本国号に関する質問注意書」を提出し、「日本」の読みかたを統一する意向があるかどうかを政府に尋ねたところ、同年9月30日に政府は「『にっぽん』『にほん』という読み方については、いずれも広く通用しており、どちらか一方に統一する必要はないと考えている」という答弁書を閣議決定しました。ただし法的な有効性はありません。つまりニホンでもニッポンでもいい。重要なのはあくまでも「日本」という漢字表記なのですね。国名の正しい発音のしかたが存在しない国なんてほかにあるでしょうか。あいまいだなあ。

日本の国家元首が誰なのか、これまた難問だ。元首とは『日本国語大辞典』によると「国際法上、外部に対して一国を代表する資格を持つ国家機関。君主国では君主、共和国では大統領」です。だから立憲君主国であるデンマークの元首は国王であり、共和制をとるアメリカ合衆国の元首は大統領だ。日本国憲法は国民主権を謳い、元首に関する条項はありません。ならば国権の最高機関である国会によって選ばれる内閣が国家元首なのでしょうか。どうも違うような気がする。というのも天皇と呼ばれる人が存在するからです。

天皇には政治的な権限がなく国民統合の「象徴」として儀礼を行うにすぎないというのが日本国憲法の規定ですが、天皇を英語で表現するとEmperor、すなわち「皇帝」です。日本は対外的には「皇帝」を戴く立憲君主国としか見えない。内閣総理大臣が外国に行っても「おお、日本の国家元首が来たぞ」とは思ってもらえない。逆に天皇陛下が外国を訪問すると「皇帝」として迎えられる。日本という国は対内的には国民主権でありながら対外的には立憲君主国である。いったいどっちが本当の姿なのでしょう。あいまいだ。

さらに日本語という言語が国家にとってどんな存在なのかもわからない。というのも、日本国憲法には言語に関する記述がないのです。小学校には「国語」という教科があるので、日本語が「国語」、つまり国の共通語もしくは公用語だという暗黙の了解がありますが、憲法にはなんの規定もない。

とことんあいまいな国である日本。しかしながら、「だから日本はダメなんだ」という単純な極論は口にしたくありません。むしろ、あいまいさをそのまま受け容れてはどうかしら。あいまいなままなんとかやってきたのだから、これからもあいまいなままなんとかやっていく。あいまいさこそ「日本」の特異性なのかもしれません。

2017年7月3日


光の速度で忘れるのだ

子どものころから本を読むことにかけては劣等感しかありません。なにしろページをめくったとたんに、読み終わったばかりの前のページに何が書いてあったかを忘れてしまう。これはほんの序の口で、わずか数行前の文章さえ記憶に残らないこともしばしばです。だから一冊の本を読み終えるのに途方もない時間がかかる。「読んだばかりの文をどうして忘れてしまうのだろう」と自問しながらページをめくっては、かたっぱしから光の速度で忘れる。

この劣等感は小学生時代に始まり、知命を過ぎたいまもなお続いておりますから、死ぬまで治らぬ病であることはまちがいありません。しかし本当に病なのかしら。劣等感を覚える理由は明白で、印刷された文字のつらなりはどれも貴重なものであり、従ってすべて記憶に値するのだという根拠のない思いこみに由来します。

一冊の本をまるごと記憶する人が果たしてこの世に存在するでしょうか。ごく薄い本、たとえば幼児向けの絵本はどうかしら。幼いころ夢中になった『ぐりとぐら』と『どろんこハリー』は、おそらく当時はすっかりそらんじていたはずだと思うのですが、いまとなっては書き出しのフレーズさえ思い出せません。フィクションであれノンフィクションであれ、大人を対象として書かれた書物の文章をぜんぶ記憶できる人がいたらぜひお目にかかりたい。そんな人はたぶん世界中を探してもいないでしょう。

おそらく人は多かれ少なかれ、読んだばかりの文章を忘れることによって本を読むのではないでしょうか。では読書とはいったいどういう行為なのか。人は本当に本を読めるのでしょうか。佐々木中さんは「本なんて読めるわけがない」と断言します。

本を読むということが、いかに恐ろしいことか。それについては前の夜にお話しましたね。詩人ステファヌ・マラルメが、新聞などと本は格が違うと言っています。何故なら本は「たくさん折り畳まれている」からだ、と。一体何を素っ頓狂な事を言ってるんだ、と思われるかもしれない。しかしこれは本質的なことです。本というのは一枚の紙を何度も折り畳んで裁断してつくるわけです。でも、そうして折り畳んで「本」にすると、急に一枚紙の文書や二枚に折り畳んで広げた書類と違って、何回読んでもわからなくなる。何度読んでも、何度目を凝らしても、すべての知識をものにしたという確信が不意に消え果てていく。不思議なことですが、これは事実です。繰り返します。本なんて読めません。読めるわけがない。「本」にした途端、何回読んでもわからなくなる。そういう本だけが本です。

佐々木中「第二夜 ルター、文学者故に革命家」『切りとれ、あの祈る手を』河出書房新社、2010年、p. 59

いま、わたくしの目の前に一冊の本が広げてあります。二十年ほど前に出版された、さる高名な批評家と歴史家の対談集で、発売当時すぐ購入して読みました。およそ二十年ぶりに本を開くとそこかしこに付箋が貼ってあり、ページの上の余白部分には、ここは重要だぞ、と言わんばかりに太い鉛筆で線が何本も引いてある。付箋を貼ったり線を引いたりした部分は備忘録として読書カードに書き写してあり、読書カードもいま目の前にあるのですが、この本に何が書いてあったのかはまるで思い出せませんでした。二十年近い隔たりを置いて再読しつつあるのですが、とても「再読」とは思えない。まるで初めてページを開いたかののように新鮮で刺激的なのです。これもひとえに「光の速度で忘れる」才能のなせる技と言うべきかもしれません。読んだ文章を忘れるのは「病」ではなく、むしろ「才能」ではないか――と勝手に決めこみ劣等感をなだめて二度目の読書から新たな刺激を受けつつあります。

2017年6月21日


『プリンプリン物語』が帰ってくる!

『ひょっこりひょうたん島』に『ネコジャラ市の11人』『新八犬伝』などなど、NHKには人形劇の名作がたくさんありますが、スポニチアネックスの記事によると『プリンプリン物語』が三十八年ぶりにBSプレミアムで再放送されます。七月五日放送開始。あたしゃ中学生のころ夢中になりました。

前半のビデオが散佚して第一話からの再放送は無理だと思われたところ、人形製作者の友永詔三さんと人形操者の伊東万里子さん、番組制作担当の中谷正尚さん、声優の神谷明さんがビデオテープを大切に保存なさっており、完全版の再放送が実現したそうです。

「おーい、シドロ」
「なんだよ、モドロ」

このやりとりをまた聞けるだけでワクワク!

思えば四五十年前のテレビ番組はバラエティ豊かでした。バラエティとはすなわち多様性。ひるがえって現在の自称バラエティ番組のなんと画一的なことか。

2017年6月1日


「軍配は○○にあがりましたが」

ラジオとテレビの大相撲中継でじつに耳障りなのが勝負審判の物言いによる協議結果を告げる審判長の言葉づかいです。

行司軍配は○○にあがりました、××の足が先に出ているのではないかと物言いがつきました、協議の結果××の足が先に出ており、軍配どおり○○の勝ちとします。

接続詞「が」は直前の文意と反対の文意を従える、つまり逆説を導くために使うものなのに、審判長はしばしば順接で使うから説明がわかりにくいったらありしゃしない。というわけで改善策を提案します。

行事軍配は○○にあがりました。しかし××の足が先に出たのではないかと物言いがつき協議を行いました。協議の結果××の足が先に出ており、軍配どおり○○の勝ちとします。

ついでに余談。元力士で落語家の三遊亭歌武蔵さんによると勝負審判五人が土俵の真ん中に集まって話し合うのは、じつはなんの意味もないのだそうです。勝敗を判定するのは別室でビデオ映像を見る二人の審判。この二人が審判長にイヤホンで勝敗を伝えます。土俵上で五人がしかつめらしく相談するのは会場に来てくださったお客さまへのパフォーマンスにすぎないのだそうですよ。

2017年5月26日


年をとるのは楽しい

なんでもないところで足がつまずいて転びそうになったり、小さな文字が読めなくなったり、年をとると若いころには想像しなかった出来事に日々出くわして楽しいったらありゃしません。赤瀬川原平さんが名づけた「老人力」がメキメキついてきました。「アンチエイジングという言葉は大嫌い」と公言なさる小泉今日子さんにわたくしも諸手を挙げて賛同します。

きょうは「道」という漢字にどうして「首」があるのかを調べたくて角川書店の『新字源』を繙いたら文字が小さくて読めず、自宅の真裏にある百円ショップで拡大鏡を買ってきました。二倍に拡大された文字を読むと、まあすてき! くっきり見えるぞ。

で、「道」にはなぜ「首」があるのか。学研の『漢字源』にはこんな説明があります。

「辶(足の動作)+音符首」で、首(あたま)を向けて進みいくみち。

思わず笑ったよ。「頭を向けて進む」なんて、あたりまえじゃないか。語釈を考えた人に逆にお尋ねしたい。「頭を向けずに進む」のはなんて言うんですか、と。あんまり馬鹿馬鹿しいので角川の『新字源』を見てみましょう。

意符行(辵は変わった形。みち)と、音符首シウ|シユ→タウ(長く通っている意→疇チウ)とから成り、長く通じている「みち」、ひいて、みちを行く、「みちびく」意を表わす。

「首」には意味がなく音をあらわすという解釈です。では大修館書店の『新漢語林』はどうかしら。

形声。金文は、行+首。音符の首は、くびの意味。異民族の首を埋めて清められた、みちの意味を表す。

斬新な解釈です。しかし、「異民族の首を埋める」とどうして「清められる」ことになるのか、どうもよくわからない。困ったときは白川静先生の出番です。『字通』の説明を読んでみると――

首しゆ+辵ちやく。古文は首と寸とに従い、首を携える形。異族の首を携えて除道を行う意で、導く意。祓除を終えたところを道という。〔説文〕二下に「行く所の道なり」とし、会意とするが、首に従う意について説くところがない。途は余はりを刺して除道すること、路は神を降格して除道すること。道路はまた邪霊のゆくところであるから、すべて除道をする。その方法を術という。術は呪霊をもつ獣(朮じゆつ)によって祓う意で、邑中の道をまた術という。そのような呪法の体系を道術という。

異民族の首をぶら下げて怨霊を払いながら進むところを「道」と呼んだということですね。白川先生の『文字講話Ⅲ』(平凡社、2003年)の「第十一話 都邑と道路」を読むとさらに詳しい説明があります。かいつまんで紹介すると――「首」の上には頭の毛がある。その頭を手に持って道を進む。おそらくは生首ではなく乾いた首。境界から出た一歩外はもはや自分たちの保護霊が守ってくれない。外の邪霊が渦巻いているかも知れない。だから犠牲を携えてゆく。髑髏をもって進む。折口信夫によると山人は髑髏をもっていた。台湾の蕃社などでは村の入口に髑髏棚を作りたくさん並べておいた。それを呪禁とするという意味。だから首をもって歩くのは充分考えられる。古代社会ではきわめて一般的な習俗。殷の時代でも遠方に行くときは自分たちの前に羌人、おそらくチベット系の人を先頭に行かせた。もし悪霊の働きがあれば先頭の羌人が害を受ける――

白川先生は折口信夫の論考を援用して自説を補強なさいます。果たしてどの説が正しいのかわたくしにはわかりませんが、白川先生の解釈に説得力を感じます。

2017年5月20日


鍵盤楽器の怪

「鍵盤楽器」って奇妙ではありませんか? 「打楽器」はピンと張った皮や木の板などを打ち叩いて音を出します。「弦楽器」は弦をはじいたりこすったりして音を鳴らす。「管楽器」は文字どおり管に息を吹きこんで音を出す。ところが「鍵盤楽器」は鍵盤が音を鳴らすわけではありません。ピアノもハープシコードも鍵盤を押すと弦がポンと叩かれて音が出る。だから「弦楽器」であるはずなのに、なぜか「鍵盤楽器」と称される。どうして? 教えて、偉い人!

2017年4月8日


会食恐怖症

幼いころから人前で食事をするのが苦手でした。自宅で家族と食べるのは平気なのに、同じ家族といっしょでも外食すると喉がつまって吐き気を催し、料理にほとんど手がつけられません。

はじめて自覚したのは幼稚園。お昼の食事時間は地獄でした。各自持参したお弁当を食べるのですが、まわりの子たちがわいわいがやがや楽しそうに食べれば食べるほどプレッシャーを感じて箸がまるで進みません。食事時間が終わってもお弁当はほとんど手つかずのまま。食べ終わった子たちは遊び始めます。すると背の高い女の子がそばにやって来て、こう言いました。

「大丈夫だよ! 見ててあげるから!」

女は男よりも早熟です。幼稚園児でさえ女の子は男の子よりもはるかに大人で、あたかも自分が姉か母親であるかのようにふるまう。背の高い女の子は姐御肌で、まるで姉か母親のようにわたくしの真横に立って寄り添い、わたくしが食べ終わるまで見守るのでした。しかしながらわたくしは家族や親戚友人知人などに「見守られ」ながら食べるのが死ぬほどつらいのです。女の子の「親切」――わたくしにとっては拷問に等しい――にこたえるためにも全部食べねばと思えば思うほど喉は栓で蓋をしたように食べ物を受けつけない。あまりにも苦しくて泣いてしまいました。そのあとのことは記憶にありません。

小学校と中学校では給食が大の苦手でした。修学旅行もつらい思い出しかありません。高校にあがると級友の目をあまり気にせず弁当を食べられるようになりましたが、友人と外食するときは依然として食べ物が喉を通りません。人前で食事ができるようになったのはひとり暮らしを始めた大学生時代です。

「会食恐怖症」という言葉を知ったのはつい一箇月ほど前のことです。同じ苦しみを味わう人が世に少なくないのを知り、少し気持ちが楽になりました。おいしい食べ物や料理を気心の知れた人といっしょに食べるのは人生の喜びにちがいありませんが、その喜びを生理的に味わえない人もいることを多くの人に知っていただきたい。

2017年4月7日


昭恵氏?

籠池泰典さんの証人喚問をめぐってメディアが大騒ぎしておりますが、本日15時12分現在朝日新聞DIGITALのトップページを眺めると「昭恵氏らの喚問要求へ 森友問題で野党4党」や「昭恵氏34通、籠池氏妻49通 頻繁にメールやりとり」といった見出しが掲げられており、記事のなかでも「昭恵氏」という呼称が頻繁に目につきます。この呼びかたは大昔から至るところで目にしますが、どうも奇妙です。

安倍昭恵さんは「安倍」が氏、「昭恵」が名だから、名である「昭恵」に「氏」をつけるのは無茶だよ。どうしても「氏」をつけたいなら「安倍氏」です。でも、これでは夫との区別がつかなくなる。ならば「安倍夫人」でよろしい。しかし「夫人なんて男尊女卑のことばです!」と目くじらを立てる筋がきっとあるにちがいないから、後難を避けるには「昭恵さん」と書けばよい。

「昭恵氏」や「安倍昭恵氏」という呼びかたがいったいどうして生まれたのか。敬愛する高島俊男さんの推測によると、男子の姓または姓名につける英語のミスター(Mr.)、ドイツ語のヘル(Herr.)、フランス語のムッシュー(Monsieur)を明治時代の人が「氏」と翻訳し、これを日本人に適用してミスター伊藤博文、伊藤博文氏としたのが始まりらしい(高島俊男「『橋本龍太郎氏』はおかしいよ」『お言葉ですが…』文春文庫、1999年、p. 300-301)

ジョン・レノンを「ジョン氏」なんて呼ぶ人はいないよね。「昭恵氏」も同じくらい奇妙奇天烈、頓珍漢。

2017年3月24日


『大辞林』にもまちがいを見つけたよ

辞書にまちがいはつきもの。『大辞林』にも誤記を見つけました。

えどやねこはち【江戸猫八】
( 1868~1932 )(初世)ものまね芸人。栃木県生まれ。本名,岡田信吉。俳優から落語家に転じたのち鳥獣のものまねや話術で人気を博す。

正しい表記は江戸猫八。

2017年3月23日


異なる世界観を理解するために

不寛容の嵐が世界を席巻しつつあるのを見るにつけ思い返されるのは二十五年ほど前にベストセラーになった本川達雄さんの名著『ゾウの時間 ネズミの時間』の「あとがき」です。心に響いた部分をご紹介します。

近ごろ、外国との摩擦のニュースを聞くにつけ、違う世界観を理解することのむずかしさがよく分かる。同じ人類の間でそうなのだから、違う動物の世界観を理解することなど、よほどの努力をはらわなければできないことである。しかし、その努力をしなければ、決して人間はさまざまな動物を理解し、彼らを尊敬できるようにはならない。

サイズを考えるということは、ヒトというものを相対化して眺める効果がある。私たちの常識の多くは、ヒトという動物がたまたまこんなサイズだったから、そうなっているのである。その常識を何にでも当てはめて解釈してきたのが、今までの科学であり哲学であった。哲学は人間の頭の中だけを覗いているし、物理や化学は人間の目を通しての自然の解釈なのだから、人間を相対化することはできない。生物学により、はじめてヒトという生き物を相対化して、ヒトの自然の中での位置を知ることができる。今までの物理中心の科学は、結局、人間が自然を搾取し、勝手に納得していたものではなかったか?

本書を執筆の途中で、沖縄から東京に引っ越した。人の歩く速度が違う。しゃべる速さが違う。物理的時間にきつく縛られた都会人の時間が、はたしてヒト本来の時間なのかと、疑問に感じてしまう。

沖縄からの飛行機が近づいてくると、東京方面に灰色のかたまりが浮いて見える。これに突入すると、そこが羽田だ。タラップを降りて見あげる空は、えもいえず、もやーっとしている。確かに東京には空がない。空を見上げる気にもなれない。空を見ていた目が行き場所を失い、自分の頭の中を見つめはじめる。

生き生きとした自然に接していないと、人間はどうもすぐに頭の中を見つめはじめ、そして抽象的になっていくもののようだ。抽象的になりはじめると、とめどなく思考のサイズは大きくなり、頭でっかちになっていく。

(本川達雄『ゾウの時間 ネズミの時間』中公新書、2004年、52版、p. 221-222)

2017年3月22日


Yahoo!検索で東北復興寄付

本日ヤフーで「3.11」を検索すると、ひとりにつき十円をヤフーが東北復興のために寄付してくれます。16時58分現在三百万七千七百十八人が検索。つまり三千七万七千百八十円が寄付されます。ぜひ検索を!

2017年3月11日


橋本治はすごい!

今朝八時から放送中のNHKラジオ第一「すっぴん!」の名物コーナー、高橋源一郎による「源ちゃんのゲンダイ国語」で橋本治の『百人一首がよくわかる』(講談社)が紹介されました。『源氏物語』や『平家物語』を現代の言葉に翻訳してきた橋本さんの底力。原文どおり五七五七七を維持して現代に蘇らせました。

ちはやふる神代も聞かず龍田川からくれなゐに水くくるとは

ミラクルな神代にもない竜田川こんな真っ赤に水を染めるか!

「ミラクルな」がすごい!

逢ふことの絶えてしなくはなかなかに人をも身をも恨みざらまし

セックスがこの世になければ絶対にこんなにイライラしないだろうさ

わかりやすい!

忘れじの行く末までは難ければ今日を限りの命ともがな

忘れないいついつまでもは嘘だから今日で終わりの命にしたい

うまいなあ。

恨みわびほさぬ袖だにあるものを恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ

恨み泣き乾かぬ袖はまだいいの恋に負けてくわたしがやなの

「やなの」がすばらしい。

夜もすがら物思ふころは明けやらで閨のひまさへつれなかりけり

一晩中悶える夜は暗いままベッドの向こうに無情があるわ

後半に思わず唸る。

玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることのよわりもぞする

ネックレス切れてもいいのよこのままじゃ心もそのうちはじけて消えそう

すごいよ橋本さん。

2017年3月10日 11時17分


またまたミスを見つけたよ

『日本国語大辞典』第二版の語釈欄にまちがいを二つ見つけました。歌舞伎舞踊、長唄の「鷺娘」です。まちがいの部分を赤い文字で、正しい表記は赤い青い文字で示しておきます。

さぎむすめ【鷺娘】
歌舞伎所作事。長唄。杵屋忠次士田吉次作曲。

作曲者二人のうち、一人目の正しい名前は杵屋忠次郎。二人目の名字は正しくは士田。

2017年3月7日


「外国語」は不便だぞ

わたくしは東京外国語大学でスペイン語を学びましたが、「外国語」という呼びかたは不便だなあと思うのです。オギャーと産声をあげて生まれた赤ん坊が母親もしくは母親に準ずる人をまねておぼえる言葉を母語と言いますね。ところが日本語には「母語以外の言葉」をさす言葉がない。

スペインでは四つの言語が用いられます。標準語はカスティーリャ語。そのほかカタルーニャ語とガリシア語、バスク語。ガリシア語で育った人にとってカスティーリャ語は「外国語」ではありません。同じ国の言語ですから当然ですね。では何語でしょう。これを言い表す言葉が日本語には存在しないのです。英語ならforeign、スペイン語ならextranjero、フランス語ならétrangerで表せますが、これらは「外国語」ではなく、厳密に言えば「よそもの言葉」。この「よそもの言葉」を示す語彙が日本語にはないのだなあ。

「外国語」という呼びかたには、「国家と言語は一対一で対応するものであり、また対応すべきである」という明治維新以来の日本の言語観が如実に反映されています。母語以外の言葉、「よそもの言葉」をぴったり言い当てる便利な言葉はないものかしら。

2017年3月3日


ひらがな戦隊カナレンジャー

「怪獣だ! このままでは僕たちの町が壊滅してしまう! こんなときに正義の味方が来てくれれば……」
「あか!」
「あお!」
「みどり!」
「きいろ!」
「もも」!」
「ごにんあわせて、カナレンジャー!」
「わあ、正義の味方だ! カナレンジャー、怪獣をやっつけて!」
「まかせろ!」
「……あれ? 『カナレンジャー』って、カタカナだよね……?」
「しまった! おいみんな、退散するぞ! くそー怪獣め、おぼえていろ!」
「帰っちゃうのかよ!」

2017年3月2日


「ザ」はどうにかならぬものか

1996年にサンドラ・ブロック主演の映画が『ザ・インターネット』という邦題で公開されたときにはギョッとしました。

「ザ」は英語の定冠詞theをさすわけですが、この定冠詞の発音はみなさんご存じのとおり、あとに続く語が母音で始まる場合は /ði/ です。日本語にはない音なのでカタカナで表記するのは難しい。あえて書くなら「ジ」でしょう。三人組のバンドTHE ALFEEをファンは「ジ・アルフィー」と呼びますし、the endの発音が「ザ・エンド」ではなく「ジ・エンド」であることもたいていの人は先刻承知。ですから邦題は『ジ・インターネット』とすべきである――とは思うものの、どうもしっくり来ないのは、「ジ・」で始まる表記を滅多に見かけないせいかしら。

サンドラ・ブロック主演映画の邦題が罪深いのは、もとの英語タイトルがThe Netだからです。「ザ・ネット」でじゅうぶんではないか。ところがなぜか「ネット」ではなく「インターネット」の語を持ってきてしまったために定冠詞の発音表記が齟齬をきたしてしまいました。

昨夜たまたま衛星放送のテレビ番組表を眺めたらBS朝日に「ザ・インタビュー」という番組がある。母音の前に「ザ」を書く習慣はすっかり定着してしまったのだなあと思い知らされました。おそらく日本語における「ザ」は英語の定冠詞theの発音を示すものではないのでしょう。「ザ」は正しい英語の発音を表現するのではなく、「ほら、ここには例の、あれよ、英語の定冠詞theが来るんだよ」という印、記号にすぎない。

――と、ここまで書いて唐突に思い出したのがケヴィン・スペイシー監督・脚本・主演の映画『ビヨンド the シー 夢見るように歌えば』です。この手があったか! しかし、これですめば誰も苦労はしないのよ。寅さんではないけれど、「それを言っちゃあおしまいよ」。

2017年2月26日


辞書に間違いはつきもの

国語辞典の最高峰が小学館の『日本国語大辞典』であるのは衆目の一致するところで、わたくしも認めるにやぶさかではありません。とはいえどんな辞書にも間違いはつきもの。『日本国語大辞典』も例外ではなく、初版には書き間違いがたくさんありました。それらを修正したのが現在発売中の第二版です。ところが第二版にもミスがある。三つご紹介しましょう。ちなみにわたくしの手もとにあるのは全十三巻のエッセンスをギュッと凝縮して三巻にまとめた『精選版 日本国語大辞典』の電子辞書版です。

まず最初に「さがのやおむろ【嵯峨之屋御室】」。第二版の説明を読んでみましょう。

小説家、詩人。本名矢崎鎮四郎。東京外語露語科卒。東京出身。坪内逍遙に師事。初め、戯作的作風であったが、のち文明批評を含む浪漫的作品を書く。作品に「初恋」「くされ玉子」など。ロシア文学の翻訳、紹介にも功績がある。文久三~昭和二二年(一八六三‐一九四七)

どこが誤りか、お気づきでしょうか。嵯峨之屋御室は文久三年(1863年)生まれ。江戸時代ですね。ところが「東京出身」と書いてある。江戸が東京と改称されたのは慶応四年(1868年)ですから、「東京出身」はおかしい。正しくは「江戸出身」です。『広辞苑』と『大辞林』には「下総の人」と書いてあり、こちらのほうがよほど正確。

次に「ヒッチコック」を調べてみましょう。

(Alfred Hitchcock アルフレッド━) イギリス出身の映画監督。渡米後、サスペンスに富むスリラー映画の巨匠として名声を確立。作品に「白い恐怖」「北北西に進路をとれ」「鳥」など。(一八九九‐一九八〇)

ヒッチコックのファンなら誤記にすぐ気づきます。はい、『北北西に進路をとれ』は間違いですね。正しくは『北北西に進路をれ』。

最後は「こみ【込】」です。①から⑤まで五つの語釈が列挙されており、④に「囲碁で、手合割りから見て、有利な手番に当たった者が負うハンディキャップ。互先〈たがいせん〉の場合の先番のコミは、普通五目半から六目半であり、それ以上を盤面で勝たなければ負けとなる」とあります。ここまでは問題ありません。この語釈に対して「補注」があります。読んでみましょう。

④の語源は江戸時代の込高〈こみだか〉(=地行の変更に伴って、実収の少ないものに補給する)、込米〈こみまい〉(=納租の時、不足を補うため、余分に詰める俵米)の「込」の意を受けたものであろう。

さあ、どこが間違っているでしょう。ウォーリーを探せ! ――見つかりましたか? 「地行」が間違い。正しくは「知行ちぎよう」です。知行は幕府や藩が俸祿として家臣に支給した土地のこと。「地行」という言葉は日本語に存在しません。おそらく項目執筆者はパソコンで「知」と入力したつもりでうっかり「地」を出力してしまったのでしょう。

まだまだほかにもきっとたくさん誤記や誤植があると思います。なにしろ人間がこしらえるものですから凡ミスは避けられない。粗忽天皇といたしましては、目くじらを立てるのではなく、おお、天下の『日本国語大辞典』編集部にもうっかり者がおるわい、あっぱれであるぞ、と褒め称えたくなります。

2017年2月23日


「大丈夫です」

人から何かを勧められたり誘われたりした際に丁寧に断りたいとき、最近の若人は「いいえ、結構です」とは言わずに「大丈夫です」と言う傾向があるという話をネットで知ったのは去年の暮れでした。たとえば勤め先の上司が「飲みに行かないか」と誘う。すると部下は「大丈夫です」と言って断るらしい。

年が明けて大学の授業でスペイン語の会話を練習し、"¿Te sirvo otro café?"(コーヒーをもう一杯いかが)という質問に対する"No, gracias."――英語の "No, thank you."に相当――はどんな意味かを学生に確認したところ「大丈夫です」ときっぱり発言。遠慮や不要を意味する「大丈夫です」を初めて耳にする機会を得ました。

いったいいつごろから使われ始めたのでしょう。なんの根拠もないけれど、ごく近年、ここ二三年ではないかという感じがします。というのは五年くらい前には耳にした覚えがないからです。誰が、いつ、どんな状況で言い始めたのか知りませんが、用法は燎原の火のごとく日本列島に広がりつつある。「誰が言い始めたのか、一緒に調査してみないか」「大丈夫です!」

* * * * *

[16時2分追記] この用法が少なくとも2010年4月25日の時点で一般的におこなわれていたことを示す確かな証拠をたこ焼き村さんが粗忽第二共和制で教えてくださいました。感謝!

2017年2月22日


「嘘つけ!」と「馬鹿を言え!」

むかしから不思議だなあと思うのが「嘘つけ!」という命令文です。

言わんとするところは「嘘をつくな」ですから否定命令。ところが字面では「嘘をつきなさい」という肯定命令文になっている。「嘘つけ」あるいは「嘘を言え」という肯定命令の姿かたちで否定命令を伝える高等テクニックです。

「嘘つけ」「嘘を言え」のほかに思いつくのは「馬鹿を言え」。これも「馬鹿なことを言うな」という否定命令のはずなのに外見は肯定命令文です。「馬鹿も休み休み言え」なら論理がすっきりした肯定命令文なので理解しやすい。でもなぜか「馬鹿を言え」もよく使う。

この用法は「嘘」と「馬鹿」以外にはちょっと思いつきません。「食うな」のつもりで「食え」とは言わないし、「走るな」のかわりに「走れ」と言うこともない。不思議だなあ。

2017年2月20日


男同士のバレンタイン

きょう郵便局の窓口に出かけたら男の職員に「よかったらどうぞ」とあめ玉のようなものを手渡されました。外に出てから中身を見るとチョコレートでした。バレンタインデーに男からチョコレートをもらったのは初めてです。

このチョコレートにはどんな気持ちがこめられているのでしょう。愛の告白しょうか。あるいは「この客は誰からもチョコをもらえないに違いないから恵んでやろう」という心づかいなのか。それとも男性客にはかたっぱしからチョコをふるまうのでしょうか。だとすれば外見が男か女かよくわからない客、性的少数派の場合はどうするのか。もらったチョコは複雑な味がしました。

2017年2月14日


「プレミアム」とは何ぞや

十年くらい前でしょうか。サントリーがザ・プレミアム・モルツを発売したころから世の中にプレミアムが蔓延し始めました。2011年にテレビの地上デジタル放送が始まり、NHKの衛星第二チャンネルがBSプレミアムと改称されたあたりから勢いが増した感じがします。

ヤフーの月額会員制サービスはYahoo!プレミアムと呼ばれ、ソフトバンクのプロバイダー上級プランはYahoo! BB プレミアム。読売新聞のオンライン有料会員制サービスは読売プレミアム、楽天の特別会員プログラムは楽天プレミアム、ラジコで日本全国のラジオ局が聴き放題になるサービスはラジコプレミアム、セブンイレブンの独自ブランドはセブンプレミアム。そのほか食べログのプレミアムサービスとかぐるなびプレミアム会員サービスがあるかと思えば、毎月最終金曜日をプレミアムフライデーと呼ぶ動きまであるそうで、こうなるとプレミアムとは何のことやらさっぱりわかりません。

ためしに辞書を引いてみると「割増金、上乗せ金」だそうです。つまり追加料金。「割増金を払え」という企業の悲痛な叫びなのですね。世の中に流通する「プレミアム」という言葉には「とてもおトクな」とか「最上級の」とか「高級な」というニュアンスが感じられます。感じられるけれども、化けの皮を剥げば「追加料金をくれ」というメッセージがこめられているのでした。粗忽者プレミアムなわたくしはうっかり割増金を払ってしまいそうで、まったく油断のならない世の中です。

2017年2月8日


「あー、えー」の人

河出書房新社の池澤夏樹個人編集『日本文学全集』第三十巻『日本語のために』を毎日読むのが楽しみです。きょうは巻末におさめられた中井久夫さんのエッセイ「私の日本語雑記」を読みました。日本人のスピーチには「あのー」や「えー」が頻出することに着目し、これらの間投詞が日本語話者どうしのコミュニケーションにおいて重要な役目を果たすさまを鋭く指摘。

一読して思い出したのはスピーチや口頭発表で用いられる間投詞にしばしば規則性が認められることです。

この件につきましては、あー、目下調査中でございまして、えー、一日も早く詳細が判明することを、おー、期待しておりますが、あー……

ある種の人たちは間投詞を発する際、直前の音節の母音(a, i, u, e, o)を繰り返すのです。当人はもちろん無意識に呟くのですが、規則性に気づいた聞き手は「次はあーだな」「今度はえーだぞ」と、間投詞にばかり気をとられてしまい、肝腎の発話内容が頭に入らない。頭に入らないのも道理で、間投詞を連発すると文が細切れになって伸び伸びになるから、話の要点が見えにくくなる。記憶に残るのは「あー」や「えー」ばかり。

従いまして、えー、大勢の人に向かって長い話をするときは、あー、なるべく間投詞を、おー、使わずにすませるのが、あー、大切ではないかと、おー、思うわけで、えー、あります。

2017年2月7日


なんて便利な録音ソフト

きのうたまたま見つけたKoRecというネットラジオ専用の無料録音ソフトがあまりにも便利で大興奮。NHKの「らじる★らじる」とラジコのエリアフリーに対応。コマンドラインで作動するプログラムで、コマンドプロンプトを使える人なら操作は簡単。実行ファイルのショートカットアイコンに引数を入れてもよし。さらにウインドウズ標準装備のタスクスケジューラに登録すればお気に入りの番組を予約録音できます。至れり尽くせりとはこのこと。すばらしいソフトを無料で使わせてくださる作者に感謝!

2017年1月31日


第五版と第六版のちがい

『広辞苑』の第五版と第六版を毎日読み比べたところ両者には少なからぬ相違があることに気づきました。

まず外国の地名や人名のカタカナ表記が異なるケースがあります。たとえば『親指姫』や『人魚姫』の作者として有名なアンデルセン。項目は両方ともアンデルセンで共通ですが、語釈の終わりのところで紹介されるデンマーク語名が第五版はアネルセン、第六版はアナセン。おそらく現地の発音を忠実に表記するならばアナセンのほうが正しいのでしょう。似た名前の人がもうひとり、第五版にはアンデルセン=ネクセ【Martin Andersen-Nexø】というデンマークの小説家が取り上げられていますが、第六版の表記はアンデルセン=ネクセーで、最後に音引き(ー)があります。語釈のデンマーク語名も第五版はアネルセン=ネクセなのに対して第六版はアナセン=ネクセー。これも現地音をなるべく忠実に再現するための改訂と見受けられます。

ベトナム語の旧称として第五版にはアンナンごという項目がありますが、アンナン【Annam・安南】やあんなんとごふ【安南都護府】、あんなんやき【安南焼】には漢字表記があるのに「アンナンご」にはなぜかありません。第六版ではこれを改めてアンナンご【安南語】と漢字表記が加わりました。おそらく第五版を編集する際に漢字表記を書き落としたのでしょう。

アントルメ【entremets】の語義は第五版によると「西洋料理のコースで、デザートに出る甘味菓子。本来はロースト料理とデザートの間に出る料理の意」ですが、第六版では「西洋料理のコースで、デザートに出る甘味菓子。古くはロースト料理の後に出る、甘いものも含む軽い料理」となっており、後半の説明が異なります。どちらが正しいのか、料理に疎いわたくしにはちんぷんかんぷん。

送りがなが異なる項目もあります。あらわしぎぬは第五版では【著わし衣】ですが第六版は【著し衣】。同じくあらわしごろもも第五版は【著わし衣】で第六版は【著し衣】。あらわすはどちらの版も【表す・現す・顕す・著す】なので、第六版はあらわすの送りがなに準じてそれぞれ書き改めたようです。

ほかにも相違点がいくつかありましたが忘れてしまいました。比較してわかったのは辞書は改訂を重ねるたびに細かい修正をほどこしているということです。

2017年1月25日


完成

ほぼ毎日書き続けてきた広辞苑小説『言葉におぼれて』が今朝完成しました。お読みくださった皆さま、ありがとうございます。

ふと思いついて連載を始めたのが2015年11月26日。一年二ヶ月ほどかかって『広辞苑』第五版の「あ」から始まる項目をすべて盛りこみました。文字数をエディタで数えてみると43万1032字。四百字詰め原稿用紙で1077枚に相当します。労力の無駄づかいというほかありません。

物語の最初からぜんぶ通読したい! ――なんて人はいないと思いますが、万が一いたら気の毒なので通読できるように完全版を公開しました。一枚のページに全篇を収めました。左のメニューからたどる場合は「目次」→「まだまだあるよ」→「雑文」→「雑誌原稿と創作」でご覧になれます。

2017年1月17日 Part 2


広辞苑小説『言葉におぼれて』 第二五〇回

「あれ? アンプがない」

女が室内をきょろきょろ見回した。

「アンプ?」
「ステレオの増幅器。SANSUIの高級品だ。留守のあいだに誰か来なかったか?」
「誰も……あ、男が一人……」
「野球の審判か」
「はい」
「泥棒だ」
「え?」
「アンパイアの格好で人を油断させるアンフェアな野郎だ」
「でも玄関で挨拶しただけでしたよ」
「裏口からこっそり忍びこんだに違いない。おまえたちの眼は節穴か! ――あ! 火星人だ! やめろ! 命だけは助けてくれ! 火星になんか行きたくねえ!」

女は突然手足をばたばたさせて妄言を吐いた。眼の焦点が定まらず、体がぴくぴく痙攣する。筒井は呆気にとられた。

アンフェタミンだ」

佐和子が言った。

「アンフェタミン?」
「化学名フェニル・アミノ・プロパン。覚醒アミンの一種で強い中枢神経興奮作用があるの。幻覚とか妄想を伴う精神分裂症の症状が起きて、大量に摂取すると不安や不眠、錯乱、幻覚、頻脈、痙攣を引き起こす」
「覚醒剤かヒロポンでもやってるのか?」
「たぶん」
「第二次大戦後にフランスの画家フォートリエ・デュビュッフェ・ヴォルスが始めたアンフォルメルはあらゆる定形を否定して混沌とした無秩序を求めた! だから按摩さんが腹を揉んで按腹あんぷくすると血行が良くなり便秘も治る! でも平安京内裏の安福殿あんぷくでんでは中国の安撫使あんぶし暗物あんぶつに、淫売婦にアンプリファイアーを売りつける!」

筒井と佐和子は茫然として様子を見守るしかなかった。

「薬を入れたアンプルはどこだ! ここはゴルフ場だぞ! 薬がないとアンプレアブルだ! アンプレショニスム、つまり印象主義のアンブレラは西方キリスト教の聖人でアウグスティヌスの師だったアンブロシウスにちゃんと返しなさい!」

女はまるでアンプロンプチュを、即興曲を歌うかのように支離滅裂な言辞を弄した。

「基準となる数量に比例した割合で物をきちんと按分あんぶんしろ! 演説の案分あんぶんは書いたか? 言葉はちゃんと按分比例あんぶんひれいさせたか? 二十アンペアの電流がアンペアけいに流れると五千アンペアになるからこの世は安平あんべいだ。きらきらした勢などあんべいやうもなく、茶碗におぼろ豆腐を入れて松露しようろを加えて蒸してくずあんをかけた餡平豆腐あんぺいどうふはインドの社会改革運動家アンベードカルの好物だ。おい火星人! 聞いてるのか? フランスの物理学者アンペールは電流が流れる導線の周囲の空間に生じる磁場の法則を明らかにして、黒みを帯びた青、暗碧あんぺきの海があんべし筕篖あんぺらや雪を折敷く夕涼み。カヤツリグサ科の多年草筕篖藺あんぺらいは小笠原諸島に生えてる! だから助けてくれ!」

女は筒井の首っ玉にしがみついて懇願した。俺を火星人だと思ってるのだろうか。筒井は肩をやさしく抱いた。

「おらの話がわかるか?」
「……ええ……」
アンペルはアンペラのことだぞ」
「……ですよね……」
安保あんぽ条約を締結したら紀伊半島の南の珊瑚礁でアンボイナがいを獲って食え。充血したときは罨法あんぽうすれば治る。水やお湯で患部を温めるんだ。左右に畳表を垂れかけた江戸の町駕籠あんぽつに乗って安保闘争あんぽとうそうを始めよう。アンホ爆薬ばくやく安保理あんぽりを爆破しろ! ――人の話を聞いてるのか、この安本丹あんぽんたん!」
「聞いてますよ」
按摩あんまを呼んでくれ。暗幕あんまくを降ろせ! ハヤを釣るなら按摩釣あんまづに限る。おお、按摩取あんまとりが来たか? なに? 一回十万円? それゃあんまりだ! 餡饅あんまんやるから勘弁してくれ。ヨルダンの首都アンマン餡蜜あんみつを食おう。禅宗で得度した者に師が法名つまり安名あんみようを与えると安眠あんみんできる。ただしアンモニアを配位子とするアンミン錯体さくたいには気をつけろよ。これはなんだ? ああ、電流の強さがアンペア単位で読めるように目盛った電流計アンメーターあんめり。嫌だ! 火星になんか行きたくねえ!」
「大丈夫だよ」
「わたしたちがちゃんとここにいますからね」

筒井と佐和子は女をなだめた。

「火星は嫌だ。暗面あんめんの世界だ。火星にはあんもがない。暗黙あんもくの了解で餡餅あんもちを食ってみたらアンモナイトだった。アンモニアの匂いが強烈だ。アンモニア化成作用かせいさようを利用してアンモニア合成法ごうせいほうをやってみたけどアンモニアすいができない。アンモニア曹達法そうだほうアンモニア冷凍法れいとうほうも失敗した。たぶんアンモニウムが足りないんだ。菴没羅あんもらはマンゴーのことだぞ。演説の案文あんもんは書いたか?」
「書きましたよ」

筒井は話を合わせた。

「ちゃんと書いておかないと、あとであれこれ案問あんもんされるから気をつけろ。アンモンがい、アンモナイトには脳味噌がないからアンモンかくもない。暗夜あんや暗躍あんやくして志賀直哉の、志賀直哉の……」
「『暗夜行路あんやこうろ』?」
「そう! 『暗夜行路』を歩きながら読むと暗夜あんやつぶてを食らうぞ。暗喩あんゆは隠喩、メタファーだ。あんよは上手、あんよは上手」

女は筒井の両腕を下から支えて赤ん坊をあやすように歩き回った。

「火星に行く暇はない。おらは中国河南省北部の商工業都市安陽あんように用事がある。菴羅あんらを、マンゴーを収穫してUNRRAアンラつまり連合国救済復興機関に届けるんだ。インドのヴァイシャーリーにあった菴羅園あんらおんで釈迦が説法をした。おかげで民衆は安楽あんらくに暮らした。安楽庵あんらくあんで茶を飲んだことがあるか?」
「いいえ」
安楽庵裂あんらくあんぎれをたくさん持っていた安楽庵策伝あんらくあんさくでんの茶室だ。お釈迦様に助けられて人々は安楽椅子あんらくいすにゆったり腰かけ、ああ極楽だ、安楽国あんらくこくだと喜んだ。助かる見こみのない重病人は安楽死あんらくしを望んだ。死んだら長野県上田市にある曹洞宗の寺安楽寺あんらくじに埋葬する。嘘だと思ったら安楽集あんらくしゆうを読め。唐の道綽どうしやくが観無量寿経を解釈した本だ。読めば安楽世界あんらくせかいに行けるぞ。妙立と霊空はこの本を読んで驚き、比叡山の僧侶も梵網ぼんもう戒以外に小乗二百五十戒も合わせて修めるべきだとする新たな戒律、安楽律あんらくりつを唱えた。火星は嫌だ! 火星人め、あっちへ行け!」
「火星人なんていませんよ」
「駄目よ否定しちゃ」

佐和子が筒井を小突いてたしなめた。

「どんなにでたらめな話でも口を合わせるの。――本当に嫌ねえ、おばさん。火星人なんて」
「ああ、おらはアンラッキーだ。火星に行ったら禅宗の修行ができない。禅宗では日常生活を行履あんりと呼ぶんだ。アンリはフランス人の男の名前だ。英語ならヘンリーだ。ブルボン王朝を始めたアンリ四世は世の中の表面には現れない暗流あんりゆうを察知して、暗緑色あんりよくしよくの川に飛びこみ、誰も真似してくれないからひとり暗涙あんるいにむせんだ。嘘ではないぞ。禅宗の僧侶の行状伝記を記録した行録あんろくにちゃんと書いてある。ところが唐の武将安禄山あんろくざんは玄宗に愛されて、楊貴妃の養子になった。安和あんわ元年の話だ」

筒井は頭が痛くなり、女と佐和子を残して玄関から表に出て浜辺に立った。海風が頬をやさしく撫でる。ふと遠くの岸辺を見ると女がひとり、筒井と同じように沖をぼんやり眺めている。黒人だった。

「レイチェル……?」

筒井は思わず駈け出した。女は人形のように立ち尽くしている。

「レイチェル!」

筒井が走りながら叫ぶと足が硬いものにつまづいて転んだ。石かと思ったら本だった。表紙には『言葉におぼれて』と書いてある。筒井は本を拾い上げ、最初のページに目を通した。

筒井が小説を書き始めて半世紀以上になる。書きたいことはすべて書いた、いつ引退しても悔いはない、そう信じて絶筆を宣言したことさえあったが、老い先が短くなるにつれて、俺はこんなもんじゃない、まだ書ける、このまま死んでたまるかと、執筆意欲がむしろ高まってきた。しかし題材が思い浮かばない

俺だ。まぎれもなく俺だ。筒井はページをめくった。いままでの冒険が克明に描かれていた。胸騒ぎを覚えて最後のページを見た。

筒井は頭が痛くなり、女と佐和子を残して玄関から表に出て浜辺に立った。海風が頬をやさしく撫でる。ふと遠くの岸辺を見ると女がひとり、筒井と同じように沖をぼんやり眺めている。黒人だった

これはいったいどういうことだ? 筒井は恐る恐る最後の一文に目を通した。

筒井が最後の一文を読み終えると嵐が吹き荒れ、この世の一切のものが砂粒となって吹き飛び消え果てた

読み終えたと同時に嵐が吹き荒れ、この世の一切のものが砂粒となって吹き飛び消え果てた。

2017年1月17日 Part 1


広辞苑小説『言葉におぼれて』 第二四九回

「あの女は何者だ」
「平安時代なのに『アンネの日記』を持ってるなんて不思議ね」

筒井と佐和子は女の留守をいいことに家中を調べ上げた。筒井が戸棚の引き戸を開けると中にアンバーすなわち琥珀の塊がある。

「あら、アンバーよ」

勝手口から佐和子の声がした。

「そっちも琥珀か」
「ううん。インバーとも言うけど、鉄六十四パーセント、ニッケル三十六パーセントから成る合金よ。たぶん、時計の天桴てんぷに使うんだと思う。――あ、アンバーもある」
「合金だろ」
「違う。天然の褐色顔料。二酸化マンガンとケイ酸塩を含む水酸化鉄よ。絵具や塗料の材料」
「どうも怪しいぞ、あの女。いい按排あんばいに留守だ。正体を暴いてやろうぜ」

表の扉ががらりと開き、野球のアンパイアが入ってきて筒井に「アウト!」と叫んだ。

「なんだおまえは」
「主人の留守を狙って家探しするのはルール違反」
「俺たちは招かれた客人だ。おまえこそ勝手に人の家に上がりこむな。野球場で仕事しろ」
「はい」

審判は素直に応じて立ち去った。

塩梅酢あんばいずがあるよ」

台所から佐和子が言った。

「毒かもしれないぞ」
「味見してみる。――あらおいしい。三杯酢よ」
「こっちには暗箱あんばこがある。古い写真機だ。――これはなんだろう?」

筒井は居間の壁に貼ってある大きな絵を見た。

あんばさまだ」

佐和子が言った。

「あんばさま?」
「太平洋岸各地の漁村で信仰する神様よ。茨城県稲敷市の大杉大明神が有名」
「漁村だから当然といえば当然か。じゃあこれは?」

筒井は戸棚の奥から野菜の種らしきものを握って取りだした。佐和子が一粒指につまんで仔細に点検した。

暗発芽種子あんはつがしゆしだ」
「え?」
「光が当たると発芽しない種。たぶんカボチャだと思う」
「望遠鏡、琥珀、時計の部品の材料、写真機、三杯酢、カボチャの種……アンバランスな組み合わせだと思わないか」
「そうね」

佐和子が口をもぐもぐさせて言った。

「なに食べてるの?」
あんパン。台所にあるよ」
「あ!」

筒井が大きな声を上げた。

「どうしたの?」
「餡パンで思い出した。俺、餡パンを買いに天草諸島に行くはずだったんだ」
「なんで?」
「アポロンに命令されて」
「アポロン? ギリシア神話の?」
「うん」
「馬鹿馬鹿しい。ギリシア神話の神がこの世にいるわけないでしょ」

佐和子は鼻で笑った。

「だよなあ。アントワープの洞窟に閉じこめられた頃から夢と現実の区別がつかなくなった」
「わたしは気絶してたから覚えてないけど、真っ暗闇だったでしょう?」
「うん」
「あなたの体、暗反応あんはんのうしたのよ」
「暗反応?」
「光合成とか光感覚とかの光による一連の生体反応で光を必要としない反応よ」
「俺は植物じゃない」
「かいわれ大根が生えてるけど」
「え?」

筒井が全身をまさぐると首のつけ根から小さな芽が生えている。

「なんじゃこりゃあ!」

筒井はテレビドラマ「太陽にほえろ!」で松田優作が演じたジーパン刑事のように怒鳴った。

「大したことないよ。一本だけだもん。たくさん生えてたら安否あんぴが気遣われるけど」

体から植物が生える――筒井はアンビヴァレンスな思いに沈んだ。

「元気を出しなさい」
「出ないよ……」
「かいわれ大根一本くらいでへこたれるな! ボーイズ・ビー・アンビシャス! 少年よ、アンビションを抱け!」

佐和子は勝手口からずっしりと重いアンビルすなわち金床をよっこらしょっと運んで居間の床にどしんと置いた。

「頭を乗せて」
「なんで」
「大根、抜いてあげる」
「指で引き抜けばいいんじゃないの?」
「根っこが残るでしょ。根こそぎにしたほうがいいよ」

筒井は恐る恐る頭をアンビルに横たえた。こいつ俺の首を落とすつもりではないか? 心なしか佐和子の眼がぎらりと鋭く光った気がする。筒井は佐和子の暗部あんぶを垣間見た気がした。佐和子は勝手口から斧を持ってきて般若のような形相で大きく振りかぶった。

「ただいまー」

女が帰ってきた。佐和子は咄嗟に斧を背後に隠し、筒井は身を起こして声をかけた。

「どうでした、安和あんなへんは」
「あの山の鞍部あんぶ、稜線がくぼんだところまで走って行ったら、もう終わってた」
「じゃあ藤原政権は……」
「成立したよ。歴史的瞬間を見逃してしまった」
「でもご無事でよかったわ。お帰りが遅いから安否あんぷを心配していたところ」

佐和子は「お久しぶりね♪ あなたに会うなんて♪ あれから何年経ったのかしら♪」と小柳ルミ子の「お久しぶりね」を暗譜あんぷして歌いながら斧を勝手口に戻した。

2017年1月16日


広辞苑小説『言葉におぼれて』 第二百四十八回

セスナ機は錐揉み降下して行灯水母あんどんくらげがうようよいる海辺に不時着した。浜辺に降りた筒井と佐和子はきのこ雲を見上げた。原爆で吹っ飛ばされたのによく無事に生き延びたものだ。スピルバーグ監督の映画『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』で鉛製の冷蔵庫に身を隠したハリソン・フォードが原爆に吹き飛ばされて助かったシーンを筒井は思い出した。

「あれまあ」

行灯袴あんどんばかまを穿いた女がきのこ雲に驚いて「この世の末だ。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と念仏を唱えた。

「おまえさんたち、大丈夫かい」
「ええ」
「うちに来なさい」

女は粗末な木造家屋に二人を連れて行き、狭苦しい行灯部屋あんどんべやの襖を開けた。

「ここはどこだろう?」
「少なくともアントワープではないわね」

筒井と佐和子は顔を見合わせた。女が茶盆を持って部屋に来た。

「あの……ここはどこですか?」
「どこというほどの所ではねえ」
「時代は……安政六年ですよね?」
「あんせい? いまは安和あんな二年だ」
「あんな?」
「平安時代だよ。しかしたまげたなあ。あんな雲は初めてだ」
「原爆です」
「なに?」
「原子爆弾」
「なんの話だかわからんが、天の神様の怒りに違いねえ」

女は茶を勧めて家の中を案内あんないした。小さな棚に地元の名所や旧跡の案内記あんないきが二三冊、壁に「残り僅か! 平安京の格安貸間」と書いた不動産の案内広告あんないこうこくが貼ってある。

「ベルギーのアントワープに行きたいんですが、案内してくれませんか」
「おらはこの村から出たことがねえから案内者あんないしやはつとまらねえだ。そんなことよりこの案内状あんないじようを見ろ」

女は案内人あんないにんの役目を辞退して紙切れを一枚示した。勝手口のほうからガタゴト音がする。筒井が裏口にひょいと顔を覗かせると蒸気タービンがあり、ノズルの代わりに使う案内羽根あんないばねが回転羽根に蒸気を送っている。タービンの横には望遠鏡があり、本体に平行して視野が広く対象天体を追跡しやすくする案内望遠鏡あんないぼうえんきようが添えてある。

「頼もう、案内申あんないもう

表の戸口から男の声がした。

「はーい」女が応じた。
「群馬の安中あんなかから来た者ですが、小説を買ってくれませんか」
「小説?」
「トルストイの『アンナ・カレーニナ』」
「要らん」
「失礼しました」

男は一礼して去った。

「どうだい、その案内状」

女が筒井に言った。

「もうすぐ始まるよ。行ってみないか」
「なんですか」
安和あんなへんだ」
「え?」
「右大臣藤原師尹もろただら藤原一族が源満仲みつなかの密告を利用して左大臣源高明たかあきらに皇太子廃立の陰謀ありとして追放し、藤原政権を確立しようと企んでるんだ。見に行かないか」
「面白そうだけど、物騒なのは嫌だなあ」
「原爆で命拾いしたばかりだし。観光旅行ならヒマラヤ山脈のアンナプルナに行くほうがましよ」

佐和子も気乗りがしなかった。

「将来教科書に載るような大事件であんなり安南アンナン、ベトナムからも大勢見物人が来るよ。おらは安南語あんなんごはわからねえが、唐の六都護府のひとつ、安南都護府あんなんとごふがハノイ置かれたくらいだから大都市なんだろう。この茶碗も安南焼あんなんやきだよ」

女は粗末な家なのに家財道具だけは立派であるのをあん仄めかした。

「政権を立てるなんて、そんなにうまく行くかしら」

佐和子が呟いた。

「藤原家は自信満々だ。きっとあん、思いどおりになると息巻いてる」
「でもあん相違そういするかも」
あんたがえば大事おおごとだ」

筒井は外の空気を吸いに玄関から表に出た。戸口の脇にあんにゃもんにゃの木が一本、粉雪のように白い花がびっしり咲き、海は穏やかだった。アンニュイを感じた。どうも気だるい。被曝したからだろうか。原爆症で苦しむくらいならいっそ安養あんにように、安養界あんにようかいに、安養浄土あんにようじようどに、早い話が極楽浄土に行きたい。

「おーい、杏仁あんにん豆腐食わねえか」

女が戸口から呼んだ。生死の大問題を考えている俺に杏仁豆腐を勧めるとは安寧あんねいで暢気で平和だなあ。この村は安寧秩序あんねいちつじよが保たれているのだろう。

「食うのか食わんのか」
「いただきます」

筒井は家に戻った。

「お口に合うかどうか知らんがのう」
「うめえ! まいう~!」
安寧天皇あんねいてんのうも杏仁豆腐が好物だったそうじゃ」
「安寧天皇?」
「日本書紀と古事記に登場する天皇よ」

佐和子が言った。

「うろ覚えだけど、たしか綏靖すいぜい天皇の第一皇子で名前は磯城津彦玉手看しきつひこたまでみ
「おまえさんがた、本は好きか」
「ええ。わたし作家なんです。有吉佐和子と言います」
「わたしも小説家、筒井康隆です」
「こんなものがあるけど」

女は棚から本を一冊引き抜いて筒井に渡した。『アンネの日記につき』だった。

「どこでこれを?」
安然あんねんにもらったんだ」
「あんねん?」
「天台宗の坊さんだ。これと一緒に――」

女は鞍囊あんのうすなわち乗馬のくらの両側にさげる革袋を見せた。

「おーい! 安和あんなへんが始まるぞー!」

外で男の大声がする。

「いよいよだ。あんうち、藤原一族は源高明たかあきらを追放する気だ」

女は興奮して表に向かって駈け出した。

「あわてると転びますよ」

佐和子が心配して声をかけるとあんごと女は戸口の敷居につまずいた。

「ほらご覧なさい。あんじようだわ」

ところが女はあんほかけろりとした顔で何事もなかったかのように立ち上がり、安穏あんのんに見えた海辺の村にち見物人が押し寄せ、鞍馬あんばにまたがった男たちが通行人を蹴散らした。

2017年1月15日


広辞苑小説『言葉におぼれて』 第二百四十七回

「おじさんはアンドラから来たの?」

さっきまで毬をついて遊んでいた女の子が筒井の袖を引っぱって訊ねた。

「アンドラ?」
「フランスの南、ピレネー山脈にある公国」
「違うよ。おじさんは長野生まれだ」

ここは安政六年の江戸、俺は洋服姿。少女が不審に思うのも無理はない。

「変な服着てるね」
「うん。シャツと言うんだよ」
アントラキノン染料せんりようで染めたの?」
「え?」
「アントラキノンから誘導される染料」
「うーん……よくわからないな」
「原料はアントラセンだよ」
「へえ」
「よく知ってるね」

ガンディーが女の子の頭を撫でた。

「お嬢ちゃんは化学が好きなの?
「うん」
「しっかり勉強しなさい。きっと立派なアントルプルヌールに、起業家になれるよ」
「本当?」
「ああ。大金持ちになれる。食事は毎日フランス料理のフルコースだ。デザートには甘いアントルメを食べられるぞ」
「フランス料理って食べたことない」
「旨いんだぞ。献立の最初の料理はアントレと言うんだ。浮世絵とかで見たことない? ないよね、フランス料理を描いた浮世絵なんて」
「イタリア、フィレンツェ派の画家アンドレア・デル・サルトの絵ならありますよ」

画家のアンソールが口を挟んだ。

「アンドレ・ザ・ジャイアント?」筒井が呟いた
「それはプロレスラーだろ!」

ガンディーとアンソール、アンジローが同時に突っこんだ。

「ロシアの小説家アンドレーエフの小説『赤い笑い』にもフランス料理が出てくるわよ」
「佐和子!」

セスナ機の運転席で眠っていたはずの佐和子がいつの間にかやって来て話に加わった。

「体の具合は大丈夫か」
「うん。ぐっすり眠ったら気分がよくなった」

筒井は有吉佐和子を一同に紹介した。

「俺たち安政六年の江戸に来ちゃったよ」
「そうみたいね。あら、毬つきで遊んでるの? 懐かしいわ」
「この子、化学が好きで、アントレプレナーになりたいんだって」
「起業家? あら、いいじゃない。応援するわ」
「おじさんと手を組んでアンドロイドを開発してみないか」

ガンディーが少女の頭を撫でながら訊ねた。

「アンドロイドってなあに?」
「人間そっくりのロボットさ。中身は機械だけど表面はふつうの人間と同じ。テストステロンとかアンドロステロンなどの男性ホルモン、アンドロゲンもちゃんと体内にある。男性ホルモンの一種アンドロステロンもだ」
「作ってみたい!」

少女が眼をきらきら輝かせた途端、まるで電池が切れたおもちゃのように体が硬直して動かなくなった。十秒ほどして全身ががたがた震えだし、頭がぽーんと外れて地面に転がり、首から白い液体がぴゅーぴゅー噴き出した。まるで映画『エイリアン』のアッシュだ。一同驚いてその場を飛びのいた。

「この子は……アンドロイドだ!」

ガンディーが頭部を拾い上げて叫んだ。

「誰が江戸時代にアンドロイドを?」
アンドロポフの仕業かも」

アンジローが呟いた。

「アンドロポフって、ソ連の政治家の?」筒井が訊ねた。

「ええ。ブレジネフの死後、共産党書記長になった。これは共産主義の陰謀ですよ」
「少しはアントロポロギーを、人間学を学びなさい」

まばゆい光とともに天空から女神が降臨した。

「あなたは……?」筒井が訊ねた。
アンドロメダです」
「アンドロメダ! ギリシア神話のエチオピア王ケフェウスの王女。海の怪物のいけにえとして岩壁につながれたが勇士ペルセウスに救われてその妻になった!」

アンジローが興奮して叫んだ。

「そのとおり。アンドロメダ銀河ぎんがからはるばるやって来ました」
「てっきり女神はアンドロメダにいるとばかり思ってました。――どうして江戸に?」
「金儲けのことしか考えない人間どもを懲らしめるためです」
「まさか、このアンドロイドは……?」
「そう、わたしが作りました。人間の姿形をした原子爆弾です」
「原爆?」
「十秒後に爆発します。十、九、八……

女神はカウントダウンを始めた。一同蜘蛛の子を散らすように逃げ惑った。

「佐和子! 急げ! アントワープに帰ろう!」

筒井は佐和子の手を引っぱってセスナ機に乗った。

「……五、四、三……」

佐和子が機体を離陸させると眼下に行灯あんどんのような光の玉が現れ、数秒後に物凄い光と爆音が機体を襲った。どんなに暗鈍あんどんな人の眼にもそれが本物の原爆であることは明らかだった。

2017年1月14日


広辞苑小説『言葉におぼれて』 第二百四十六回

画家が驚いた。

「ベルギーに? なんで早く言ってくれないんですか! 祖国を離れて十年。アントウェルペンの様子を聞かせて下さい」
「信じてもらえないと思うけど、恐竜が暴れ回って……」
「恐竜……?」

アンソールは不審な面持ちで筒井を見つめた。そこへ立派な風体の男がやって来て声をかけた。

「ちょっとお訊ねするが、安藤幸あんどうこうを見かけなかったか?」
「安藤幸?」
「幸田露伴の妹でバイオリン奏者。洋楽黎明期における開拓者だ。ここで待ち合わせする約束なのだが」
「見かけませんけど。あなたは……?」
安藤昌益あんどうしようえき
「昌益さんですか!」

アンジローは目を輝かせた。

「江戸中期の医者で社会思想家。南部八戸で町医者を開業して、万人の平等を唱え、万人が農耕に従事する『自然世』を理想とし、上下差別の存在する『法世』の現実を批判し、それを支える既成の運気論や儒仏の教説を否定なさった!」
「うむ。よくご存じですな」
「大ファンです。あなたに較べたら江戸前期の儒学者安東省庵あんどうせいあんなんか凡人だ」
「褒めて下さるのは嬉しいが、言葉を慎みなさい。壁に耳あり障子にメアリー、じゃなくて、目あり。陸奥磐城平藩主の老中安藤信正あんどうのぶまさの耳に入ったらただでは済みませんぞ」

昌益はアンソールが絵筆をふるう様子をちらりと見た。

「絵描きですか」
「はい。ベルギーから来ました」
「絵は門外漢だが、あなたの画風は安藤広重あんどうひろしげが気に入ると思う」
「安藤広重……もしかして浮世絵師の歌川……」
「さよう。歌川広重。あの人とは長いつき合いだ。よかったら紹介してあげようか」
「ありがとうございます!」
「よかったな」

筒井が祝福した。

「歌川広重と知り合いになれば食うには困らないぞ」

アンソールは嬉し涙を流した。

「ところでそなたは?」
「筒井康隆。小説家です」
「文学者ですか。お見それしました。では安藤正次あんどうまさつぐをご存じですね」
「え?」
「国語学者。台北帝大総長と東洋大大学院長を歴任した。主な著書は『古代国語の研究』、『古典と古語』、『国語史序説』」
「初耳です」

筒井は消え入るような声で返事をした。

「小説家でありながら、事もあろうに正次をご存じないとは……」

昌益は軽蔑の眼差しを向けた。

「さては金儲けにしか興味がない売文の徒だな」
「いえ、そういうわけでは……」
「そなたが尊敬する人物を当てて見せよう。安東蓮聖あんどうれんしようだろ?」
「あんどうれんしょう?」
「鎌倉末期の北条氏の内管領ないかんれい。瀬戸内海方面を舞台に海上輸送と銭貨貸付を行なって巨万の富を築いた」
「聞いたこともないよ、そんな人」

筒井の脳内のアンド回路かいろがパニックに陥った。

「国学者も知らぬ、豪商も知らぬとは、おぬしそれでも作家か。おぬしのような間抜けは安徳天皇あんとくてんのうと一緒に身投げすればよかったのだ」
「安徳天皇?」

筒井は涙目になった。こいつが何を言ってるのか俺にはさっぱりわからない。

「平安末期の天皇ですよ」

アンジローが囁いた。

「源平の戦いのとき平宗盛に担がれて西国に赴き、平家一族とともに壇ノ浦に入水したんです」

筒井はおのれの無知を恥じて狼狽し、顔の皮膚に含まれるアントシアンが赤や青や紫に変色した。昌益は筒井を見限り、懐から文書の束取りだして文面に目を走らせた。

「それは……?」

アンジローが訊ねた。

安堵状あんどじようだ」
「わあ、鎌倉と室町時代に幕府や領主が支配下の武家と社寺の所領の知行ちぎようを保証した証文ですね」
「さよう」
「現物を見るのは初めてです。でも江戸時代に通用するんですか?」
「ははは、もちろん通用せん。骨董品としての価値があるのだ。古い手紙などを集める物好きな人がいるのだよ。ものによっては古道具屋が高く買い取ってくれる」
「骨董品か!」

筒井が無理やり話に割りこんだ。

「岩見重太郎の草鞋わらじとか平清盛の溲瓶しびんとか。小野小町が座頭市に出した手紙とか」
「そんなものがあるわけないだろ!」

昌益とアンジローが漫才の相方のように同時に突っこんだ。

「では、もしもアントニーの、アントニウスの手紙があったら高値がつきますか?」

アンジローが質問した。

「アントニウス?」
「古代ローマの政治家です。カエサルの部将としてガリアで戦い、カエサル没後はオクタウィアヌスとレピドゥスとともに第二次三頭政治を行い東方属州を統治しました。のちにオクタウィアヌスと反目してアクティウムの海戦に敗れて自殺した」
「本物の手紙ならそれこそ目玉が飛び出るほどの値がつくぞ」
「エジプトの隠修士アントニウスの衣服はどうです?」
「おお! ヒエロニムス・ボスやサルバドール・ダリが描いた『アントニウスの誘惑』で有名な!」

画家のアンソールがしゃしゃり出て歓声を上げた。

「サルバドールはスペイン語で救世主っていう意味なんですけど、救世主のアントニム、対義語はなんでしょう?」
「救世主に対義語などあるものか」

昌益は安堵奉行あんどぶぎようが発行した安堵状を畳んで懐にしまった。

2017年1月13日


広辞苑小説『言葉におぼれて』 第二百四十五回

「あんたがヌーヴォー・ロマンの主人公なわけないでしょ!」
「まったくだ」

振袖を着た女と僧侶のコンビが突然現れて筒井をあざ笑った。

「なんだよ藪から棒に。誰だ?」
安珍清姫あんちんきよひめだ。俺が安珍、こいつは清姫」

僧侶が答えた。

「紀州道成寺の伝説の主人公さ。熊野詣でに出かけた若い僧侶の安珍が旅の途中で民家に泊まった。その家の清姫が安珍に惚れて、大蛇に変身してあとを追い、道成寺の釣鐘に隠れていた安珍を鐘もろとも焼き殺した――能や浄瑠璃、歌舞伎舞踊で取り上げられるほど有名な話だぞ」

安珍は鎮護国家を願って不動明王に安鎮法あんちんほうを捧げながら答えた。

「安珍だかチンチンだか知らんが、聞いたことがない」
「教養がないな」

安珍は不動明王を中尊として構成された安鎮曼荼羅あんちんまんだらを脳裡に思い浮かべて念仏を唱えながら清姫と手に手を携えてアンツーカーの街路を去って行った。

「なんだ、あいつらは? 言いたい放題言いやがって。鐘もろとも焼き殺されたのに生きてるなんておかしいじゃないか」
「物語の登場人物だからですよ」

アンジローが言った。

「生身の人間は一回死ねばそれっきりですが、あの二人はフィクションの登場人物。フィクションは読者がいる限り不滅です」
「なるほど。現実の人間は不安定な存在だけど、創作の世界に住む連中は安定あんていしてるんだな」
「ええ。鎌倉中期、後堀河天皇時代の安貞あんてい年間に書かれた物語の登場人物だって平成時代の読者が読めば平成に生きているのと同じこと」

アンティークの古道具を背負った行商人の男が足早に通り過ぎた。沿道にはアンディーブすなわちタンポポに似たキク科の多年草チコリーが咲き誇り、商店の前では女の子たちが相変わらずトルコ南部の都市アンティオキアから渡来したという毬をついて遊び、店の主が「俺は会社の業績や株価の動向に左右されずに長い期間株式を安定的に継続保有する安定株主あんていかぶぬしだ」と、誰に頼まれたわけでもないのにひとりで自己紹介し、「俺がこの世で恐れるのはただひとつ、インフレを収束させ通貨価値の安定を回復するのに伴って生ずる安定恐慌あんていきようこうだけだ」と叫んだ。近隣の住民は「また始まったよ。触らぬ神に祟りなし」と呆れ顔で見て見ぬふりをした。いつの世も金のことしか頭にない拝金主義者はいるものだ。カリブ海小アンティル諸島にある国アンティグアバーブーダにも銭儲けのことしか考えない輩がいるに違いない。金勘定にしか興味がないから、ギリシア神話でテーベ王オイディプスの娘アンティゴネを題材にソフォクレスが悲劇を書いたことさえ知らないのだ。

「化学製品が時間の経過とともに物理的、化学的変化を受けて変質するのを防ぐために添加する物質を安定剤あんていざいと呼ぶんですよ」

マハトマ・ガンディーが得意の知識を披瀝した。

「君はつくづく科学に詳しいな」
「えへへ。でもね、さっきも言いましたけど、いまは哲学のほうに心が傾いてるんだなあ。古代ギリシアに生まれてたらソクラテスの門人アンティステネスに弟子入りして禁欲主義を学びたかった」
「勉強好きなんだね」
「哲学はあらゆる学問の基礎だと思うんです。哲学をマスターすればインフレや国際収支の悪化を避けながらできるかぎり高い経済成長を達成する安定成長あんていせいちようの理論も簡単に理解できるはずです」
「一理ある」

アンジローが感心して言った。

「哲学がわかれば安定操作あんていそうさもたやすく理解できそうだ」

筒井はなんの話だかわからずキョトンとした。アンジローは憐れむような微笑を浮かべて説明した。

「公社債や株券などの有価証券の相場を安定させるために有価証券市場において一連の売買取引を行ない、またはその委託や受託をすることです」
「なるほど、さっぱりわからん」
安定同位体あんていどういたいの研究にも哲学は役立ちます」

ガンディーが興奮して話を続けた。

「自発的には放射線を放出せず、他の核種に変化することのない同位体。物理学の用語ですが、物理学だってもともとは哲学から生まれた」
「安定同位体はアンティル諸島しよとうアンデス山脈に豊富だよね」

アンジローが話の輪を広げた。筒井は会話に加わりたい一心で適当なことを口走った。

「安定同位体はアンテナに塗ると電波をよく受信できるんだよね!」
「……」
「……」

しまった。墓穴を掘ってしまった。筒井は何事も口にしなかったかのように口笛を吹いてごまかし商店街を眺めた。仙台藩のアンテナショップがあり、店主が消費者の動向を見逃すまいと往来の人を観察してアンテナをっている。画家のアンソールが店主の似顔絵を描き始めた。

「あんなオヤジの絵なんか描いてどうするの?」

筒井が訊ねた。

アンデパンダンに出品するんです」
「え?」
「パリの独立美術家協会」
「へえ」
「中世イタリア、ロマネスク時代の彫刻家アンテラミも作品を出すそうで、わたしもうかうかしてはいられません」
「芸術家もいろいろ大変なんだね」
「気楽な商売でいいね、なんて世間の人は言いますけど、なかなかどうして。デンマークの詩人で作家のアンデルセンも長篇小説『即興詩人』や短篇集『絵のない絵本』以外に『親指姫』や『人魚姫』などの童話を百五十篇以上、血の滲むような努力をして書きました。『征服者ペレ』や『人の子ディッテ』で知られるデンマークの小説家アンデルセン・ネクセも額に汗して社会主義の勉強をしました。頑張って作品を出版しても収入はたるもので、アフリカの草原に棲むウシ科の哺乳類アンテロープ、つまり羚羊れいようを観察しに行きたくても先立つものがなかった」
「作家の苦労はよくわかるよ。俺も小説家のはしくれだ」
「あなたも小説家でしたか。売れ行きは?」
「鳴かず飛ばずさ。景気は暗転あんてんするばかりだ」
安堵あんどしました。売れないのはわたしだけかと思って」
「江戸以外の土地には興味ないの?」
安東あんとうに行ってみたい」
「どこ?」
「中国遼寧省りようねいしよう丹東たんとうです。我が家のアトリエには案頭あんとうに、つまり机の上に中国を想像して描いたスケッチがたくさんあります」
「金がないならスケッチを売ればいいじゃないか」
暗投あんとうするのは嫌です」
「え?」
「貴重なものをふさわしくない方法で人に贈ること。かえって混乱をおこし恨みを招きます。だからといって商売敵とひそかにかげ暗闘あんとうする、争うのもわたしの主義には合わない」
「誰かパトロンがいてくれたらいいのにね」
安東あんどうさんという知り合いが一枚買ってくれました。もうひとり、安藤あんどうさんという人は二枚」
「画廊のオーナー?」
「いいえ、二人とも行灯あんどうを作る職人です。職人なのにお寺の行堂あんどうに住んでるんですよ。いつかベルギーに行ってみたい、アントウェルペンに、アントワープに行きたいそうです」
「奇遇だなあ。俺はついこのあいだまでアントワープにいたんだ」

2017年1月12日


広辞苑小説『言葉におぼれて』 第二百四十四回

筒井は吉田松陰たちが天国で安泰あんたいに暮らせるよう祈った。死刑囚だからアンタイドローンすなわち使途が指定されていない借款があったら棒引きにしてやるべきだ。安陀会あんだえを着た僧侶が一行を見送りつつ念仏を唱えた。女の子が三四人、あんたがたどこさの手毬唄を歌って遊んでいる。

「きれいな毬だね」

筒井が声をかけた。

アンタキアの毬だよ」
「アンタキア?」
「トルコ南部の都市」

江戸の町には世界各地の文物があるのだな。感心すると浅黒い肌をした異人の男がやって来て「安宅正路あんたくせいろが大切ですよ」と筒井に言った。

「え?」
「孟子の言葉です。仁は人の身をおくべき地、故に安宅。義は人のむべき道、故に正路。つまり仁と義です」
「あなたは……?」
アンタッチャブルです」
「ブライアン・デ・パルマ監督の映画?」
「違いますよ。インドの不可触民です」

筒井とアンジローは顔を見合わせた。

「どうして江戸へ?」

アンジローが訊ねた。

「インドでは出世の糸口が見つからないのでマダガスカル共和国の首都アンタナナリヴォに逃げたんです。するとインドのベンガル湾東部に南北に連なるアンダマン諸島から追っ手が来て、『あんだら、あほんだら』と叫んで石をぶつけられました。しかたがないのでスペイン南部のアンダルシアに逃げました。もう地球には居場所がない。いっそ蠍座の首星アンタレスに移住しようかと思いましたが、宇宙船はないし、あったとしても惑星ではなく赤色巨星なので住めません。暗澹あんたんたる気持ちでいるとモデラートとアダージョの中間のアンダンテ、いや、もう少し速いアンダンティーノのテンポで政府高官が現れて、江戸に行かないか、アンタントすなわち協商を結んだから行くならいまのうちだぞと言うのです。江戸にはインド由来の仏像がたくさん安置あんちされているとも聞きました」
「ではスペインからはるばる日本に?」
「ここだけの話、本当は来たくなかったんです。日本人は嫌いで。アンチでした」
「どうして嫌いなの?」
「島国のくせに威張るからだ! 怪しからん! ――とは思ったものの……」

男はアンチクライマックスの修辞法で強い口調を次第に弱めて話を続けた。

「日本はインドよりも科学が進んでいると聞いて俄然興味が湧きました。アンチコドンの研究をしたいのです」
「アンチコドン?」

筒井が訊ねた。

「「ご存じありませんか? コドンに相補的な塩基三つの連なりです。リボソーム上に結合したメッセンジャーRNAのコドンに、それに対応するアンチコドンを持つ転移RNAが結合し、ここでメッセンジャーRNA上の遺伝暗号は転移RNAに対応するアミノ酸の配列に対応づけられるのです」

筒井はめまいを覚えた。なんの話だかさっぱりわからん。

「それに日本はアンチセミティズムがないし」
「え?」
「ヨーロッパ諸国に興ったユダヤ人差別運動。反ユダヤ主義です」
「君はユダヤ人なのか」
「祖父がユダヤ人です」

男はアンチック体で書いた名刺を筒井に手渡した。肩書は「ユダヤ系科学者」、名前は「マハトマ・ガンディー」だった。

「マハトマ・ガンジー! あの有名な……!」
「いいえ、同姓同名です。インド独立の父ガンディーは科学に疎かった。ガンディーを超える存在になれと、アンチテーゼのつもりで父が名づけたのだと思います」
「科学か。俺は根っからの文系だから理系の話はさっぱりだ」
「文系も理系も大して変わりませんよ。扱う対象が異なるだけです。アンチノックざいはご存じでしょう」
「ガソリンに添加してアンチノック性を向上させる薬剤」

アンジローが話に横入りした。

「内燃機関のシリンダー内でノッキングを生じにくいガソリンのアンチノックせいはオクタン価で表すんだよね」
「その通り。あなたとは気が合いそうだ」
「おい、アンジロー。なんでガソリンなんかに詳しいんだ?」

筒井が驚いて訊ねた。

「日本初のキリシタンを見損なってもらっちゃ困る」
「お見それしました」

しかしガソリンに詳しいキリシタンとインド人が江戸の町で顔を合わせるなんてアンチノミー、二律背反ではないだろうか。筒井は不審な面持ちでインド人を見つめた。

「わたしは祖国に帰ればさしずめアンチヒーロー、日向を歩けない身の上です」
「不可触民って大変なんだなあ」
「でも江戸に来たからには科学の研究打ちこみますよ。アンチピリンの製造法を改善するつもりです」
「フェニルジメチルピラゾロンの薬品名だね。白色無臭で苦味がある柱状の結晶または粉末。解熱剤や鎮痛剤として使う」

アンジローが即答した。

「さすがアンジローさん。ではアンチモニーの元素記号は?」
「Sb。原子番号は51。別名アンチモン
「話が通じて嬉しいなあ」

吉田松陰たちは無事牢獄に安着あんちやくしたらしいぞと沿道の人々が口々に言い交わした。

「ねえあんちゃん――あ、親しみをこめて兄ちゃんと呼んでもいいですか」

ガンディーがアンジローに訊ねた。

「いいとも!」

アンジローはフジテレビの「森田一義アワー わらっていいとも!」の観客のように元気に答えた。

「僕には悩みがあるんだ。インド人だから江戸ではよそ者扱いされる。暗中あんちゆうにひとりきりになったみたいな気分なんだ」
「へこたれるな。暗中飛躍あんちゆうひやくしろ」
「したい気持ちは山々で暗中模索あんちゆうもさくするけれど、氏素性ばかりはどうしようもない。江戸の人は表面上は人当たりがいいよ。でも外面には現れない世間の暗潮あんちようが僕を苦しめるんだ」
安直あんちよくな解決法はないよ。人生はあんちょこですらすら試験問題を解くようなわけにはいかない」

アンチョビーいらんかねえと物売りの女が通りかかった。アンジローはカタクチイワシを加工して油漬けにしたのを三尾つ買い三人で分けて食べた。筒井は自分がアンチロマンの語り手になったような奇妙な気分に襲われた。

2017年1月11日


広辞苑小説『言葉におぼれて』 第二百四十三回

「聖歌隊が来ましたよ」

アンジローが行列のうしろを指さした。ウイーン少年合唱団のような少年たちが英国国教会礼拝式に歌う英語の合唱曲アンセムを歌いながらゆっくり歩き、先頭に恰幅のいい司教がいる。

アンセルムスだ」
「え?」
「スコラ哲学初期の代表者。イタリアに生まれてベック修道院で活動し、後にカンタベリー大司教になった人です。神の存在の証明を試みて有名になった」

アンセルムスは奇妙な風体をした筒井をちらりと見た。太陽の光が物質に吸収されてスペクトル中に現れる黒い暗線あんせんのような輝きが眼に浮かんだ。

「アンセルムスさん、何をしてるんですか」

アンジローが訊ねた。

「吉田松陰たちの魂が安全あんぜんにあの世に旅立ち、あの世で晏然あんぜんに暮らせるよう祈っているのだ」

アンセルムスは暗然あんぜんたる面持ちで安全剃刀あんぜんかみそりで顎髭を剃りながら答えた。商店の店員たちが安全硝子あんぜんがらすの窓越しに行列を眺めつつ、過度の電流が流れると自動的に回路を切断する安全器あんぜんきのヒューズが正しく作動するかどうか確かめた。沿道は人だかりができ、ちょこまかと走り回る子どもたちに「こら! 危ない! 道を渡るときは左右の安全を確かめろ」と侍が安全教育あんぜんきよういくをした。作業時に足を保護するため爪先に金属を入れて補強した安全靴あんぜんぐつを穿いた鳶職の男が安全係数あんぜんけいすうすなわち木材の極限強さと許容応力との比を計算し、「よし、大丈夫だ」と合格の安全圏あんぜんけんに入ったのを確認して建設中の家屋に入り、暗室内で感光材料に悪影響を及ぼすことなくそれを容易に取り扱えるように使用する安全光あんぜんこうの土台を設置した。隣の家では地盤沈下を防ぐために掘らずに柱状に残しておいた安全鉱柱あんぜんこうちゆうからひそかに盗んだらしい石炭を男がせっせと納屋に運び、赤い安全色彩あんぜんしきさいを塗った消火栓にぶつかって転んだ。消火栓には「安全週間あんぜんしゆうかん」と書いた札が貼ってある。さらに隣の家では男が火縄銃の安全装置あんぜんそうちを外して導火線に火をつけ、道路の安全地帯あんぜんちたいにさしかかった行列に狙いを定めたが火はすぐに消えた。鉱山や炭坑でメタンガスに引火しないよう燃焼室の周囲に金網を張った安全灯あんぜんとうが煙を探知して明滅し、岡っ引きが二人駆けつけて男を取り押さえた。

「湿ってるぜ、この導火線」
「なんだ、必殺仕事人かと思ったが取り越し苦労だったな。毒にも薬にもならぬやつ、安全牌あんぜんぱいだ」

岡っ引きが家宅捜索を行なうと倉庫に安全爆薬あんぜんばくやくが大量に見つかった。さらに安全あんぜんピンの山と、ボイラー内の圧力が規定以上になると自動的に弁が開いて蒸気を放出し蒸気圧力を規定以下に保つように工夫された安全弁あんぜんべん、作業中の頭部を保護する安全帽あんぜんぽうが出てきた。

「やっぱり必殺仕事人だ」
「こんな野郎をのさばらせておけばと江戸八百八町の安全保障あんぜんほしように関わる」
「幕府の安全保障会議あんぜんほしようかいぎに連絡しよう」
安全保障条約あんぜんほしようじようやくが締結されたばかりだからちょうどいい」
安全保障理事会あんぜんほしようりじかいにも報告しよう」

岡っ引きたちは安全あんぜんマッチを踏んづけて男をしょっぴいた。鳶職の男は安全率あんぜんりつすなわち木材の極限強さと許容応力の比を算出しながら三人を見送った。行列の暗騒音あんそうおんが耳に響いた。

アンセルムスが立ち去るのと入れ替わりに白人の男が来て道端にすわり、絵を描き始めた。

「あなたは……?」

筒井が声をかけた。

アンソール。ベルギー生まれの画家です」

アンソールは吉田松陰たちが安息あんそくを得られるよう祈りつつ絵筆をふるった。筒井が画布を覗くと設計図のような幾何学模様が描いてある。

「なんの絵?」
安息角あんそくかくですよ」
「あんそくかく?」
「石炭や石炭灰、土壌などを積んだ斜面が崩れ落ちずに安定する最大角です」

アンソールの衣服から安息香あんそくこうの芳しい香りが漂った。

「吉田松陰となんの関係が……?」
「魂がこの角度を保たないと天国に行けないのです」

アンソールは筆を置いた。

「もう描かないの?」
「ええ。今日が安息日あんそくにちであるのを忘れてました」

アンソールは安息香あんそつこうの香りを漂わせて答えた。

「いい匂いですね」
「お気に召しましたか。安息香は便利ですよ。静かに熱すると安息香酸あんそつこうさんを生じます。白い針状の結晶で、防腐剤として使えるんです」

画家はそぼろ風に加工したあんそぼろを頬張りながら言った。

「江戸の絵を描いたらこれまでの作品を全部まとめたアンソロジーを出版するつもりです」
あんたと知り合えて光栄だよ」

筒井は握手した。行列はさらに続き、長方形の板を台にして竹で編んだ縁をつけ竹で吊るした箯輿あんだに乗せられた罪人たちが次々に運ばれた。哀れなやつらだ――筒井は気の毒に思った。罪人も人の子、連中は人生という野球場で安打あんだを打ち損ねただけだ。かわいそうに、すっかり影が薄くなって、写真を撮っても露出がアンダーで輪郭さえはっきりしないだろう。罪人たちのアンダーウェアは血と汗と涙にまみれてぐずぐずだ。アンダーグラウンドすなわち地下運動で犯罪を行なったから投獄されるのはしかたがない。でもアンダーシャツくらい着替えさせてやってもいいじゃないか。こいつらは人生という野球の試合でエースのピッチャーになりたかったのだ。アンダースローで変化球を投げ、打者をきりきり舞いさせたかった。代表作『オハイオ州ワインズバーグ』で有名なアメリカの小説家アンダーソンが見たらきっと口語体を用いて心理主義風に描写しただろう。陽電子とμミュー粒子を発見してノーベル賞を受賞したアメリカの原子物理学者アンダーソンがこの光景を見れば涙を流し、ランダム系における電子の高圧状態の研究で有名なアメリカの物理学者アンダーソンにありのままを語るだろう。『想像の共同体』を執筆したイギリス出身のアメリカの政治学者ベネディクト・アンダーソンは続篇を書くだろう。北京原人を発見したスウェーデンの考古学者アンダーソンは研究が手につかないだろう。アンダーパーで回ったゴルファーは次のコースで打ち損ねるだろう。アンダーバストとトップバストの寸法を測る服飾デザイナーは巻き尺を手から落とすだろう。株式や公社債などの証券の売買業務や保険の引受けをするアンダーライターは仕事でミスを連発するだろう。試験勉強をする学生は教科書のどうでもいい記述にアンダーラインを引いて落第するだろう。ゴルフ場のアンダーリペアすなわち修理地は雑草がぼうぼうと生えて手がつけられないだろう。

2017年1月10日


広辞苑小説『言葉におぼれて』 第二百四十二回

アンジローは筒井の手を握り、磁石の針によって船の航路を定める水先案内の按針あんじんのように洞窟の片隅に導いた。壁の一部が黒く分厚いカーテンで覆われ、カーテンをくぐると管理室のような明るい小部屋があり、小さなテーブルに男がひとり、マイクに向かって「わしは死神だ」としゃべっている。連載第二百四回に登場した天邪鬼だった。

「声の主はおまえだったのか」

筒井が驚いて言った。

「映画『オズの魔法使』と同じトリックを使いやがって。なんで悪戯するんだ」
「だって、誰もおいらを構ってくれないんだもん」

天邪鬼は悪戯をすれば誰もが相手をしてくれるはずだという安心決定あんじんけつじようの持ち主だった。どすん、ずしんと物凄い音がして管理室が大きく縦に揺れた。筒井とアンジローは立っているのもやっとだった。

「お詫びにこれをやるから赦して」

天邪鬼は液体が入ったガラスの小瓶を筒井に渡した。

「なんだ」
「気つけ薬」

筒井は洞窟に戻り、床に寝そべったままの佐和子に気つけ薬を嗅がせた。佐和子はたちまち息を吹き返した。ほっとしたのも束の間、天井が崩落し洞窟の半分が崩れた。

「こっちだ」

アンジローが叫んだ。筒井と佐和子は管理室に入り、アンジローと一緒に裏口から繁華街に出た。空から恐竜の足が降ってきて自動車をぺしゃんこに踏みつぶした。三人は港に走り、セスナ機に乗った。

「どこでもいいから急げ!」

佐和子はエンジンをかけて操縦桿を握りアントワープを離陸し、横須賀市西逸見にしへみ町にある三浦按針の墓、安針塚あんじんづかの前に着陸した。

「一度来てみたいと思ってた」

セスナ機を降りたアンジローは両手を合わせて墓を拝んだ。日本人初のキリシタンであるアンジローは日本に初めて来たイギリス人であるウィリアム・アダムズ、通称三浦按針の身の上に自分を重ね合わせて安心立命あんしんりつめいを、安心立命あんじんりゆうめいを得た。

「ところで、ここは日本のどこ?」
「横須賀市でありんす。神奈川県であんす

かつて吉原に身を沈めたことがある佐和子が花魁の口調で答えた。墓地にはバラ科サクラ属の落葉高木杏子あんずの並木が亭々と聳え、古代琉球王国の豪族である按司あんずの墓に樹影を投げかけ、平安時代の寺院で働いた下役すなわち案主あんずの墓に枯葉がはらはらと落ちた。枝には杏子梅あんずうめの実がたわわにみのり、地面には杏茸あんずたけがびっしりと生え、サトイモ科の熱帯植物アンスリウムの毒々しい赤い花が咲き誇っている。筒井は心中ひそかに按ずる疑問をアンジローにぶつけた。

「君はどうして俺が洞窟にいるのを知ったんだ」
「『言葉におぼれて』という小説を読んだんです。ネットで公開されてるんですよ。筒井康隆というあなたそっくりの人が主人公で、アントワープの洞窟で死神にいじめられているところまで読んで、いてもたってもいられなくなって」
「ほらね。わたしが言った通りでしょ」

佐和子が口を挟んだ。俺が登場する小説を大勢の人がネットで読んでいるのか。筒井は気味が悪くなった。おのれの行く末をあんずる筒井を佐和子とアンジローが見守った。。あんずるに俺は小説の登場人物であるらしい。ならばその小説を読めば俺の運命がわかるはずだ。あんずるよりむがやす。ネットで読もう。しかしスマートフォンは冒険の途中で紛失してしまった。

「スマホ持ってないか」

筒井が佐和子とアンジローに訊ねた。二人は首を横に振った。

「インターネットカフェか漫画喫茶を探そう。急げ」

三人はセスナ機に乗って飛び立ち、上空から大きな町を探した。

「あそこがいい。降りろ」

佐和子は大都市の広場に飛行機を着陸させた。家屋はすべて木造で、ちょんまげを結った侍や町民が行き交い、どう見ても現代ではない。

「あの……ここはどこですか」

飛行機から降りた筒井は町民に訊ねた。

「どこって……江戸だよ」
「時代はいつですか」
「てめえ寝ぼけてるのか。安政六年だ」

町民は吐き捨てるように答えてそそくさと立ち去った。

「なんだか、めまいがする……」

佐和子が苦しげに胸をおさえた。

「病み上がりだから安静あんせいにしたほうがいいぞ。中で休め」

佐和子はセスナ機に戻り運転席にぐったりと身をゆだねて眼を閉じた。筒井とアンジローは江戸の町を歩いた。大きな商家の主が店先で大判小判を勘定している。

「何をしてるんですか」

筒井が声をかけた。

「銭勘定だ。見てわからんのか」
「そんなお金、見るのは初めてなもので」
「三年前に幕府が発行した安政金銀あんせいきんぎんだよ」

筒井は改めて町内を見渡した。商家の大半が崩れて傾き、道路のところどころに亀裂がある。

「地震でもあったんですか」

筒井が訊ねた。

「五年前に安政地震あんせいじしんがあったじぇねえか。寝言をほざくのもいい加減にしろ」
「お宅はずいぶん立派な大店おおだなですね」
「ご先祖様が安西四鎮あんせいしちんの出身だ」
「あんせいしちん?」
「中国の唐代に安西都護府のもとに置かれた亀茲きじ于闐うてん疏勒そろく焉耆えんきの四都督府だ」

筒井は佐和子の安静度あんせいどが気がかりだったが、そばにいるとかえって落ちつかないだろうと、思い煩うのをやめた。店の主人は陳列台にガラス細工を並べ、「和蘭陀オランダ産」と書いた札を貼った。

「オランダの品物を売ってるんですか」
「ああ。安政あんせい仮条約かりじようやくのおかげさ」
「え?」
「てめえはどこの田舎者だ。去年幕府が勅許を待たずにアメリカとオランダ、ロシア、イギリス、フランスの五ヶ国とのあいだに仮の通商条約を結んだだろ。箱館と神奈川、長崎、新潟、兵庫の開港を決めた」
「筒井さん、あれは吉田松陰じゃない?」

アンジローが通りの向こうを指さした。筒井が振り返ってみると吉田松陰、梅田雲浜、頼三樹三郎、橋本左内など大勢の尊王攘夷派人士が足枷あしかせを嵌められて獄舎に向かいぞろぞろと行進している。

「きっと安政あんせい大獄たいごくですよ」

アンジローが囁いた。安政の大獄といえば大老井伊直弼が反対派に下した弾圧事件だ。歴史の授業で習ったが、まさか現場に立ち合うとは。吉田松陰の足首から血が流れ、くるぶしから下が暗赤色あんせきしよくに染まった。

2017年1月9日


広辞苑小説『言葉におぼれて』 第二百四十一回

死神は一気にまくし立てた。

「春秋時代、斉の大夫だった晏子あんしは死神に政治のいろはを学び、なんの心配もあんもなく辣腕をふるって賢人宰相の異名をとった。中世末期に日本に渡来した中国船や西洋船の航海士である行師あんじは死神に教わって天体を観測し船の航海をつかさどった。琉球王国の按司あんじすなわち豪族は死神の暗示あんじを受けてカトリックに帰依して聖母マリアにアンジェラスの祈禱を捧げ、フラ・アンジェリコが描いた『受胎告知』の絵を拝んだ。俳諧で付句を考えるあんかたを芭蕉に教えたのは死神だ。アンシクロペディストすなわち百科全書家があんごとに心を迷わされずに学問に打ちこめるのも死神がいるからだ。念のため言い添えておくが、あれこれ心配しながらあんするのも死神の仕業だ。安死術あんしじゆつ、つまり安楽死の方法を人間に教えたのはもちろん死神だ。さっき申した晏子の言行録『晏子春秋あんししゆんじゆう』の表紙が黒ずんで暗紫色あんししよくになったのは死神が撫で回したからだ。赤外線やマイクロ波を利用して動物の生体をを暗闇で監察する暗視装置あんしそうちは死神が発明した。僧侶が住む庵室あんじち庵室あんしつとも言うが、必ず死神がひとり住んでいる。暗室あんしつに光が入らないのは死神が暗闇を支配するからだ。弁証法の基本概念アンジッヒをヘーゲルに教えたのは死神だ。暗室あんしつランプを発明したのは誰だと思う?」
「死神です」

筒井は暗示あんじにかけられたように答えた。

「その通りだ。他人の権威によりかかって得意になることを晏子あんしぎよと言うが、死神は誰にも頼らない。七五五年から七六三年にかけて唐の玄宗の末年に起きた安禄山父子と史思明父子の反乱安史あんしらんは死神が原因だ。心配事が去らず思案に暮れてあんじふくれる人は死神に取り憑かれている。あんぶみ、つまり原稿の下書きがうまく書けないのは死神が意地悪するからだ。安座して乗れるように作った古代中国の安車あんしやはもともと死神のアイデアだ。スクリューやプロペラを我ら死神は暗車あんしやと呼ぶ。我々を殺そうとしてピストルを盲滅法暗射あんしやしても無駄だ。禅宗の寺院でさまざまな用務に従事する行者あんじやに頼んでもやつらは暗弱あんじやくだから諦めろ。我々の姿は誰の目にも見えない。ふつうの顕微鏡では見えない小さな物体を反射光線を利用して見る暗視野顕微鏡あんしやけんびきようを使えば暗赭色あんしやしよくに輝くのではないかと思ったら大間違いだ。そんな暇があったら暗射地図あんしやちずすなわち地名を記入していない学習用の白地図で地理の勉強をしろ。地理だけでは駄目だぞ。歴史を学べ。カーネーションは江戸時代にオランダから輸入した当時はアンジャベルと呼んだのだ。一七八九年のフランス革命前の絶対君主政とそれに対応する封建的な社会体制をアンシャンレジームと言うが、直訳すれば旧体制だ。――おまえは按手あんしゆしたことがあるか」
「あんしゅ?」
「キリスト教で人の頭の上に手を置いて祝福やカリスマの伝達と授与を神に乞う振舞いだ」
「ありません」
「結構。あれはなんの効果もない。庵主あんしゆすなわち尼さんが暗主あんしゆすなわち愚かな君主に命じられて、寺院や公私諸機関で文書や記録をつかさどる下役の案主あんじゆを買収しようとしてもそうは問屋が卸さない。死神が必ず阻止する。だから庵主あんじゆは骨折り損のくたびれもうけさ。――ここまでの話はわかったか」
「はい」
「では諳誦あんじゆしてみろ」
「え?」
「わしの話を最初から繰り返せ」
「無理です。話が長すぎて……」

筒井は暗愁あんしゆうを帯びた口調で答えた。

「おまえには安住あんじゆうの地はない。庵を結んで庵住あんじゆうしたいか?」
「できれば」
「残念だな。おまえは安重根あんじゆうこんと同じ運命をたどるのだ」
「誰?」
「朝鮮の独立運動家だ。一九〇九年前韓国統監の伊藤博文をハルビンで殺害して死刑になった」
「なんで俺が死刑に?」
「それが定めだからだ。それとも命が助かる方法が思いつくというのか」

筒井はなんの方法も案出あんしゆつできなかった。

「おまえは『山椒大夫』の安寿姫あんじゆひめのように拷問を受けて死ぬのだ」
「いやだ」
「キリスト教で聖職を任命する儀式按手礼あんしゆれいをやっても無駄だ。おまえの人生はゴルフ場のアンジュレーションのように起伏が激しい。罪を犯したところが盛り上がっている。安重根アンジユングンの二の舞を演じたな」

筒井の眼が暗闇に慣れて暗順応あんじゆんのうし、洞穴の様子がぼんやり見えるようになった。佐和子は地面に横たわったまま晏如あんじよとして寝息を立てている。死神は声はすれど姿は見えない。

「その女は暗女あんじよか」

死神が訊ねた。

「あんじょ?」
「売春婦か」
「いいや」
「ではアンジョか」
「え?」
「キリシタン用語で天使だ」
「違う。人間だ。有吉佐和子。小説家だ」
「本人であることを暗証あんしようしろ」

困った。有吉佐和子の小説『恍惚の人』なら暗誦あんしようできるが、小説の本文をすらすら諳じたてもこの女が有吉佐和子本人である証明にはならない。眼の前に当人がいるのに。まるで海中に隠れて見えない暗礁あんしようのようだ。

「佐和子は……愛知県中部の安城あんじよう市生まれで……」
「和歌山ではなかったか」
「……そうでした。勘違いしました。和歌山です。で、馬にまたがって鞍上あんじようから『おとん、おかん、うちは作家になるわ。いまのうちあんじょうせんと後に具合が悪うなるさかい気ぃつけや』と両親に告げて東京に……」

筒井は口から出任せを言ったが先が続かず暗礁あんしようげた

「それからどうした?」
「えーと、えーと……」
「さては案上官幣あんじようのかんぺいをするつもりだな」
「え?」
「神祇官が大社の祈年祭や新嘗祭などに幣帛にきてを案の上に置いて神を祭ることだ。足掻いても無駄だぞ。おまえのようなやつを暗証あんしよう禅師ぜんじと言うのだ」
「は?」
「坐禅の工夫にばかり打ちこんで教理にうとい坊主さ。――キャッシュカードの暗証番号あんしようばんごうでもいいぞ」
「知らない……」
「馬に乗って東京に行ったとか言ったな」
「馬に乗るのが上手で、鞍上人無あんじようひとな鞍下馬無あんかうまな……」
「嘘をつくのもいい加減にしろ。有吉佐和子は馬に乗ったことなどない。おまえのねじ曲がった性根を叩き直してやる。眼を閉じろ」

筒井は素直に従った。

「何が見える?」
「何も……」
暗色あんしよくの中にぼんやりと布が見えないか」
「ああ……」
鞍褥あんじよくだ。馬の鞍の下に敷くふとんだ」
「……見える……」

筒井は暗示療法あんじりようほうにかかった患者のように呟いた。すると何者かが体をまさぐってあんた。筒井は咄嗟に身をよじった。

あんじるには及ばない。俺はアンジローだ」
「アンジロー? まさか日本最初のキリシタンの……?」
「そうだ。安心あんしんしろ。助けてやる」

2017年1月8日


広辞苑小説『言葉におぼれて』 第二百四十回

「♀☆〆※◇」

男は特定の人にしかわからない暗語あんごを呟いた。
「なんだ。なんて言ったんだ」
安居院あんごいんに伝わる呪文さ」
「あんごいん?」
「もとは飛鳥寺、奈良県高市郡明日香村にあった寺だ。五九六年、国家安康あんこうを祈願して蘇我馬子が創建した日本最初の本格的寺院さ。いまは飛鳥大仏を本尊とする真言宗の安居院がある。こんなことも知らないとは、暗向あんこうめ」
「あんこう?」
「愚か者だ」

どこからともなく芳しい花の暗香あんこうが漂ってきた。地面の下をさらさらと水が流れる音がするのは暗溝あんこうだろうか。魚がぴちぴち跳ねる音も聞こえる。鮟鱇あんこう、つまり山椒魚かもしれない。

「あなたは何者だ」

筒井は声の主に訊ねた。

「名前はない。庵号あんごうならあるが」
「あんごう?」
「『庵』で終わる雅号だよ。ほら、あるだろ、上杉謙信の不識庵ふしきあんとか幸田露伴の蝸牛庵かぎゆうあん、遠藤周作の狐狸庵こりあんとか」
「ああ、あれね」
「何が『ああ、あれね』だ。知らないくせに」
「庵号を教えてくれ」
「あじゃらかもくれん庵だ」
「あじゃらかもくれん? 落語の『死神』で聞いたことがある気がするが……」
暗号あんごうさ」
「意味は?」
「教えない」
暗号解読あんごうかいどくしてやる」
「おまえは呆れ果てた愚か者だな」
「なんで?」
「『暗号解読』は哲学用語だ。人間が病気や罪、死などに直面しておのれの限界を知るときは超越者が暗号を送っているのであり、それを解読しうるか否かに人間の解放がかかっているのだ。ヤスパースの用語だ」

筒井は鮟鱇形あんこうがたすなわち口を大きく開けた竹製の花入れのように口をあんぐりと開けた。まさか死神から哲学の講義を聞かされるとは。驚いて血の気が引き、顔が暗紅色あんこうしよくになったが真っ暗闇なので誰の目にも見えなかった。

「死神さん……名前がわからないから勝手に死神と呼ばせてもらうが……」
「あじゃらかもくれん庵だ」
「長ったらしいよ。舌を噛みそうだ」
「勝手にしろ」
「死神さんはいつからこの洞穴に?」
「五世紀半ば。安康天皇あんこうてんのうに命じられてここを管理している」

鍋料理だろうか、ぐつぐつと煮える音が聞こえ、出し汁の香りが漂った。

「何してるの」
鮟鱇鍋あんこうなべだよ。食うか」

筒井は鮟鱇あんこう餌待えま、口を開いて茫然とした。地獄の入口で死神が鍋料理に舌鼓を打つとは。

「馬鹿みたいに口を開けるな。まさに鮟鱇あんこうせたような人だぞ」
「だって……」
「だっても糞もない。わしは馬鹿が大嫌いだ。鮟鱇あんこうつるにしてやろうか」
「どういうこと?」
かぎ下顎したあごを貫いて吊るし、胃に水を満たして身に張りをもたせ、まず外皮を剝ぎ、破れないように肝と内臓をとって肉を切り取るのさ」
「またまたご冗談を。恐がらせようと思って、口では強がりを言ってるけど内心は小心者の鮟鱇武者あんこうむしやなんでしょ」
「黙れ!」

死神が声を荒げた。

「わしはいまでこそ死神だが、むかしは世界を股にかけて活躍したテノール歌手だった。カンボジアのアンコール王朝の遺跡、アンコール・トムとアンコール・ワットでリサイタルを開いたんだぞ」

死神はヴェルディの歌劇『オテロ』のアリア「オテロの死」を歌った。神に祝福された声と称されたパバロッティも真っ青の歌声だった。

「ブラボー! アンコール、アンコール!」

筒井は思わず拍手した。

「歌手としてじゅうぶんやっていけるよ。死神なんかやめろよ」
「光には影、表には裏があるように、生には死がある。死神がいてこそ国家は安国あんこくを保てるのだ。わしには暗黒あんこくの世界を司る役目がある。人間どもは知らぬようだが、死神がいてこそ人々は安穏として暮らしてゆけるのだ。徳川家康が安国院あんこくいんを名乗ったのも死神のおかげだ。わかりやすく言えば、わしは暗黒街あんこくがいのボスだ。ヤクザやマフィアは社会の必要悪だろ。死神も同じさ。足利尊氏と直義の兄弟が建立した臨済宗の寺安国寺あんこくじもご本尊は死神だ。安土桃山時代の臨済宗の僧侶安国寺恵瓊あんこくじえけいも死神に魂を売った。無知な輩は死神と聞けばやれこの世の末だ、やれ暗黒時代あんこくじだいだと抜かすが、見当違いも甚しい。この世は暗黒が支えているのだ。宇宙を見ろ。天の川を背後で支えているのは暗黒星雲あんこくせいうんだ。かつてアフリカを暗黒大陸あんこくたいりくと呼んだのも故なきことではない。暗黒星雲で思い出したが、宇宙を支えているのは暗黒物質あんこくぶつしつ、通称ダーク・マターだ。銀河内や銀河間に大量に存在してはいるが、光を発しないからその正体は不明な物質だ。映画『スター・ウォーズ』でもアナキン・スカイウォーカーは暗黒面あんこくめん、ダークサイドに落ちてダース・ベイダーになった。一切は闇、一切は死なのだ」

死神は小豆餡あずきあんを小さな団子にして寒天で包んだあんだまを舐めながら言った。

「アフリカ南西部の大西洋岸にあるアンゴラ共和国が一九七五年にポルトガルから独立を果たしたのも死神が裏で糸を引いたからだ。トルコ共和国の首都がむかしはアンゴラと呼ばれていたのをアンカラと正したのも、アンゴラあさぎアンゴラもうが長くて暖かいのも、アンゴラ山羊やぎが洋服の生地に最適なのも、あんころ、つまりあんころもちがうまいのも、すべて死神のおかげだ」

死神は暗闇の中で安座あんざし、「わかったか」と筒井に訊ねたが、筒井のアンサーを待たずに話を続けた。

「江戸中期の儒学者山崎闇斎あんさいとその学説を信じる闇斎学派あんさいがくはは朱子学を隠れ蓑にして死神を信仰した。天皇陛下が行幸なさる際に仮の住まいにする行在所あんざいしよの屋台骨を支えているのは死神だ。嘘だと思ったら伊勢貞丈の安斎随筆あんざいずいひつを読んでみろ。ちゃんと書いてある。蚕卵の胚を暗所で発育させる暗催青あんさいせいの方法を編み出したのも死神であり、漢文訓読法の闇斎点あんさいてんを考案したのも死神だ。登山者がお互いにザイルで体を結び合わせるアンザイレンは死神が下から支えている。一九五一年九月、対日講和条約と同時にオーストラリアとニュージーランドとアメリカのあいだで締結された相互防衛条約ANZUSアンザスが締結されたのは死神の手引きがあったからだ。我ら死神は政治のことも詳しく按察あんさつしているのだぞ。ケネディが暗殺されたのは死神に祟られたからだ。イスラム教徒のアサッシン派、通称暗殺教団あんさつきようだんはもちろん死神を崇める。唐の時代に創設された按察使あんさつしは死神に導かれて地方の民政や司法を監察した。母親が無事に安産あんざんできるのも死神が見守るからだ。死神は暗算あんざんが得意だ。中国遼寧省南部の工業都市鞍山あんざんの人口を教えてやろうか。ちょっと待て。あれを足してこれを足して……一五五万六千人だ。火山岩の一種、安山岩あんざんがんが土木や建築に利用されるのは死神が斜長石や黒雲母を含ませたからだ。アラビアやシリア、エジプトなどの熱帯乾燥地にアブラナ科の低木状一年草安産樹あんざんじゆが育つのも死神の働きによる。乾いた葉を妊婦が水につけて葉が開けば安産するのだ。合唱のアンサンブルが妙なる和音を響かせるのも死神のおかげだ」

2017年1月7日


広辞苑小説『言葉におぼれて』 第二百三十九回

「入場料はお一人様二十ユーロです」

安閑天皇あんかんてんのうに扮した男が二人を呼びとめた。

「有料なの?」筒井が訊ねた。
「はい。じつは経営不振で、きちんと払って頂かないと安危あんき存亡に関わりまして」

安気あんきに見物したいがあいにく金がない。佐和子は金はあるが払う気はないと言う。二人は中国の安徽あんき省のジオラマを横目で見ながら出口に向かって歩き出した。晏起あんきしたらしい清掃員があくびをしながらゴミを拾い、暗記あんきしたオランダ語かドイツ語の詩をぶつぶつ呟いている。佐和子が急に烈しく咳きこみ、地面にうずくまった。

「どうした」
アンギーナ。持病なの。げほげほ」
「アンギーナ?」
狭窄きようさくかん感を起こす病気。扁桃腺炎。ごほんごほん」

血圧上昇作用を持つポリペプチドのアンギオテンシンが急激に増加した。

「わたし……もう駄目かも。死ぬ前に鮟肝あんきもが食べたかった」
「おい、しっかりしろ」

佐和子は立ち上がってよろよろ歩き、平安京内裏の内郭十二門のひとつ、安喜門あんきもんのレプリカの前で力尽き倒れた。

「どうしました」

後堀河天皇の皇后安喜門院あんきもんいんに扮したスタッフが駈け寄って声をかけた。

「世界中を行脚あんぎやして、ついさっきまで元気だったんだが」

筒井は佐和子を介抱しながら答えた。

「日本のかたですか」
「はい」
「ベルギーの水が合わないのかも。日本で安居あんきよするのが一番ですよ。ここはお客様の邪魔になるので、あそこへ」

筒井は佐和子を抱いて施設の隅の暗渠あんきよに横たえた。埼玉県南部、川口市東部の安行あんぎよう地区を精確に再現したジオラマの真裏だった。どうやら湿田を改良するために雑木をたばねた粗朶そだを埋めて水の道を作り、地中の水はけを良くする暗渠排水あんきよはいすいらしい。

ズシン、ズシンと突然地面が縦に大きく揺れた。

「うわあ」
「きゃー」
アンキロサウルスだ」

人々が叫んで蜘蛛の子を散らすように走り出した。筒井が立ち上がってジオラマの向こうを見ると体長七メートルはあろうかと思われる恐竜がのっしのっしと歩いてくる。なんでアントワープの街中に恐竜が出現するんだ。恐竜なら恐竜らしく白亜紀に生きればいいのに暗愚あんぐなやつだ。恐竜は鞍具あんぐごと馬を踏みつぶし、行宮あんぐうすなわち天皇行幸の際の仮の宮居を模したジオラマをぺしゃんこにし、UNCTADアンクタッドすなわち国連貿易開発機構の本部のレプリカを粉々にし、ずんずん近づいてきた。筒井は佐和子を抱きかかえて出口に向かって走った。まるでアングラ演劇のような、いや、スピルバーグ監督の映画『ジュラシック・パーク』のような荒唐無稽な状況だが、夢でも幻でもない現実だった。いったい誰が恐竜を現代に蘇らせたんだ。ひょっとして金儲けか。恐竜を復活させて見世物にしてアングラ経済けいざいアングラマネーを稼ぐつもりか。途方もないことを考えるやつがいるものだ。筒井は口をあんぐりと開けた。アンキロサウルスはアングリカン教会きようかいのレプリカに体当たりし、時計塔の歯車をひとつずつ回転させるためのアンクルが吹っ飛んだ。筒井は走りながら後ろを振り返った。このアングルから見ると体長は十メートル近くありそうだ。

「殺されるぞ」
「早く逃げろ」

フランスの新古典派を代表する画家アングルとアメリカ国民の象徴アンクル・サムに扮したスタッフが怒鳴った。逃げ遅れたらアメリカの女流作家ストーの小説『アンクル・トムズ・ケビン』で描かれる奴隷の境遇よりも悲惨な結果になるのは明らかだった。恐竜はアングロアメリカの立体模型を粉砕し、アングロアラブすなわちフランス原産の馬を蹴飛ばし、五世紀半ば以降ドイツの西北部からイギリスに渡って諸王国を建てたゲルマン民族のアングロサクソンのような勢いでリトルワールドを蹂躙し、十一世紀中葉のノルマン人征服以後イングランドで話された中世フランス語のアングロノルマン方言に似た雄叫びを上げ、暗君あんくんに反逆する臣下のように園内を突き進む。口を開けてあんけとして佇む筒井めがけて、中国安徽省南部の都市安慶あんけいのジオラマを吹っ飛ばして猛進する。筒井は命からがら出口から脱出すると係員に呼びとめられた。

「お客様、アンケートにお答え下さい。リトルワールドはいかがでしたか」
「いかがも糞もない。後ろを見ろ」

係員は恐竜を見て悲鳴を上げ、安家神道あんけしんとうの流儀に従って神に命乞いした。佐和子を抱きかかえる腕が痛くなった。筒井はキョロキョロあたりを見回した。アパートとアパートのあいだに薄暗い洞窟のような闇穴あんけつがある。迷わずしゃがんで入った。中は暗くて見えないが、足音の響きから察するに思いの外広い。佐和子を床に横たえて筒井は目と耳を研ぎ澄ませた。

「よく来たな」

暗闇に野太い男の声が響いた。

「誰だ」
「誰であるかは重要ではない。問題は場所だ」
「ここはどこだ」
暗穴道あんけつどうさ」
「あんけつどう?」
「果羅国へ行く三つの道のひとつ。七日七夜、日月の光を見ず重罪人を通らせる暗黒の道」
「俺は重罪人ではない」
「ふん、重罪人の決まり文句だ。観念しろ。ここでは案下官幣あんげのかんぺいは通用しないぞ」
「あんげのかんぺい?」
「何も知らないのか。神祇官が小社の祈年祭や新嘗祭で幣帛にきてを案の下に置いて神を祭ることだ。動くな。じっとしていろ。おまえの罪がどれほど重いか、とくと按検あんけんしてやる」

男は筒井の体をまさぐった。

「俺はなんの罪も犯してない」
「黙れ。――ふむふむ、どうやら悪行三昧の日々を送ってきたな。裁きを受けるべき案件あんけんがたくさんある。地獄行きだ」

真っ暗闇に響く男の声が物凄い。筒井は身震いした。

「おまえは平安末期、安元あんげん年間から犯罪を繰り返してきた」
「冗談じゃない! 昭和生まれだ」
「嘘を言っても始まらんぞ。この洞穴は日本から見て暗剣殺あんけんさつに当たる」
「あんけんさつ?」
「いちいち説明させるのか。星でその年の五黄土星と相対する方位。最も慎まなければならない大凶の方位だ。ところでおまえはあんこか?」
「え?」
「長男か?」
「うん」
あん、食うか?」

男は筒井の右手に何やらねばねばした物質を握らせた。気持ちが悪くてすぐ払いのけ、筒井は穴から出ようと振り返ったが、入口はいつの間にか塞がっている。真っ暗闇の中を手探りで動き回り、壁をどんどん叩いてみたが安固あんこでびくともしない。漆黒の闇に閉ざされた筒井はまるで僧侶が一定期間外出しないで部屋にこもって修行する安居あんごの気分になった。

2017年1月6日


広辞苑小説『言葉におぼれて』 第二百三十八回

イアソンは言い終えると後ろにばたんと倒れ、酔いが回ってぐうぐういびきを立てた。あん心した筒井はすかさず佐和子の手をつかんで立ち上がり、セスナ機に向かって走り出したがあんどんにけつまずいて転んだ。振り返るとイアソンはいいあん配にあん然として眠っている。

「操縦を頼む」

筒井は佐和子に言ってセスナ機に乗った。

「どこへ行くの? 何かいいあんはあるの?」
「どこでもいい。急げ

佐和子はエンジンをかけ、セスナ機は茅葺きのあんの屋根をかすめて離陸した。筒井はアルゴー船を見下ろしてほくそ笑んだ。やつらは船、こっちは飛行機だ。明とあんがくっきり分かれたな。飛行機は山の稜線のくぼんだあんを抜けて飛び、佐和子は操縦桿を巧みに操りながら『山のあなたの空遠く幸い住むと人のいふ』と上田敏が翻訳したカール・ブッセの詩をあん誦した。日はいつしかとっぷりと暮れ、あん夜の空を水平飛行しつつ、佐和子は後部座席からあんがいっぱい詰まった団子を取りだして筒井と食べた。

「餡で思い出したけど、イギリスのアン女王はスチュアート王朝最後の君主で、女王の治世に責任内閣制が芽生えてイングランド王国とスコットランド王国が合同してグレートブリテン王国が成立したって知ってた?」
あんのこっちゃ」

筒井は団子をがつがつ食った。

「ついでに思い出したけど、安阿弥あんあみ、つまり仏師快慶は安阿弥あんあみさく、いまで言う美少年だったらしいよ」

セスナ機は暗暗あんあんとして暗い空を暗暗裏あんあんりに飛び続けた。佐和子はプロの飛行士が裸足で逃げ出すほどの腕前だった。世阿弥がやすくらいと名づけた最高中の最高の芸位、何をするにもあえて努力せず、無理なく安らかになし遂げられる境地すなわち安位あんいに達していた。錐揉み飛行も安易あんいでお手の物、筒井は安意あんいを覚えて背もたれに身をゆだね、エンジンの規則正しい響きが身も心も安慰あんいして安逸あんいつを貪り、しばらく居眠りして目が覚めるといつの間にか眼下に陸地が広がり、アンヴィルすなわち鍛造や板金作業を行う際に被加工物を乗せて作業をする鋼鉄製の鉄床かなとこが見えた。地表が見る見るうちに近づき、セスナ機はアンヴェールすなわちベルギー北部、スヘルデ河口近くにあるヨーロッパ有数の貿易港アントワープに着陸した。

二人は飛行機を降り、暗鬱あんうつな曇り空に暗雲あんうんが垂れこめる港町を歩いた。酔っ払いが大声で「アンウントフュールジッヒ!」と叫んだ。

「即自かつ対自」

佐和子が呟いた。

「え?」
「ヘーゲルよ。弁証法の基本概念」
「ベルギーの酔っ払いは哲学用語をしゃべるのか。すごいな」

ベルギー? 筒井は立ち止まった。レイチェルと出会ったのはベルギーの首都ブリュッセルだ。別れたのはナイル川の河口だったが。もしかすると会えるかも知れないぞ。

「何を考えてるの?」
「いや、ちょっとね」
「言わないで。当てるから。――わかった! 江戸中期、安永あんえい年間のことでしょ」
「違うよ」
「わかった! 晏嬰あんえいね」
「え?」
「春秋時代、斉の大夫。字は仲。俗に平仲。霊公、荘公、景公に仕えて、晋の叔向しゅつきよう、鄭の子産と並んで賢人宰相とされた人」
「知らないよ、そんな人」

佐和子の表情に暗影あんえいがさした。

「わかった! 安永南鐐あんえいなんりようでしょ」
「は?」
「安永元年に鋳造された長方形の銀貨。表面に銀座常是、裏に以南鐐八片換小判一両って書いてあるの」
「見たことも聞いたこともない」

佐和子の当てずっぽうは筒井に暗影あんえいとうじた。こいつにつき合ってたらレイチェルに会えないぞ。俺は穏やかに、安穏あんおんに暮らすのが夢だった。なのに有吉佐和子とアリューシャン列島からセスナ機でベルギーに来てしまった。男がひとり歩道にすわり、ござのような物に安価あんかなUSBメモリーをたくさん並べて売り、行火あんかで手足を温めている。USBメモリーの中身は映画の海賊版だった。男はござの前に置いたテーブルに突っ伏し、案下あんかですやすやと安臥あんがした。海賊版の映画を売って生計を立てるとは気楽でいいなあ。こういうやつは国王が晏駕あんが、崩御してもどこ吹く風で商売をするのだろう。

「わかった! 鞍瓦あんがね」
「あんが?」
鞍橋くらぼね。馬具よ。前輪まえわ後輪しずわ居木いぎの三つの部分で構成されるの。単に鞍ともいうけど」
「また外れだ」

港に客船が着いてアンカーすなわちいかりをおろした。

「わかった! アンガージュマンでしょ」
「アンガージュマン! サルトルか。懐かしいなあ」
「当たった?」
「外れ」

港に聳える銅像を修理中の人夫が土台を定着させるためにコンクリートの基礎にアンカーボルトを埋めこむのを筒井は見つめながら暗晦あんかいな気持ちになった。世界は広い。レイチェルに会えるわけがない。でも案外あんがいひょっこり出くわすかも知れないな。筒井は銅像に触った。銅像はたちまち倒壊した。

「何をしやがる、この案外者あんがいもの! 無礼者!」

人夫が怒鳴った。筒井と佐和子は一目散に駈け出した。三つ目の交叉点を左に曲がるとビストロがあり、入口の黒板に「名古屋名物餡掛あんかけスパゲティー」とチョークで書いてある。

「餡掛スパがあるの?」

筒井は店主に訊ねた。

「はい。肉はアンガス、スコットランド原産の牛肉です」

ガラス越しに店の奥を覗きこむと暗褐色あんかつしよくの牛が一頭立っている。USBメモリーの売人がやって来て筒井に言った。

「旦那、大島渚の『愛のコリーダ』、アンカット版いかがです? 千円ぽっきり」
「要らないよ」

男はすごすごと退散して交叉点の向こうに姿を消したのと入れ替わりにおきなおうなの面をつけた仮装の人々が現れ、商店や民家を訪れて念仏を唱えた。

あんがまだ」

佐和子が驚いて言った。

「あんがま?」
「沖縄の八重山諸島でお盆や節祭りのときに行う芸能」

行列が向かう先を見ると「リトルワールド」と書かれた看板がある。筒井と佐和子は興味本位にリトルワールドに入った。遊園地のような娯楽施設で、平安京大内裏の外郭十二門のひとつである安嘉門あんかもんの精巧なレプリカがあり、高倉天皇の皇子守貞親王の王女安嘉門院あんかもんいんに扮した女が「ようこそ」とお辞儀して二人を迎えた。トルコ共和国の首都アンカラやアメリカ合衆国アラスカ州南部の港湾都市アンカレッジのジオラマがある。二人は安閑あんかんとして見物した。

2017年1月5日


広辞苑小説『言葉におぼれて』 第二百三十七回

「受付変わってくれ」

筒井は佐和子に囁いたが、佐和子は酔いつぶれたふりをして眼を閉じ白河夜船である。

「つまり俺が言いたいのは――」

イアソンが顔を筒井に近づけて再び口を開いた。筒井は眼に涙を浮かべて身構えた。

「戦争が始まるとサトイモ科の大型観葉植物アロカシアが育たない。一条兼良作の中世の物語『鴉鷺合戦物語あろかつせんものがたり』によれば酵素の基質結合部位とは別の部位に低分子物質が結合することによって酵素分子の立体構造が変化し、その結果酵素活性が変化するアロステリック効果こうかアロハシャツを着てアロハオエを歌えばたちどころに消え、火山灰の風化によって生まれる粘土鉱物アロフェンは芳しいアロマを漂わせるからアロマセラピーにもってこいだ。オステオグロッスム科オステオグロッスム亜科の淡水産の硬骨魚アロワナを釣りにフランスの社会学者アロンがパプアニューギニアへ行ったら海はあわだらけで、しかたがないからあわを食い、安房あわつまり千葉県南部と阿波つまり徳島県に向かったがラッシュ・アワーでにっちもさっちもいかない。糯米もちごめと粟のもやしで作った粟飴あわあめは味が淡淡あわあわしい。安房と阿波のあわいで右往左往するうちにあわ光が見えた。米に粟を混ぜて炊いた粟飯あわいいをそそくさと食って沫糸あわいとを結び直し、淡海あわうみに向かって走ると沫緒あわおが緩んで中から粟粔籹あわおこしがこぼれ落ちた。阿波踊あわおどりを踊りながら粟粥あわがゆを食っていた女が粟幹あわがらあわガラスになすりつけ、気が緩んであわく女は急に激しい息づかいであわ、宇宙における銀河団や超銀河団の泡構造あわこうぞうに揺らぎが生じ、ミズハコベ科の一年草粟苔あわごけ淡心あわごころを抱いた女は大阪市西区新町の阿波座あわざで遊郭をひやかして歩く阿波座烏あわざがらすたちに粟酒あわざけを飲ませて店に引っ張りこんで蒲団の中でわさりあわ一夜の夢から覚めると淡路あわじで精製した沫塩あわしおをまぶした淡柿あわしがき淡路島あわじしまから届いた。淡路人形あわじにんぎようを見物した淡路廃帝あわじはいていつまり淳仁天皇は伊弉諾尊いざなぎのみこと伊弉冉尊いざなみのみことが生んだ淡島あわしま淡島あわしまを名乗る男と出会い、話を聞いてみるとそいつは井原西鶴の価値を尾崎紅葉と幸田露伴に教えた淡島寒月あわしまかんげつで、和歌山市にある加太神社ののお札や神像を入れた厨子ずしを背負っての由来を語りながら門付けをした淡島願人あわしまがんにんが『粟島あわしま逢はじと思ふ妹にあれや安眠やすいも寝ずて我が恋ひ渡る』と歌いながら歌舞伎舞踊の淡島物あわしまものを踊るのがやかましいから淡路結あわじむすでぐるぐる巻きにして淡路焼あわじやきの陶器と一緒に捨てた。これが阿波浄瑠璃あわじようるりの始まりで、千葉県館山市にある安房神社あわじんじやの由来だ」

イアソンとは目をわさず、うつむいてじっと耐えてきた筒井は腹が立った。柿の渋をあわようにイアソンの妄言をやめさせるにはどうすればいいだろう。はずまに立ち去っておけばよかったが後の祭りだ。しかし黙って聞いてりゃつけ上がりやがって。アルツハイマーだか統合失調症だか知らんが、わけのわからない話を聞かされる俺の身にもなってみろ。俺だって話の辻褄あわをしたい。毒をもって毒を制したいが、いかんせん言葉が思い浮かばない。裏地つきの着物のあわせなんか着たことがないし、あわいとあわかがみも見たことがない。淡柿あわせがきを食ったこともないし狂言の『淡柿あわせがき』がどんな作品なのかまるで見当がつかない。知識さえあればあわ硝子ガラスを粉々に砕いてあわぐすりを調合して飲ませてやりたいが、あいにく文系だから化学は門外漢だ。合香あわせごうとかあわごえなんて聞いたこともないし、あわ醤油じようゆとふつうの醬油の区別もつかない。あわの作り方も知らないし、合薫物あわせたきものなんてちんぷんかんぷん、あわとはいったい何のことだかさっぱりだ。あわつちとかあわづめとかいう言葉は俺のボキャブラリーにはないし、あわせてあわだのあわどうだの袷羽織あわせばおりだのあわだのという語彙も俺にはない。あわばり合版行あわせばんこう合鬢あわせびんあわ合米あわせまいあわなどという語句がこの世に存在することさえ知らない。あわ味噌みそくらいは知ってるが、味噌の知識だけではイアソンの話のあわにはなるまい。ちくしょう、俺もイアソンに匹敵する知識をわせっていればなあ。佐和子の知識をあわものにすれば太刀打ちできるかもしれないが、相変わらず眠ったふりをしていやがる。役に立たない女だ。しかし仮に佐和子に助けてもらったとしてもあわものはなものという諺もある。別々であったものを合わせたのだからいつ離れてもおかしくはない。

アルゴナウタイの勇士たちが数種の料理をひとつの皿に盛ったあわを筒井の前におずおずと差し出した。キスやサヨリなどの白身魚を三枚におろして卵白を身に塗り、二枚合わせて串に刺して焼いたあわにローストビーフを合わせた豪華な料理だった。下にも置かぬもてなしを受けた筒井はわせるかおがない。柔道を習っておけばよかった。あわわざで一本とった隙にすたこらさっさと逃げられただろうに。しかし古代ギリシアの英雄を柔道で倒そうなんて考えはあまりにも軽率、あわそかだな。自分のあわた、つまり膝の骨を折るのが関の山だ。

「おい、俺の話はわかったか」

イアソンが顔を突き出して訊ねた。

「あ、はい……」
「では復唱してみろ」
「え? いや、ちょっと……」
「どうした」
「少し聞き漏らしたところが」
「なんだと? 最初のほうか」
「ええ」
「中程は?」
「ぼんやり」
「おしまいは?」
「さっぱり」
「貴様には耳がないのか! 噛んで含めるように話してやったのに。しょうがないやつだ。では結論だけ教えてやる」
「あ、ありがとうございます」

あぐらをかいていた筒井は居住まいを正して正坐した。額に脂汗がにじんだ。

「一度しか言わないから耳をかっぽじってよく聞け。山城国愛宕おたぎ郡の粟田あわた粟田あわたという男が鯛の切り身に粟をつけて蒸した粟鯛あわだいを売り歩き、京都市東山区三条白川橋の東、東海道の京都の入口粟田口あわたぐちで山城鍛冶の刀工の粟田口あわたぐち派に出会い、室町前期の宮廷画家粟田口隆光あわたぐちたかみつに紹介されて鎌倉後期の刀工粟田口吉光あわたぐちよしみつを訪ねた。すると地面に粟茸あわたけがニョキニョキ生えてあわたこつまり膝の骨まで伸び、京都市東山区の天台宗の粟田御所あわたごしよは上を下への大騒ぎになったが、住職は『心配には及ばぬ』とあわたあわただしく走り回る僧侶たちを窘めた。雲のあわたつ山の麓に何やら泡立あわだものが見える。僧侶たちは恐ろしさのあまり肌が粟立あわだ泡立あわたで卵白を泡立あわだてる奈良時代の学者粟田真人あわたのまひとが京都の粟田名産の陶器粟田焼あわたやきを書道の粟田流あわたりゆうの師範に粟団子あわだんごと一緒に進呈し、お礼の品として阿波名産の木綿縮である阿波縮あわちぢみをもらい受け、夕陽の光があわのを見てこりゃ大変だとあわ間もなく、粟津あわづに向かって走り、石川県小松市の粟津温泉あわづおんせんでのんびりくつろぎあわつかにうっかりした隙に滋賀県大津市瀬田橋本から膳所ぜぜに至る街道の松原、粟津原あわづがはらから使者がやって来て酢漬にしたいわしを蒸した粟の実に漬けこんだ粟漬あわづけを振舞い、おお、ちょど腹が減っていたところだと上っ調子にあわつけき様子でむしゃむしゃ食うと泡粒あわつぶのような粟粒あわつぶが喉に詰まってあわてふためいた。根っからのあわものだから慌てるだけ慌ててげほんごほんと粟粒をあわに吐き出すとあわ血が混じっていた。さては徳島藩主蜂須賀斉昌はちすかなりまさが設立した阿波国文庫あわのくにぶんこが火災で焼け落ちた祟りだなと思ったら使者は粟野膳あわのぜんつまり粟野春慶塗で知られた茨城県城里町粟産の折敷おしき膳をうやうやしく差し出すではないか。これはかたじけないと礼を言って阿波あわつまり鳴門海峡に行くと高速荷電粒子の飛跡を観測する泡箱あわばこという装置が仕掛けてあり、粟花あわばなつまり女郎花おみなえしの花が鳴門の渦に巻きこまれ、あわびが食いたいと思って猟師に声をかけると鮑返あわびがえの紐を一本くれただけだった。磯のあわび片思かたおも、俺の気持ちは猟師には伝わらないのかと肩を落とすと、鮑熨斗あわびのし鮑結あわびむすにした箱を手渡されたから喜んで粟が生えている粟生あわふの畑に寝転んで黄色く染めた粟麩あわぶを食い、アワブキ科の落葉高木泡吹あわぶきの枝から蝉に似た泡吹虫あわふきむしがたくさん落ちてきた。驚いて思わずぶわっとあわぶくを吐き出し、粟生田あわふたから這々ほうほうていで逃げると農民が小正月にヌルデの木削掛けずりかけにしたものを粟穂、皮付のままのを稗穂として、側面に切れ目をつけ、六本ずつ束ね、庭や堆肥に立てる粟穂稗穂あわほひえぼの行事で小正月を祝っていたところだった。農民は阿波から作り出した刀の装飾のための金属彫刻阿波彫あわぼりが見当たらないと言って騒ぎ、これがきっかけとなって太平洋戦争で連合国側から安全を保証されていた救恤きゆうじゆつ品輸送船の阿波丸が一九四五年四月一日台湾海峡でアメリカの潜水艦に撃沈され二千人以上が死亡した阿波丸事件あわまるじけんが起きた。人々はこれを機に教訓を学んだ。すなわち他人を軽んずる、あわのは慎まねばならぬ。粟飯あわめし粟餅あわもちをたらふく食い泡盛あわもりをがぶがぶ飲んでユキノシタ科の多年草泡盛升麻あわもりしようまの花を眺めながら、泡立たせた卵白を小鯛の身に乗せて蒸した泡盛鯛あわもりだいに舌鼓を打つのもほどほどにしなくてはいけないのだ。うつつを抜かすとあわや大惨事という羽目に陥るからな。道明寺糒どうみようじほしい鬱金粉うこんこを加えてこね、蒸して拡げ、小豆餡あずきあんを包んで小判形にして焼いた菓子の粟焼あわやきを食うときも油断は禁物だ。命が泡雪あわゆきのように、淡雪あわゆきのように消えてしまう恐れがある。泡立てた卵白に砂糖と香料を加え寒天で固めた菓子の泡雪羹あわゆきかん、煮立てた蕎麦つゆに泡立てた卵白を入れ熱くした蕎麦に注ぎかける泡雪蕎麦あわゆきそば、煮立てたすまし汁の中に泡立てた卵白を落とした泡雪卵あわゆきたまご、泡雪のように軽くて柔らかい特製の泡雪豆腐あわゆきどうふ、蒸し物の一種で泡立てた卵白を鯛に乗せて蒸す泡雪蒸あわゆきむも命取りだ。あわよくばぜんぶ食ってやろう、こんなご馳走にありつけるとはあわよしとはしゃいだりしてみろ、気がついたときには湧泉のある草つき地あわらに放り出されて全身縛られ、福井県北部の芦原温泉あわらおんせんに行かせてくれと駄々をこねても哀れとらわれの身、あわれがる者などひとりもおらず、哀れしと思う者もなく、あわれっぽい声で命乞いをしてもあわれびを感じる者は誰もいない。どうかあわれぶと思って助けてくれといくら頭を下げてもあわれみを誘わないのだ。どいつもこいつもあわれむことはないから結局あわれをとどめる仕儀に至る。あわわと赤ん坊をあやすような声を出しても連中はあわうこともなければあわかすこともない。――結論は以上だ」

2017年1月4日


広辞苑小説『言葉におぼれて』 第二百三十六回

アルドステロンが過剰なのよ」

佐和子が筒井に耳打ちした。

「え?」
「イアソン」
「アルドステロンって?」
「副腎皮質ホルモンの一種。ナトリウムイオンの貯留とカリウムイオンの排出を促進するの。体液中の塩分の調節や血圧の調節などを行うんだけど、過剰に分泌されるとアルドステロンしようといって高血圧や低カリウム血症になるの」

二人は顔を見合わせてからイアソンの様子を窺った。

「ドイツのルネサンス期の画家アルトドルファーとドイツの作家アルトハイデルベルクはキク科ウサギギク属植物アルニカではない。鉄にアルミニウム、ニッケル、コバルトなどを加えたアルニコ合金ごうきんを発明したドイツの作家アルニムの作品はるにもらず、イタリアのアルノ川で産湯を使い、あるイラク生まれのアラブ人科学者アルハーゼンとカナダ西部ロッキー山脈の麓のアルバータでフリー・アルバイターとしてアルバイトつまり曹長石を売るアルバイトをした。アンデス山脈のアルパカはアメリカ合衆国ニューメキシコ州のアルバカーキで開催されたゴルフの大会でアルバトロスを達成したからアルバニア共和国の公用語はアルバニア語アルバニア語派ごはは定冠詞を名詞のうしろにつける。アルバムにはアルハンブラ宮殿とアルビオンの写真が貼ってあるからアルピニストアルピニズムに夢中だ」

イアソンは息もつかずにまくし立てた。

「ただの高血圧じゃないぞ」
「アルツハイマーでもなさそう」
「統合失調症かな」
「そうかも」

筒井と佐和子はひそひそ声で話した。

「白子はアルビノでバロック期の作曲家アルビノーニがインド人だなんて有るべうもなし。ドイツ人彫刻家アルプはコラージュの素材にプラス・アルファしてケンタウルス座のアルファケンタウリアルファせいだからアルファせんを放射し、α澱粉アルファでんぷん製造法のアルファとオメガは胎児期に肝臓で作られるアルファフェトプロテインアルファベットα崩壊アルファほうかいして第二次世界大戦で日本軍の携帯食として開発されたα米アルファまいα 粒子アルファりゆうしを含まず、米と一緒にアルファルファも食い、イタリアの劇作家アルフィエーリアルプスアルプス造山運動ぞうざんうんどうを研究してアルプホルンを吹き鳴らし、単純蛋白質たんぱくしつアルブミンを多く含む中世初期のイギリス、ウェセックス王家のアルフレッド王はアラビアの数学者アルフワリズミー有平あるへいつまり安土桃山時代に伝来した南蛮の有平糖アルヘイとうを舐めて床屋の店先の赤と白と青の螺旋模様がぐるぐる回る有平棒アルヘイぼうを眺めたのがあるべかし。断然あるべかり。嘘だと思うならあるべき筋に訊ねて阿留辺幾夜宇和あるべきようはを唱えよ」

筒井と佐和子は恐ろしくなった。いたたまれなかったが、酒宴に招かれた身の上で中座するのは失礼であり、どんな怒りを買うか知れたものではない。二人はしかたなくイアソンの言葉に耳を傾けた。

「十九世紀初頭にウィーンで発明された絃楽器アルペジオーネアルペッジョを奏でると惑星の入射光の強さに対する反射光の強さの比率アルベドが高まり、スペインの作曲家アルベニスはルネサンス期のイタリア人建築家アルベルティとドイツのスコラ哲学者アルベルトゥスマグヌスアルペンアルペン種目しゆもくの大会に参加し、スペインの舞踊家アルヘンティーナも加わってアルペンホルンを吹くとその音はカザフスタン共和国の都市アルマアタまで響き、アルマイトの弁当箱を開けると中からプトレマイオスの著書『アルマゲスト』が出てきたとはるまじきこと。アルマジロをたくさん載せたスペインの無敵艦隊アルマダがカザフスタン共和国の都市アルマトゥイに到着した年月日はアルマナックにちゃんと記載されているから安心してフランス南西部のブランデーアルマニャックを飲め。鉄分を含む石榴ざくろアルマンディンが出てきたらアルマンドを踊って波が荒い荒海あるみに飛びこみアルミ製の浮き袋につかまり、アルミきんをちりばめたアルミサッシをビート板にして泳げばアルミ青銅せいどうアルミナの原料はアルミニウムだ。アルミニウム軽合金けいごうきんアルミノ珪酸塩けいさんえんで作ったアルミはくアルミホイルはポルトガル人外科医アルメイダアルメニアアルメニアを話すアルメニア語派ごはの住民がイソマツ科の園芸植物アルメリアにヒントを得たのだ。わかるか」

筒井は「わかります」と物顔ものがおで答えた。佐和子はイアソンのようを恐る恐る見守った。

「波がるらくフランス南部ローヌ川下流のアルルではコメディアデラルテの道化役者アルルカンがドーデの戯曲『アルルの女』を演じ、あれを烈しいが襲い、神をうつし迎えるさかきの木阿礼あれが吹き飛び、あれこそはあれを支配する者ぞと宣言すると、『あれ? おかしいぞ』と思う間もなく鉄唖鈴あれいを両手に持ったスペインの詩人アレイクサンドレ亜鈴体操あれいたいそうをしながら英米において起訴後被告人を公判廷に出頭させ起訴事実を告げて答弁を求めるアレインメントの手続きを始め、フランスの作曲家アレヴィーがアリューシャン列島の先住民アレウトとともにうまにまたがってアレートつまり山稜を駈け下り、芳香族炭化水素アレーンの香りを漂わせて賀茂祭の祭主阿礼男あれおとこと斎院阿礼少女あれおとめに出会いあれかにもあらずアレカ椰子やしの実をアレキサンダーと分け合いアレキサンドリアに向かったのがあれきりだった」

筒井は頭が痛くなった。もう勘弁してくれ。気が狂いそうだ。一刻も早く逃げ去りたい。しかし豪傑イアソンは「ほら、飲め」と有無を言わさぬ態度で酒を注ぐ。筒井は身動きができなかった。

「早い話が――」

イアソンは酒をぐびりと飲んで言った。

「金緑石のアレクサンドライトはエジプト北部アレクサンドリアアレクサンドリア教理学校きようりがつこうアレクサンドリア図書館としよかんからロシアのロマノフ朝の皇帝アレクサンドル一世とアレクサンドル二世とアレクサンドル三世が盗んでマケドニア王フィリッポス二世の子アレクサンドロスに与えたところくるアレグレットアレグロで怒りのアレゴリーを大声で歌って彼是あれこれとうるさく、あれさまあれしきのことで音を上げるな』と怒鳴り、しようの肌にクリームを塗るとギリシア神話の軍神アレスを踏みしめてに屹立してT・S・エリオットの詩『荒地あれち』を朗誦し、銅鑼声に驚いたキク科の越年草荒地野菊あれちのぎくがたちまち枯れた。なぜなら江戸時代に荒れ地の分の石高を村高から差し引いて年貢を免じた荒地引あれちひきが効力を失って五十音図の第一段ア列のア、カ、サ、タ、ナ、ハ、マ、ヤ、ラ、ワを発音できなくなり、あれっきり子孫ががないイタリア中部トスカーナ地方の都市アレッツォは人口が激減し、シリアのアレッポは内戦で壊滅したからだ。『彼体あれていのことで弱音を吐くな』とアレスはクリームを塗るアレクサンドロスを鼓舞したがあれなり何の返事もなく、業を煮やしたスウェーデンの化学者アレニウスあれにもあら地歌の荒鼠あれねずみを歌ってを駈け回り、正月十七日の射礼じやらいのときに豊楽ぶらく殿の庭に立てる阿礼あれはたを蹴飛ばし、荒場あれば阿礼幡あれはたは悉く倒れ、はだをさすってあれ誰時たれどきの夕陽を眺め、てた土地の荒場引あればひきを幸いに税金を払わず、京都の賀茂祭の日に参詣の人が阿礼の鈴を鳴らして綱を引く阿礼引あれびきが癪に障ってあれ彼程あれほど賑やかだった祭が水を打ったように静まり、人々はまくらで眠れぬ夜を過ごし、どうか鎮守の神様がようにと祈り、模様もようの空を荒屋あれやの窓から窺って『あれや! 火の玉が落ちてきたぞ』と叫び、あれやこれやあって隕石が炎の尾を引き、『あれよ』と叫ぶ人たちの眼の前にあれよあれよという間に落下してクレーターができ、穴の中から宇宙人が大勢出てきた。彼等あれらは『彼等体あれらていは恐れるに足りぬ』と人間どもにら真っ向勝負を挑んで荒れるだけ荒れたが宇宙人は地球環境にアレルギーがあり、アレルギー性疾患せいしつかんに罹り、アレルギー性鼻炎せいびえんを患ってアレルギー体質たいしつの弱みを露呈させたのだ。アレルゲンのおかげで助かった人々は『アレルヤ! 万歳!』と叫び、勝利の歌をアレンジして踊り、合金を作る非金属アロイを宇宙人の死体に投げつけるとろうこと死体からユリ科の多肉の常緑多年草アロエの芽が生え、アロー戦争せんそうが始まったのだ」
「話がちっとも早くないよ!」

筒井は思わず大声を上げた。

2017年1月3日


広辞苑小説『言葉におぼれて』 第二百三十五回

「船だわ」

佐和子が海を見て言った。船体に「ARGO」と書かれた大きな船が着岸し、武装した男たちがぞろぞろ降りてきた。「なんだ、おまえたちは」筒井が訊ねた。

アルゴナウタイだ」
「え? ギリシア神話で英雄イアソンに従い、金羊皮を得るためアルゴー船に乗って黒海東岸コルキスに遠征した勇士たち?」
「そうだ。貴様、さっき俺たちの船が沈めばいいと思っただろ」
「いや、違う。作者が海に沈めばいいと……」
「アルゴー船もろとも、だろ?」
「あ、いや、いやいや……」

英雄イアソンが前に出て言った。

「我らが船は不沈艦だ。コンピューターのアルゴリズムで計算した結果、決して沈まないという結果が出た。にも関わらず海に沈めようとは無法の極み。古代ギリシアの執政官アルコンの裁きを受けよ」

イアソンは希ガス元素アルゴンを含む空気を鼻からいっぱい胸に吸いこんで筒井を睨みつけた。

「ただし、おまえがアルサケスちようの王子ならば話は別だ」
「アルサケス朝?」
「古代西アジアの王国、別名パルティア。イラン系遊牧民の族長アルサケスが紀元前三世紀半ばにセレウコス朝の衰微に乗じてカスピ海の南東岸地方に建てた国だ」
「そうだよ。忘れてたけど俺は王子だ」
「本当か? ならばアルザスは話せるか?」
「アルザス語?」
「フランス北東部のアルザス地方で話される高地ドイツ語の一種だ。おまえの父親がアルザスロレーヌを支配した王国のあるじであれば当然話せるはず」

やばい。何か言わないと殺されるぞ。しかし頭にはなぜかアルジェしか思い浮かばない。筒井は駄目元で「ここは地の果てアルジェリア、どうせカスバの夜に咲く♪」と、エト邦枝が昭和三十年にヒットさせた歌謡曲『カスバの女』を歌った。佐和子も歌に加わった。主顔あるじがおだったイアソンの表情が変わった。いつもあるじがる主関白あるじかんぱくな英雄が歌声にほだされて涙を浮かべ、男泣きに泣いた。

「こんなに美しい歌を聞いたのは何年ぶりだろう……おまえたち、おもてなしだ」

イアソンが命じると勇士たちは船から酒と食べ物を運び出し、饗設あるじもうけした。

「俺が涙を流したのはアメリカの児童文学者アルジャーの『ぼろ着のディック』を読んで以来だ」

筒井はグラスに注がれた酒を飲もうとした。ニンニクの臭いがする。

「筒井さん! 飲んじゃ駄目!」

佐和子が叫んだ。

「なんで?」
アルシンよ」
「アルシン?」
「水素化砒素。猛毒よ」
「客人に毒を盛ったのは誰だ」

イアソンが部下たちに訊ねた。全身に刺青のアルスすなわちアートをほどこした勇士が「俺だ」と白状した。イアソンは男の顔を殴り、男はユリ科の多年草アルストロメリアが咲き揃う浜辺に倒れて気を失った。

「部下がとんだ無礼を働いて申し訳ない。お詫びの印にアルゼンチンの民謡をお聴き下さい」

勇士たちはアルゼンチンタンゴを歌い踊った。筒井は毒が入っていない酒をイアソンと酌み交わしながら旅の目的を訊ねた。

アルダーに会いたいのだ」
「アルダー?」
「ドイツの有機化学者。師のディールスとともにジエン合成を研究し体系化してノーベル賞を受賞した」
「ギリシアとドイツは陸続きだ。なにもわざわざ船で……」
「もちろんドイツには言った。ところがどこにもいないのだ。しかたがないから中央アジア、ロシアの西シベリア平原、中国のジュンガル盆地、モンゴル高原とのあいだに連なる全長約二千キロメートルのアルタイ山脈を探したが、いない。アルタイ語族ごぞくの人々に訊ねても知らぬと言う。夜はわし座の首星アルタイルを眺め、昼は古代インドの政治論書アルタシャーストラを読み、スペイン北部のアルタミラ洞窟どうくつの中も探した。内モンゴル、トゥメト部の首長アルタンハンが「モンゴルにいる」と言うのでモンゴルのアルタンブラクにも行った。地元のアルチザンたちに聞いてみたが、そんな男は見かけないと言われた。どいつもこいつも役に立たん! アルダーはどこにいるんだ! おい、酒だ! 酒を持ってこい!」

イアソンはどうやらアルちゆうらしい。

「ところでおまえの商売はなんだ」
「小説家です」
「小説家? 物書きか」
「ええ。現代思想の理論を応用するのが得意で、フランスのマルクス主義哲学者アルチュセールの理論を取り入れたり、ロシアの小説家アルツィバーシェフの技法を批判的に応用し……」
「ところでおまえの商売はなんだ」

イアソンの様子がおかしい。アルツハイマーびようだ。

アルデバランが見えないぞ」

イアソンは怒鳴った。

「え? なんですか、アルデバランって」
「牡牛座の首星だ。ホルムアルデヒドアルデヒドで、ミュンヘンのアルテ・ピナコテークに陳列されているアルテミスの彫刻をロシアの伝統的な労働者の自主共同組織アリテリと一緒にアルデンテのパスタが食いたい!」

イアソンは支離滅裂な言葉をアルトの歌手が歌うように言った。

「お酒は控えたほうがいいですよ」

筒井は心配になってやさしく声をかけた。

「余計なお世話だ! 時勝負ときしようぶ、金や食い物があるうちはパーッと使って食い散らかす。支払いはいつでも構わんぞ。ときばらの催促なしだ」

金をとるのか? てっきりただ酒だと思ってたのに。筒井はいっぺんに酔いが醒めた。

2017年1月2日


謹賀新年

むうむうサイトを開設して十七年目の正月です。常連さんも一見さんも、今年も大いに遊んでくんなまし。

2017年1月1日