ごあいさつ 2023年

人のために

知里幸惠さんの言葉が胸を打ちます。漢字は旧漢字に、促音も旧用法に改めました。

ほんとうに世にも不幸なのは身體の不健康で御座います。何をするにも健康は資本になるのですから……。そこに不安が伴ひ不快が伴ふてあたりの人の爲にも何れだけ影響を及ぼすかわからないけれども、病もまた神樣が何か聖旨あって與へ給ふものでありませう。自分ばかりをたのむ慢心、不謙遜な人の心を挫くためにあたへ給ふた神樣の鞭でありませう。そして神の愛にすがらせる神樣のお導きでせう。だからせめては、かくなつた弱い身も魂も神に任せて、そしてこれから私は安心をして喜びと感謝をもつて人に接し、愛を持つて人と交つて、そして世渡りをしやうと思ひます。自分の幸福ばかりを考えるから、悲觀もあり、なやみもありますが、身をよそにして人のために最善をつくさうと思へば、何も悲しみもなくなる、と思ひます。

(知里幸恵「手紙 知里高吉宛 大正11年6月9日付(東京発信)」
『銀のしずく 知里幸恵遺稿』草風館、1984年、p. 77/太字は引用者)

2023年8月30日


ラーケーションとは何ぞや

愛知県が今年から「ラーケーションの日」という休暇制度を始めました。ラーケーション? 意味がさっぱりわかりません。そこで「ラーケーションの日」ポータルサイトで調べてみると、こんな説明がありました。

ラーケーション=Learning(学ぶ)+Vacation(休暇)

愛知県では、未来につながる家庭での主体的な学び・体験的な学びを応援するために、「ラーケーションの日」をスタートします。

子供の学び(ラーニング)と、保護者の休み(バケーション)を組み合わせた、平日だからこそできる学校外での学習活動を、ぜひ子供と一緒に計画してみませんか。

がっかりしたよ。何がって、まず learning と vacation を無理やり合体させて一語にするという発想がひどい。さらに、合体のさせかたが輪をかけてひどい。

learning は二音節で、音節の区切りを「・」で示すと learn・ing だ。「学ぶ」の意味を担うのは第一音節の learn だから、カタカナで無理やり日本語表記するなら「ラーン」です。この「ン」がないと「学び」にならない。ラーは学ぶことです、なんて無茶すぎる。さらに休暇を意味する vacation を cation(ケーション)で表わすなんざ愚の骨頂。va・ca・tion は三つの音節がぜんぶそろってはじめて「休暇」だ。-cation には何の意味もないし、もとの語は application、dedication、education、location など無数にあるから、いったいどの語を指しているのか、まるで見当がつかない。

もういい加減に、こういうニセ外来語崇拝はやめようよ。ニセ外来語撲滅委員会を設立したくなります。

2023年8月19日


悲しき辞書

七月末に白水社の『スペイン語大辞典』を引いて、またまた首をひねりました。まずは fijarse の例文から。

fijarse

❶[+en に]注目する, 注意する, 気を留める: ¿Te fijaste cómo visten las mujeres en París? パリの女性たちがどんな服を着ているかよく見ましたか?

前置詞 en が不可欠であることを指摘しておきながら例文には en がない。正しくは ¿Te fijaste en cómo visten las mujeres en París? です。次は disposición の例文。

disposición

❶配置, 配列〖行為, 結果〗; 並べ方: estar en ~ de batalla 戦闘配備についている.

「戦闘配備につく」は聞き慣れません。ごく一般的には、戦闘配置につく、でありましょう。そして ir の例文。

ir

⓮[+para] 1)[資質的に]…に向いている: Pensé que el niño iba para cantor. 私はその子は歌手に向いていると思った.

「歌手」はふつう cantante と言います。cantor はきわめて珍しい。念のため cantor を引いてみると――

cantor

❸《まれ》歌手〖=cantante〗

まれにしか用いられない単語をなぜ例文で採用するのでしょうか。お次は副詞 mañana の例文。

mañana

❷[近い]将来に; いつかは: Las investigaciones de hoy serán la base de muchos adelantos de ~. 今日の研究が明日の多くの進歩の礎となることだろう.

副詞としての用法が知りたいのに例文ではなぜか名詞として使われている。これはひどいよ。今度は culminar。

culminar

❷[+con ・en]ついに…になる: La discusión culminó en un escándalazo.

アクセント記号を要するのは escándalo です。接尾辞 -azo がついたばあいは不要。正しくは escandalazo。次は chulo の例文。

chulo

❷《西, メキシコ. 口語》かっこいい, かわいい, すてきな; 着飾った: Te has comprado unas zapatos muy ~ s. 君は本当にすてきな靴を買ったね.

zapato は男性名詞なので不定冠詞も正しくは男性形の unos です。この例文のすぐあとに出てくる例文にもまたミスがある。

chulo

más ~ que un ocho ひどく生意気(横柄)な: Vi a un joven, más ~ que un ocho, jugueteado diestramente con una pistola. 私は一人の若者がひどく格好をつけて, 巧みにピストルを操っているのを見た

jugueteado は過去分詞なので意味が通じません。「操っている」は現在分詞の jugueteando で表わします。あまりにも誤記が多く、悲しくなってきました。

2023年8月18日


「マイナンバー」の愚

昨年二月からどうにも元気が出ず日課の散歩さえできぬありさまで、このトップページのごあいさつも滞り気味でございますが、マイナンバーカードとやらいうものをめぐる政治家たちの愚行には呆れ果てております。何が腹立たしいといって、制度そのものは言うまでもなく、何よりもまず「マイナンバー」という外来語を装った疑似英語に我慢がなりません。

「私のマイナンバー」

これを英語圏の人に説明する場合、英語でどう言えばよいのか。

「my My Number」

では「彼女のマイナンバー」、あるいは「私たちのマイナンバー」はどうか。

「her My Number」「our My numbers」

こんなフレーズが英語話者に通じる道理がありません。「マイナンバー」を意味する正式な英語は何か。マイナンバーカード総合サイトで調べてみると "Individual Number" でした。つまりは「個人番号」ですね。従って上記三つの例はそれぞれ "my Individual Number", "her Individual Number", "our Individual Numbers" だ。ならば日本語でも最初から「個人番号」と呼べばいいじゃないか。

第二次安倍政権が誕生したころからだと思いますが、政治家や役人や広告代理店の人々が己の愚かさを自慢げに競い合っているとしか思えない事態があちこちに見られ、国家が衰退しつつあるときにどんな風景が目の前に広がるかをこの人たちはわざわざ教えてくれる。その親切は果たして感謝に値するのでしょうか。

2023年8月17日


「300数10万人」

養老孟司と藻谷浩介の対談本『日本の進む道 成長とは何だったのか』(毎日新聞出版、2023年)を読んでいるのですが、下の表記を見てびっくりしました。

養老  しかも、横浜の人口は戦前は100万人で、戦後に300数10万人に増えた。

(p. 91)

原文は縦書きです。一瞬意味がわからず、冷静に考えなおして「三百数十万人」のことだと思い至りました。しかしねえ、概数をアラビア数字で表記するのは無理だと思うのですよ。養老孟司さんがこのような異様な表記をするはずはないので、きっと編集者のしわざにちがいない。どなたが編集を担当したのか知りたくてページをめくっても、前書きも後書きもなく、「構成」を担当した人の氏名があるのみ。ほかにも読点を書くべきところになぜか句点があるなど、読みにくいところが少なからずある。しかも対談本には珍しく、発言と発言のあいだをなぜか必ず一行あけている。対話というよりは、ひとりごとの連続のような体裁で、なんだか続きを読む気が失せました。

2023年6月17日


出るはため息ばかりなり

きのう初級スペイン語の授業をする前に、西和辞書には dejar を使ったどんな例文があるか知りたくて白水社の『スペイン語大辞典』に目を通したところ、またまた驚きました。

❶[放任, 許容]することを許す, したいようにさせる(させておく), するがままにさせる(させておく), することを邪魔しない, することに反対しない: 1)[+不定詞] ii)[不定詞が他動詞. 不定詞の動作主は dejar の間接目的語] Le dejó ver la televisión. 私は彼にテレビを見させておいた.

例文を素直に翻訳すると、le が三人称単数、dejó も三人称単数点過去、しかも両者は別人なので、「彼(または彼女またはあなた)は(別人の)彼(またはあなた)にテレビを見させておいた」となり、辞書の例文としてまことにわかりにくい。和訳が正しいのであれば、動詞の正しい活用形は一人称単数点過去の dejé です。

そして、その直後の例文にもがっかりいたしました。

❶[放任, 許容]することを許す, したいようにさせる(させておく), するがままにさせる(させておく), することを邪魔しない, することに反対しない: 3)[+行為の名詞] Por favor, dejen paso la ambulancia. お願いします, 先に救急車を通して下さい.

正しくは a la ambulancia です。前置詞 a がないと、「救急車に道をゆずる」の「に」が表せません。出るはため息ばかりなり、でございます。はぁ。

2023年6月10日


「甘いマスク」

大相撲夏場所で優勝した関脇霧馬山がきのう大関に昇進し、しこ名を「霧島」に改めました。いい名前だなあ。日刊スポーツの記事が先代の霧島について短く触れているのを読んで驚きました。

現役時代に同親方は筋骨隆々の肉体を武器にし「角界のヘラクレス」と呼ばれ、甘いマスクから「角界のアラン・ドロン」とも称される人気力士だった。

甘いマスク。このフレーズを目にするのは何十年ぶりだろう。令和のナウなヤングははたして意味がわかるのかしら。

2023年6月1日


人工知能がこしらえた漫才台本

マイクロソフトの検索エンジンBingが人工知能によるチャット機能を導入して話題になっております。ブラウザのMicrosoft Edgeにも同じ仕組みが搭載されました。お題を与えると作文してくれる機能があるので、「警官と泥棒が主人公の漫才台本を書いて下さい」とお願いしてみましたところ、あっという間にこんな台本をこしらえてくれました。

警官:おい、そこの君!何をしているんだ?
泥棒:え?僕?何もしてないよ。
警官:嘘つくな!その手に持っているのは何だ?
泥棒:これ?これは…えっと…ペットボトルだよ。
警官:ペットボトル?それはどこから持ってきたんだ?
泥棒:どこからって…えっと…コンビニで買ったんだよ。
警官:コンビニで買った?じゃあレシートはあるのか?
泥棒:レシート?あ、あるよ。もちろんあるよ。ほら、これだよ。
警官:これか。ちょっと見せてくれ。…なんだこれは!?
泥棒:どうしたの?
警官:このレシート、昨日の日付じゃないか!
泥棒:え?そうなの?まさか…
警官:まさかじゃない!君は昨日、このコンビニでペットボトルを盗んだんだろう!
泥棒:ち、違うよ!それは違うよ!
警官:違わない!証拠があるんだから!
泥棒:証拠?どんな証拠?
警官:ここにある防犯カメラの映像だよ。ほら、見てみろ。
泥棒:え?防犯カメラ?そんなのあったの?
警官:もちろんあるさ。今時のコンビニに防犯カメラがないわけがないだろう。
泥棒:じゃあ、その映像を見せてくれよ。
警官:見せてやるよ。ほら、この画面を見てごらん。…おやおや、どうした君?
泥棒:(顔色が青ざめて)…
警官:(笑顔で)君、そのペットボトル以外にも色々盗んでるじゃないか!
泥棒:(慌てて)ちょっと待ってくれよ!それは誤解だよ!説明するから聞いてくれよ!
警官:説明する必要はないさ。君は逮捕されるべき犯罪者だからね。
泥棒:そう言わないでくれよ!僕は悪くないんだよ!
警官:悪くない?じゃあ何故こんなに盗品が出てきたんだ?
泥棒:
(涙目で)それは…それは…
(ドンッ)
(舞台上に大量の盗品が落ちてくる)
(観客爆笑)

なかなかよく書けているではありませんか。しかし言葉の数が多すぎる。言葉が多いにもかかわらず話に展開が乏しい。そして最後に大量の盗品が舞台に落下する演出は漫才ではなくコントであります。という具合に、いくらでもケチをつけられますが、文字を使うフィクションの分野にも人工知能がこれから進出するのはまちがいありますまい。

2023年3月23日


「拍車がかかる」

大好きなテレビ朝日の「タモリ倶楽部」が三月末をもって放送終了するというニュースに、さびしさと、四十年間楽しませてもらった感謝の気持ちがないまぜになりつつ、東京スポーツの記事を読み、仕事が減ってのんびり過ごす時間が増えるであろうタモリの暮らしをぶりを推測する最後の一文に目が釘づけになりました。

隔週収録のタモリ倶楽部がなくなり、穏やかな生活に拍車がかかりそうだ。

「拍車がかかる」生活は、果たして穏やかなのでしょうか。巧まずして笑わせてくれる東京スポーツの記者に拍手を送ります。

2023年2月23日


謹賀新年

むうむうあけましておめでとうございます。当サイトはうっかり二十三回目の正月を迎えてしまいました。今年もとことんうっかりする所存です。

2023年1月1日