ごあいさつ 2022年

¡Feliz año!

今年も当サイトで遊んでくださってありがとうございます。来年もいつもと変わらずのほほんと運営いたします。皆さまよい新年をお迎えください。

2022年12月31日


映画スター

おそらくは最後の映画スターであろうトム・クルーズには毎回頭が下がります。同世代であることが誇らしい。

Mission: Impossible - Dead Reckoning Part One | The Biggest Stunt in Cinema History (Tom Cruise)

2022年12月29日


気持ちいいよ

本日たまたま見つけた スノードームBouncy Balls というゲームサイトをご紹介します。背景をクリックするとボールが弾むわ弾むわ。音声にも反応するらしいのですが、PC用の Google Chrome と Microsoft Edge ではなぜかマイクが使えませんでした。 なんだかとっても気持ちがいいよ。

2022年12月20日


「狂ってはいない」と言う人

今月8日にBBC日本版が報じたところによると、ロシアの人権理事会の会合でプーチン大統領がこう発言したらしい。

我々は狂ったわけではない。核兵器が何なのか分かっている。

こいつは一大事だぞ。なにしろ「自分は狂っていない」とわざわざ明言するのは決まって狂人だ。狂っていない人は「狂っていない」などと言いません。言う必要がない。困ったことになりました。

2022年12月19日


福祉と教育

二十一世紀のわが国にもっとも必要な予算は福祉と教育であります。防衛費ではありませんぞ。

2022年12月10日


もひとつおまけに二十一周年

本日とりかえっ語も二十一周年を迎えました。語尾取りと同じく、このゲームも本家を除けば当サイトが唯一の生き残り。恐竜が絶滅せず鳥類として生き延びたように、未来へ希望を託して孤塁を守る所存でございます。

2022年12月7日


語尾取り二十一周年

おかげさまで本日語尾取りが二十一周年を迎えました。かつては多くの個人サイトに設置されていたゲームなのですが、どうやらいまはわたくしのサイトが唯一の生き残りのようです。これからもどんどん語尾をとりかえてくださいませ。

2022年11月23日


「赤いです」は聞き苦しいですね

初級者向けの語学の教科書でよくお目にかかる日本語のうち、どうも居心地が悪くなるのが「赤いです」「暑いです」といった言い回しでございます。

赤い、とか、暑い、などの形容詞に終助詞の「です」をそっけなくつけてある。これがいかにもぶっきらぼうで、舌足らずに感じるのだよ。「赤いですね」「暑いですか」はなんの違和感もない。終助詞の「ね」や「か」がないと体がムズムズする。

この違和感をズバリ指摘してくれるのが『明鏡国語辞典 第二版』だ。「です」の注釈にこう説明されている。

(1)「少し暑いですね」のように「ね」「よ」「か」などの終助詞を伴う形は普通に使われるが、「ちょっと暑いです」のように「です」で言い切る形はぎこちなく感じられる。過去を表す場合は「昨日は暑いでした」ではなく、「昨日は暑かったです」の形になるが、やはり終助詞を伴わない形はぎこちなく感じられる。

「昨日は暑いでした」はまことに勘弁してもらいたい。「暑うございました」と言おうじゃないか。続いてもうひとつ注釈があります。

(2)形容詞を丁寧に言うには、「楽しゅうございます」「待ち遠しゅうございます」など形容詞の連用形+「ございます」の形もあるが、「おはようございます」「ありがとうございます」など決まった言い回し以外はあまり用いられなくなっている。「仕事は楽しいです→楽しく仕事をしています」「お会いするのが 待ち遠しいです→待ち遠しく感じられます」「足下がおぼつかないです→おぼつかない状態です」のように、形容詞を述語にしない形に言い換えることができる。

というわけで、本日の尾州はとても暖かいですよ

2022年11月22日


自家製

今朝も授業の準備がてら白水社の『スペイン語大辞典』を引いたところ、謎めいた記述がふたつ見つかりました。まず casa 。

casa

❶家. 1)家屋, 住宅, 住居〖戸建て, 共同住宅内の一戸〗: No encuentran ~ y viven con su madre. 彼らは住むところが見つからず, の母親と同居している.

所有詞 su はたしかに「彼の」という意味でも使いますが、はたしてこの例文にふさわしいかどうか。動詞 encuentran と viven の主語は明示されておりませんが、現在形三人称複数なので ellos/ellas(彼ら/彼女たち)でしょう。であるならば、su も同じく三人称複数の「彼らの/彼女たちの」であると考えるのがごく自然だと思います。「彼ら」以外の、別の「彼の」家に住んでいる――これでは話がややこしすぎますぞ。

もうひとつは postre。

postre

❶《料理》デザート: De ~ tenemos tarta de casas. デザートには自家製ケーキがあります.

「自家製の」という熟語なのですが、de casas という表現はこれまでに見たことも聞いたこともありません。ふつうは de la casa と言います。「自家製の」、あるいは市販ではなく特定の飲食店で用意した「特製の」。少なくともスペインでは de casas などとは言いません。あるいはアメリカ大陸などでは言うのでしょうか。

2022年11月18日


こんなパイロットはいやだ

機内アナウンスの途中で「あっ」と言って絶句するパイロット。

2022年11月17日


楽しくなってきました

授業に備えて再び白水社の『スペイン語大辞典』で montar を引いたところ、またもや不可解な例文に出くわしたよ。

montar

❶乗る, 乗って行く; 乗り込む:  1)[+en 乗り物に] Fallece arrollado por un coche un joven mientras montaba en bicicleta. 一人の少年が自転車に乗っている時, 自動車にひかれて死亡した.

日本語の訳文が正しいとすれば、fallecer(死亡する)は点過去形三人称単数の falleció でなくてはならないのに、なぜか現在形三人称単数になっております。新聞記事の見出しなどでは過去の出来事も現在形で示すことがよくあるので、ひょっとすると見出しの一文なのかしら。であれば訳文も「自動車にひかれて死亡」と見出しにふさわしい言葉づかいにするのが読者に対して親切というものです。

辞書のあら探しなどするつもりはサラサラないのに、パッと開けばたちまち誤記が目に飛びこんでくる。今度はどんなミスに出会えるかしらと、だんだん楽しくなってきました。

2022年11月15日


女性専用

週に一二度利用する地下鉄駅のプラットフォームに立っていると、列車の到着を告げる構内アナウンスが流れます。アナウンスは必ず次のフレーズで締めくくられます。

「女性専用車両は、女性専用となっております」

この告知を耳にするたびに、「マジっすか! てっきり男性専用だと思ってました」と叫びたくなります。

2022年11月12日


またもや……

二日ぶりに白水社の『スペイン語大辞典』で momento を引いたところ、またまた驚きました。

momento

❸時機, 機会; 好機:  1) No creo que es ~ adecuado para discutir. 今は議論している時ではないと私は思う.

creer を否定文で使うばあい、従属節の動詞は接続法を用いるのが鉄則ではございませんか。正しくは No creo que sea momento adecuado para discutir. です。

2022年11月11日


またしても……

今週も白水社の『スペイン語大辞典』を引いたところ、動詞 encantar の語義に首を傾げたのでした。

encantar

2)[不定詞が主語]…したい: Me encanta leer e ir al cine. 私は読書と映画を見に行くのが好きだ. Le encanta salir de compras. 彼女は買い物に出かけるのが大好きだ. Me encantaría poderlo leer de nuevo. もう一度それを読めればいいのにと思っています.

本当の意味は「~したい」ではなく、「~するのが大好きだ」でございます。

2022年11月9日


遅ればせながら二十二周年

コロッと忘れておりましたが、今月6日に当サイトはおかげさまで開設二十二周年を迎えました。ご笑覧まことにありがとうございます。11月23日には語尾取りが二十一周年、12月7日はとりかえっ語も二十一周年です。

2022年10月22日


うーん……

またまた一週間ぶりに白水社の『スペイン語大辞典』を調べたのですが、首を傾げざるをえない記述に出くわしました。赤いフォントのところです。

que

❶[名詞節を導く. 主節が断定・事実の描写などを表わす時は +直説法. 主節が願望・疑惑・価値判断・感情などを表わす時は +接続法]…と, …ということ:
6)[間接疑問で. 省略可] Me preguntó〔~〕 si estaba despierto. 彼は私に「もう目が覚めたかい?」と尋ねた.

スペイン語の例文は間接疑問なのに日本語の訳文は直接疑問になっちゃっておりますぞ。正しくは「彼は私にもう目が覚めたかどうか尋ねた」でしょう。

同じく que に関して、もうひとつ。

que

❼[結果]…なので…だ: Esta casa es grande ~ no hay manera de calentarla. この家はあまりに大きいので暖房がきかない.

形容詞 grande の前に tan が欠けております。正しくは「Esta casa es tan grande que no hay manera de calentarla.」です。

2022年10月20日


どうなっているのかしら

一週間ぶりに本日も白水社の『スペイン語大辞典』を引いたら、またしても間違いを見つけました。saber を自動詞として使うときの成句です。

saber

~ mal a +人《西. 口語》…の気に入らない, 怒らせる:  2)[+que+接続法] Isabel le sabía mal que bebiera sola. イサベルは一人で飲むのが嫌い

つっこみどころは二ヶ所。まず、この文の主語は que 以下の名詞節なので、Isabel の前に前置詞 a が必要です。さもなければ間接目的格人称代名詞 le との整合性がとれません。したがって正しい文は A Isabel le sabía mal que bebiera sola. です。

次は動詞の時制。sabía は saber の線過去形なのですから、訳文の「嫌いだ」は不適切と言うほかありません。「嫌いだった」と言うべきでしょう。

訳文の不手際はふたつ前の成句にもみられます。

saber

~ a poco a +人《西》…にとっては物足りない: El empate me ha sabido a poco. 私は引き分けでは不満

原文の ha sabido は現在完了形なので、ここも「不満だ」よりは「不満だった」と書いておいたほうが安全だと思うのであります。「不満だ」を生かすとすれば、「私は引き分けに終わったのが不満だ」であれば納得できます。しかしどうも、じつに人を不安にさせる辞書でありますことよ。

2022年10月12日


2022年10月8日


心細くなる辞書

毎度おなじみ白水社の『スペイン語大辞典』にまた誤記を見つけました。間違っているところは赤いフォントにしておきます。

año

❸[紀元]…年: en el ~〔de〕19451945年に〖この de は《古語的》〗

パッと見て、いったい何年なのかわからず、軽いめまいをおぼえました。項目執筆者が「1945」をうっかりコピーアンドペーストしてしまったのでしょうね。

unidad

❸構成単位, …個: Se vende 800 yens/~. それは一個800円で売られている.

「~円で」の「で」は前置詞 a で表わします。従って正しくは Se vende a 800 yens/unidad. です。ついでに申せば、yen(円)の複数形は yens よりも yenes と綴るのが一般的だと思います。

paz

que en ~ descanse [故人に言及した時に付け加えて]死者の霊が安らかに憩わんことを, 故…: Mi marido, que en ~ descanse, lo dijó. 亡くなった主人がそう言いました

これは初学者が犯しやすいミスですぞ。正しくは dijo。

2022年10月5日


値上げ

「スーパーとかコンビニの食べものがどんどん小さくなっていくね」
「原材料価格が上がってるからだろ」
「かまぼこもだよ。前は板からはみ出るくらいにぷっくりしてたけど、少しずつしぼんでる」
「板は?」
「え?」
「板。板は薄くなってる?」
「板は……変わってないなあ」
「ならまだ大丈夫だ。板が薄くなって、半分くらいの厚さになったときはいよいよヤバいぞ」

2022年9月29日


こんな時計はいやだ

いったい何時なのかわからない時計です。なお温度計と湿度計は正しく動作する模様。

2022年9月5日


ある男の生涯

胡桃沢篤志という男の生涯は語るに値するのかどうか、一面識もないわたくしには判断できない。字面から察するにクルミザワ・アツシという名であろうが、こう書いてタキザワ・マモルと読むのだと主張するものがいるかと思えば、いやちがう、ハリー・アイゼンハワーだと言い張ってテコでも動かないものもいる。いずれにせよ、胡桃沢は岐阜県加茂郡東白川村に生まれなかったことだけはたしかだ。三歳のころ逗子海岸の海の家で叔父と叔母に育てられたという証拠はない。小学校では走り幅跳びと裁縫が得意だった形跡はみられない。中学時代はもっぱら三体問題の証明に明け暮れたなどと噂されたこともない。卒業後の消息は杳として知れず、そもそも入学したのかどうかさえはっきりとはしない。貨物船にもぐりこんで横浜からブラジルへ密航したのを目撃した人物はいないし、石川県の商事会社に雑用係として拾ってもらったのが真実かどうかを知る人もいない。八方手を尽くしたが胡桃沢篤志という男に関する記録はどこにも見つからない。ゆえにわたくしは、この男の生涯を語りたくても能わず、ただため息が漏れるばかりである。

2022年8月27日


本はタイトルが9割

題名に「9割」がつく実用書が雨後の筍のように現れるのはどうしてなのでしょう。しかも『人は話し方が9割』と『人は聞き方が9割』の著者が同一人物であるのは冗談のつもりなのかしら。そして、どの本もお金を払って読みたいという気持ちにまったくならないところがさらに不思議です。

2022年8月24日


美術館への誘い 最終回

国際交流基金の「美術館への誘い」シリーズの最終回が本日公開されました。ラインナップは次のとおりです。

  1. 21_21 DESIGN SIGHT
  2. 日本民藝館
  3. 富山県美術館
  4. 資生堂企業資料館/資生堂アートハウス
  5. 大阪中之島美術館
  6. 竹中大工道具館

2022年8月22日


美術館への誘い その3

国際交流基金の「美術館への誘い」シリーズ3が、本日午後公開されました。ラインナップは次のとおりです。

  1. 土門拳記念館
  2. 草間彌生美術館
  3. すみだ北斎美術館
  4. 小田原文化財団 江之浦測候所
  5. 鈴木大拙館
  6. 養老天命反転地

2022年8月15日(2)


ごめんこうむる

金田一春彦の『美しい日本語』(角川ソフィア文庫、2016年)を読んでいたら驚きました。この本は『日本語を反省してみませんか』(角川oneテーマ21、2002年)を改題して文庫にしたものなのですが、日本人は謝るのが好きだという説を唱えながらこうおっしゃる。

人の家を訪問する場合に「ごめんください」と言って入っていくが、これも陳謝の表現と言える。相手の平静を邪魔するという気持ちなのだろうか。また相撲の番付表を見ると、まん中に大きく「御免蒙(御免こうむる)」とある。誰にむあやまっているかわからないが、こういう場合にもやはりあやまるという日本人の精神が出ていて、おもしろいと思う。

金田一春彦『美しい日本語』角川ソフィア文庫、2016年、p. 106

番付表の「御免蒙」は、公的な許可を得た興行であることを示すものだよ。「ちゃんと免許や許可をもらっております」という意味であり、謝罪なんかではない。こんなことはちょっと相撲が好きな人なら誰でも知っているのに、こともあろうに金田一春彦先生がご存じないとはびっくりしました。編集者も気づかなかったのかしら。

2022年8月15日(1)


並外れた睡眠力

CNNによるとアメリカの寝具メーカーが「並外れた睡眠力」の持ち主を募集中です。何があっても眠れる人に給料を払ってくれるそうですよ。いくらでも眠れた二十歳前後のころだったら応募したかったよ。

2022年8月11日


美術館への誘い その2

国際交流基金の「美術館への誘い」シリーズ2が公開されました。ラインナップは次のとおりです。

  1. 青森県立美術館
  2. 太田市美術館
  3. 根津美術館
  4. 金沢21世紀美術館
  5. 秋野不矩美術館
  6. 豊田市美術館

2022年8月9日


美術館への誘い

本日から四週間にわたって、国際交流基金が日本各地の美術館を世界に紹介する「美術館への誘い」というビデオをYouTubeチャンネルで配信します。六つの言語(アラビア語、スペイン語、ポルトガル語、英語、中国語、日本語)で字幕を選べるのですが、ネイティブが作成したスペイン語の字幕をなんと僭越ながらわたくしが監修いたしました。NHKが制作したビデオですので映像もナレーションもすばらしい。心がゆったりと落ちつきます。配信スケジュールは次のとおりです。

本日公開されたシリーズ1のラインナップは札幌のモエレ沼公園札幌芸術の森清春芸術村島根県立美術館足立美術館霧島アートの森。ぜひお楽しみください。

2022年8月2日


「おろす」

ATMでお金をおろしました。ディスプレイの「お引き出し」というボタンを押しながら、なぜ「おろす」と言うのか、不思議に思ったよ。預金を引き出すのが「おろす」なら、預け入れるのは「お金をあげる」でよさそうなのに、言わないね。「雨があがる」とは言うけれど、「雨がおりる」とか「雨かさがる」とは言わない。「風呂からあがる」の反対は「風呂へおりる」だよ――と、日本語を学ぶ異国の人に嘘をついてだましてみたい。

2022年7月25日


ポリバケツ語

五つの母音(a, i, u, e, o)をひとつずつ、ぜんぶ含む単語をポリバケツ語と呼ぶのだそうです。ポリバケツをローマ字で書くと poribaketsu。なるほど、そろっているなあ。ポリバケツ語を集めているサンカクさんというかたのツイートによりますと、「隠れ蓑」「アメジスト」「なめこ汁」「人助け」「丙午」「砂時計」「ゆりかもめ」「恵方巻き」「ご明察」「お手伝い」などがあるが、意外なところでは「海苔茶漬け」が一頭地を抜いているという。たしかに。おもしろいので、さっそく考えてみたよ。

いまのところ「すけこまし」がお気に入りです。

2022年6月20日


War is not the answer

What's Going On / Marvin Gaye

2022年4月15日


鳥の歌

1961年11月13日にホワイトハウスに招かれたパウ・カザルスがケネディ大統領夫妻の前で演奏した「鳥の歌」を、このところ毎日聴いております。ロシアよ、戦闘をやめてくれ。

鳥の歌/パウ・カザルス

2022年3月13日


連帯

当サイトの配色をウクライナの国旗色にして連帯を表明します。Я з тобою, де б ти не був.(あなたがどこにいようと、わたしはあなたと一緒にいるよ)

2022年3月8日


戦争終結を求めます

先月27日、ウクライナでの戦争の即時終結請願書に署名しました。現在世界各地から209万8325人分の署名が集まり、さらに増え続けています。戦争はいやだ。胸が苦しいよ。

2022年3月1日


「では」?

今野真二さんの振仮名ふりがな歴史れきし(岩波現代文庫)を読んでいるのですが、次の段落で「おや?」と首を傾げました。ちょっと読んでみてちょうだいな。首を傾げたところは赤い文字にしておきました。

ところで「辞書」と聞くと何を思い浮かべるでしょうか。『広辞苑』でしょうか。『新明解国語辞典』でしょうか。今わたしたちが使っていることばを調べるのに、今つくられている辞書を調べてみるのはごく自然です。では過去の日本語のことを調べるのにもかつてつくられた辞書、これを古辞書とよびますが、その古辞書を使うことも自然です。ここではそうした古辞書の一つとしてよく知られているものをひもといてみましょう。

今野真二『振仮名の歴史』岩波現代文庫、2020年、p. 62

さあ、この「では」がわからない。「では」は「それでは」の略ですね。「では」のまえとうしろの文がどうつながるのか。つながらないなあ。「では」をとってしまえば意味は通じます。おそらく推敲する際に見落としたのでありましょう。

2022年2月19日


脳内連続再生

おとといから頭の中でこの曲がノンストップで流れており、気が狂いそうです。どうすればいいのでしょう。

社長さんはいい気持/鈴木やすし

2022年2月18日


ちゅうしん?

毎度おなじみ白水社の『スペイン語大辞典』で azófar を引いてびっくりしたよ。

azófar
[aθófar] 《文語》真鍮(ちゆうしん)〖=latón〗

シンチュウですよ、と真顔で訂正するのもはばかられるミスでございます。誤字や脱字ではない、珍しいまちがいだ。項目執筆者も編集者もお疲れのご様子とお見受けしました。

2022年2月5日


土偶の謎が解けちゃった

去年から読みたい読みたいと思っていた竹倉史人さんの『土偶を読む』(晶文社)がようやく正月に地元の図書館に収蔵されたので、さっそく借りて読みました。目から鱗が落ちるとはこのことです。土偶のデザインの謎がぜんぶ解けちゃいました。縄文人も現代人も心のありようはほとんど変わらないのだなあ。これほどシンプルな謎解きが、なぜいままで誰も思いつかなかったのかしら。これはこれであらたな謎であります。

2022年2月1日


達人

達人になりたいと思わない人がこの世にいるだろうか。いや、いない。わたくしも一度でいいから達人と呼ばれたい。どうすれば達人になれるだろう。

武道の達人は戦わないそうだ。やれ百戦百勝だ、やれ千人斬りだと武勇伝を自慢しているうちはダメなのだろう。そもそも武道の達人は敵をつくらない。

「戦わない」

これこそ達人の真骨頂だ。では料理の達人はどんな人か。

「調理しない」

食材がどうの、調理器具がどうのと、つべこべ言っているうちは青二才だ。真の料理の達人は調理しないに決まっている。話芸の達人はどうか。

「しゃべらない」

調子に乗ってぺらぺらとしゃべっているうちは半人前である。語学の達人はもっとすごい。

「読まず、書かず、話さず、聞かない」

四拍子そろってはじめて達人だ。人生の達人はどうか。

「この世に生まれない」

凡人はひとりの例外もなく勝手にこの世に生まれてきては、人生の荒波にのたうちまわって大騒ぎする。人生の達人は出発点が違う。そもそもこの世に生まれてこないのだ。達人への道は遠い。

2022年1月27日


藤井康生さん

大相撲を実況中継するNHKのアナウンサーのなかでわたくしがもっとも尊敬するのは藤井康生やすおさんでした。「でした」と過去形で言わねばならないのが残念です。きのう最後のテレビ実況を終えられました。

六十年近く相撲を見続けて養われた眼力。豊富な知識。巧まざるユーモア。解説者の北の富士勝昭さんとのコンビは抜群でありました。とりわけわたくしが共感したのは制限時間いっぱいになるまでダラダラと仕切りを続ける昨今の風潮への批判です。「時間前に立つ」立合いが見られないのが残念だと、実況のたびごとに嘆息なさっていました。相撲中継アナウンサーに番付があるとすれば藤井さんは横綱であります。わたくしが勝手に推挙するよ。

1月22日追記。本日午後4時5分からNHKラジオ第一で藤井さんが実況中継します)

2022年1月21日


どちらさまですか

黒澤明の生年を調べたくて辞書をいくつか引いてみたところ、氏名の漢字表記が気になったのでした。『日本大百科全書』は「黒澤明」、ところが『改訂新版 世界大百科事典』をはじめ『日本国語大辞典 第二版』『広辞苑 第七版』『大辞林 第四版』『デジタル大辞泉』『日本人名大辞典』はどれも「澤」の字を用いず「沢」で代用している。

「黒沢明」

なんだか別人のような気がするよ。さらに気になる人物はハスミシゲヒコさんだ。

「蓮実重彦」

ぜんぜんしまりがない、キリッとしない表記で、ひとごとながらお気の毒に思います。どの本にも著者名は「蓮實重彥」と書いてある。ついでに申せばシブサワタツヒコも澁澤龍彥と書かないと本人である感じがしないよ。上にあげた辞書の大半は「渋沢竜彦」。どちらさまですかと聞き返したくなります。

2022年1月13日


謹賀新年

むうむうあけましておめでとうございます。おかげさまで当サイトは二十二回目の正月を迎えました。今年もはりきってうっかりする所存です。

2022年1月1日