皆の衆、今年も遊んでくれてありがとう。よい新年を迎えてくんなまし。
2019年12月31日
小学生のころサンタさんの正式名は「サンタク・ロース」、つまりロースさんだと思っていたのは内緒だぞ。
2019年12月24日
毎週金曜日午後11時に放送されるBS-TBS「おんな酒場放浪記」をいつも楽しく見ておりまして、特に日本一ビールジョッキが似合うモデルであるやっこ姉さんこと倉本靖子さんのファンなのですが、先日倉本さんが居酒屋を訪ねて70歳ぐらいとおぼしき常連客の男性と言葉を交わすうちに年齢の話題になり、「わたし、元28歳です」「お、俺も元28歳」「同い年ですねー!」というやりとりを聞いてわたくしは心を動かされ、ここだけの話ですが、何を隠そうわたくしも元28歳でございまして、倉本さんと同い年なのであります。
2019年12月23日
12月25日がイエスの誕生日であるなどとは聖書のどこにも書いておらず、ではなぜこの日がクリスマスなのかというと古代ローマでは冬至を祝うサトゥルナリアという祭があり、冬至は太陽が最も低く、この日を境に太陽はどんどん高くなり世界が明るくなる、だからイエスの誕生と結びつけられたのだよ――とわたくしに教えてくれたのは22年前に読んだアイザック・アシモフ著『クリスマス12のミステリー』(新潮文庫)の「まえがき」でした。
2019年12月20日
ビールでもワインでも焼酎でも日本酒でも一口飲んだだけで気分が悪くなるからきしの下戸でございますが、なぜか若いころから日本酒への憧れが強く、太田和彦さんの『居酒屋大全』(角川文庫)が愛読書で、ああ、いつかコハダの刺身やアジのなめろう、煮こみなどを肴に「新亀」や「美酒の設計」が飲めるようになりたいと願ってきました。しかし寅さんではありませんが奮闘努力の甲斐もなく下戸のまま。月曜午後8時のBS11「太田和彦のふらり旅 新・居酒屋百選」を毎週楽しみにするのが関の山なのでした。酒に目がない下戸もいるんだよ。
2019年12月16日
東京の幼稚園を卒園して小学校にあがり、二年生になったとたんに家庭の事情で北海道へ引っ越しました。転校生として通い始めた小学校ではクラスメートたちの言葉がわからず戸惑いました。
「がっちゃい」
おもに男の子が好んで口にします。「ださい」とか「野暮ったい」とか「古くさい」という意味なのですが、なにしろ初耳なので意味がさっぱりわからない。しかたがないので質問しました。
「がっちゃいって、何?」
「がっちゃいも知らないのか。――がっちゃい!」
このとき浴びせられた「がっちゃい!」により、わたくしは一瞬で意味を了解したのでした。
もうひとつわからなかったのが別れのあいさつです。
「したっけ」
これも男の子どうしが別れ際に必ず口にしました。標準語の「それでは」や「それじゃあ」に相当する北海道弁なのでした。考えてみると「さようなら=左様なら」は「そういうことであれば」ですし、「さらば=然らば」も「それならば」ですから、意味はすべて同一だ。おそらく全国各地の方言もきっと同じ意味のフレーズを使うに違いない。かたっぱしから調べ上げてみたいが面倒くさいよ。
「
2019年12月3日
今週の金曜日にとりかえっ語が十八周年を迎えます。こうなったらとりかえるしかない!
2019年12月2日
「静粛に願います。ただ今から常套句推進会議を開会させていただきます」
「異議あり!」
「いきなり異議を唱えるのはいかがなものか」
「不規則発言は無視して会議を始めたいと思います。まずはメンバーのご挨拶から」
「えー、便所でお尻を拭く会長、三遊亭小遊三です」
「大喜利などにうつつを抜かしている場合ではありません。改革は待ったなしだ」
「改革案には断固反対します」
「反対するなら対案を出せ」
「議長! バナナはおやつに入りますか」
「そうですね。やっぱり入らないと思うんですよ」
「そんな馬鹿な話があるか。お客さまのニーズに合わせたソリューションを提供するのが我々の使命だ」
「どちらの言い分ももっともですので、どうでしょう、ここはひとつあいだをとって……」
「それじゃダブルスタンダードじゃないか」
「厳しい批判は重く受けとめます。しかし執行部は……」
「執行部は現場のことを何もわかっていない」
「ちょうど時間となりました。次回の会議は一月十日に開催いたします」
2019年11月25日
本日「語尾取り」が十八周年を迎えました。最近は参加者がめっきり減りましたが細々と続いております。とりあえず二十周年を目指しましょうか。
2019年11月23日
瀬戸内寂聴さんが新著『寂聴 九十七歳の遺言』(朝日新書)の出版を記念してきのう京都で記者会見を開き、記者とのやりとりがAERA dot.で公開されたのを先ほど読みました。タイトルの「遺言」について寂聴さんはこうおっしゃった。
書かないと食べられないから、まだ書けるうちは書きたい(笑)。ただ、九十七という数字はきれいなのでとても好きなんです。九十八だと、なんとなくボタっとしている。これが「百歳の遺言」でも、つまらないでしょう。だから「遺言」は、もうこれが最後ですね。
わたくしが虚を衝かれたのは「『遺言』は、もうこれが最後ですね」のひとことです。最後の遺言。ということは、これまでに何度か遺言をお書きになったのでしょう。わたくしはなぜか遺言というものは死ぬ間際にこれだけは遺族に言い残しておきたいと思うことを一念発起して書き上げるものだとばかり思っておりました。一度書いたらおしまいだと思ったのです。ところがどうやら遺言を二度も三度も書く人がいるらしい。中にはしょっちゅう書き直す人がいるかもしれない。さらに考えを進めると、遺言を書くことが生き甲斐という人だっているに違いない。
「遺言作家」
次々に新しい遺言を発表して生計を立てる作家です。そんな職業があるものか、馬鹿も休み休み言え、という御仁には、椎名桜子を忘れたかと問いただしたい。
「名前・椎名桜子 職業・作家 ただ今処女作執筆中」
1988年に突如出現したこのキャッチコピーをわたくしは生涯忘れません。まだ文芸作品をひとつも発表したことがない作家という職業が今から三十年以上前に誕生したのです。遺言作家だって、絶対に日本のどこかにいるはずだ。
2019年11月15日
十月二十二日の即位礼正殿の儀の直後に行われる予定だった天皇陛下の祝賀御列の儀は台風十九号の被害が甚大であったことを考慮して十一月十日に行われましたが、その前日に開催された天皇陛下即位をお祝いする国民祭典で歌を披露したのが「暴風雨」を意味する名前の男性歌手グループだったことに驚いた人がどこにも見当たらない理由は、十年前の十一月十二日に催された天皇陛下即位二十年をお祝いする国民祭典で歌を捧げたのが「国外追放」「流刑」「亡命」を意味する男性歌手グループだったという前例があるからなのでしょうか。
2019年11月12日
東京芸術劇場で開催された東京芸術祭ワールドコンペティション2019で、わたくしが日本語字幕を担当したチリの劇団ボノボの『汝、愛せよ』が批評家賞、最優秀パフォーマー賞、観客賞を受賞しました。嬉しいなあ。
2019年11月4日
全知全能の神について考えると不思議な気持ちになります。神はあらゆることを知り尽くし、どんなことでもできる。なにしろ世界を作ったり滅ぼしたりするくらいですから、できないことはない。「絶望する」能力もあるはずだ。まちがいなく絶望できる。「我を失う」のはお茶の子さいさい、「弱音を吐く」のも朝飯前です。
「寝坊して会社に遅刻する」のは赤子の手をひねるも同然だし、「借金が払えず自殺する」のもお手のものだ。「東京の七月と八月は晴れる日が多く、かつ温暖であるため、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である」と法螺を吹いてオリンピックを誘致するのは得意中の得意。神とはすなわち人のことではあるまいか。
2019年11月3日
「きょうのゲストは、日本を代表しない梨農家の遠藤さんです。遠藤さん、よろしくお願いいたします」
「こちらこそ」
「遠藤さんは日本を代表しない梨農家に選ばれたわけですが、どんなお気持ちですか」
「嬉しいですね。日本を代表する梨農家にだけはなりたくないと思って、今まで頑張ってきました」
「と言いますと?」
「梨農家は全国に大勢いるんです」
「でしょうね」
「正確な人数は知りませんが数百人はいるはずです。全員がそれぞれ知恵を絞って、工夫を凝らして、丹精こめて梨を育てます」
「ええ」
「うちの梨がいちばんおいしいぞ、どこの梨にも負けないぞ、と」
「はい」
「ですから、とれた梨の味はどれも違うんです」
「農家ごとに、みんな味が違う」
「ええ。で、出荷して売るわけですが、どれが売れるかというと、おいしい梨が売れます」
「そうですよね。わたしもおいしい梨が食べたいです」
「ところが、どんな味をおいしいと思うかは、人それぞれです」
「ああ、好みがありますよね。甘いのが好きとか、酸っぱいほうがいいとか」
「はい。水分が多いのを好む人もいますし、硬いのが好きという人もいて」
「十人十色ですね」
「そうなんです。十人十色の中からひとり代表を選ぶのは無理ですよね」
「代表を」
「代表っていうのは、全体に共通する性質とか特徴をもった人のことでしょう」
「そうですね」
「梨農家が十人いたとして、その十人全員に共通する特徴をもった人を選ぶことになります」
「ええ」
「すると、その人は陳腐でありきたりの人、ということになります」
「あ、ほかの農家と共通するから」
「はい。どの農家にもあてはまる特徴を備えた人ですから、要するに、どこにでもいる人になっちゃいます」
「はあ」
「我が家には死んだ父の遺言がありまして」
「どういう遺言ですか」
「日本を代表するようになってはおしまいだぞって」
「日本を代表してはいけない?」
「ええ。日本を代表する梨農家にだけはなっちゃダメだ。この言葉を支えに、今まで頑張ってきました」
「きょうは日本を代表しない梨農家の遠藤さんにいろいろお話をうかがいました。遠藤さん、ありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとうございました」
2019年11月1日
本日は英語の非文です。
「I is you.」
Google翻訳では「私はあなたです」と翻訳されます。でも is のダメさが伝わらない。Googleさんはまだまだダメです。
「Thank me.」
たまには自分自身へ感謝してもいいじゃないかと思うのですが、どうも許されないらしい。
「With when do he be existed?」
言語の奈落を垣間見るようです。
2019年10月26日
昨年の2月26日に粗忽第二共和制におきまして、かしこくもたこ焼き村さんから「非文大王」の称号をたまわり有頂天になったのですが、大王を名乗るからには日本語のみならずほかの言語でも非文をあやつれなければ名折れではないかと思い至りました。というわけで、スペイン語の非文を考えてみました。
「Quiero llover.」(わたしは雨が降りたい)
スペイン語を無理やり好意的に解釈すると、「わたしは雨になって降りたい」となりましょうか。
「Me gusta morir.」(私は死ぬのが好きだ)
くたばってはよみがえり、またくたばってはよみがえる百戦錬磨のつわものです。
「Yo tenemos una perros.」
わずか四つの単語すべてがめちゃくちゃで、どのくらいめちゃくちゃかを日本語で説明するのは無理です。
2019年10月25日
ただいま開催中の東京芸術祭2019で、わたくしが日本語字幕を作成した作品が二つ上演されます。バルセロナの劇団エル・コンデ・デ・トレフィエルの『可能性は風景の前で姿を消す』(10月30日午後2時/午後6時)と、チリの劇団ボノボの『汝、愛せよ』(11月2日午後2時/午後6時)。何の予備知識も持たずにご覧いただきたい。とりわけお勧めなのは『可能性は風景の前で姿を消す』です。
2019年10月20日
お相撲さんが好きだ。力士が好きなのではなく、「お相撲さん」という言葉の響きが好ましい。怪力の持ち主だけど礼儀正しくて心がやさしい、そんな人に対する尊敬と親しみが感じられる。でも、よく考えてみると不思議な言葉だ。
「お相撲さん」
競技の名前に「お」をつけて、さらに「さん」をつける。おそらく、この場合の「相撲」は相撲取りを略したものだろう。競技の名称ではなく競技をする人ですね。だから、「お相撲さん」は医者を「お医者さん」と呼ぶのと同じだ。理窟ではそうだとわかるけれど、競技名に「お」と「さん」がついているように聞こえる。では、ほかの競技やスポーツはどうだろう。
「お野球さん」
聞いたことがない。それもそのはずで、野球選手を略して「野球」とは呼ばない。「お卓球さん」「お柔道さん」「お鉄棒さん」、みなダメである。「おサッカーさん」は大坂さん、あるいはおっかさんと聞き間違えられそうだ。
相撲は不思議だ。相撲取りを「相撲」と略せるなら、ミイラ取りはどうなるか。
「ミイラ」
ミイラ取りは競技者ではない、などと反論するのは愚かである。だって、相撲を取る人が「相撲」なのだから、ミイラを取る人は「ミイラ」に決まっているじゃないか。
話は変わるが、もうひとつ不思議なのが商店の呼びかたである。
「パン屋さん」
パンを商う店だ。「魚屋さん」は魚を売り、「靴屋さん」は靴を売る。すると、当然の帰結として、ひとつの疑問が浮かぶ。
「お店屋さん」
お店屋さんが商売物をずらりと並べた光景を想像すると興奮する。
2019年10月16日
【問】 次のフレーズは世界的なヒットを記録した歌です。歌手名と曲名を答えなさい。
「えんだー」
2019年10月15日
先月三十一日に東京新聞が報じた記事によりますと総務省の有識者会議がAMラジオ局のAM放送を廃止しFM放送に一本化することで合意したそうです。ラジオ放送局は広告収入が減るばかりでAMとFMを両立させるのが経営上難しくなりつつあるから、コストが安くてすむFM放送に切り替えてゆくらしい。背に腹はかえられないのでしょうが、AMラジオの「声」を愛するものとしてはまことに残念と言うほかありません。
AMとFMにはそれぞれ一長一短がありますが、AMの長所は広範囲に電波が届くことと受信機の電力消費が少なくてすむことです。ラジオ受信機が一台あれば広い地域で受信できる。電力消費はAMとFMを聞き比べればすぐにわかりますが、AMは電池のもちが長く、FMはすぐ電池がなくなる。これらの利点以上にわたくしがAMを愛する理由は、語り手の「声」がまっすぐ心に届くことです。
アナウンサーやDJの語りを、ぜひAMとFMで聞き比べていただきたい。FMはAMよりもたしかに音質がすぐれています。音楽鑑賞にはFMがもってこいだ。しかしながら音質がすぐれているがゆえに、人の声が声というよりは「音」として耳に入ってくる。語りの内容よりも、語る声の音質が際立ってしまうのです。その点、AM放送は音質が劣る反面、話の内容がスーッと心に届きます。
幸いなことにNHKだけはAM放送を継続するらしい。「ラジオ深夜便」のアンカーや出演者の語りを楽しむ喜びは失われずにすみそうで、ほっと胸をなでおろしております。
2019年10月12日
チラシや文書で必ずお目にかかるのが「させて頂きます」というフレーズで、目にするたびにいやな気持ちになります。「させて頂く」は相手の許諾を得た上で何かを行う場合にのみ使える。ところが世の中のチラシや文書のほとんどは相手の許諾など得る気はさらさらなく、自分の言い分を一方的に主張する。丁寧な口調は見せかけにすぎません。「誠に勝手ながら○○いたします」でじゅうぶんだよ。
2019年10月7日
当サイトは本日十九周年を迎えました。これもひとえに皆さまのご愛顧のたまものです。これからもご贔屓をよろしくお頼み申し上げます。
2019年10月6日
トップページのごあいさつはおよそ二ヶ月ぶりですが、「抑鬱亭日乘」は毎日せっせと更新しております。今度の日曜はサイト開設十九周年でございます。
2019年10月1日
六月も七月も涼しいを通りこして寒いくらいだったから今年の夏は過ごしやすいわねラッキー♥て思ってたのに、なによこの暑さ! 話が違うわよ! 熱中症で人がバタバタ倒れてるじゃない! 暑すぎて言葉づかいがおかしくなっちゃったわ。今どきこんなしゃべりかたする女いねーよって、百も承知よ!
2019年8月3日
こんなフレーズを発してくれたらいっぺんにその人が好きになることを請け合います。
2019年7月23日
ツイッターで見つけた言葉遊びだよ。
2019年7月1日
二十年以上前の話ですが、「しろくま君のホームページ」という言葉遊び専門のウェブサイトがありました。読者の投稿作品が面白く、とりわけレベルが高かったのが「回文の部屋」というコーナー。いくつか作品をご紹介しましょう。
2019年6月9日
シアトル系のコーヒーに飽きたお客さまにコーヒー本来の味を楽しんで頂きたい。「粗忽珈琲」のお勧めメニューをご紹介します。
2019年6月1日
大相撲が始まると毎日ラジオとテレビの中継を楽しみますが、仕切りを重ねる力士が睨み合う姿を近年のアナウンサーが「視線をぶつける」と表現するのを耳にするたびに眉間に皺が寄ってしまう。「視線をぶつける」なんて、まるで路上でガンを飛ばすチンピラだよ。描写がいかにも即物的だ。闘志のみなぎりが感じられない。尊敬する藤井康生アナウンサーはわたくしが知る限り決してこのフレーズを口にしません。「睨み合う」でいいじゃないか。
2019年5月12日
今朝我が家のセキセイインコ、あさり君が息をひきとりました。享年十二。セキセイインコの平均寿命は七年。元気なインコでさえ十年生きるのは珍しいので異例の長寿でした。三日前に突然足が弱くなったかと思うとあっという間に衰弱、今朝は眼をぱっちり開いたまま事切れておりました。おそらく最期はあまり苦しまなかったのだと思います。
好奇心旺盛で楽しいことが大好き、恐いことは大嫌いな性分でした。わたくしとはよく遊び相手になってくれました。生まれつきPBFDというウイルスに感染しており、風切羽や尾羽が生えず、人間でいえば身体障碍者なのですが、当人は不具であることを一切気にせず、毎日元気に過ごしておりました。朗らかに生きることの大切さを教えてくれました。きょうはお通夜。あしたの午後近所の天台宗のお寺の動物霊園でお葬式をしてもらいます。
2019年5月11日
新しい元号に隠された意味について、品田悦一さんのエッセイ「『令和』から浮かび上がる大伴旅人のメッセージ」ほど眼光紙背に徹する文章をほかに存じません。皆の衆、ぜひご一読を。
2019年5月1日
【問】 次の対話を英訳しなさい。
「僕は犬だワン」
「吾輩は猫だニャー」
2019年4月22日
フィクションの世界では見聞きするけれども実生活ではまず口にすることはなかろうと思う語句を、誰に頼まれたわけでもないのに発表します。
2019年4月20日
新しい元号が発表されましたが、当サイトに限っては「粗忽」を元号といたします。更新履歴によりますと今はなきOTDレンタル掲示板において「粗忽主義貧民共和国」が建国されたのが2003年8月6日でした。共和国であるにもかかわらず粗忽天皇が国家元首をつとめるところがいかにも粗忽であります。OTDのサービス終了に伴い、2011年7月1日からはFC2で「粗忽第二共和制」と改称し現在に至ります。従いまして、わが国においては2003年が「粗忽元年」、今年は「粗忽17年」であります。
2019年4月1日
本日の粗忽第二共和制にじゅんやさんが古巣の筑波大学から東京大学へ転任なさる動機を書いてくださいました。筑波大学が推し進める「改革」に愛想が尽きてしまったのでした。じつは筑波に限らず、全国津々浦々の大学、とりわけ人文科学系の組織には「改革」と称する嵐が吹き荒れています。この嵐を支える思想は「前回の改革は失敗だった」の一文で表現できます。さらに遡れば「過去の改革はいずれも失敗だった」の一文で表現できる。大勢の人が知恵を絞って断行したはずの「改革」はすべて失敗に終わった。であるならば、今回の「改革」も必ず失敗する運命にあることは火を見るより明らかです。にもかかわらず「改革」推進者はこの単純明快な事実に目を向けようとしません。
大学は研究機関であると同時に教育機関でもあります。教育は人間が社会を営み始めたときからずっと変わらず続く知的な装置です。その根幹はだてや酔狂で変えるべきではない。時代の進みにつれて細部を変化させるのはよろしい。しかし根本が「変わらないこと」がいかに尊いかを忘れてはいけない。過去をふりかえり未来を展望するには、変わらない定点が必要です。「変わらないこと」は保守反動ではいささかもなく、「改革」と称する蛮行がはびこる昨今においてはむしろ最も革新的なふるまいだとわたくしは思います。
2019年3月27日
二〇〇〇年六月十七日土曜日。名古屋は朝から雨。十二時半ナゴヤドームへ行きました。プロ野球オリックス対西武の試合観戦です。翌年大リーグへ移籍することが決まったイチローの勇姿を目に焼きつけておこうと思ったのでした。
ドーム球場に足を踏み入れるのは初めてです。雨天なので天井が幕で覆われ外の光は遮断され、人工芝の緑が照明に照らされて眩しい。座席は一塁側ベンチの上。グラウンドは目の前です。西武の選手が練習中。試合開始の時刻が近づくとイチローがベンチから出てきて、一塁側ベンチの前でキャッチボールを始めました。場内アナウンスが先発メンバーを紹介する。女の声で「四番、ライト、イチロー」と呼ぶだろうと思ったのに、意外にも男の声でした。
「フォース・バッター、ライト・ディフェンス、イチゥロ~オゥ・スズゥ~キィ~」
声の主はまちがいなく日本人なのですが、なぜか英語です。しかも人名の発音までアメリカ英語風。イントネーションが珍妙で聞きとりにくいことはなはだしい。何を苦しんで大リーグの真似をするのでしょうか。次に女の声で場内アナウンスがありました。
「本日は、昨日皇太后陛下がお亡くなりになったので、鳴り物の応援はお控えください」
前日皇太后陛下が崩御しました。わたくしは鳴り物の応援を嫌うこと蛇蝎の如し。太鼓やラッパの騒音が不快なあまり野球場から久しく足が遠のいていました。不快に思う人はわたくしだけではないようで、二三日前にセ・リーグでも「球音の日」と称して鳴り物の応援を自粛させたのが好評を得たばかりでした。バックスクリーンのてっぺんに五竿の旗がぶら下がっています。左右の端はオリックス・ブルーウェーブと西武ライオンズの球団旗。その内側の二竿はパ・リーグと球場のものらしく、真ん中には日の丸。日の丸だけが一段下がっている。弔旗です。皇太后陛下のおかげでこの日は心安らかに球音を楽しめます。
そしてイチロー。何気なく体を動かすときの姿勢が素晴らしい。背筋がピンと伸びている。
午後一時。試合開始。先攻は西武。一回裏のオリックスは三者凡退で、四番のイチローには打席が回ってこない。打率は三割九分五厘。この年は一九九四年以来二度目の四割を達成しています。観客の目当てはもちろんほぼ全員がイチローです。二回表、西武が連打で二点先取。二回裏、いよいよイチローの第一打席。ところが西武の先発投手、台湾出身の許は敬遠気味の四球。「あーあ」と観客席がため息に包まれます。直後にオリックスは二点取って同点に追いついた。三回以降は両軍とも三者凡退が続き試合が単調になる。イチローの二打席目はまたしても敬遠。三打席目は内野ゴロ。「きょうは活躍できないかな」と思った矢先でした。
たしか六回表だったと思います。西武のスイッチヒッター、四番ショートの松井稼頭央が二塁ランナー。打者は平塚。平塚は一二塁間をライナーで鮮やかに抜くヒットを放つ。俊足の松井はためらわず三塁を回る。ライトのイチローがボールをキャッチしてすかさず矢のようなバックホーム。ボールはキャッチャーのストライクゾーンにノーバウンドで届き、走者タッチアウト。「おおー」と思わず声が漏れ、場内はやんやの喝采に包まれました。
七回裏。イチロー第四打席はピッチャーゴロ。この時点でオリックスが三対二でリード。イチローに五度目の打席が回ってくる確率はきわめて低くなったので、観客がぞろぞろ帰り始めました。わたくしは延長戦を期待して球場にとどまりました。すると八回表に西武が同点に追いつき、九回表に一点追加して逆転。西武のストッパー、森が時速百五十三キロの速球でオリックス打者をきりきり舞いさせて試合は西武が勝利しました。
イチローの安打は見られなかった。でも、のちにレーザービームと称されることになるライトからの返球の凄さを目撃できた。ライトから本塁へ一直線に投げたボールの軌跡を一塁側ベンチの上で真横から目撃できた幸運は今も忘れられません。
2019年3月22日
世の中にはいろんな記録がありますが、「三時間で四回現行犯逮捕」はおそらく日本新記録ではあるまいか。神戸新聞によると、昨夜三十七歳の男が神戸市内の病院で事情聴取中の警官の胸倉をつかんで足を払い現行犯逮捕。かけつけた別の警官にも暴行を加えて現行犯逮捕。その後兵庫署の取調室で警官に頭突きを食らわせ現行犯逮捕。さらに留置所で警官の顔を殴打して現行犯逮捕。この間わずか三時間弱。どれほどムシャクシャしていたのでしょう。絵に描いたような乱暴者です。三時間以内に警官四人をボコボコにするのは凡人には到底無理です。この記事を読んで、わたくしは自分がいかに平凡な人間であるかを思い知らされたのでありました。
2019年3月19日
今年もヤフーが東日本大震災復興支援の募金を実施中です。「3.11」を検索すると一人あたり10円をヤフーが寄付。13時43分現在の応募者数は257万3828人。つまり2573万8280円。皆さまもぜひ!
2019年3月11日
Lenovoのノートパソコン、ThinkPad E145のハードディスクをSSDに交換してみました。CPUがAMD E1-2500という貧弱な製品で、これまでは反応がもたもたして苛立ったものですが、ストレージをSSDに変えてみると体感速度が二倍くらい速くなったよ。作業時間は一時間に満たず。Crucial SSD 500GBをパソコンに繋ぎ、無料ソフトAcronis True Image for Crucialでハードディスクの中身をSSDに複製。四十分で完了。あとはハードディスクを取り外してSSDと交換して電源を入れるだけ。楽ちんでした。
2019年3月2日
今月の壁紙はくだらないおしゃべりをさす擬声語です。くだらなくてもいいじゃないか。おしゃべりしよう。
2019年3月1日
『改訂新版 世界大百科事典』『日本大百科全書』『日本国語大辞典 第二版』『デジタル大辞泉』『字通』『ランダムハウス英和大辞典 第二版』などの辞書や事典をオンラインで全文検索できるジャパンナレッジ。百科事典や『日本国語大辞典 第二版』などは書籍版を買うとそれぞれ三十万円くらいしますが、ジャパンナレッジに登録すれば月々千数百円で全てのページを検索できます。わたくしは「JKパーソナル+R」というコースを年間契約で利用中。辞書好きにはたまらないサービスですよ。ぜひお試しを。
2019年2月21日
太宰治ではありませんが、恥の多い生涯を送って来ました。二十代の半ば頃まで崇高の「崇」と祟りの「祟」は同じ文字だと信じて疑わなかった。意味を考えれば同じ文字であるはずがないのに。「鳥」や「島」の一画目はカタカナの「ノ」のように右上から左下へ向けて書くのが正しいのに、いつも左上から右下へ「ヽ」と書いてきた。手紙の「前略」に対する結語が「後略」ではないと気づいたのは二十歳でした。アホ丸出しです。つまり、自分は、粗忽な男であったというわけなのでした。
2019年2月20日
洋の東西を問わず、長ったらしい言葉はどんどん省略したくなるのが人の常ですが、では「ありがとうございます」はどのくらい短くできるでしょうか。
「あざーす」
よく耳にします。かなり短い。
「うぃーっす」
これも短い。では、「こんにちは」はどうか。
「ちゅーす」
短くて楽ちんだ。何か音を発して伸ばし、最後に「す」を添えればだいたいの用は足りるのではないかしら。
2019年2月16日
佐々木孝先生の謦咳に接したのはわずか一年間、東京外国語大学の大学院修士課程でした。にもかかわらず、爾来畏れ多くも「若き友人」として遇してくださいました。昨年十二月二十日、先生は突然簀を易えられました。思いがけない訃報に胸が痛み、呼吸が苦しくなり、ご遺族にお悔やみを申し上げるのにも一か月以上を要しました。
先生はまっとうに生きることの難しさと大切さを教えてくださいました。ご恩は決して忘れません。先生、ありがとうございました。どうか安らかにお休みください。
2019年2月1日
椅子から立ち上がるとき、つい「よっこらしょ」と口にするようになりました。「どっこいしょ」と呟くこともある。で、ふと思ったのですが、英語圏の人は「よっこいしょ」や「どっこいしょ」に相当するフレーズを口にするのでしょうか。
手もとにある『ジーニアス和英辞典 第3版』(大修館書店)を調べてみると、「どっこいしょ」の項目があるじゃないか。喜び勇んで解説を読みました。
どっこいしょ
¶ 彼はどっこいしょと腰を下ろした
[=ドスンと音を立てて座った] He plunked [《英》plonked] himself down.; [=長時間立っていて疲れて座った] He took the weight off his feet. 《◆日本語のように、疲れて腰を下ろす時の特別なかけ声は英語にはない》
かけ声はないらしい。ところが! 『ジーニアス和英辞典 第2版』の説明は全然違うのだ。
どっこいしょ
Here we are. 〈腰をおろす時に〉ほら、どっこいしょ
第2版によればかけ声はちゃんとある。ただし「腰をおろす時」という条件つき。わたくしが「どっこいしょ」と口にするのは決まって腰を上げるとき、足腰に力を入れて踏ん張るときなのです。だから第2版の説明は残念ながら意にそぐわない。第3版によれば「かけ声はない」のだから、やっぱりないのかしら。
ちなみに、重い荷物などを持ちあげるときの「よいしょ」は alley-oopと言います。『リーダーズ英和辞典』にも『ランダムハウス英語辞典』にも『ジーニアス英和大辞典』にも記載がある。
こうなったら人工知能の出番だ。昨今の機械翻訳の精度は長足の進歩を遂げつつあるらしい。Google翻訳で「どっこいしょ」を英語に翻訳してみると――
「Famous」
ん? え? なんで famous(有名な)なの? では「よっこらしょ」はどうだろう。
「Yokkoshōsho.」
ヨッコショーショ……。意味がわかりません。
2019年1月11日
世に言うキラキラネームに眉をひそめる人は多いもので、わたくしも眉をひそめますが、「こんな名前ならむしろ嬉しい」と思うものもある。
平成元年に人間国宝に認定された大蔵流狂言師、芝山千五郎さんの本名は「芝山七五三」。七五三と書いて「しめ」と読みます。千五郎さんは大正八年十二月二十八日生まれ。久しぶりに男の子が生まれたというのでお祖父さまの二世芝山千作がたいそう喜んで、毎年十二月二十八日に七五三飾りをする。めでたいから七五三で「しめ」にしようとお爺さんが名づけた。
で、思い出したのが小学校五六年生のときの友人の名前。九一と書いて「ながかず」と読みました。誕生日の九月(ながつき)一日にちなみます。
2019年1月2日
あけましておめでとうございます。二十世紀最後の年にサイトを開設してから十九回目のお正月を迎えました。今年も大いに遊んでくださいな。
2019年1月1日