カルメン・マウラ主演の『歌姫カルメーラ』という映画があります。スペイン国内を巡回する旅芸人の一座の物語で、マウラ扮する女優カルメーラが内戦勃発直後に舞台で共和制を擁護しファランヘに殺されるという悲喜劇です。原作は同名タイトルの戯曲で、作者はサンチス・シニステーラ。
今活躍している劇作家で、シニステーラほど演劇の歴史を深く勉強し、作品に反映させている人はいません。16世紀の旅芸人の芝居。セルバンテスやロペ・デ・ベガ、カルデロンなどのいわゆる〈黄金世紀〉の作品。ジョイスやブレヒト、ベケットなどの現代戯曲。シニステーラは、戯曲家であると同時に研究者であり理論家でもあります。60年代にバレンシア大学で演劇を学び、77年に国境劇場(Teatro Fronterizo)を旗揚げ。演劇と演劇ならざるものの〈国境〉を見定めるのが狙いでした。
代表作は80年の『ニャケ』 Ñaque。16世紀ごろのスペインではいろいろな旅芸人の一座が各地で寸劇を上演していたのですが、座員がふたりだけの一座はニャケと呼ばれていました。『ニャケ』の登場人物もソラーノとリーオスのふたりだけ。たったふたりが、おどけたりふざけたりしながら、時を過ごします。そうです。まさに『ゴドーを待ちながら』のウラジミールとエストラゴン。たいていの演劇史では取り上げられない旅芸人たちの芝居に演劇の底力をみる。しかも単なる懐古趣味ではなく、あくまでも現代劇としてよみがえらせるところでシニステーラの本領は発揮されます。
まず『歌姫カルメーラ』 ¡Ay, Carmela! をみてみましょう。
ニャケ同様、この作品に出てくる旅芸人の一座もカルメーラとパウリーノのふたりです。映画版は時間軸にそって物語が語られますが、原作の戯曲は、カルメーラが殺されてひとり残されたパウリーノが亡きカルメーラの思い出を語るところから始まり、カルメーラの亡霊が現れてパウリーノと昔の日々を語り合いながら、映画のフラッシュバックのように当時の出来事を再現してゆく、という構成です。ですから、この戯曲の鍵は、追憶もしくは記憶、ということになります。生身の人間と亡霊との対話といえば『ハムレット』やティルソ・デ・モリーナの『セビーリャの色事師』が思い起こされます。主人公が劇中劇を演じるところはバロック演劇そのもの。このように、『歌姫カルメーラ』には、古典から現代までの西欧演劇の伝統が息づいています。
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