ヌリア・エスペル Núria Espert

舞台の怪物

 〈舞台の怪物〉と呼びたくなる俳優がいます。日本なら白石加代子。スペインならラファエル・アルバレス。通称「魔術師」。もうひとり女優を挙げろと言われれば、この人しかいません。ヌリア・エスペル。夭逝したアルゼンチン人ビクトル・ガルシーアの演出による『イェルマ』の主役で世界的な名声を得た人です。この舞台は長らく伝説として語られてきましたが、90年に銀座セゾン劇場で上演され、日本人の度肝を抜きました。舞台装置は、舞台からはみでるほど巨大な黒い五角形のトランポリンだけ。場面に応じて斜めに傾いたり、垂直に立ったり、中央部が引き上げられてテントの形になる。この無機的な装置が、子供を産めない女の苦しみをみごとに伝えていました。

言葉と演技の唯物論

エスペルの凄さは、その徹底的な唯物論的演技にみられます。唯物論的などというとピンとこないかもしれませんが、じつはとても単純なことで、観念的な芝居をしないということです。『イェルマ』の主人公は、子供を産むのが女の幸せだと教え込まれて育った女性。ところが夫はいくら頼んでも無関心で、業を煮やしたイェルマは怪しげな祈祷師に頼み込み、子宝が授かるという山奥の祈祷場へ出かける。世間に悪い噂が流れるのが我慢できない夫になじられたイェルマは、絶望して夫を絞め殺してしまいます。

 舞台は30年代のアンダルシア地方の片田舎。日本は昭和を迎えたばかりです。当時の女性ならともかく、21世紀を迎えた現在の女性がイェルマに共感できるかどうか、はなはだ疑問です。ところが、エスペルが演じるイェルマを、90年代の女性の観客は固唾を飲んで見つめました。ほかの女優だったら、反応は違っていたでしょう。エスペルの演技は、心理描写ではないのです。

心理描写でないものに、なぜ観客は共感できるのか。その秘密は○○○と×××にあります。え?「ちゃんと教えろ」って?教えますとも。でも今回はこのへんで。正月ですから、ちょっとお休み。