古今亭志ん生「火焔太鼓」

えー、なんでもこのォ、商売となるとやさしいものはありません。ですから、物を売るといっても、客商売するといっても、そこのうちではお客をうまく扱うのと扱わないうちがあります。天丼でも食って、チョイとはらぷさぎに、急いでるからってんで天ぷら屋へ飛びこんで――

「まァなんでもいいや、腹さえ張りゃあいいんだ。ひとつ天丼頼むわ」
「へい。天丼ですか」
「うん」
「上等ですか」
「……上等でなくていいんだよ」
「じゃその次ですか」
「……なんでもいいんだよ!」
「いちばん安いの? ――このお客さま、安いのだよ。……なんでもいいんだ揚げりゃァいいんだよなんでも。エビなんざァいいんだよエビなんざァ。ハサミムシ!」

そんなもの揚げられたら●●〔語句不明〕ないけれども。やはりこのォ、そういうもんですな。チョイとした意気のもんです。物を商いをするというものは、いろんな物で人を呼ぶのがございます。盛り場やなんかですってぇと呼びこみというのがあって、りといって昔はお客を入れちゃったものです。浅草の奥山ですとか両国広小路へなんて行くといろんなことを言っておりますな。

「さあ! どうだいひとつ! 見ないかい? え? 人間と生まれて一度は見ておくもんだこれは。命の親だよ!」
「命の親……? 命の親ってのは、どれ?」
「おまえさんのそこにある」

で、見るとね、丼にご飯が山盛りになっている。こいつはどうも理窟は言えませんな、命の親なんだから。

「山から艱難辛苦をして生け捕ったるところの、六尺の大イタチだよ!」
「ホントかい?」
「六尺の大イタチだ、あのとおりだ。ほら、そばに寄ると危ないよ!」
「これは、恐いね。六尺の、そばに寄ると危ねえって。――ええー、どこにいるの、六尺の大イタチてぇのは?」
「おまえさんのそばだよ、ほれ! そばに寄っちゃ危ないよ!」
「……どれ? 大イタチ? 六尺の」
「おまえさんの前に」
「どこに?」
「あるよ、そこに。ほらァ、板があるだろ板が」
「ああ、うん」
「それ六尺だ、それ」
「ええ」
「真ん中に赤いもんがついてるだろ。それは血だよ……六尺の大板血おおいたち
「……山から捕ったってぇじゃねえか」
「ああ、それは川じゃ捕れないよ」
「……そばに寄ると危ねえって言うじゃねえか」
「倒れて怪我ァすらァ」

どうもこのォ、いろいろな商いの商売というものがありますけれど、道具屋という商売は、えー、いちばん最初はなは、なかったんだそうですな。ただ、チョイと小遣いに困って、「ああ、その机要らねえから、うちの前に出しときねぇ、いくらでも値段つけて」って、これが始まりで、道具屋てぇのはできあがったんだそうで。えー、またこのォ、干店ほしみせと言いまして夜な、方々ほうぼう茣蓙ござ敷いて、えー、売ってるのがありますが、それはいろんな古いもんで、わけのわからないようなものがありますけれども、そういう干店からでもチョイと乙な物が出たりなんかしますな。で、道具屋に来るような人は、なるたけ古い物を好みますな。新しいもんでなく古く手がけた物を、味を喜んだりなんかする。

「なんかないかい、古い物は? 珍しい物」
「えー、どんなんですねぇ」
「え、どんなんでもいいんだよ、うん。なんでも古い物ならいいんだよ、うん。そいつをね、チョイと額にしてみたりなんかできるんだがね、描いたもんでさ」
「ええ……えー、小野小町が鎮西八郎為朝ちんぜいはちろうためとものところにやった手紙なんざァどうです」
「……うーん……そりゃあ珍しいなァ……だけどちょっとお待ちよ、おい。小野小町と、おめぇ、鎮西八郎為朝じゃァ時代が違うよ、おめぇ。あるわけがねぇぜ?」
「……あるわけがないのがあるから珍しい」

こういうわからないのがありますな。

「そこにあるその額は、書だね」
「ええ、そうです」
「あー、なんと書いてあるんだい」
「なんてんかわからないんです。もう古くってね。この字がはっきりわかってくりゃ楽しみですな」
「いくらだい? 安けりゃ買ってくよ」

でね、古いこの額を買って、ことによったら小野道風おののとうふうが書いたもんじゃあねぇか、なんてことを腹の中に思って、あくる日になって、こう、日が当たってるところでよーく見ると『今川焼』としてある……。始末に悪いですな。だから、道具というものも、ごくいいところンなってくるともう美術びじつでございまして、たとえなんでもかんでも高い物ばかり、ええ。それから順になってくる。いちばん、こう、ずーっと裾ンところになってくると、ゴミてぇのを扱ってるのがありますな。ゴミというのは道具のうちでも、どっか、えー、いたんでいますな。水瓶がありゃあ漏るとかね、行灯あんどんがありゃあ骨が折れてるとか、もう決まってるんですな。こういうところの親爺はってぇと、人間がぼーっとしておりまして、『なに、売っても売らなくてもいいんだ』っていうような顔をしている。かえって女房のほうがはっきりしておりましてな。昔はそんなのがいくらもあったんですよ。

「何してんの、チョイと? よお!」
「なんだい」
「なんだいじゃないよ、おまえさん。商売してんだよ? え? お客さまがね、買いに入ってきたら、おまえさん、なんか言って、売ることを考えたらどうだよ。ねえ? お客のほうで買おうっていうような意気で入ってくるのに、おまえさんが変なこと言うから、お客が嫌になって買わずに出てっちゃうんだよ。そうだろ? 今だって、入ってきたお客さん、ニコニコ笑いながら『道具屋さん、この箪笥はいい箪笥だなあ』って言ったらおまえさんがなんて言ったよ? え? 『ええ、いい箪笥ですよ。うちの店に六年もあるんですから』……。なぜそういうことを言うの、おまえさん? 六年もあるってのは、おまえさん、六年売れないで置いてあるってことを言うようなもんじゃない。『抽斗ひきだしチョイと開けてみてくんねぇ』ったら、『これがすぐ開くくらいならとうに売れちゃうんです』って……。え? 『じゃ、開かねえのかい』『いや、開かねえことはありませんけど、このあいだ無理に開けようとして腕くじきやがった人がいる』……。そんな物買うかよ! ホントにおまえさんは本当に、それだから商いできやしないよ。ええ? だからおまえさんと一緒にいるってぇとね、え? のべつ、その、ぴいぴいしてなきゃなんねぇんだ。だから、なんか食べようと思ったって、こっちはいつでも損するんだたらと思うから、ホントになるたけものを食べないように、内輪内輪に食べてんだよ! うん、だからこの頃胃が丈夫になっちゃったい! どうすんだよォ! お腹がだんだんだんだん減ってきて、お臍が背中にしまいに出てくるよ!」
「うるせえな、おまえは変なことばかり言って! しょうがねえじゃねぇか!」
「たまには儲けたらどうだい?」
「そりゃあ、儲けたらどうだったって、儲けるような物なかなか出てこないんだ、うん。いいなッと思っても、みんな買っちまいやがってな。うん、手が早いんだ、みんななぁ。で、今日きようはおめぇ、こいつはいいと思うから買ってきた」
いちで?」
「うん」
「何買ってきたの?」
「え? ……太鼓」
「太鼓? そりゃおまえさんよしたほうがいいねぇ。太鼓なんてものは際物きわものだよおまえさん。よっぽどおまえさん頭の働く者でないと、太鼓なんてものは、なかなか出やしないよ。え? ……どんな太鼓買ってきたの? 風呂敷解いてごらんよ。……それかい? なんだい、汚い太鼓だねぇ、すすの塊みたいな太鼓じゃないかよお」
「汚かぁねぇんだよ、これは古いんだよぉ」
「古い? おまえさん、古いの買ってきて儲けたためしないだろ? え? この前も清盛の尿瓶しびんてぇのを買ってきやがる。損したろうよ、あれじゃ」
「あれは損したよ。古いんで損したのは清盛の尿瓶と岩見重太郎の草鞋わらじだ」
「まず、この。カンガイイ●●●んだからねえ。おまえさんはね、そういう人なんだよ。ね? そいで、お客に売らなくちゃならない物を売らないで、売らなくってもいいような物を売っちまいやがる……。去年だって向こうの米屋の旦那があすびに来たときに、奥で使ってる火鉢見て、『甚兵衛さん、この火鉢は面白い火鉢だなあ、え? どうだい、俺に売らないかい』って言ったら、『よかったら持ってらっしゃい』。売っちゃったから、うちに火鉢がなくなっちゃった。え? 寒くなるってぇと向こうの米屋へあたりに行ったりなんかして。だから米屋の旦那がそう言ってたよ、なんだか甚兵衛さんと火鉢と一緒に買っちゃったようだって。
「だからおまえはうるさいね、いちいちなんか言ってねぇ。儲かるときも儲からないときもあるんだい、うん、ちぇっ。――定公! この太鼓、店へ出して、埃はたきな」
「およし! そんな太鼓、埃叩くの! 埃がなくなったら太鼓もなくなっちゃうから」
「おめえ黙ってろよ! ――構わないから叩け!」
「へえ……。――ふん、おじさんとおばさんとね、始終喧嘩してるんだからね、え? へへ。なんだァ、おばさんに怒られてやがる。汚え太鼓だなこれな。埃がね、こうやっと叩くとパーッと出やがんの、うふ、面白え。ねえ、ドンドコドンドン、ドコドン……」
たたくんじゃないよ。はたくんだよ。おまえの玩具おもちゃに買ってきたんじゃねぇんだから。埃をはたくんだい」
はたいたら鳴っちゃったんだ、これ。変な太鼓だよ。ふちはたくだろ? っとドンドンっと鳴るんだから、ね? おじさん、ほら。ドンドンドンドン、ドーン!」
「やかましいやいこん畜生! ほんっとうにしょうがねぇなあ。そんな大きな音する物、店のほうでたたいてどうすんだよ!」
「……あー、許せ」
「へえへえ」
「今、太鼓を打ったのはそのほうの店か」
「……そっち言ってろよ。――どうも、あいすいませんでございます」
御上おかみ御駕籠おかごでご通行になったときに太鼓を打ったのはそのほうの店だな」
「……ええ、そうなんでござんすがね……いや、あのー、あたしじゃないんで、あいつが、叩いたんで。あいつは親類から預かってる野郎でね、人間が馬鹿なんですよあれは。ええ、もうしょうがない馬鹿なんですからね、ええ。馬鹿の見本みたいな奴です。見てごらんなさい顔を。馬鹿ってわかりますから。目をごらんなさい。馬鹿な目してましょう? 馬鹿目ばかめと言いまして、あれはもう御汁おつけの実かなんかにするよかしょうがねぇ奴でね、ええ。まだ、なんなんです、えー、十一じゆういちで、いちなんでございますよ」
「いや、太鼓を打ったのをどうこう言うのではないのだ。御上おかみ御駕籠おかごでご通行になるときに、その太鼓のが駕籠の中にいる殿の耳に入って、どういう太鼓であるか見たいと仰せられる。屋敷へその太鼓を持参を致せ。こみとによるとお買い上げになるかも知れんから」
「あはァ……そうですか……うまくたたきやがったなこん畜生……ふふ。――あれ親類の奴なんです」
「親類の者か」
「ええ。よく働くんですよあいつ。顔をごらんなさい利口そうな顔してるでしょ? もう用をさせるとなんでもするんです、ええ。もう十四じゆうしになりますからな」
「今十一だって言ったじゃないか」
「あ、そうだ、へへ……。十一のときもあったんです」
「なんだ! ……では、太鼓を持参致せ」
「へい! お屋敷はどちらさまでございますか? ……え? ああ! わかっております。へえへえ、へえ。御大名さまで、ええ。すぐ持って上がりますから……。――見ろよ。すぐに太鼓が売れるじゃねぇか。相手は御大名ときてらァ、儲かるわ。ええ? どうだい?」
「なにがどうだい、そんな太鼓。買うわけがないじゃないかよ。向こうさまはね、御駕籠の中にいて聞いたんだからね。どういう太鼓であるか見たいと仰せられるんだよ。金蒔絵でもしてある、いい太鼓だなって思うところへその汚い太鼓持ってってごらん。相手は御大名だよ。そりゃあもう大変だよ。『目障りでならん! 斯様かようなものを持って参って、そのほうは! 此奴こやつ帰すな!』かなんか言われる。若侍が『こっち来い、こっち来い!』なんておまえさん引きずられて、庭の松の木かなんかに結わえられて、こんなんなっちゃう。おまえさん当分帰れやしないよ」
「……変なこと言うなよ、おい。俺、行くの嫌んなっちゃうじゃねぇかな」
「だけどもさ、ま、そんなことは冗談だけどもねも、おまえさんしくじるといけないからあたし、教えておくけどね。そんな太鼓なんざどーこ行ったって売れっこないんだから。いくらで買ってきた太鼓なんだい?」
一分いちぶだよ」
「ほらごらん、そんなもの一分で買う者あるもんか。だから、『一分で買って参りました』って言うんだよ。で、『口銭こうせん』は要りませんから、どうぞ』って言って、向こうへパッと売っちゃわないとしょうがないよ。え? わかったね?」
「わかったよ。背負しよわしてくれよ。……よッ! ……あァ、重いな」
「重いんだよ。汚くて重いんだ、買い手ありゃあしないよ、ね? しっかりおしよ! おまえさんはね、ふつうの人と違うんだから、血の巡りが悪いんだからね。俺は人間は馬鹿だなと思ってりゃそれでいいんだから」
「うるせえや! ――何を言いやがんだい畜生。何を言ってやがる。あんな女ァないねえ! え? 我が亭主をつかまえて馬鹿だ馬鹿だって言いやがる。何言ってやがん、本当に。今度はもう、ひとつ、脅かしつけてやんなくちゃな、あんなの癖になっちゃうからね。うっちゃっておくとああいうのはね、図々しいからうちに生涯いるかも知れねえ。ひとつ脅かしておかなくちゃな。『なんだ! てめぇなんぞ! グズグズ言うな! グズグズ言うなら出て行きやがれ本当に! 殴りつけるぞ!』って……へへ……こんちは」
「……いやあ、変な奴が来たか。なんだ、そのほうは? あ? うん、道具屋か。ああ、もう聞いてわかっておる。通れ」
「へえ、どうもありがとうございます。――へへ、ねえ、いいお屋敷だね、え? お屋敷がいいわりにしちゃ太鼓は汚えな。え? こりゃ買わないよ、こりゃ。ねえ? こりゃもう追っかけられるよ、これはもう……。ね? 嫌な太鼓持ってきちゃったね、どうも……。――お頼み申します!」
「どおれ……なんであるな?」
「道具屋でございますが」
「道具屋? ――道具屋を……あ、そう、いや、太鼓を持ってきてる……」
「ああ、最前の道具屋か。これへ上がれ」
「へい」
「それを下ろして。風呂敷を解いてみろ。……それか?」
「えぇ、これでございます」
「ほうほう……いやあ、最前店で見たときとは大変変わっておって、時代がかなり古いな」
「ええ、時代が古いんでございますよ、ええ。もう、みんな時代なんですから、ええ。時代を取ると太鼓が一緒になくなるくらいな、時代の太鼓でございますから。どうでしょう?」
「御上にご覧に入れるあいだ、そこに控えておれ」
「……向こうに見せるんですか? ……見せないでくださいよ。見せないで、あなた買ってください」
「拙者が買うわけにはいかん。御覧に入れるから待っておれ」
「そうですか? でも、もうこの太鼓はもうこれより綺麗になりませんよ? よござんすか? もう、これより綺麗にならないしね、重いんです。重くて汚い太鼓。これが取り柄ですからね。重くって汚い、重汚おもきたいってンでね……うん、え? ええ、重いでしょ? へえ、えー、無理に売ると言うんじゃないんでございますから、持ってこいと言うから持ってきたんですなァ、ええ。いけなきゃ持って帰っちまいますから! ねえ! ――行っちまいやがった。ありゃあね、買いやしないよ。『斯様かようなむさい太鼓を持って参った道具屋!』って声が聞こえたら俺ァ、『さいなら!』って逃げちゃう。太鼓だけ損すりゃァいいんだからね。こういうところはうっかりできない……。――どうでした? いけなかったでしょ?」
「いや、御上はたいそうお気に入ってるようだ」
「あーそうですか……」
「うん。あの太鼓は、いくらで手放すのだ?」
「いくらで手放すのだって……ことを……、あなたは聞くんですか?」
「変な奴だな……。今、聞いてたではないか。いくらぐらいで手放す?」
「いくらぐらいで手放す、ってぇますけれどね、いくらぐらいってぇますけどね、そこですよ!」
「おう、なんだ」
「あれぇ、いくらぐらいでしょう?」
「なんだ、そのほうは! そのほうから『いくらぐらいでしょう』と言うのがあるか。え? 値段を申してみろ。……何か言いにくいようである。うん? いやあ、構わん。入ってもいい。うん。御上が御意に入っていなければしかたがないが、たいそうお気に入りだから、えー、値を手一杯に申してみろ、え? 遠慮するな。商人あきんどというものは儲けるときに儲けておかないと今度損が出る。な? 斯様なことを言ったらば拙者が、殿に対して甚だ相済まんけれども、たいそう御意に叶っておる。手一杯に言ってみろ。値段は計らってやるから」
「あァ、そうですか? じゃ手一杯に言いますがね、これより手一杯はないってところを言いますけど、高かったら値切ってください」
「ふん、変な言いようだな……。では、どのくらいだ?」
「えー、こんな……」
「……手一杯って、手を一杯に広げちまう。いくらだ?」
「十万両」
「……そりゃ高い!」
「ええ、高いんです、手一杯ですから、ええ。その代わりにね、もうこれより手一杯のはないってことを言ってるんですからね、値切ってくださいよ。あたしのほうでどんどんどんどん負けますから、ええ。トントントントン、トントントントン、今日きょう一日負けてましょう」
「そんな売りようってのがあるか。いや、拙者のほうからその値段を切り出すがな、あー、よかったらば、●●●なさい。よいか?」
「へえ」
「あの太鼓、三百きんではどうだ?」
「……三百金ってぇと、どういうきんでございましょう」
「……三百両ではどうだ?」
「三百両というのはァ……なんなんです、それァ?」
「いやあ、わからない奴だなあ……。小判三百枚だ。一両小判。三百両で売れるか?」
「一両小判、三百枚? あうあう……ホントに使えるやつですか?」
「使えんものを渡すか! ……売れるか?」
「くう……! 売れ……うう……」
「泣かなくたっていい」
「うう……ありがとうございます……じゃあ三百両ください」
「受け取りを書け」
「受け取りなんて要らないんです」
「こっちで要るのだ!」
「……えー、こういうように、どうです?」
「うん……判を押せ」
「判、ないんですよ、ええ。あなたの判押しといてください」
「判を……押せ」
「へえ、爪印でいいんですか? ……えーと(押しまくる)」
「そんなに押さなくてもよろしいのだ! ――金子きんすを持って参れ。――よいか、五十両ずつ渡すから受け取れ。さァ、これが小判で五十両だ」
「へ? へぇ!」
「……百両だ」
「うっ……へぇ……」
「百五十両だ」
「うう、ううう……」
「なぜ泣くんだ、そのほうは。……二百両だ」
「へぇ。へぇ……」
「……二百五十両だ。……どうした?」
「水、一杯ください」
手数てすうのかかる奴……。――水を持って来てやれ! ――飲んだか? ……三百両。さァ、持って参れ」
「あはァ、持ってっちゃっていいんですか? ああ、そうですか……。あたくしどもはァ、いったん売った物はもう引き取らないことになっておりますけどもォ、よろしゅうござんすか? ええ、これはお爺さんの遺言でね、『売った物は引き取るな』と、こういうようなわけでね、ええ。……どうしてああいう太鼓を三百両で、あの、買うのでございましょうか」
「そのほう、わからんのか。あれは、拙者にもわからんが、御上は目が高い。ああいう物に御趣味がある。あの太鼓は、ちょっと見るとむさいようだが、火焔太鼓と申して、世に二つというような名器である、国宝に近い物だと仰せられる。どこでああいうものをそのほう掘り出した?」
「そんなもんですか!」
「そうだ」
「あうー、じゃァ、あたくしは儲かったんですな」
「儲かったろ」
「へぇ、儲かった。ありがとうございます」
「うん。……帰るか?」
「ええ……帰ります……」
「うん。風呂敷持って行け」
「風呂敷あなたにあげますから」
「持ってけ!」
「ああ、へぇ、どうも」
「気をつけて参れ。金子を落とすんではないぞ」
「落としません。あたし落っことしたって金なんぞ落とさねえ。へぇ、どうも。――三百両とは夢みてぇだな、どうも。ありがてぇ……。ああ、どうも御門番さん、ありがとうございました」
「ほう、道具屋か。商いはあったか?」
「ありました」
「うん。どのくらい儲かった?」
「大きなお世話だ、そんなことは。――そんなことは言えないよ、冗談言っちゃあいけねぇ。なあ、三百両なんだから、ホントに、ねえ、え、どうだい? うちのかかあの奴、一分で売っちまえ、売っちまえって言いやがる。ねえ? あれ、一分で売っちゃァそれまでの話だよ。ねえ? だから俺ァ売らなかったんだ。ねえ? ここを言うんだよ、男の馬鹿と女の利口はうってのは、畜生め! よくも俺のことを、おまえさんと一緒にいるってぇと胃が丈夫になるの、お臍が背中に出るのって、こん畜生、亭主を舐めてやがんだからな。ふざけやがって本当に。――あァ、今、けえってきた、今、今。今帰ってきた!」
「どうしたんだい」
「ああ、うう……」
「あんな太鼓持ってって、追っかけられてきたろ? ざま見やがれ! 天井裏に隠れちまいな!」
「何を言ってやんでい! 天井裏に隠れるとはなんだ!」
「どうしたの」
「ああ、あわ、あわ……」
「なんだい、どうしたんだよ」
「俺は、向こうへ行ったんだ」
「行ったから帰ってきたんじゃないか」
「帰ってきたんだけどもさ、ね、あの太鼓、見せるってぇと向こうで『いくらだ?』ってこう言うんだ」
「『一分でございます』って、そう言ったんだろ?」
「言おうと思ったんだけど舌がつっちゃってしゃべれなくなっちゃうんだ」
「肝腎なとこだと舌がつるね本当に! 今度は舌抜いちゃうぞ!」
「何言ってやんでぇ。それから俺ァね、考えてたらね、『手一杯に言え』っていうから、俺ァ手一杯に言ったんだ」
「うん。いくらって?」
「え? こうやって……」
「なんだいそりゃあ」
「十万両だって」
「……馬鹿がこんがらがっちゃったね、おまえさん。そしたら、どうしたい?」
「向こうで『たけえ』って言うんだ」
「当たり前だよ!」
「で、トントン負けてってね、おい、あの太鼓、三百両に売れたんだ」
「ホントにかい!」
「……そうだよ!」
「まあ……はぁ……持ってきた?」
「持ってきたよ!」
「うう……ああ……早くお見せよ! ……見せろ、この野郎」
「何言うんでい、見せるよ。気を落ちつけろ、畜生! 俺だってフラフラっとしたんだから。……いいか、これを見やがってびっくりして坐り小便しよんべんして馬鹿になっちゃうかも知れないが、なあ、五十両ずつ見せてやらァ! ほら、小判五十めえ、五十両だ」
「あらッ……!」
「……なんだよ、おい! え? ……百両だ」
「ああ、チョイと……」
「うしろの柱につかまれ、ひっくりけえっちゃうから。いいか? 百五十両」
「ああ、あああー、ああ……」
「もう少しだから我慢しろ、な? 二百両だ」
「はァはァ、二百両……」
「いいか? ほら、二百五十両だ」
「はァ、おまえさん、商売が上手で」
「何を言ってやがんだ、こん畜生め! ほら、ほら、三百両だ」
「あ、はァ、はァ、水、一杯おくれ」
「ざまァ見やがれ! 俺も水飲んだんだ、そこンところで」
「ああ、チョイと」
「なんでえ?」
「……儲かったねえ、ええ? 儲かるねえ!」
「儲かるたァ、どうだ? 」
「嬉しいねえ! うん、なんでももう、これからは音のする物に限るよ」
「音のする物だよ、これからはもう! 今度、俺ァ、半鐘買ってくるんだ!」
「半鐘はいけないよおまえさん、おじゃんになるから」