三遊亭円生「しの字嫌い」

えー、毎度この、噺のほうへは変わった者が引き合いでございますが、よく、強情な人というがありまして、人が右と言うと左、あったかいものを冷たいと言うように、逆らうのがおもしろいなんという、こういうのがいちばん物が扱いにくいと言いますが――

「おいおい、清蔵や。おい、清蔵」
「はい」
「手があいてるか、いま。ああ、じゃあ、ちょっとすまないが火をおこしてもらいたいがな」
「あ?」
「火を熾しとくれ」
「……火を熾して? ……へへへ、それは、あんた、炭を熾すだんべえ」
「何?」
「やあ、火を熾せばへえになるだよ。えー、炭を熾すから火になるが、どうだ」
「……なんだい、また始めやがった。どっちだっていいや。やあ、まあまあ、おまえの気に入ったほうにしなさい。炭を火に熾して。できたら煙草盆へ火を入れて持って来な」
「……煙草盆へ火を入れるって……じかに入れると燃えるが、いいか?」
「……なぜそういう馬鹿げたことを言うんだ。じかに入れる奴があるか、火入れが入ってるだろ」
「そんだらあんた、煙草盆へ火を入れるてぇからそれはいかねえ」
「なんと言えばいい?」
「それを言おうならば煙草盆の中の火入れの中のへえの中へ火をいっけて持って来い」
「馬鹿なことを言うな。そんなことがいちいち言えるかよ」
「言えるかてぇが、あんたの言うこと間違ってべえ。こねぇだも客人ござるで、あんたに恥ィかかすのもよくねえと思ってあんとも言わねえがでけぇ声出して『清蔵、提灯へ火をつけろ』なんて言う。あんだら、馬鹿げたことはねえ。提灯へ火をつければ燃えべえに、ああ? それを言おうならば提灯の中の蝋燭立てへ蝋燭をおっ刺して蝋燭の頭へ火をつける」
「いい加減にしな。おいおいおい、まあそこへすわんなさい。おまえはね、何かあたしが用を言いつけるといちいちその、ぐずぐず理窟を言うがおまえのは屁理窟てン。いいか、煙草盆の中の火入れの中の灰の中へって、おまえの故郷くには気が長いからそんなことを言えるが、こっちは気の短いとこだ。『おい、それを取んな』『へえ、これでございますか』。品物を言わなくても、『それ』『これ』でも用が足りるン。ね? 言葉の無駄を省いて早く用が足りたほうがいいんだ。わかったか」
「……はァ……するとォ、『それ』『これ』でもええからはええほうがええ」
「言葉の無駄を省くという」
「……ほう……すると、あんたの言葉は多かんべえ」
「……また始めやがった。何が多い?」
「そんだら、煙草盆を持って来いっちば、そんでよかんべえ、なあ。煙草盆といえば火のねえものを持って来るわけがねえ。あんたみてえに煙草盆のなけへ火を入れてうてぇからいかねえ。まァなけへ火を入れてうが言葉の無駄ちゅうもんだ。ふふ、してみるとあんたの故郷くにではそう言うか」
「何を言う……用はない、向こうへ行け、向こうへ。……どうしてああいう嫌な強情な奴なんだろ。ひとこと言やァ、ああじゃあない、これはこういう理窟だてン。どうも癪に障ってたまらないがしかし、役には立っていいところもあるんだが、これから理窟は申しませんという、あいつのひとつ驚くような、ギューてぇ目に遭わせてやりたいが、何か――ふふ、あるある。清蔵や! おい! 清蔵!」
「はい」
「ちょいと来な」
「はい。……呼ばったかね。呼ばったけ?」
「用があるから呼んだン」
「聞こえたから来たン」
「何を……かけ合いみたいなこと言ってないですわんなさいそこへ。おまえに聞きますが、当てものはできるか? どうだ?」
「え?」
「当てものは? できるか?」
「『当てものはできるかァ』? かァとはなんだ、この野郎」
「なんだ、この野郎とは」
「そうだんべえ。なあ、『か』だの『とき』だの『なら』なんてぇのは疑りの言葉でよくねえちうもんだ。なあ、気ィつけなきゃ駄目だ」
「なんだい、おまえに小言を言われてるようだ。じゃあ、できるの?」
「まァ、天地間におらぁができねえなんちうことはなかんべ」
「大袈裟なことを言うな。なんでもできるてぇのか、ははは。偉い偉い。さァ、やってみなさい。〔ポンポンポンと三度拍手〕手を叩いた。右が鳴ったか左が鳴ったか当たるか?」
「……右が鳴ったか……〔ポンと一度拍手〕そりゃあ駄目だァな、あんた。手ぇひっぱたけば両手ええだが鳴るべぇな。右だけでも鳴んねえ左を振っても鳴んねえ、両方を〔ポンと一度拍手〕合わして音をすべえ」
「強情を張ってもいけない。片っぽが鳴ったんだ。どうだ」
「へ」
「恐れ入って負けるか」
「別に負けもしない」
「おいおいおい! どこへ行くんだ。逃げるのか」
「いや、逃げるわけではねえ。そんだら、敷居の上へおらぁ立っとるだよ。これ、めえへ出るか後ろへ引っこむか先に当ててもらいてえ」
「……馬鹿。俺が前へ出るてぇと後ろ、後ろだてぇと前へ出ると言うんだろ」
「どうだ? それとおんなしこんだんべえ。わしが右が鳴ったちうとあんたは、いや左だ、左だってぇば右だっちう。まァ、これは水かけ論で駄目なこんだ、はは。どうだ、一本めえったか」
「……まァいい」
「え?」
「まァいい」
「いや、まァいいではねえ。めえったかちう」
「どうでもいいよ!」
「いや、めえったらめえったとはっきり――」
「嫌な奴だなどうも。はっきりだってぇやがん。じゃ参ったよ! ちきしょう! ……おら、おらおらおら、待ちな。貴様にもうひとつやらせることがある。さァ、湯呑みに茶がいである。これを呑めるか」
「え?」
「茶を飲めるかてぇんだ」
「湯呑みの茶碗ぐらい誰でも呑むべえ」
「ただ呑むんじゃぁない、上から蓋をする。さァ、蓋の上から呑んでみろ。どうだ」
「……いや、うふ、面白かんべえ。呑むべえ」
「……いや、蓋をしたまんま呑む――」
「いやあ、蓋の上から呑むのはわかっとるが、これ、茶がへえっとるて。そりゃあ駄目だ。おらぁにげぇ茶ちうのは駄目だ、ああ。湯でも水でもええから入れけえてもらいてえ」
「湯か水ならいい?」
「湯か水ならばええが、にげぇ茶ちうのはおらぁ駄目だ」
「うるさい奴だなどうも……なんのかんのと――」
「おお! それ、蓋を取らずに湯を入れてもらいてえ」
「……馬鹿。蓋の上から湯が入るか」
へえらねえ湯は呑めねえ理窟だちう。いやァ、気の毒に、まためえったか」
「なんだなんだ……ちぇっ、じゃ、いいよ、参ったよ!」
「あんたもまァ下手な剣術使つけぇみてぇに、めえっためえったって」
「……ちきしょう! ――下手な剣術使いだてぇやがる。言うことが癪に障るだなどうも。こうなってくると人間、意地てぇやつだな。ちぇっ、悔しいねえ。なんかあいつをひとつ、まごつかせるようなことはないかな、何かギューッ……そうだ、困らせるで思い出したが、昔、太閤様のおそばにいた曾呂利新左衛門てぇ人が、『尻』という言葉を封じられて困ったてぇことを何かで聞いたことがあったが、『尻』てぇのは狭いが、なんかないかな、『尻』……そうだ、『し』の字を封じてやろう。『し』てぇのはよく使うもんだ。『ああしましょう、こうしましょう』。へへ、これならいくら強情な奴でも驚くだろう。――清蔵や! 清蔵!」
「はい」
「ちょいと来な!」
「へえ。また当てもンか」
「余計なことを言うな。当てものじゃあない。おまえに言っておきますが、うちでこれから『し』の字というものをば、一切、使わないことに決めるからいいか?」
「え?」
「『し』の字はいけないよ」
「ほう……なんでいかねえ?」
「まァ、いいとこへは使わないもんだ。『死ぬ』『しくじる』『始終仕合わせが悪い』という」
「それはあんた、『死ぬ』『しくじる』てぇからいかねぇんだ。それ、『死なねえ』『しくじらねえ』『始終仕合わせがええ』てぇばええ」
「……まァそう言えばそうだが、嫌いなもんだから言っちゃあならないという。え? でー、『し』の字はほかに読みようがあるから、『よ』と言って、それで事が足りる。いいか、わかったか」
「そらまァ、あんたがいかねえちうなら言わねえ」
「じゃ粗相でもおまえが『し』の字をひとつ言えば、給金はやらないからそのつもりでいなさい。いいか」
「……ちょ、ちょっくら待ってもらいてえ……そりゃあ駄目だ」
「ん?」
「そりゃあ駄目だよあんた。何って、奉公をぶつめえに、こういうわけがあるから『し』の字はなんねえがそんでええかって、先ィきあらばええが、今ンなって給金やんねえなんて駄目だあ」
「じゃ、できないのか」
「いや、できねえわけでは――」
「無理なら無理でいい。おまえには給金の前貸しがある。それを置いて暇をやるからすぐ出なさい」
「……そんだなあんた無理言わねえもんだなァ。じゃ、どうあっても駄目けえ? あん? □□□に語れねえちうこともあるで……じゃまァしょんねえ。いや、言わねえ」
「え?」
「言わねえ」
「……きっと言わないのか」
「いやあ、わしのほうで言わねえ……あれ? わ『し』。えぇと、『し』の字が出るだね……これ、まだ決めねえからね。えー、わたしのほう……あれ? わた『し』はいかねえ。いや、わたくしの……あれ? わ『し』、わた『し』、わたく『し』……困ったな、こらァ、ははは。じゃあ『俺』とやるか」
「なんだ、『俺』てぇのは。まァ、なんでも勝手にやれ」
「じゃまァ、俺は言わねえ。俺は言わねえが、えー、あんたァ言ったらどうしてくれ……」
「何を」
「いや、まだ決めねえからね、これ。いや、あんたァ言ったらどうする」
「……あたしは決して言わない」
「……あた『し』は決『し』てちうのは、ふたつでねえか」
「……だから決めてしまえば言やあしないよ」
「決めて『し』まえば言やあ『し』ねえちえばまたふたつ出る」
「……だから言わない」
「いや、言わねえてえが、言ったら?」
「だから、言やあしない……あー、えへん。うー、言わ、言わないが、言わないが、も『し』、いえ、えー、万が一に、ひょっと『し』て――」
「駄目だ、のべつに出る。『もし』だの『ひょっとして』だの、あんたのほうが危ねえだ、へへ。やめたほうがためだんべ」
「なんだ、ためとは。俺が言えば、貴様になんでも好きなものをやる」
「あんたが言えば? なんでも? おらにくれるって? 本当ほんにけ? ほほ、ありがてぇな、いやあ、その気であればよし……こら駄目だ。ははは、『よしよし』てぇとふたつ増えた」
「そんなことを言ったらキリがない。さァ、決める。いいか? さァ。〔ポンポンポンと三度拍手〕さァ……決まった」
「……あんたぁ決まっても、俺はまだ、決まらねえ、と。えー、これまた決めりゃあええけ? 手のなけぇ『し』の字を言わぬことと書いて……〔飲みこむ仕草〕……飲みこんだ……さァ、言わねえ」
「……言うな?」
「俺は、言わぬが、われ言うな?」
「化け地蔵みたいなことを、言ってやがる。そっちへ、行け。おいおい! そこを開けて行く奴があるか、そこを――、そこを……〔閉める仕草〕こうやれ!」
「こうやるか?」
「……ははははは。まずはこれでよしとして……これはいけねえ……まず『よし』てぇと『し』の字が出る。こいつはいいようで悪いことを決めたなあ。俺がそそっかしいのにあいつが強情ときているんだからな。なんか『し』の字の……水を汲んでるな。『清蔵、水ぅ汲んでしまった』……えー、『しまったか』はいけないな。『水ぅ汲んだか』。汲んだかってえと、あいつのことだから、『へえ、水ぅ汲んで、しめえました』。『し』めえま『し』たと、ふたつ出るな。――清蔵や! 清蔵!」
「はい!」
「水ぅ汲んだか?」
「はい! 水ぅ汲んで――危ねえ。へへへ、えー、水ぅ汲んで、終わった」
「……うまいな、あの野郎。『終わった』ってぇやがン。強情っぱりがなかなか言わないが、何か『し』の字――ああ、ばら銭が五貫ある。五貫じゃあいけないから、四貫四百四十四文しかんしひやくしじゆうしもんと置いて勘定させる。台所だいどこであぐらばかりかいている奴だ、長くここへすわらせておくうち、しびれが切れてくる。『さしがないと勘定ができないから尺を下さい』。え? 『しかんしひゃくしじゅうしもん』、『さし』に『しびれ』。へ! このぐらいあったらひとつぐらいは言いやがンだろう、ちきしょうめ、どうも。あんな強情な奴は――〔ポンポンと手を叩く〕清蔵や! おい!」
「……馬鹿野郎が、清蔵清蔵だなんて言わせねえとこきやがって。えっへへ、食べてやろう」
「……何?」
「へへへ、食え」
「なんだ……ここへ、来て、銭勘定をやれ……銭勘定」
「ああ、銭勘定。はは、銭勘定をやるか」
「これこれ! ちっ、なんだその……出ている……おい。あ……、あ……」
「あ?」
「あー……あんよが」
「……あんよ、ふふ、重ねた」
「重ねて銭勘定をやらかせ」
「銭勘定をやらかすか。駄目だあこれえ! さ……えへ、さ……」
「さ?」
「へへ。藁でってケツ結んだもン」
「ちっ、強情な奴だ! ……これか」
「いやあ、これ。あんた、言えるか?」
「俺は言えない」
「ふふ、あんたァ言えねえものは、おらも言えねえ、へへへ。あんたの言えねえものは、おらだけに言わすべえって、そううめえわけにはいかねえ、なあ。あんたのいかねえもんだら……」
「……清蔵。清蔵! どうか……えへん! ……どうかなったか」
「ああ、痛え。……切れた」
「切れた?」
「へへへ、『よびれ』が」
「よびれてぇのがあるか」
「へへへへ、えー、一貫二貫三貫いつかんにかんさんかん……。百二百三百、十二十三十、一文二文三文。えー、一貫二貫三貫、百二百三百、十二十三十、一文二文三文……野郎、巧んだな?」
「なんだこの」
「ちょっくら、算盤そろばん置いてもらいてえ」
「算盤。うん、いくらだ」
「二貫二百二十二文と」
「二貫二百二十二文」
「また二貫二百二十二文」
「また二貫二百二十二文」
「いくらだ?」
「お? ……馬鹿! 貴様がやるんだ!」
「えへ、おらがやるけ? おらがやれば、よかん、よひゃく、よじゅうよもん」
「そんな勘定があるか!」
「それでいかなければ、さんがんいっかんさんびゃくひゃくさんじゅうじゅうもんさんもんいちもんだ!」
「……この野郎、どうも『し』ぶとい奴だ」
「おおー、出た! この銭ぁ俺のもんだ」