えー、昔からこの、よく知ったふりをするかたがありまして。川柳に「聞いたふう耳学問を鼻にかけ」なんという。ま、知らないことはわからないと言ってしまえばそれでよろしいわけでございますが、どうもその、えー、なんでも心得顔に、無理な理窟をつけたり何かいたしまして。そういうところへまた、わけのわからない奴が飛びこんでくる、わからない同士でぶつかり合いますからおかしゅうございまして――
「こんちはァ! おーい!」
「……誰だ」
「こんちはッ」
「誰人か」
「……相変わらず変わったこと言ってやがる。タレビトだってやがる……タレビトじゃねぇんだ、あっしだい」
「あー、ふん、何者かと思ったら愚物であるかい」
「え?」
「まァこちらへ上がンなさい造糞機」
「変なこと言っちゃあいけねぇやな。なんだい、ゾーフンキてぇのは」
「貴様などはただ白いものを食い黄なるものを造る機械にとどまる。これを指して造糞機という。まァ、上がれ。低能児。愚者。愚者愚者」
「汚えなどうも。およしよ変なこと言うの、グシャグシャなんて。まァいいお天気ですね今日は」
「なんだ?」
「いえ、いいお天気ですって、そう言ったんです」
「『いいお天気です』? ……ほーォ、今日はいいお天気か?」
「ふふッ、しっかりしておくれよ……冗談じゃねえやな、いいお天気かったってお天気やな」
「ほーォ、何かい、今、何時だ?」
「え?」
「何時になる?」
「……何時だったって、おまえさんのうしろに時計があるじゃねぇか。人に聞かなくたってわかってらァ、まだおまえさん十一時だ」
「十一時といえばすなわち午前である」
「……そうですねぇ……十一時に御膳にするてぇのは早い家でしょうねぇ。ま、たいてい午過ぎてから食いますがね」
「いや、飯の話をしているんじゃあない。まだこれから日は暮れまいというに」
「……ちぇっ、冗談言っちゃいけねえやな。午前に日が暮れちまっちゃあしょうがねぇやな。これからおまえさん午過ぎになって、それからなんだね夕方になって」
「それはわかっている」
「わかってるンならそんなこと聞かなくたっていいじゃねえ」
「おまえの言うことが不思議だからあたしがただ問うたまでで。あー、してみれば、ここに数時間のあいだにどういうその輾転もないということをおまえが請け合うのか」
「別に何も請け合うわけじゃねぇやね。だっておまえさん誰だって言うでしょ、いいお天気だどうも、今日はいいお天気ですぐらいのことは」
「今がいいから挨拶をした。それならば言葉が違う」
「言葉が違うてぇのは?」
「今日はよいお天気と言うと、ただその一日を指すということになる。今のところがよいから挨拶をするならば、ただ今のところはまことに結構なお天気でございますと、同しことならばこう言うてもらいたい」
「ふん、驚いたね。言うてもらいたいときやがった、えへへ。そんなことは縮れっ毛の高島田だ」
「なんだ、『そんなことは縮れっ毛の高島田』てぇのは」
「へへ、結うてもらいたくても結いにくい」
「何を……くだらないことを言うな」
「どうもうるせぇねえ。じゃあ、今のところではいいお天気でござんすてンで、これでいい?」
「ああ、まァまァ、こちらへ上がれ」
「ようやくお許しが出やがった、驚いたねどうも。おまはんところへ来るといきなり小言だからねどうも。まァ、茶でもお出しよ」
「なんだい、『茶でもお出しよ』てぇのは。茶の挨拶を、その、催促をする奴があるか。まあお茶ぐらいはご馳走するからゆっくり遊んでいけ」
「ええ、ありがとうございます。まあ先生のことをみんなが物知りだ物知りだって、そう言ってますがね、なんか知ってるんだろうね」
「なんだ?」
「いえ、なんか知ってんのかい、おまえさん」
「……どうしてそう失礼な言を吐く。『なんでも知っているのかい』てぇことがあるか。ま、天地間に開闢以来わしのわからんというものはない」
「……驚いたねどうも。じゃあなんでもわかるてぇんで。へえ、いや、あっしはね、どう考えても変でしょうがねえのはね、あの魚てぇものがありますわね」
「何?」
「魚」
「……なんだ、サカナてぇのは」
「サカナってのは、ほら水の中を泳いでるサカナさ」
「魚であるか」
「ええ……、ええ、ウオ、ウオ。えー、あれ、みんな名前がありますわね、いろいろね」
「そりゃあおまえ、いろいろ名がある」
「誰が、あれ、名前つけたんですかね」
「……何?」
「サカナの名をつけたのは、誰がつけた」
「……どうしてそういう下らんことを聞くんだ、ええ? おまえ、もう少しこう何か筋の立ったことを言いねぇ。サカナの名前をつけた者を聞いてどうしようという」
「いや、別にどうしようっていうわけじゃねぇけどもさあ。あっしがわからねぇから、おまえさんなんでも知ってるてぇから聞くんだよ。じゃあ、おまえさんもわからないのかい」
「わからんことはない」
「知ってンなら教えてくれよ。誰がつけたン?」
「……あれはおまえ……オホン、魚の名をつけた者は……鰯がつけた」
「え?」
「鰯がつけたんだよ」
「鰯……? 鰯って、あの魚ですか? ちっぼけな? へえ……仲間でつけるんならもっと偉い魚があるでしょ」
「いや、偉い魚はあるが、ま、つまり鰯というものが非常に数が多い。そこで、あれは魚仲間でも勢力があって鰯というものが銘々に名をつけてやったんだ」
「あ、そうですか。へえ……じゃあ、イワシてぇ名は誰がつけたんです」
「……あれは別に名というわけではないが、自然に名になったんだ。えー、みな銘々に名をつけてもらった魚が、さて、わたくしどもはこれで決まったがあなたはどういう名前をおつけになりますと言うと、わたくしのことはまァなんとでもよろしいように言わっしい、いいように言わっしいと言ったね」
「変だねどうも。『言わっしい』ってンですか、あれ?」
「ま、本来は『言わっしい』という。で、それがイワシになったン」
「ははァ、なるほどね。――鮪てぇのはどういうわけなんです?」
「鮪……鮪というのは、あれは黒いから真っ黒だ」
「ええ」
「真っ黒だ、真っ黒だという名がついた。それがしまいに濁ってマグロになったン」
「……だっておかしいじゃねえか。真っ黒だったって、おまえさん切り身やなんか赤えじゃねぇか」
「それがおまえが馬鹿だよ。切り身で泳ぐわけはないだろ。丸ごと泳げばマグロ、マグロ、いい」
「あ、そうか。マグロですかねぇ。――じゃあ魴鮄なんてのはどういうわけで?」
「魴鮄……あれはつまり、まァ、居所の決まらん奴でね。あちらにもいる、こちらにもいるというので方々だな」
「……方々にいて魴鮄? ふふ、変だねどうも。――鯒てのはどういうわけで?」
「……鯒てぇのは……こっちに泳いでくるからコチだ」
「……そんな、おまえさん馬鹿な話があるかい。こっちへ泳ぐからコチだったって、向こうへ泳げばムコウになっちゃうじゃねえか」
「そういうときは向こうへ回ればいい」
「……手数がかかるんだねどうも。向こうまで行くんですかい」
「ああ。あれはくたぶれる魚」
「くたぶれる……。あのー、なんですかね、平目てぇのはどういうわけで?」
「平目というのは、あれは、平たいところに目があるから平目だ」
「あ、そうか。あ、なるほど。平ったいところに目があるからね。じゃあ鰈てぇのは?」
「あれはおまえ、平たいところに……カレイだ」
「いや、『カレイだ』って、カレイを聞いてるんだよ。平たいところに目があって平目はわかってるけど、カレイってのはどういうわけなんで?」
「……あれは……つまり……平目の家来である」
「……家来? ええー? 魚にも、なんですかい、家来なんてあるのかい」
「そりゃあおまえ、魚でも人間でも同しように身分の高下というものがある。昔から『鯛、平目』と言われる。まァ人間にたとえるならばごく身分のいい、昔でいえば彼は大名だな」
「あの平目てぇのが?」
「そう。えー、それから家族となる」
「え?」
「これは、その、つまり平目の家来。家隷だ」
「え?」
「家隷だよ」
「……平目の家来で? 家隷? なんだか変だねぇどうも。本当ですかい」
「本当ですかって本当ですよ。つまり昔から殿様のことは御前、御前と言うだろ」
「……ええ、ええ、芝居やなんかで御前様なんて言いますね」
「あれはその英語で言うと御前のことはライスと言う」
「ライスてぇますかねぇ?」
「そばにカレーがついている」
「……驚いたねぇどうも。カレーライスは驚いた。じゃあ、なんでも物の名前がついたのはわけがあるんですね。じゃ、この湯呑みなんてのはどういうわけで?」
「……湯呑みてぇのは湯を呑む道具だから湯呑みだ」
「へえ……じゃあ茶碗てぇのはどういうわけで?」
「茶碗……オホン、茶碗というのは、つまり置けば動かん」
「え?」
「ちゃわんとしている」
「……んな馬鹿な話はねぇな、動かねぇったって、そりゃおまえさん箪笥だって火鉢だってみな『ちゃわん』じゃねぇか」
「いちばん初めにこれができて『茶碗』となったんだッ! それでいい! 愚者!」
「また始まったよ、グシャてぇのが。――じゃあ土瓶てのはどういうわけで?」
「土瓶というのは泥でこしらえた瓶だから土瓶だ」
「あ、そうか……。じゃあ鉄瓶は?」
「どうしておまえはそう頭の働きが悪い? 泥でこしらえるから土瓶、鉄でこしらえたから鉄瓶ぐらいはわかるだろ」
「ああそう……。じゃあ、やかんは?」
「やかんは……」
「やかんは矢でできてるわけじゃねぇじゃねぇか。銅でできたり真鍮でできたり、ブリキでできたりアルマイトなんてぇのがあるじゃねえか。『やかん』てのはどういうわけだい。え? おう! ……どういうわけ!」
「大きな声をするな。やかん……オホン……やかんというのは、あれはその、今は『やかん』と言うが『水沸かし』と言ったんだ」
「水沸かし? 湯沸かしでしょ、あれは」
「それがだいたい間違っている。湯になったものを沸かす必要はない。水を湧かして湯にする道具だからこれを『水沸かし』と言うのが本来だ。今のような小さいものではない、もっと大きなものをこしらえた。戦場などでは、これは壊れる憂いがない、持ち運びにまことに便利だというので使っていたわけだ」
「うん」
「ある戦で嵐がある。こういう晩にはよも戦はなかろうというので、上戸の者は酒を呑み下戸の者はふんだんにものを食べてぐっすり寝たが、油断というものはいかん。にわかに夜討ちというものをかけられる。跳ね起きてみるとなにしろ敵がフッと押し寄せてくるから、さァ支度をしようというのだが、他人の兜をかぶる者があり、一つの鎧をニ三人で引っ張りっこをするというえらい騒ぎで。一人の若武者が跳ね起きたがこれは落ちついているから少しも騒がずすっかり支度を整える。最後に兜をかぶろうと思うと兜がない」
「どうしたい?」
「誰か間違えてかぶった奴がある。さあ兜がなくて戦場へ出られんので傍らを見ると、自在にこの水沸かしがかかってグラグラ煮え立っていたから、『これ、屈強の兜なり』と、ザンブとこの湯を空けてかぶった」
「はあ、なるほど、ええ、兜の代わりに」
「この若武者が乗り出したが凄い。縦横無尽に荒れ回る。この勢いに恐れて敵の者がどっと崩れている。敵方の大将が床几から立ち上がって見ると、水沸かしがこのギラギラ光って、味方の者が悩まされ、悩められている様子で。『あれへ奇っ怪なる水沸かしの化け物が出でたから、誰そあるか、一途捕れ』と言う。鉄砲のない時分だから、矢比というものを計って、ニ三十人の者が弓を満月のごとくに引き絞ってキシッと放ちたる矢は過たず、水沸かしに命中をするとこれがカーン! という音がした」
「ええ」
「矢が飛んできて水沸かしに当るとカーン! と言い、矢が飛んできてはカン、矢が飛んできてはカンで、『やかん』になった。……うーむ」
「なんだ唸ってやがンの……これは驚いたね。矢が飛んできて『やかん』ですか、ありゃあ、へえ。だけど、アレかぶると邪魔になりますね」
「何」
「蓋なんざァ要らないね」
「いやあ、要らんことはない。ぽっちを咥えるから面の代わりになる」
「……ああ、お面の代わりに、へえ。だけど、持つところは?」
「蔓は顎へかけて忍の緒の代わりになる」
「あ、なるほど。でも口が邪魔になる……」
「いやあ邪魔にはならぬ。昔は敵方が、この、なんの某という名乗りを上げる。名乗ったときに聞こえんといかんから耳に……」
「おおっとっとっと。耳なら真っ直ぐとか上へ向きそうなもんじゃねぇか。かぶると下ァ向いちまうじゃねぇか」
「……下を向いていいんだよ。その夜は嵐で雨が降っている。雨が流れこんで耳だれになるといかんから下を向く」
「強情だねぇおまえさんも! じゃあ耳なら両方にありそうなもんじゃねぇか」
「……いや、ないほうは枕をして寝るほうだ」
「冗談言っちゃあいけねぇ」
おなじみのお笑いでございます。