芸人列伝

芸人の概念

芸人と聞いて、どんな人を思い浮かべるでしょうか。

若い人なら、大抵は、テレビに出ている〈タレント〉という人たちを挙げるでしょう。ところが、皮肉なことに、〈タレント〉の多くは〈芸〉と呼べるものを何も持ち合わせていない人が多いのです。むしろ、芸の才能などないにもかかわらずテレビに出続けられる神経の太さの持ち主こそ〈タレント〉であるという逆説が成り立つくらいです。

ご年配の方はどうでしょうか。

テレビ放送が始まる前、娯楽といえば、芝居、映画、そしてラジオでした。ひとくちに芝居といっても、歌舞伎から新派、新劇、大衆演劇など幅広いジャンルがあり、それぞれ、独特の芸人が芸を生業として観客を楽しませてくれました。歌舞伎役者は映画が発明された頃は映画俳優としても引っ張りだこでした。そしてラジオ。人気の的は落語でした。もちろん寄席も繁盛していました。今では信じられないかも知れませんが、一時期、ラジオのバラエティー番組を支えていたのは落語家だったのです。

もっと視野を広げましょう。たとえば大道芸人です。曲芸や動物を使った芸など、往来の人たちの前で、路上で見せる芸です。似ているのが、道行く人の足を止めさせて日常品やバナナなどを、巧みな口上で売りさばく香具師と呼ばれる人たち。渥美清の〈寅さん〉が典型です。広い意味では、金魚売りや竿竹売りなどの物売りも一種の芸といっていいでしょう。

ストリップもそうです。そしてストリップのショーの合間では必ず漫才師やコメディアンがコントや漫才をやりました。浅草のストリップ劇場で漫才をやっていたビートたけしのように、ストリップ小屋からデビューした芸人は数知れません。

このように、ひとくちに芸とか芸人といっても幅広い層があるのですが、芸人たちには、どこか共通した匂いがあります。それは〈悪〉です。あるいは〈差別〉です。平たくいえば、芸人の歴史は〈虐げられし者の歴史〉なのです。

現在〈タレント〉と呼ばれる人が社会的に差別されるようなことはありません。「モーニング娘。」の新メンバー募集には、全国から何千何万もの応募が殺到し、〈タレント〉を夢見る少年少女は星の数ほどいます。このことの背景にはテレビ文化があるのですが、ここでは深く立ち入らず、テレビ以外の世界で芸を守り伝承してきた、あるいは今している芸人について論じようと思います。

芸人の歴史を繙くと、ただちに、彼らが絶えず白眼視されてきたことが了解されます。なぜ差別されてきたか。彼らは実生活に役立つ生産活動に携わっていないからです。歌舞伎役者はかつて河原乞食という蔑称を受けていました。ヤクザ、女郎、そして芸人は十把一絡げに〈河原者〉と呼ばれていたのです。ヤクザは男を売り、女郎は女を売り、芸人は芸を売る。しかし生産手段は持っていません。そんな彼らをお上は、畑にさえならない河原に追いやっていたのです。それでも彼らは生きていかなければなりません。芸人はひたすら芸を磨き、芸を売って生きてきました。

永六輔の『芸人』(岩波新書)によると、日本の芸人の歴史は、古事記に出てくる海彦・山彦の「俳優(わざおぎ)の民」に始まったそうです。山彦は海彦から借りた釣り針を紛失してしまい、もとの釣り針を返せと迫られて困り果てます。すると海の神が山彦に同情して釣り針を探し出し、それだけではなく、傲慢な海彦を懲らしめるために、山彦に不思議な力を授けて山彦を勝者にします。それ以来、海彦の一族は、負けたときのありさまを、山彦の一族のまえでずっと演技しなければならなくなります。これが芸人の始まりです。つまり芸能とは、肩身の狭い思いを克服するために修練を重ねて伝承してきた技なのです。こうして芸能には最初から〈負〉のイメージ、マイナスのイメージがつきまとうことになります。

歌舞伎という言葉は〈かぶき=傾き〉という言葉から来ています。社会の周縁から、社会を斜に構えて見ている人たち、要するにアウトローです。歌舞伎役者はよく屋号で呼ばれます。成駒屋とか、中村屋とか、高麗屋とか、いろいろありますね。これは、江戸時代、士農工商のその下で乞食扱いされていた芸人が屋号で呼ばれることによって商人と同列に扱いを受けたかったからだそうです。

芸人が蔑まされていた証拠はまだあります。芸人に課税されたのは明治八年です。それまでは人間扱いされなかったのです。今では考えられないことですね。課税された芸人たちは、やっとこれで人間扱いされたということで、お上に感謝したと伝えられています。

具体的な人についてお話しましょう。

美空ひばり。知らない人はいないでしょう。昭和を代表する国民的歌手。笠置シヅ子の物真似から始めて神童と呼ばれた天才です。美空ひばりは全国各地でコンサートを開きました。それを取り仕切っていたのは暴力団の山口組三代目組長でした。歌手に限らず、ヤクザが演芸の興行権を握っていた例は少なくありません。山口組二代目組長は、昭和15年、当時人気絶頂だった浪曲師の広沢虎造の興行権をめぐって浅草で斬られています。昔のヤクザは博打で儲けましたが、その次に考えたのが芸人の興行をバックアップすることでした。ヤクザというのは社会の必要悪です。明治維新の末、港が開かれた神戸に労働力を提供していたのも山口組でした。記憶に新しいところでは、1995年の阪神淡路大震災で真っ先に食料を神戸に届けたのが彼らでしたね。

ヤクザが必要悪であれば、芸人もまたしかり。両者は根底で繋がっています。「繋がっている」というのは、なにも経済的な援助を今も受けているという意味ではありません。社会の周縁的存在という意味で同じだということです。私が芸人に惹かれる理由もそこにあります。生まれてきた以上、生きていくほかない。しかし生産手段はない。そこで自分の身を売って生きていく。芸人が芸を売るとは、すなわち、自分自身を売るということにほかなりません。彼らは文字通り命がけなのです。ただし、そんなことを芸の上で垣間見せてしまってはいけません。いかにもバカなことをやっていますという調子でなくてはならないのです。

芸人という言葉はもはや死語だと思います。ですが、私はあえてこの言葉にこだわります。芸には人間の業(ごう)がすべて詰め込まれているからです。

それでは「芸人列伝」、お楽しみ下さい。