TVコント大全

1965(昭和40年)

雲の上団五郎一座
日本教育テレビ

10月1日~12月24日。金曜午後8時~9時。作者は淀橋太郎、岡田教和、安永貞利。

東京宝塚劇場で何度か上演され、昭和38年には青柳信雄監督により映画化された舞台劇「雲の上団五郎一座」(菊田一夫原作)のテレビ版。第一回は渋谷公会堂、以後はほとんど日比谷芸術座での録画。といってもスタジオ代わりだったため公開放送ではなく、観客はいませんでした。

内容は舞台と同じで、エノケンこと榎本健一が座長を務める貧乏な旅回りの団五郎一座が演ずる劇中劇を柱に旅先でのエピソードをからめた現代劇です。

出演者はすべてエノケンが初代会長を務めた社団法人日本喜劇人協会所属の芸人。有島一郎、南利明、人見明、堺駿二、森川信、益田喜頓らが、毎週入れ替わりで登場しました。

この年エノケンは61歳。脱疽で右足を切断して車椅子生活を余儀なくされ、番組でも座っているか車椅子での演技に限られ、往年の動きの速さが生かしきれませんでした。それでも、左の侍を斬るとなぜか右の侍がバタリと倒れるなどのギャグが随所にちりばめられていました。

九ちゃん
日本テレビ

11月4日~1966年4月7日。木曜午後9時~9時30分。

「光子の窓」、「あなたと良重」、「夜をあなたに」など、数々のバラエティー番組を生んだ日本テレビのプロデューサー井原高忠が、アメリカの「エド・サリバン・ショー」や「ペリー・コモ・ショー」を手本にして制作した日本最初の公開バラエティー番組。

この番組は日本で初めて台本合作システムをとりました。作家陣には中原弓彦(現・小林信彦)、井上ひさしに加え、「サンデー志ん朝」の城悠輔、「シャボン玉ホリデー」の河野洋、そして山崎忠昭がいました。

メインは坂本九ですが、笑いを担当したのはてんぷくトリオ。最初は売り出し中だったトリオ・ザ・パンチの予定だったのですが、井原高忠はてんぷくトリオの方が安定した笑いがとれると踏んで採用しました。てんぷくトリオはこの番組で英語の歌も歌わされ、他のトリオと違った色合いを出していくことになります。