6月12日~1978年6月25日。日曜午後12時~12時45分。司会は牧伸二。プロデューサーは畑野栄三。
もともとは渋谷東急でやっていた「お笑い横丁」という演芸会の中継録画を、毎週木曜日の正午から30分間放送していた番組で、〈モダン寄席〉を謳い文句にスタートしました。1964年5月3日から放送時間が日曜正午からの45分間になっても、東急レックスでの収録という形式は変わらず、演芸タレントの登竜門としての地位を築いていきました。
15年間、全782回を無欠勤で務めた司会の牧伸二は、第一候補だった漫談家の大海晴彦のスケジュールが合わなかったため、第二候補として選ばれたのですが、これが結果的に大成功になりました。司会をするにあたり、牧は師匠の牧野周一の勧めでウクレレを持つことにして、あの「やんなっちゃった節」をヒットさせます。
「むすんでひらいて」を歌った「ロンパリルーム」のコーナーもヒット。毎週衣装を替えて、芸者やセーラー服、宇宙飛行士、バーのママ、農民などに扮装、それらの衣装は牧自身が姉の古着や良子夫人の浴衣を仕立て直したものが多く使われました。
コント55号を組む前の萩本欽一が初めてテレビ出演したのがこの番組。八代英太がキャバレー回りをしていた頃、偽のプロデューサーに「テレビ寄席に出してやろうか」と騙されたこともあるほど、演芸の世界では憧れの的の番組でした。当時人気絶頂のWけんじ、獅子てんや・瀬戸わんや、コロムビアトップ・ライト、青空チック・タック、林家三平、桂米丸、月の家円鏡、ケーシー高峰、てんぷくトリオ、ナンセンストリオ、トリオスカイライン、トリオ・ザ・パンチ、天兵トリオ、東京コミックショー、東京ぼん太、ドンキーカルテット、ドリフターズなど、ほとんどの売れっ子がこの番組を通じてメジャーになります。東京のストリップ劇場の前座だった東京ぼん太のように、この番組が発掘した才能も数多くいました。
「マキシンのバーゲンセール」のコーナーでアシスタントを務めていたのは、ビートたけし夫人の幹子さんです。