TVコント大全

1961(昭和36)年

スチャラカ社員
KRT=現TBS

4月2日~1967年4月30日。日曜午後12時15分~45分。作は香川登志緒(現・登枝緒)。演出は澤田隆治。出演はミヤコ蝶々、横山エンタツ、中田ダイマル・ラケット、藤田まこと、白木みのる、人見きよし、長門勇、長谷百合、藤純子(現・寺島純子)、ルーキー新一など。

六年間、トータル318回放送された人気番組。この番組は、昭和31年から朝日放送ラジオで放送されていた「すかたん社員」(主演は中田ダイマル・ラケット、作者は香村菊雄と香川登志緒)のテレビ版をやろうというのが企画意図でした。下火になりつつあった上方のコメディーを再び盛り上げようという狙いもありました。そのためキャスティングには上方のタレントを総動員しました。

舞台は海山物産という中小企業。女社長にミヤコ蝶々。支店長に横山エンタツ、課長に人見きよし(後に長門勇に代わる)、社員には中田ダイマル・ラケット、川上のぼる、藤田まこと、白木みのる、そしてOLに長谷百合(後に藤純子に代わる)という顔ぶれが揃いました。

番組の録画は月曜日の正午に行われ、最初の数本はスタジオ収録でしたが、すぐに公開録画になりました。場所は大阪のABCホール。観客は昼休みを利用して見に来るサラリーマンが主体でした。

タイトルのスチャラカはアチャラカのもじり。海山物産社内で起こる日常的な出来事をアチャラカ喜劇に仕立てたものでした。社員たちはどいつもこいつも怠け者。藤田まことは「ハセく~ん!」とOLの長谷百合に迫り、無能な課長の人見きよしは「ホント?ちいーとも知らなかったわァ」とふざけ、中年で独身の平社員であるダイマル・ラケットは無気力を絵に描いたような人物で「まあ、ボチボチやっとったらよろしおまんがな」という調子。女社長のミヤコ蝶々が現れる時だけシャキッとして仕事をするフリをいます。こんなありさまなので、会社は何度も倒産の憂き目にあったりするのですが、誰も改心せず、ただひたすらグータラするのです。

この番組からは数々の流行語が生まれました。先に挙げた「ハセく~ん!」や「ホント?ちいーとも知らなかったわァ」、そして長門勇の「おえりゃあせんのう」という岡山弁のギャグです。名古屋地区では60%という驚異的な視聴率を叩き出しました。高度経済成長時代に敢えて愛社精神のかけらもない社員たちを描いたところにヒットの要因があったとみていいでしょう。

夢であいましょう
NHK

4月8日開始。1966年4月2日終了。火曜午後10時~10時30分。出演は中島弘子、中村八大、三木のり平、吉村祥、E・H・エリック、黒柳徹子、藤村有弘、坂本九、田辺靖雄、九重佑三子、渥美清、坂本スミ子ほか。作者は永六輔。演出は末守憲彦。

この番組は「午後のおしゃべり」(昭和34年10月から36年3月末まで、火曜日の午後1時40分から20分間放送)を午後10時台に移動するという形で始まりました。従って、主なメンバーは同じでした。

作者の永六輔は以前に日本テレビの「光子の窓」を担当していました。当時の日本テレビはショー番組の草分けで、その分野では群を抜いていました。永六輔はそこで得たノウハウをNHKに持ち込んだのです。「光子の窓」が歌とコントとトークという構成だったので、「夢で逢いましょう」も同じ構成にしました。

出演者が多彩だったのが大きな特徴です。まずホステス役の中島弘子。彼女はタレントではなく人気デザイナー、つまり素人でした。放送中によく吹き出したり、首を90度、上半身を45度右に曲げる挨拶をすることで有名になりました。吉村祥も異色な存在で、彼は繊維会社の宣伝課長で特異な才能を発揮し、タイトル画を担当しているうちに番組に出演するようになり、E・H・エリックとプロレスラーのミスター珍とともに〈三人雑唱団〉を結成しました。

笑いの中心は初期は三木のり平、そして全盛期は渥美清です。寅さんとは全く違う、都会的な芸風でした。「ギャグ特集」というコーナーでは、プロレスラーのミスター珍とユセフ・トルコが体当たりのスラップスティックを演じました。たとえば、飛び込み台からプールに飛び込もうとして壁を突き破ってしまうというギャグなどです。この「ギャグ特集」ではあの作家の小林信彦も登場し、パイ投げの的になったり、水槽に投げ込まれたりしていました。

新・番頭はんと丁稚どん
毎日放送

4月24日~12月25日。火曜午後7時30分~8時。出演は大村崑ほか。作家は花登筺。裏番組のNHK「私の秘密」を脅かした高視聴率番組の続編。

笑えば天国
フジテレビ

5月18日~66年7月28日。木曜午後7時30分~8時。出演は三木のり平、八波むと志ほか。

テレビのための公開中継を日比谷芸術座で上演。映画、芝居、文学などの名作を現代人に通じる奇想天外なアイデアと演技者の持ち味でアチャラカ芝居に仕立てたものでした。コントとは呼べないかも知れません。

シャボン玉ホリデー
日本テレビ

6月4日開始。1972年10月1日終了。日曜午後6時半~7時。出演はクレージーキャッツ、藤木孝、スリー・ファンキーズ、ザ・ピーナッツ、布施明、小松政夫、中尾ミエ、なべおさみ他。作者は前田武彦、青島幸男、河野洋。演出は秋元近史。

昭和30年代から40年代前半にかけて、日曜午後6時台はまさにゴールデンタイム。6時には「てなもんや三度笠」、6時半からは「シャボン玉ホリデー」を見るというのが定番でした。ザ・ピーナッツの♪シャボン玉、ルルルル~♪という歌のオープニングに始まり、歌とコントを交互に繰り返した後、ザ・ピーナッツとハナ肇が登場し、ピーナッツがハナ肇に肘鉄を食らわせて終わり、という構成です。

当初はザ・ピーナッツ中心のショー番組でしたが、始まった年の暮れに植木等の「スーダラ節」がヒットし、それ以後、クレージーキャッツ中心になって行きました。クレージーキャッツがこの番組で放った流行語は数知れず。「無責任」「ガチョ~ン」「ハイそれまでよ」「お呼びでない」「ハラホロヒレハレ」などなど。中でも「お呼びでない」は後に「オレたちひょうきん族」でも使われました。このギャグはある〈事故〉で生まれました。ある日、植木等が本来なら出るべきでない場面に登場してしまいました。この番組は生放送ではありませんでしたが、当時はビデオ編集ができなかったため、間違った時点ですべてNGになってしまいます。ところが植木等は開き直って、「アレッ、アハハハ」てな調子でニヤニヤして、最後に「お呼びでない?お呼びでないね。こりゃまた、失礼しました!」とやった。これが視聴者に大ウケして、結局「毎週やろう」ということになったのです。

他にも作家の青島幸男が登場して「青島だァ!」というギャグが一世を風靡。グループ・サウンズのタイガース、そしてなべおさみや小松政夫といったコメディアンもこの番組でデビューしました。第一回からカラー放送だったことはあまり知られていません。