TVコント大全

1956(昭和31)年

お昼の演芸・脱線コント
日本テレビ

八波むと志、由利徹、南利明の脱線トリオによる15分間のコント。4月11日に始まった「お昼の演芸」の新企画で、浅草育ちの脱線トリオが、ストリップ劇場で鍛えたギャグを連発。作者は塚田茂、永六輔、由利徹ほか。演出は村越潤三。出演は他に獅子てんや・瀬戸わんや、コロムビアトップ・ライトほか。

「お昼の演芸」からは、54年10月6日に始まる「青春カレンダー」で江戸家猫八、一龍齋貞鳳、三遊亭小金馬がデビュー。三人はこの年にNHKで始まる「お笑い三人組」の主役に抜擢されます。

「お昼の演芸」は毎週水曜日昼12時15分から45分まで放送されていました。スタート後の一年間は日本テレビの第一スタジオでの生放送、翌年5月からは有楽町の読売ホールに移ります。

構成は、前半の15分が落語や漫才、後半の15分が「たそがれシリーズ」という喜劇で、この後半に登場するのが脱線トリオ。毎回「カルメン」や「森の石松・三十石船」、「金色夜叉」などを下敷きとしたアチャラカが演じられました。〈アチャラカ〉とは、〈あちら(西洋)か(化)〉の転用で、もとはオペラを換骨奪胎し、ドタバタにして笑わせたところからきています。

番組で人気を呼んだのはこの後半のドタバタ喜劇でした。当時の読売ホールでは週に14本の番組が収録されていましたが、「お昼の演芸」の日には、普段の二倍の観客がつめかけたそうです。

ほとんどが脱線トリオで演じられた「たそがれシリーズ」は、ツッコミが八波むと志、ボケが由利徹、そして女形が南利明という役割で、暴力的なギャグやグロテスクな女装で笑いをとりました。たとえば、南利明が女形、八波むと志も女形をやり、その二人の女のどちらかを選ばなければならないという役を由利徹が演じます。結局、八波が暴力的(!)に由利徹と一緒になるのがオチ。また、好んで演じていたのが「○○教室」というパターンで、ツッコミの八波が、由利と南をしごくというもの。八波のツッコミが強烈。由利徹のボケも秀逸で、強気に出たかと思うと、次の瞬間、弱気になったりして、つかみどころのないおかしさで受けました。由利徹は「チンチロリンのカックン」というギャグで大ブレイク。三人の中でもっとも早く人気者になります。初期の台本は彼が手がけています。

後期になると、脱線トリオのメンバーが売れっ子になり、特に八波むと志が抜けることが多くなりました。その時にピンチヒッターを務めたのが佐山俊二です。ところが、この三人になると、ボケ役の由利徹がツッコミに回らざるを得なくなり、脱線トリオ全盛時の迫力に欠けるようになりました。こうして62年1月24日に「お昼の演芸」は終了し、同年、脱線トリオも、新宿コマ劇場の「脱線物語」を最後に正式に解散します。

お笑い三人組
(NHK)

NHKの公開バラエティーの草分け。当時まだ新人だった声帯模写の江戸家猫八(パン屋の六さん)、講談の一龍齋貞鳳(サラリーマンの良ちゃん)、落語の三遊亭小金馬(酒屋の金ちゃん)を起用。下町の〈あまから横丁〉が舞台の、歌あり笑いありのコメディー。55年11月ラジオ番組として始まり、56年11月6日からラジオ・テレビ共用番組になり、60年4月からテレビ専用番組になった。〈適度な良識と庶民性〉というNHKのバラエティーの性格を作っただけでなく、笑芸人のテレビタレント化も促した。作者は名和青朗、演出は久米昭二、音楽は土橋啓二。出演は他に楠トシエ、桜京美、音羽美子、武智豊子、トニー谷、千葉信男など。66年3月終了。

脱線トリオ、スリー・キャッツ、かしまし娘、トリオ・こいさんずなど、その後続々と誕生したトリオの元祖となったのがこの〈お笑い三人組〉です。この三人はNHKこそ名付け親ですが、この「お笑い三人組」で初めてトリオになったわけではなく、それ以前から〈三人組〉でした。小金馬によると、日本テレビの開局一周年記念で公開番組をたくさん放送した時、30分だけ時間が空いてしまい、彼ら三人と落語家の歌奴の四人で時間を埋めてほしいと局に頼まれ、なぜか猫八がレフリー、貞鳳がアナウンサー、歌奴と小金馬がレスラーでいんちきプロレスをやったところ、たまたま局の裏で祝賀パーティーがあり、それまで日本舞踊など誰も見向きもしなかったのが、そのプロレスが始まった途端、局員たちが飲むのも忘れてゲラゲラ笑い出し、それを正力社長が見て、奴らにすぐ番組をもたせろと至上命令が下された、というのです。

こうして1954年10月27日から日本テレビで始まったのが「青春カレンダー」。これを見たNHK演芸部の久米昭二が「これはいける」と起用を決めました。つまり彼らは〈引き抜き〉という形で日本テレビからNHKに移りました。日本テレビは対抗して脱線トリオで「お昼の演芸」という人気番組を作るわけです。

「お笑い三人組」の放送時間は、火曜日午後8時30分から9時までで、1963年以降の三年間は、午後8時から「ジェスチャー」、間に「お笑い三人組」を挟んで9時からは「事件記者」という人気番組が続いて放送されました。もっとも人気があったのは1960年から翌年にかけてで、視聴率は35~40%あったと言われています。

ところが、堅いイメージのNHKにあるまじき低俗な番組という非難の声も多く、日本テレビの「何でもやりまショー」と並んで、いわば〈低俗番組〉のハシリになりました。

内容は、〈あまから横丁〉という下町の商店街の現代劇で、主役三人のかけあいが見ものでしたが、テレビ単独放送なったのを期に時代劇に模様替えされます。ところがこれは失敗に終わり、半年でもとの現代劇に戻りました。この時、貞鳳のサラリーマンは変わらず、猫八はクリーニング屋の主人、小金馬は満腹軒というラーメン屋のおやじに、それぞれキャラクターが代わります。こうして何度かモデルチェンジを経て、番組は十年余り続きました。その間、公開生放送というスタイルを守り続け、この形式は後の「お笑いオンステージ」へと受け継がれていきます。