ホセ・ルイス・アルカイネの名前にピンと来る人はかなりの映画通。スペイン映画界が誇る名カメラマンです。手がけた作品は125本。ビクトル・エリセ監督の『エル・スール』、ビガス・ルナ監督の『ハモン、ハモン』、フェルナンド・トゥルエバ監督の『ベル・エポック』、カルロス・サウラ監督の『歌姫カルメーラ』、アルモドバル監督の『神経衰弱ぎりぎりの女たち』『アタメ』『ボルベール』などなど名作佳作ぞろい。先週スペイン映画アカデミーの功労賞にあたる金メダルを受章したのですが、もっと話題を呼んだのがピカソの『ゲルニカ』に関する研究発表です。アルカイネの研究によると『ゲルニカ』に描かれたモチーフは映画に由来する、その映画はゲイリー・クーパー主演『武器よさらば』だというのです。
スペイン映画界の名カメラマン、ホセ・ルイス・アルカイネが唱えるピカソの『ゲルニカ』元ネタ研究。『ゲルニカ』に描かれた馬、乳飲み子を抱いて泣き叫ぶ女、倒れた男、ドア、鳥などのモチーフはすべてゲイリー・クーパー主演『武器よさらば』のワンシーンに登場するというのです。『武器よさらば』の製作は1932年。翌年パリで公開が始まりました。ピカソが『ゲルニカ』を手がけた1937年当時もパリでは上映が続いていました。当時の配給システムでは最長六年間上映できたのです。ピカソはガートルード・スタインを通じて知遇を得た原作者ヘミングウェイと親しかったのですが、それは別として、『武器よさらば』はハッピーエンドで終わる点で物議を醸しており、映画館に足繁く通ったピカソがこの映画を見逃したはずはない、とアルカイネは説きます。
映画『武器よさらば』とピカソの『ゲルニカ』の相似点ですが、映画を観てみないと話が始まりませんね。幸いYouTube(http://www.youtube.com/watch?v=p9rWN4nUvBE)で89分のノーカット版が公開されています。作品の後半、55分くらいのところから、兵士と市民が爆撃に遭い夜道を逃げ惑うシーンが始まります。そして短いショットが矢継ぎ早にモンタージュで編集されます。(1)瀕死の女の白い手、(2)口を開けた馬、(3)天に向かって泣き叫ぶ女、(4)中が抜けた扉の枠、(5)白いガチョウを載せた手押し車、(6)馬の脚、(7)ピエタさながらの幼い息子をかき抱く母親、(8)腕を広げて横たわる男。どのショットもカメラは固定で静止画。いずれも『ゲルニカ』に登場するモチーフばかり。
(4)の「中が抜けた扉の枠」は、『ゲルニカ』では画布の中央からやや右にかけて大きく描かれています。(5)の「白いガチョウを載せた手押し車」は、『ゲルニカ』では画布の左端の牡牛の右横に、暗い背景に溶け込むかたちで、上を向いて口を開けた鳥が描かれています。アルカイネの理論で唯一未解決だったのが牡牛で、『武器よさらば』には登場しません。この件についてはベラスケスの『女官たち(ラス・メニーナス)』と見比べて解決したとアルカイネは言います。見開かれた牡牛の眼は何を見つめているのか? その視線に先にあるのは……そう、絵を見るわたしたちです。『女官たち』の左端に絵筆を持って立ち、わたしたちを見つめるベラスケスと同じ構図なのです。
映画『武器よさらば』のモンタージュと『ゲルニカ』のモチーフは一致する。ただし両者が一致するのは映画のアクションが止まったシーンに限ります。静止画としてとらえたショットの事物が絵のモチーフが一致する。さらに重要な類似点はストーリーが進む方向です。映画では画面の右から左へストーリーが進みます。人々は右から左へ逃げてゆく。そして『ゲルニカ』のドラマも明らかに画布の右から左へと進行する、とアルカイネは主張します。彼の理論の真偽はともかく、モチーフの構図と運動を注視した映画カメラマンならではの着眼点による新説だと思います。