『ボディ・ヒスパニック』(註1) でいわゆる〈黄金世紀〉の女性作家たちをフランスのフェミニズムの文脈で読み、また、ガルドスの小説をラカンで語り、ロルカの戯曲をフーコーと精神分析で20世紀的な知の領域に浮上させ、マルクスを通してネルーダを文学的に解放し、プイグとフエンテスをリオタールで語ってみせるイギリスのポール・ジュリアン・スミスは、フロイト以降のジェンダー/セクシュアリティの問題をスペイン文学にもたらしたおそらく最初の人であり、スペイン語のテクストを文字通り記号が織り成すテクスト織物として読み直す唯一の研究者といっていいのだが、そのスミスは、『余白に書くということ――黄金世紀のスペイン文学』で、いわゆる〈黄金世紀〉の演劇を語るときに人がつい陥りがちな作家主義を批判している(註2)。19世紀の文学史家によって名づけられた〈黄金世紀〉といういかにもロマン主義的な呼称はここで敢えて避けることにして、16世紀から17世紀にわたる時代と呼ぶことにするが、この時代のロペ・デ・ベガやカルデロン・デ・ラ・バルカ、ティルソ・デ・モリーナといった劇作家たちの〈演劇作品〉は、19世紀的、あるいはロマン主義的な〈天才〉の概念が支える作家の個性にもとづく創作の首尾一貫性や作品の統一性、論理的整合性といったものを根拠とする分析をことごとく裏切ってゆく。本論で扱うカルデロン(1600-81)の宮廷劇『上なき魔法、愛』El mayor encanto, amor はいうに及ばず、当時の戯曲に原テクストと呼びうるものは存在しない。まず劇作家(poeta)は上演を前提とした台本を書く。それを劇団の座長(autor)に手渡した瞬間に、台本に対する権限の一切は座長が握るのであり、上演されるにあたってテクストにどんな手が加えられようが、あるいは台詞がどれだけ削られようが、劇作家には口出しする権利がない。そして出版される場合にも筆記者や編集者が自由に手を加えることができた。したがって、今われわれが手にしている校訂本、批評版のすべては、原テクストではなく、あくまでも出版の形態をとって後生に伝わってきた二次的テクストにもとづいている(註3)。われわれが扱う時代についての演劇論はあまたあるが、それらのほとんどは、この条件を暗黙の了解として行われてきた。舞台を美的に鑑賞する観劇という、19世紀半ば以前には存在しなかった態度をいまだに引きずっているわれわれは、17世紀の演劇テクストを完結された一冊の書物としてつい読んでしまう。だが、窮極的な原テクストが存在しない以上、文学的な解釈をどれだけ重ねても、それは饒舌のための饒舌となるほかあるまい。カルデロン研究の泰斗、アレクサンダー・A・パーカーは「カルデロンの演劇」や「カルデロンの芸術」という概念の有効性を疑わない(註4)。だが、17世紀には、カルデロンの演劇も、カルデロンの芸術も、存在はしなかった。審美的価値としての〈演劇〉や〈芸術〉というものが問題群として立ち現れてくるのは19世紀後半なのだから、論理的に存在しえないのだ。本論は、カルデロンが関わった宮廷劇を扱うが、カルデロンの作家論でもなければ作品論でもなく、17世紀の演劇が、視覚と機械を通していかに政治と結びついていたかをみる広義の演劇論である。そして、われわれと同じ視線のもとにあの時代のフランスの演劇と政治との関係を見つめようとしているジャン=マリー・アポストリデスの著作がしばしば参照されることになるだろう。以下の言葉は、必然的に、〈文学〉からはほど遠いところで書かれることになろう。
『上なき魔法、愛』(註5)は1935年にマドリードで催された、ギリシア神話のオデュッセウスとキルケーの物語を題材とする一大宮廷スペクタクルであり、宮廷付劇作家となったばかりのカルデロンが単独で書いた最初の宮廷劇である(註6)。宮廷劇は王に捧げられるものであり、つねになにかを寿ぐために行われるものだが、この折に祝福されたのは、フェリーペ四世が、というよりも、実質的には寵臣オリバーレス伯公爵が建立させたレティーロ宮が完成したことだった。フェリーペ四世がルイ十四世と同じように太陽王(el Rey Planeta)と呼ばれていたことから、本来ならば太陽が天の頂きに輝く6月24日、聖ヨハネの日に催される予定だったが、折りしも、その後1659年まで続くことになるフランスとの戦争が勃発したところであり、上演は7月29日まで持ち越される(註7)。つけ加えるならば、戦争終結後、1660年12月5日に、やはりカルデロンが台本を執筆した宮廷劇『薔薇の紫』 La púrpura de la rosa が催されるのだが、これはフランスとの和平ならびにマリーア・テレサとルイ十四世との結婚を祝うアレゴリー劇である。『上なき魔法、愛』は、この戦争が勃発した直後に催された祝典であるということをわれわれは忘れてはならない。宮廷劇は本質的にスペクタクルであり、哲学的、道徳的な色彩を色濃く帯びていると同時に、政治的アレゴリーに充ちたものなのであり、『上なき魔法、愛』も例外ではない。いわば政治的テクストなのだ。
フェリーペ四世は幼少のみぎりより演劇的表象に淫したところがあったと伝えられており、九歳のときにさる宮廷劇でキューピッドを演じた際―――宮廷劇では王その人が演じ手であり演出家である―――、それに乗って登場した二輪戦車に酔ってしまい貴顕の目の前で嘔吐するという失態を演じたにもかかかわらず、その後も演劇への情熱を失わなわず、王宮には上演専用の〈芝居の間〉(salón de comedias)を造らせていた。1626年にはイタリアから水力工学技師であるコスメ・ロッティ(イタリア名 Cosimo Lotti)を呼び寄せ、噴水や庭園の水の仕掛けを任せるのだが、ロッティはほどなくして宮廷の専属劇場の舞台装置家として名を挙げることになる。以後、彼はカルデロンと組んで多くの宮廷スペクタクルを創ることになるが、彼がスペインで最初に手がけた宮廷劇はカルデロンではなくロペ・デ・ベガの『愛なき密林』 La selva sin amor (1627年12月18日、〈芝居の間〉で上演)である。だが、〈上演の間〉はスペクタクルが大掛かりになるにつれ、上演舞台としては次第に役不足になり、レティーロ宮に宮廷劇専用の劇場 el Coliseo del Buen Retiro が造られる運びとなり、1640年に完成する。ただし上演自体は劇場が未完成のまま30年代にすでに行われていた。『上なき魔法、愛』が上演されたのはこうした歴史的文脈においてである。実際に上演が行われた場所はレティーロ宮の庭園の池にしつらえた人工の島であり、王家や貴族は池のほとりから観客としてこれに参加したこと、水力工学を駆使した水の見せ物や豪華な花火を用いた、つまりは〈四大〉をすべてつぎこんだ芝居であること、上演時間は6時間に及び、上演は一日だけだったことをつけ加えておこう。
ここで『上なき魔法、愛』の物語の粗筋を追ってみよう。三幕構成であり、上演前に前口上(loa)があり、幕と幕のあいだにはいわゆる幕間狂言(entremés)が演じられ、三幕が終わると踊り(baile)ですべてが締めくくられるという構成は、ロペ・デ・ベガによってその形式が作られた当時のすべての〈コメディア〉の形式に従っており、当時の典型的な構成である。
一幕。オデュセウスの一行がトリーナクリア島に到着すると、部下たちは、島を支配するキルケーの魔法により樹木や動物に変身させられる。オデュセウスは島の奥にあるキルケーの宮殿に向かう。ヘラの使者であるイリスが現れ、魔法を解く枝を彼に渡す。その枝の効力を見せつけられたキルケーは島全体の魔法を解く。美貌のキルケーはオデュッセウスを誘惑し、オデュッセウスは〈偽りの愛〉で応えて彼女をなんとか征服しようとする。臣下のアルシーダスは彼に嫉妬する。
二幕。キルケーの宮殿。オデュッセウスに恋した気位の高いキルケーが下女フレリダに彼を誘惑させる。オデュッセウスは自分がキルケーを愛していることを認める。オデュッセウスとアルシーダスが反目する。キルケーは魔法で二人を試すことにし、ブルタモンテという巨人が現れる。オデュッセウスは武器をとる。アルシーダスはキルケーを護るべく彼女のもとに馳せ参じる。
三幕。宮殿の庭。安逸を貪るオデュッセウス(アルシーダスはすでに島を去っている)。ゲ゛ーラ戦争を思い出せと詰め寄る部下たち(¡Guerra! ¡Guerra!)。愛の悦楽に身をゆだねよと歌うアレゴリー的人物である〈アモール=愛〉(¡Amor! ¡Amor!)。オデュッセウスは愛を選ぶ。嫉妬に燃えたアルシーダス率いる軍勢の来襲。迎え撃つキルケー。眠りから覚めた(『人生は夢』にも通じるカルデロン的モチーフ)オデュッセウスは傍らにアキレスの鎧を見つける。姿を現し彼を説得するアキレスの亡霊。オデュッセウスはキルケーに悟られぬよう、部下とともにこっそりと船出する。凱旋するキルケー。船から別れを告げるオデュッセウス。戻るよう哀願するキルケーは、風を巻き起こして船を難破させようとするが、海の女神ガラテイアに阻止される。自らの魔法で宮殿を崩壊させるキルケー。火山の噴火。海の怪物トリトンとセイレーンたちの歓喜の踊りが祝典の閉幕を飾る。
〈夢からの覚醒〉といういかにもカルデロン的なモチーフはたしかにここにもある。だが『上なき魔法、愛』はコメディアの『人生は夢』とはまったく異なる言説空間に位置づけられねばならない。それはどういうことか。
『上なき魔法、愛』は庭園の池にしつらえた人工の島で上演された。なぜ島なのか。西欧文学の象徴体系において、それはなによりもまず「孤立、孤独、堅忍不抜」の象徴であり、そして「一種のユートピアで、失われた地上の楽園としての島を意味する。そこを見出したら二度とそこから戻らない」場所である(註8) 。またなぜ宮殿なのか。それは「権威、富、栄光の場所」であるのはもちろんのこと、これはレティーロ宮そのものでもある。オデュッセウスが安逸を貪るのはキルケーの宮殿の庭園である。〈庭園〉がもつ象徴的意味をアト・ド・フリースは15挙げているが、文脈からしてここで該当するのは「豊穣および女らしさ」「楽園との関連で、幸福、救済、純真さ」「余暇」「神秘的な恍惚感をもたらす場所」といったところだろう(註9)。 さて、こうした象徴学によるテクスト読解は、『上なき魔法、愛』の文学的「解釈」としては有効だろうが、問題は、島の象徴的意味ではなく、それが人工の島だということである。この祝典は、フェリーペ四世の時代の技術の粋をあつめた、驚異の視覚化を極限にまでおしすすめる機械仕掛けの舞台だった。オデュッセウスの一行は本物の船で現れ、火山は実際に噴火し、宮殿は文字通り崩壊する。登場人物がなにものかに変身したり、人物が機械仕掛けで宙を舞うなどといったことは、宮廷劇では日常茶飯事であった。だが当時の観客には、なぜ人物が宙を舞えるのか、なぜ人がほかのものに変身できるのか(『驚異の魔術師』であれば人間が骸骨に、といった具合に)、そのからくりが理解できない。市民生活の埒外に、その仕組みはあるからである。演劇という表象=代行(representación)は、ここでは、表象であると同時に行為そのものである。
われわれはこれまで、敢えてカルデロンの『上なき魔法、愛』という言い方を避けてきたが、その理由は、そもそもこの宮廷劇の青写真を描いたのが機械仕掛けを担当したロッティにほかなず、カルデロンはそこに台詞を加えることで芝居の体裁を整えたにすぎないからであり、そればかりかカルデロンはロッティの案の一部を「あまりにもスペクタクルに走り過ぎる」として斥けてさえいるからである(註10)。17世紀の演劇のテクストには主体としての作家はおらず、テクストは必然的に〈パランプセスト〉たらざるをえないのだ(註11)。ではなぜスペクタクルなのかというあらたな問題がここで浮上してくる。
スペクタクルを絶対王政のドラマトゥルギーとして読み、封建的な秩序とあたらしい価値とが共存していた時代に、個人としての王の身体が社会の後景におしやられて、王=国家というあらたな機械があらわれてくるさまを詳細に描いてみせたアポストリデスは、スペクタクルの機能についてこう述べている。「十七世紀のスペクタクルは人の目をくらませる機能を持っている。人を惹きつけると同時に隠蔽するのだ。なぜ惹きつけるのかといえば、そこには君主という太陽に由来する光を積極的に取り入れようとする力がはたらいているからである」(註12)。彼が「十七世紀のスペクタクル」というときに念頭におかれているのは、ルイ十三世が自ら踊った『ルノーの解放のバレエ』や、ルイ十四世が踊った『バッコスの祭典のバレエ』(1651年)、『ペレとテティスの婚礼のグランド・バレエと喜劇』(1654年)、あるいは彼の騎馬パレード(1664年)などであるのはもちろんだがと、なかんずく重要であり、われわれにとっても興味が尽きないのは、1664年5月7日から14日まで、まだ建設中だったヴェルサイユ宮殿で盛大に行われた豪華きわまりない祝祭劇『魔法の島の悦楽』である。この主題はアリオストの『狂乱のオルランド』第7章からとられており、初日が騎馬パレード、二日目の夜がモリエールの『エリード姫』(これはスペインのモレート作『侮辱には侮辱を』が粉本であり、装置家ヴィガラーニが庭園に仮設劇場を建設した)、三日目はアポロンの水中劇(ヴィガラーニが人工の浮島にアルシーヌの宮殿を建設し〈魔法〉が解けて宮殿が崩壊したというところなど、『上なき魔法、愛』との類縁性は疑いようがない)、五日目にはモリエールの『うるさい奴』、六日目は同じくモリエールの『タルチュフ』、七日目もモリエールの『強制結婚』で祝典が締めくくられた(註13)。『魔法の島の悦楽』は人の目を惹きつけ、同時に、なにかを隠蔽する。ここでいう「人」とは宮廷人である。宮廷人はその本質において両義性を生きざるをえない存在である。その両義性について、アポストリデスはこう語る(なおここで言及されるロジェとは『上なき魔法、愛』のオデュッセウスと同格である)。
封建的な交換とは、贈与/反贈与というかたちでおこなわれるものであった。誓いの言葉によって媒介されるこの交換形態は、相互の人的結合と両者のあいだの一定の平等性をもたらした。ところが、宮廷では、国王は与えるだけで、何も受け取らない。〔…〕国王は、みずからの象徴的身体がいっそう良好に機能するように、個人的身体のレベルにおいて犠牲を払うのである。君主の一方的な贈与を受け入れることによって、宮廷人たちは国家に対して負債を負うことになる。彼らは、権力にたいして、政務の完了ということがありえない。いわば永遠の責務者になる。実際、君主の犠牲は始原的なものであると同時に模範的である。それはまた、これ見よがしのかたちを取る。君主の犠牲は祭典という現実のレベルでおこなわれ(国王はみずからの遊興を犠牲にする)、文学的フィクションのレベルで再生産される(ロジェは情念を放棄することによってヒーローになる)。ロジェ=ルイ十四世による擬似的な犠牲のスペクタクルは、宮廷人にとって、罠に等しい。負債から解放される必要性と、同じレベルで負債を返済することの不可能性の板挟みになること、これが彼らのおかれた立場だからである。その後彼らが君主のために何をしようと、彼らは負債を返済し終わるということが決してない。彼らは自由を犠牲にして宮殿詣でをするのだし、ひょっとすると戦争に出かけて命を犠牲にしさえするのである。しかしながら、小さな犠牲がいくらたくさん集まっても、経済原則とは無関係に機能しているかに見える世界では、それらが蓄積されるということがない。君主の貴族にたいする権力は、彼が貴族に向けておこなう贈与、事故の完全な放棄〔死〕を除くいかなる反贈与によっても廃棄されない典型的な贈与に由来しているのである。こうして、国王は宮廷人を死にいたるまで掌握する。(註14)。
いわば宮廷人は呆気にとられたまま、王に命を預けることになる。宮廷劇を一方的に観せられることによって、宮廷人は宮廷人たりうるのだ。呆気にとられるのはなにも観客たる宮廷人だけではない。宮廷劇の登場人物たちは、バロック的なトポスである〈劇中劇〉を作品内で生きることが多い。オデュッセウスは愛を偽ることで、すなわち演技することによって、キルケーを征服しようとしていたことをここで思い出そう。バロック劇の人物たちは、あたかもそうであるかのように振舞うよう仕向けられている。観客たる宮廷人にとっては、宮廷劇そのものが表象でもあり行為そのものでもあった。従って〈劇中劇〉は作品の内と外の両方で生きられている。そして劇中劇は人を眩惑させ、いま自分がどこにいるかという意識を撹乱させる。「それこそ『演劇のなかの演劇』が狙っているものである。幻覚の倍加は、ついにはもはや誰もどこで現実が終り、仮象が始まるのかわからなくなり、それによって一般的な現実の意識が動揺するまでに、幻覚度を錯乱させるための手段にほかならない」(註15)のだ。
スペクタクルにはなにかを隠蔽する機能があると上で述べた。それはこういうことだ。
「スペクタクルにはもうひとつ別の機能がある。それは隠蔽する機能であり、したがって、そのかぎりでは、スペクタクルはひとつの具体化されたイデオロギーとして解釈されるだろう。〔…〕スペクタクルの上演によって、それをみているもろもろの集団に威光が与えられるので、彼らを引き裂いている不一致や対立がうまくかき消されるのである。事態を単純化するならば、アンシアン・レジーム期の王権は、ほとんどの場合、一方でブルジョワジーの利害を擁護すると同時に、他方で、貴族層にたいしては実効的な権力の喪失に見合う想像上の補填を提供したといえるだろう。ここにスペクタクルが介入する余地がある。国王のイメージがふたつの集団のあいだに入り、それらを包み込み、ひとつの団体に仕立て上げるのである。その意味で、スペクタクルは歴史の影の部分を構成していると考えられる。スペクタクルの上演とは、結局のところ、国王の身体を見せることであり、個々の集団の歴史的記憶を覆い隠してしまおうとする力を持っているわけだから、スペクタクルと歴史は排他的な関係にある。しかし、つねに同じものとして反復されることによって、実際にはスペクタクルは消えてなくなり、歴史の領野が出現することになるだろう」(註16)。宮廷劇を手がけたロペ・デ・ベガが〈テアトロ・ナシオナル国民演劇〉の完成者であるのは故なきことではない。〈国民演劇〉が〈国民〉をつくるのであり、その逆ではない。
スペクタクルの本質は視覚の優位にあるのはいうまでもない。これはバルトがいうようにイエズス会、つまりロヨラの思想に負っているところが多いといえよう。中世においては、神の言葉を聴くことが信仰の同義語であり、視覚は触覚に次いで三番目の位置を占めていたにすぎないが、ロヨラは『心霊修行』で視覚を最上位に置く(註17)。だが、それによって視覚が確固たるものとなったわけではなく、強迫観念として内面化されてゆく一方、視覚は曖昧性を帯びてゆく。バロックが問題系としてあらわれてくるのは、この点においてである(註18)。見ることが曖昧さを増し、劇中劇が演劇作品の根幹をなすようになる。なぜ演劇的隠喩があらわれてくるのか。矢橋透によると、それは「十六世紀に西欧の知に起きた一大危機に起因している」のであり、その危機とは「当時勃興しつつあった懐疑主義思想による、中世的知の根幹をなしていたアリストテレス=トマス主義的な直観的・日常的世界観(神を頂点とする『階層秩序』を支えている)の崩壊という現象」であり、「『人間の感覚を介する知識にしかすぎないものを事物の本性についての知識と錯覚するアリストテレス主義』が崩れた時、人間が感覚によって捉える世界は、演劇や見せ物となんら異なるところのない『仮象の世界』、シミュラークルの世界へと変じてしまう」(註19)。『上なき魔法、愛』は、時代が「シミュラークルの世界」に突入していることを意識しつつ、そこから脱しきれない両義的なテクストである。それはどういうことか。
『上なき魔法、愛』の舞台は、人工の島のなかにあるキルケーの宮殿である。これは完成したレティーロ宮を神話の世界に置き換えたものである。すなわち『上なき魔法、愛』の世界と、フェリーペ四世とオリバーレス伯公爵の治世とのあいだにはアナロジーが成立する。オデュッセウスはフェリーペ=オリバーレスなのだ。カルデロンがロッティの青写真に不平を鳴らしたのは、戦争が勃発しながらも膨大な資金を投じて劇場を建立し巨大なスペクタクルに興じるフェリーペ=オリバーレスへの警告しようとしたからである。ロッティと、そしてオリバーレスは、「全てを演劇=劇場に変えることのできる君主の力」(註20) を十分に知っており、〈歴史〉をつくるために(神話が題材にとられたのもそのためである)それを最大限に利用したのだ(註21)。前述のルイ十四世の『魔法の島の悦楽』でも事態は同じである。アポストリデスはいう。「ロジェはドン・ジュアンの反措定である。《魔法の島の悦楽》において、彼は絶対的・即時的な快楽にたいするあこがれに打ち勝って、ヒーロー=宮廷人としての本質を実現しなければならない。彼は情念を犠牲にし、衝動を衝動としてではなく別の仕方で用いるようにしなければならない。それは金融業者がいまここでの快楽を捨て、大きな利益を引き出すために長期的な展望に立って自分の財産を賢く投資するのと同じである。貨幣経済のモデルはエコノミー・リビデイナル心的機構の深部にまで到達している。いや、両者がともに神話的歴史の全体的構図のなかで組織化されているというべきであろうか。ヒーロー=宮廷人は時間を考慮することを学ばなければならない。彼は直接性・即時性の感情から長期的持続のそれへと移行するのである。衝動を押さえることをとおして、彼はブルジョワ社会の時間にほからならい線的で蓄積可能な時間を内面化することを学ぶのである」(註22)。カルデロンは、ロッティのレティーロ宮礼賛の意図を汲みながら、オデュッセウス=フェリーペに向かって、悦楽の夢から目覚めよ、と呟いているのだ。だが、そうしたメッセージをスペクタクルに組み込んだとしても、スペクタクルがスペクタクルである以上、王は虚構の存在となり、生身の身体のかわりに〈機械〉としての王があらわれることになる。「十七世紀においては、芸術は行為の領域と表象の領域に同様に負っている」(註23) のであってみれば、宮廷劇は両義性の呪縛から逃れることはできない。だが王が〈機械〉になるとは、どういう事態なのか。ふたたびアポストリデスはいう。「《魔法の島の悦楽》が上演されているあいだは、技術は錯覚のために使われているのであり、いわば『魔法』、つまり合理主義的思考以前の世界にかかわるものなのである。というわけで、ある機械に乗って登場するパンとディアナに、人々は驚きを隠せない。というのは、ディアナが空中に浮かんでいられる仕掛けが観客には理解できないからである。/機械仕掛けの基本構造が神話的歴史の文脈のなかで構想されているとすれば、商品についても同じことが言える。なぜなら、使用価値と交換価値という商品のふたつの価値は、別の何かのために保留されるからである。物の使用価値は経済以前の段階に固定されているのだ。それは禁じられているか(物は消費されるのではなく、単に眺められる)、あるいは本来の目的から外されてひとつの言説に変容している。国王の菓子は修辞学にかかわるものであり、食欲を満たすことを目的とするものではない。」(註24) 。演者でもあり演出家でもあり、また同時に観客でもある王は、機械仕掛けの舞台を統御する立場から、眺められる存在、さらには装置そのものへと変わるのだ。
今日のスペイン人が楽しみを求めて劇場に足を運び、そこで上演される舞台作品に美的価値があることを疑わず、終演後、その成果について肯定的あるいは否定的な言葉をたがいに交わしながら同行者と家路につく〈観劇〉という文化が生まれたのは、さして古い時代のことではない。それはたかだか19世紀中葉以降に成立したものであり、それ以前には存在しなかった。にもかかわらず、中世の神秘劇あるいは17世紀の「バロック劇」を語るときに、人はついその歴史性を忘れてしまいがちである。「どこでもいい、なにもない空間。そこを一人の人間が歩いて横切る、もう一人の人間がそれを見つめる。演劇行為が成り立つためにはこれだけで足りるはずだ」(傍点引用者)という、演劇に多少なりとも関心がある者なら知らぬ者はないピーター・ブルックの言葉は、この歴史性を隠蔽させる危険を孕んでいる。『上なき魔法、愛』で、王家から貴族、やがては市民もそのきらびやかな舞台に接することができたことはたしかなのだが、そこで実際に起きていた事態とは、今日的な意味での〈演劇〉でも〈観劇〉でもない。19世紀の文学史家たちによって〈黄金世紀〉と命名されることになる16世紀中葉から17世紀末にわたるおよそ一世紀のあいだには無数の戯曲が上演されたが、それらを文学作品の一分野として読むと、そこからテクストの歴史性が零れ落ちてしまう。なぜならそれらのテクストには、書かれている言葉以上のものがあるからだ。より正確に言えば、それらのテクストは、これまでにみてきたように、ある特定の歴史的文脈でのみ存在していた。エウヘニオ・ドールスは名高い『バロック論』のなかで、「汎神論」や「力動性」、古典主義に対する歴史的「常数」といった言葉を並べて、これらをバロックの本質だという(註25) 。また、セベロ・サルドゥイは『歪んだ真珠』で、たとえば「二重の中心」(=楕円)と呟くことでやはりバロックの本質について語ってみせる(註26) 。だが、文学史の視点からみるとたしかにバロック期に属しているであろうカルデロンの戯曲を「バロック」と名づけ、そしてその「本質」をいくつかの美学的な言葉で定義づけてしまうと、本来はひとえに特定の目的と場で上演されるためだけに書かれた当時の戯曲を論じる言説が、19世紀的な美学あるいは文学の言説にあっさり回収されてしまう。
また、宮廷劇のみならず、当時の17世紀のコメディアの登場人物たちに〈内面〉や人間的な〈深み〉を求めても無駄である。なぜならば、アポストリデスのいうように、彼らは「十七世紀の規範すらすれば、心理的な葛藤、解明が望まれるような歴史に起源をもってはいない」からであり、「あと知恵でアルノルフやアルセストまたオルゴンに、作家が求めようともしなかった深さを与えてしまったのはわれわれのほう」(註27) だからである。宮廷を律していたのは「一般の人々の言葉との断絶である。宮廷という場において許されている仕事は唯一ルプレザンタシオン=見せることだけであり、もろもろのメチエ職業にかんする語彙は排除されている」(註28)。見せること以外になにもない世界において、見せることの自律的価値が、キルケーの宮殿のごとく崩壊し、次第に内面化されてゆく過程に引き裂かれ、その過程を生々しく生きているのが、『上なき魅惑、愛』というテクストにほかならない。
註