TVコント大全

1976(昭和51)年

欽ちゃんのどこまでやるの
日本教育テレビ・現テレビ朝日

10月6日~86年9月24日。水曜午後9時~9時54分。出演は萩本欽一、真屋順子、わらべ他。

萩本と真屋の夫婦の家庭を舞台に繰り広げる喜劇。

みごろ!食べごろ!笑いごろ!
テレビ朝日

10月8日~1978年9月。作者は田村隆。プロデューサーは小林正護と増田道夫。

コンセプトは〈加山雄三とキャンデーズを中心に歌とコントでつづるバラエティー〉でしたが、なんといっても伊東と小松版の〈電線音頭〉が完全に番組を乗っ取ってしまいました。ちなみに電線マンのキャラクター・デザインを手がけたのは、仮面ライダーの生みの親、あの石ノ森章太郎です。振付担当は西条満。電線マンの着ぐるみに入っていたのは番組のADだった秋山武史。地方ロケのときに、一度だけ別のADが入ったことがあります。その人は、なにを隠そう、今の北野武の事務所「オフィス北野」の社長、森昌行です。

さて、〈電線音頭〉です。

東八郎扮するオカマっぽい踊りの師匠が生徒のキャンディーズとハンダースに稽古をつけています。そこにいきなり「軍艦マーチ」が高らかに鳴り響き、ふすまがガバッと開いて電線軍団団長・ベンジャミン伊東(伊東四朗)と、司会の小松与太八左衛門が登場。「支度をせんか支度を!」とヒステリックに叫ぶ伊東。ハンダースがあたふたとコタツと「電線音頭」と書かれた軍団旗をセッティング。

全員が「ミンミミミーン、ミンミンミン、ミンミミミーン」と安っぽいファンファーレを口で奏で、キンキラキンのジャケツトの小松が司会をし、狂乱の宴が始まります。

「本日はニギニギしくご来場まことにありがとうございました。あたくし四畳半のザット・インターテイメント、小松与太八左衛門でございます。歌は流れるあなたの胸に…。いま歌謡界の王座に燦然と光り輝く、お待ちどうさま、ベンジャミン伊東!」。伊東の顔のアップ。「人の迷惑かえりみず、やってきました電線軍団!それではまずいきなり、今日はあの娘からいってみよう!」。会場は憑依状態になり、全員で「電線音頭」を歌います。

♪チュチュンガチュン
 チュチュンガチュン
 電線に スズメが三羽とまってた
 それを猟師が鉄砲で撃ってさ
 煮てさ 焼いてさ 食ってさ
 ヨイヨイヨイヨイ オットットット
 ヨイヨイヨイヨイ オットットット♪

この時、伊東は40才を過ぎています。正気の沙汰ではありません。どちらかといえば表に出るより引いて笑いをとるタイプだった伊東が、これで豹変しました。いわゆる〈バケた〉というやつです。この〈狂気〉は絶頂期のコント55号、果てはスラップ・スティックの神様、マルクス兄弟を髣髴させました。

カックラキン大放送!!
日本テレビ

4月2日~1986年4月18日。金曜午後7時30分~8時。

当時の堺正章の人気は凄まじいものでした。「堺正章のドゥ!Do!ドゥ!(NET)、「マチャアキの森の石松」(NET)、「マチァアキ!するぞ!」(フジテレビ)、「マチァアキのガンバレ9時まで!!」(日本テレビ)、「マチァアキ・前武・始まるヨ」(日本テレビ)、「マチャアキのシャカリキ大放送」(日本テレビ)、「ハッチャキ!!マチャアキ」(日本テレビ)などで、ゴールデンタイムに王者として君臨していたのです。

グループ・サウンズ時代からの盟友である井上順と沢田研二、そして研ナオコ、車だん吉らがファミリーを形成し、この番組のレギュラーになりました。平均視聴率は20%前後。観客の声援で出演者の声がかき消されるアクシデントが続き、公開収録からスタジオ収録への変更を余儀なくされたほどです。

メインコーナーは前半の「お笑いお茶の間劇場」。レストラン「ジローズ」の茶の間が舞台のわずか10分のコントでした。マスターが坂上二郎。娘が研ナオコ。コックがラビット関根(現・関根勤)。マスターの弟で近所の美容院で働いているのが車だん吉。その幼友達が井上順。坂上二郎の隣に下宿している「日の本テレビ」のディレクターが野口五郎。アシスタント・ディレクター役は山口百恵(現・三浦百恵)。そして「モーニング企画」の部長が郷ひろみという顔ぶれでした。

ほかにも研ナオコがお婆さん役になった「ナオコばあちゃんの縁側日記」、野口五郎が刑事役を務めた「刑事ゴロンボ」などもありました。刑事シリーズはその後郷ひろみの探偵コント「私立探偵ミスターGOGO」に変わりますが、どちらも犯人役はラビット関根で、カマキリ拳、ダチョウ拳、トンボ拳、ペンギン拳など、動物を真似た拳法で抵抗するのがお決まりでした。